77:父と子
「昨日の夜はゆっくりできたかしら」
問うてきたフィオはずっとにこにこしている。どことなく深みもある表情に、シェラルドは少しだけ顔が引きつった。一応無遠慮にならないよう口角を上げつつも、隠すように出されたコップに口をつける。
まさか次の日、自分がフィーベルの母と話すことになるとは。ちなみにフィーベルは父であるベルガモットと二人きりにされている。あちらはあちらで緊張感がありそうだ。
昨夜、他でもないフィオが「フィーベルの願いはなんでも叶えてあげてね」とメモで伝えてきた。そんな彼女は今、ただ笑っている。何か聞くつもりはないらしい。聞くことが野暮であることは分かっているかのように。
結論から言うと、あの夜は何度か唇を合わせた後、シェラルドは必死の理性でそれ以上何もしなかった。というのも、近くに彼女の親族がいる、というのがやはり気になったのだ。それに、まだプロポーズしていない。あれだけのことを言ってしまったとはいえ。
フィーベルはフィーベルで、何度か唇を重ねただけではあったが、朝からフィオと長時間話していたこともあり、徐々に瞼が重くなっていった。そのままいつの間にか寝てしまったのだ。シェラルドは安堵した。寝ている相手に何かするほど手は早くない。用意されている彼女の部屋まで運び、後はアンジュに託した。
「部屋まで運んであげるなんて紳士ね」
「……疲れたのではと思いましたので」
アンジュから様子を聞いたのだろう。
「優しいわね」
「恐れ入ります。俺からすれば、フィーベルの方が優しいと思いますが」
すると相手はふふっ、と微笑む。
鈴が鳴ったかのように柔らかい声色だ。
フィオと共にフィーベルとの思い出や様々な話をする。昨日ベルガモットとファイにも話したが、おそらく直接聞きたいのだろうから。フィオは始終、優しく見守る母の顔をしていた。
「そう……。二人とも想い合っている様子で嬉しいわ」
本心からそう言ってくれているのが伝わってくる。
その様子に、シェラルドは決意するように口を開く。
「お伝えしたいことがあるのですが」
「なにかしら」
「俺はフィーベルと生涯を共にしたいと思っています」
昨日ベルガモットといつの間にかそのような話になった。母であるフィオとこうして二人で話せる機会があるなら、今の自分の思いを伝えようと思ったのだ。結婚となると、両方の両親に挨拶する必要がある。自国とこの国は距離がある。次、いつ来られるか分からない。
彼女は飲んでいた紅茶のコップを置く。
「そうじゃないかと思ったわ。今までもフィーベルのことを守ってくれてありがとう。これからもどうかあの子を、よろしくね」
あっさりとそう言われる。
朗らかな笑みだった。
「ありがとうございます」
反対はされないのではと思っていたが、快く頷いてくれた様子にほっとする。するとフィオは、少しだけ神妙な顔つきになる。
「シェラルドくん。私はあの子に、少し酷な話をしたの」
「それは……」
「その様子だとまだ聞いていないのでしょうね。きっとあの子から話してくれるわ。だから……あの子の味方でいてあげて」
「……?」
「お願い」
少しだけ寂し気に笑う。
なんとなく、複雑な話なのだろうと想像する。
シェラルドはしっかり頷いた。
「分かりました」
迷いのない返答に、フィオはまた微笑んだ。
「「…………」」
フィーベルは緊張していた。
目の前には父であるベルガモットが座っている。ファイも一緒かと思いきや「せっかくだから父と子で話すのがいいだろう」と言って、二人きりになった。
ベルガモットも少しそわそわしているのか、何度も口元にコップを運んでいる。フィオとはまだ話しやすかったが、ベルガモットはなんだか話しにくい。それは思ったより身体が大きく目線が高いというもあるし、ちょっと威圧ある顔立ちのせいかもしれない。だが「霧の魔法が扱える」「赤い瞳」という共通点がある。
フィーベルが霧の魔法を使えるのは、父の遺伝だろう。聞けば「霧の民」は一年中移動している。自給自足の暮らしをし、自分達の魔法を大切にしている。基本魔法が扱えないことを食事中に相談してみたら「……必要あるか?」と言われた。霧の民も皆使えないようだが、特に不便はないらしい。そう言われると、確かにそうかもしれない。
その分個性魔法である霧の魔法の威力が高く、自由自在に操ることができる。感覚的に使ってる者が多いらしく、それはフィーベルも同じだ。身体の成長と訓練の積み重ねで、より自由に魔法を使うことができるようだ。それを聞いてフィーベルはほっとした。自身の魔法も、もっと鍛えればコントロールがよくなるだろう。
「あ、あの、」
「シェラルドとは、仲が良いか」
意を決して話そうとすると、ベルガモットと同じタイミングで口を開いてしまった。慌てると相手も「すまない」と言葉を引っ込めようとする。このまま無言になるのはよろしくない。せっかく声をかけてくれたのに。
フィーベルはすぐに答えた。
「はい、シェラルド様と仲良くしています」
「そうか。……喧嘩はないか?」
「喧嘩……かどうか分からないものはありますが」
シェラルドが遠慮してフィーベルが怒る、というようなことは何度かあった。昨夜もそうだ。殺し文句のようなことを言われたものの、結局はいつもと変わらない感じだったようにも思う。だが久しぶりに交わした唇の熱を思い出すと顔から火が出そうだった。しかもいつの間にか自分が寝てしまったので、逆に気を遣わせてしまったかもしれない。
するとベルガモットは口元を少し緩める。
「そうか。俺達とは少し違うな」
「喧嘩なさるんですか?」
「喧嘩というか……フィオがよく怒っている気がする」
「…………それでは私達と一緒な気がします」
「そうなのか? 意外だ。フィーベルの方が強いのか」
「え。強いってことなんでしょうか……?」
「さぁ……。多分、そうじゃないか」
首を傾げたフィーベルに、ベルガモットも同じように首を動かす。その動きがそっくりで、なんだか笑ってしまいそうになる。するとフィーベルの表情に気付いたのか、ベルガモットも「ふっ」と鼻で笑っていた。彼の新たな一面が見れた気がする。
「その……フィオ様の……お母様の好きなところってどこですか?」
「好きなところ?」
目を丸くされる。
「はい。なんだか、知りたくて」
昨日は主に自分の話をした。
フィオの話を聞く暇があまりなかった。
向こうが自分のことを知りたがってくれて、会えなかった時間の分、たくさん伝えたいと思った。今度は逆に自分が知りたくなった。自分の両親は、お互いのどこが好きなのだろうと。どこに惹かれて、一緒にいたいと思えるようになったのだろうかと。
ベルガモットは少しだけ考える素振りをする。
そっと、口を開く。
「ただ守られる女性ではないところ、だろうか」
「……と、いうと?」
「男は、好いた女性を守りたいと思う。俺もそうだ。だが彼女は……ただ守られるだけじゃない。自分で守ろうともする。俺のことも、フィーベルのことも、守ってくれた」
「……!」
「俺がこうして生き延びているのも、フィーベルがこうして大きく育ったのも、根本は彼女のおかげのように思うんだ。守ってくれたから。自分を犠牲にしながらも、守ってくれた。だから今自分は、ここにいる。彼女は、心が強い。おそらく俺よりも……。そういうところに、俺は惹かれたんだろうな」
フィーベルはじっと、ベルガモットを見つめる。それに気付いたのか「なんだか照れくさいな」と彼は恥ずかしそうに顔を下にした。そんなところを微笑ましく思いつつも、フィーベルは自然に「素敵です」と呟く。
「今の話、フィオには内緒にしてくれないか」
「お伝えしないんですか?」
「いや伝えたいとは思っている。だが、彼女を前にすると、なかな言葉にならなくてな」
「今のように、自然と出た言葉で伝えるのが、一番いいと思います」
「……そう、だな。ありがとう」
フィーベルは笑顔になった。
「……シェラルドのこと、ちゃんと好きか」
「はい。好きです」
「そう、か」
ちょっとだけ寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。迷いのないフィーベルの言葉に、ベルガモットは少しだけ息を吐く。だがすぐ吹っ切れたような顔をする。
「それならよかった。幸せになれ。こっちのことは気にしなくていい」
「! ……あの」
「ん?」
今度はフィーベルが動揺する番だった。
先程フィオの話をされて、気付いたことがある。こうして今の自分がいるのは、フィオのおかげでもある、ということだ。生まれて数年後、別の国に連れていかれて、でもそのおかげでクライヴに出会えて、今はこんなにも成長した。
助けてくれたクライヴのおかげだとばかり思っていたが、フィオがいなければ、ベルガモットがいなければ、自分はまず存在していない。それを自分は、理解していなかった。
仕方ないのかもしれない。両親はいないと思っていたから。両親と共に過ごした経験がないのだから。……だから。
「……ベルガモット様は、……お、父様は」
相手の目が見開く。
初めて父と呼んだからだろう。
滲み出る喜びの表情に、フィーベルは少しだけ恥ずかしくなる。そんな顔をしてくれるのなら、フィオの前でも呼べばよかった。なかなか慣れないからと、どことなく実感がないからと、避けていたけれど。本人がいないからお母様、と呼ぶことができたのだが、色々考える前に、こうして呼べばよかったのだ。
「……私と、しばらく一緒に暮らしたいと思いますか?」
「…………どうした。シェラルドと何かあったのか?」
「い、いえ。シェラルド様は関係なくて」
「ならなぜ」
「…………」
「もしかして、フィオに言われたのか」
鋭い。まさかすぐに気付かれると思わず、フィーベルはぎこちない様子になる。だが相手は理解したのか、小さく息を吐いた。
「気持ちは分かるが……フィーベルはどう思った」
「え?」
「フィオにそう言われて、正直にどう思ったんだ」
「……それは」
一緒に過ごしたいと言われたことは嬉しかった。嬉しかったが、それでも。なかなか口を開かないフィーベルに、ベルガモットははっきり伝える。
「俺には迷いがあるように見える」
「!」
「母に言われたから、というのもあるだろうし、急だから驚いただろう」
「はい……」
何もかもお見通しのようだ。
ベルガモットは少しだけ眉を下げる。
「一番大事なのはフィーベルの気持ちだ。迷いがあるのなら、すぐに受け入れる必要はない」
「……でも」
「フィオの気持ちは分かる。俺もずっと離れていたから、昨日今日でフィーベルのこと全てを理解できているわけじゃない。もっと知りたい思いはある。だが、」
一呼吸置いて言葉を続ける。
「親にとって、子供の幸せが一番の願いだ」
「……!」
「今のフィーベルを見れば、シェラルドの傍にいる方が幸せだというのは分かる。俺は幸せになってほしい。苦労も多かったと思うが、立派に育ってくれて、嬉しく思う。それはクライヴ殿下のおかげもあるな」
「……ベルガ、あ、お、お父様」
「無理に呼ばなくていいんだぞ」
少しだけ苦笑される。
フィーベルは首を振る。
「……フィオ様には呼べなかったんです。お母様、と、呼べばよかったのに」
「気にする必要はない。呼べるようになったら呼んだらいい。……俺達は親子だ。親子なのだから、そんなに気を遣う必要はないんだ」
フィーベルの胸が、じんわり温かくなる。と同時に、なんだか泣きそうになった。親子というものをあまり分かっていない自分だからこそ、どうしたらいいのだろうと迷っていた。迷っていたが、ベルガモットの言葉に、自分の思うままでいいのだと、かしこまる必要もないのだと知る。
「フィオのことは気にするな。これからは俺が傍にいる」
「……でも、考えたくて」
「そうか」
「考えて、周りの方々に相談して、決めたいです」
ベルガモットは優しい表情になる。
「分かった。俺はフィーベルの味方だ。フィーベルの考えたことは全て、尊重したい」
「……ありがとうございます」
絶対的な味方になってくれるだなんて、心強い。互いに緊張していたとは思えないくらいに、二人はいつの間にか打ち解けた。フィーベルの迷いや不安を取り除こうと、ベルガモットはずっと笑いかけてくれる。それがフィーベルにとってとても嬉しくて、心地よく感じた。
フィーベルは夜の庭園を散歩していた。
自然が好きなフィオのために庭師が丹精込めて花を育てているようで、どれも大ぶりで美しい。フィーベルは一人でいた。一人になる時間が欲しいと皆に伝え、今ここにいる。
昨日と今日で、両親とたくさん話すことができた。色んなことを知ることができた。思ったよりもあっという間だった。あっという間に、時間が過ぎた。
明日には、ここを発つ。
帰るのはクライヴに報告するためだ。ここであったことを伝えるためだ。そして、相談する。両親と一緒に過ごしてもいいのだろうかと。ここに、少しの間でもいていいのかと。フィーベルの気持ちは、まだ迷っている。迷っているから、聞いてほしい。
明日には帰ると伝えると、家族たちは少しだけ寂しそうな様子を見つつも元気で、と短く挨拶してくれた。それ以上のことを言わなかったのは、こちらのことも考えてくれたのだろう。たくさん話せて楽しかったと、みんな頷いて言ってくれた。
しばらく歩いた後、設置されているベンチに座る。ふう、とフィーベルは溜息をついた。フィオに言われたことは、まだシェラルドにも言えていない。伝えなければ。伝えることを、まずしなければ。
「隣、大丈夫か?」
「! シェラルド様」
いつの間にか背中から声がかかり振り返れば、シェラルドの姿があった。どうやらシェラルドも散歩をしていたらしい。「まだ一人になりたいなら、一旦離れるぞ」と言ってくれたが、首を振る。少しでも一人の時間を持てただけで十分だ。するとそっと、隣に座ってくる。
「何か、悩んでるんじゃないか」
「え……」
「思えば昨日の夜もどこか様子がおかしかった」
苦笑される。
気付かれていたようだ。
「…………」
「話したくなったらでいい」
シェラルドは前を向いていた。
微笑んだまま。
「言いたくなったら、話してくれ」
(……優しい)
シェラルドはこちらのペースに合わせてくれる。その優しさをありがたく思うが、甘えてばかりでないかと、少しだけ申し訳なさも出てくる。優しさといえば。昨日のことをはたと思い出す。
「昨日、の夜」
「………ん?」
少しだけ間があった。
「私、途中で寝てましたよね……? ごめんなさい……」
「……いや」
「その、シェラルド様が言ってたキス、した覚えがない気がして」
「…………」
「私のせいで……ごめんなさ」
「ちがうっ。それはフィーベルのせいじゃない!」
少し慌てたように言葉を被せてくる。
フィーベルは目をぱちくりさせる。
「え、でも。私が寝てしまったから」
「…………ほんとはもっとちゃんとした雰囲気の中で言いたかったんだけどな」
半眼になりながらもシェラルドは胸元から何やら取り出そうとする。相手の言葉と行動に、フィーベルは目をぱちくりさせる。相手は手のひらに収まる小さい箱を取り出した。ベルベット生地の、なんだか豪華そうな箱だ。
それをそっと、開ける。
「わぁ……」
中には指輪が入っていた。
宝石はルビーで、夜ではあるがきらきらと光を放っている。自身の瞳の色がルビーのようだと言ってくれた人もいたが、本物を見るのは初めてだ。あまりの美しさに、釘付けになる。
「これ、」
どうしたんですか、と聞く前に、左手を握られた。
握られたまま、手を見つめられる。
フィーベルの手に指輪はない。ルカからもらった指輪はユナに連れられた途中で落としてしまったのだが、シェラルドが回収してくれた。今はペンダントとして、フィーベルの首元にある。手をさすりながら、シェラルドが口を開く。
「ベルガモット殿から渡された」
「お父様に……?」
「お父様、って呼ぶんだな」
ふっと、笑われる。
「元々この指輪、フィオ殿に渡そうとしたらしい」
「お母様に?」
「また会えたら、指輪だけでも渡したいと思ったそうだ」
フィオと別れてからもベルガモットは、彼女のことを忘れたことがなかった。霧の民の長という立場になったことで、今度こそ、自分から迎えに行きたいと、心の奥底では思っていたようだ。その証として、この指輪を渡したいと。
「でも俺からフィーベルに渡してくれと言われた」
「え。でも、大事な指輪では」
「俺もそう思ったんだけどな。……未来につなぐ指輪であってほしいと」
シェラルドは一旦フィーベルの手を離し、その指輪を掴む。それをフィーベルに一度見せてから、再度左手を取る。
金の瞳が自分だけを見つめる。
真っ直ぐ、逸らせないくらい綺麗で。
「本物の花嫁になってくれないか」
「え…………」
「俺と結婚してほしい」
夜風が、柔らかく髪をなびかせた。
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