第12話 世界大恐慌


「ご連絡が遅れて申し訳ありませんでした」

 福山は受話器を軽く見つめ直した。

「あの時のお約束通り、授爵のお話は、他言されていませんか?」

「はいはい。お約束ですから」

 思い出した。男爵の爵位をくれるという話だ。


 本当はそれどころではなかったのだ。世界の株式市場が不穏な空気を流し始めており、五里霧中の中、会社と使用人を守るため、ひたすら仕事をしていたのである。銭のかからない授爵の話など、本当のところ半分忘れかけていた。


「秋の叙勲の時期が近づいて参りました。恐らく、今回の会で福山社長に男爵の爵位が授与されることになると思われます。ただし、人数や慣例で春に持ち越されてしまうかもしれません」

「それはそれは。ご尽力いただきありがとうございます。余りご無理はされないようになさって下さい」

「別件のお話なのですが、社長は株式投資の達人とお伺いしました」

「そんなことはありません。必要に迫られて資金を回しているだけですよ。所詮私は油の買い付け人なのですから」

「ご謙遜を。ご存知の通り、アメリカを中心に為替や株式に不穏な空気が流れております。その辺りの実際のお話を伺わせて頂きたいと、一木先生が申しておりまして。

 先生自身が社長にお会いすることが出来ないようですので、私が名代として伺えればと思います」


 福山は会合の時間を決め、受話器を置いた。宮内省大臣でさえ現在の株式市場に不安を抱えているのだ。この陰気な空気を入れ替えるべく、福山や社長室の窓を開けた。秋にしてはよどんだ風が、部屋に入っただけであった。


 翌日、約束の5分前に半次は福山の前に現れた。福山は部下に用意させたレポートを渡し、概略を説明する。時折、半次が質問をし、それに答える形で会合は進んだ。


「いやいやさすがに帝大出の秀才は、呑み込みが早いですなぁ」

「いえ、専門は法科ですので。社長のお話に付いていくのが精一杯です」

「質問の内容で、お話を理解されているかどうか位は分かります。我が社のベテランと同等の知識がおありのようで。本当にウチで働いて頂きたいくらいですよ」

 半次は微笑んだ。そして一転して表情を引き締める。

「つまり遠くない将来、上がりすぎた株価が、暴落するということでしょうか」

「米国のダウ工業株平均は、6年間で5倍になりました。平時には考えられない暴騰です。この状況が永遠に続くとは、誰も思わないでしょう」


 半次は佇まいを正し、さらに質問した。

「日本国はこれから、どのような行動を起こせば宜しいのでしょうか?」

「……個人であれば損を承知で全ての株式を売却します。そのお金をモノに変えた方が損は少ないでしょう。また暴落しても10年、20年の単位で持ち続ければ、大局的に見て、損はないかもしれません。

 しかし、それを国単位で考えるとなると……」

「国債との絡みもありますよね」

「その通りです。下がる国の国債を売却し、上がる国の物を購入すればいいのですが」

 福山はため息をついた。

「どこの国の国債・株式も暴落してしまえば、使える方法ではありません」


「……世界恐慌ですか」

 半次は呟く。福山は肩を竦める。

「申し訳ありませんが、一介の商人には荷の重いご質問です。専門家の方にお話を伺った方が宜しいのではないでしょうか?」

「いえ。現実に即した大変有用なお話を伺うことができました。早速先生にご報告させていただきます」

 半次は一礼して、福山の部屋を退出した。今回、密偵は付いていないようだが用心のため宮内省まで戻る。


「やれやれ。やっと種が撒けたねぇ」

 半次はニヤリと笑った。

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