61:媚薬のせい

「キスしていいか」


 二回聞かれた。

 どぎまぎしてしまう。


「……え、と」

「無理なら今すぐ部屋から出てくれ」

「う、」


 なんて究極の二択なんだ。


 別に嫌ではない。ただ、急過ぎて返事ができなかった。こんなふうに真っ直ぐ聞かれるとも思わなかった。それほど切羽詰まっているのを感じる。ここで理性を保てているのがすごいのだ。エダンもこれ以上耐えるのがきついのだろう。


 迷ってる時間はない。


「い、いいよ」

「……本当に?」

「一回もうしてるし」


 一度だけだが経験している。初めての口付けにしては濃かったが、一度したら平気な気がした。……いや、やっぱり平気ではないが。


「はい」


 それでも覚悟を決め、目を閉じた。

 少しだけ近付いた気配がする。


「……本当にいいんだな?」

「しつこいな」


 少しだけ苛立ってしまう。

 こっちは覚悟を決めたというのに。


「ヴィラ」

「なに」

「好きだ」

「……知ってる」

「ヴィラは?」


 思わず目を開ける。

 眉を寄せてしまった。


 もう一回言わせる気か。

 恥ずか死んでしまう。


 だが相手は引いてくれない。

 じっとこちらを見つめてくる。


 仕方ないので、呟いた。


「……好き」


 すると身体を引き寄せられ、エダンの胸元に収まる形になる。顔を少し上げれば、額に軽く唇が触れた。子供のように緩んだ顔を向けられる。そんな顔をされたら、こちらも少し口元が緩む。ヴィラは素直になりきれず、ぎこちなかったが。


 今度は瞼の上に唇が落ちる。


 次に鼻。頬。最後に唇同士が合わさる。

 そっと、軽く触れるだけだった。


 角度を変え、何度も口付けられる。最初は軽くだけだったのに、どんどん触れる時間が長くなる。やがてついばむようなキスに変わった。キスする度に音を鳴らされるようになり、ヴィラは羞恥と緊張で身体が強張ってしまう。それをエダンが背中を撫でて宥める。


 結局首の後ろを結ぶ暇もなく、ヴィラの背中は全部開いている。そのため、エダンの角張った手で触れられると、なんだか逆に艶かしい。手が動くたびに心が落ち着かない。どんどん翻弄されていく。


 一向に相手は離す気がないらしい。離れたと思えばすぐ唇が降ってくる。初めて口付けを交わした時は優しかったのに、今は荒っぽい。唇を貪られる。


 そんな状態だからヴィラも息が荒くなる。浅く呼吸しながら相手のキスに応える。いつものヴィラなら限界が来たら何かしら行動を起こしていただろう。だが事前に、ラウラから聞かされていたことがあった。


『本当は、触れてあげた方がいいんです』

『は?』


 どうやら媚薬の効果で相手は触れたくて堪らなくなるようだ。自分のものにしたくなるという欲が増えるらしい。その願いを叶えてあげた方が早く媚薬の効果も終わるという。それはつまり、相手も早く楽になる、ということだ。


 それを聞かされていたので、ヴィラはエダンの好きにさせていた。ただ、全く耐性がないので、戸惑いが強い。そういえばラウラはこんなことも言っていた。


『まぁ、触れたらある意味最後ですわね』

『え』

『媚薬の効果により、相手も冷静さを失うでしょう。なんせ好きな人に触れてるわけですから』


 それは媚薬のせいで好きになっているだけだろうと思った。だが今回は少し違う。媚薬に関係なく好きと言ってくれた。好きな人に触れられるのは嬉しい。ただ、恥ずかしい。それに、エダンの行動が読めない。もっと紳士的だと思っていたのに。


 ヴィラはすぐ呼吸が苦しくなるが、エダンは平気なのか、先程からずっとキスが止まない。それどころか。と、唇を甘噛みされた。


 急に深い口付けに変わる。


(……な、な)


 普通のキスだって冷静さを保つのが難しいというのに、高度過ぎる。さすがに焦った。手を使ってかろうじて相手の肩を叩く。だがエダンは気付いていないのか、それとも気付かないふりをしているのか、その状態のままだ。


 全く知らない刺激に意識が飛びそうになる。これ以上恥ずかしいことがあるのかと、ヴィラは目を閉じて耐えた。やっと離れた時には、ぐったりしてしまう。


 そんな様子を、エダンはふっと笑う。


 いつもより艶のある表情だった。

 あまり見たことがない。


(……媚薬のせいなの? それとも)


 どちらにしても刺激が強い。顔が熱い。


 だがヴィラは少しむっとする。なんだかこちらばかり恥ずかしい目に遭ってる気がする。悔しくなって顔を背けた。が、急に首元がくすぐったくなる。


「!?」


 今度は鎖骨に唇を落とされていた。

 そのまま吸われ、ぺろっと舐められる。


「ちょっ……」


 慌ててどかせようとするが、また唇にキスされる。抗議の声がいつの間にか甘い声に変わってしまった。あまりの羞恥にヴィラは自分の顔を手で隠す。


「ヴィラ」

「……」

「顔見せてくれ」

「……いや」

「見たい」

「……やだ」


 するとエダンは隠す手にキスする。

 ヴィラは思わず苛立った。


「もう、」

「嫌か?」

「その質問ずるい」

「嫌ではないんだな」


 ぎょっとして言い返そうとしたが、それよりもエダンが動くのが早かった。急にヴィラの身体が浮く。と思えば、ぽいっとベッドの上に投げられる。


 ふかふかのベットで唖然としていると、エダンも隣に寝転んでくる。そのまま後ろから優しく抱きしめてきた。と思えば背中の真ん中に唇の感触を得る。


「っ……!」

「誰のためにこのドレスにしたんだ」

「はっ?」

「背中が開きすぎだ」

「今それ言うっ!?」


 だいぶ今更じゃないだろうか。


「あの時は言う暇もなかった」


 思い切り吸われる。


「っ、も、」


 恥ずかしいからもうやめて、と言いたくなったが言いにくかった。嫌かと聞かれたらそういうわけじゃないし、そう言えば結局止むこともない。八方塞がりだ。ヴィラは小さく唸る。されるがままだった。


「それで、誰のためにこのドレスにしたんだ」

「エダンくんのためだよっ!」


 やけくそになって叫ぶ。

 本当は言いたくなかったのに。


「……俺?」

「そうだよっ。私だってほんとは着たくなかったけど、これ着てサービスしろって……あ」


 余計なことまで言ってしまう。


 エダンの動きが一瞬止まった。が、すぐに抱きしめられる手が強くなる。また背中にキスされた。何度も。何度も。触れたら吸い、優しく舌で再度触れる。


「っ……」


 ヴィラはぎゅっと目を閉じる。


 いつの間にか抱きしめていた手が緩み、別の場所へ動く。足に触れられた。と思えばそれはゆっくり太ももへと移動していく。


 ヴィラは反射的に叫んだ。


「手が早いっ!!!」


 言葉と共に腕が動く。

 鈍い音が部屋中に響いた。







「なるほど」

「……なるほどじゃないよ」


 ヴィラはアンネと大浴場にいた。

 脱衣所で共に入る準備をする。


 あの後エダンは撃沈してしまい、ヴィラはそのまま部屋を飛び出した。そのタイミングでアンネと会ったのだ。心配してくれていたようで、こちらの様子にも動じずてきぱきと大浴場へと案内される。その間に先程あったことを聞かれ、もごもごと口を動かした。


 大浴場はアルトダスト側の計らいで貸切にしてくれたようだ。百人は軽く入れそうな浴場に二人きりなどかなりの贅沢だが、この規模の大浴場は他にもいくつかあるらしい。


 ローガンのことで一役買ったから、というのもあるが、ヴィラは宝石の件で自分の身体を酷使していた。少しでも身体を休められるようにと、元々大浴場に案内してくれる予定だったようだ。


 それを聞いてヴィラは納得したが、アンネも一緒に入るのは少し意外だった。アンネはあまり人と群れない。誰かと一緒に入るのは苦手なのでは、と思っていたが、こちらへの配慮だろうか。一人でいても余計なことを考えそうだったので、ヴィラとしてはありがたかった。


「叫び声と大きい音が聞こえて何事かと思いました」

「……やっぱり聞こえた?」


 アンネは安心させるように苦笑した。


 あの部屋は他の部屋と距離がある。

 近くに行かないと分からないだろうと。


「それにしても」


 ヴィラはとっくに生まれたての姿になっていた。

 背中に視線を感じ、慌てて聞く。


「そんなにひどい?」

「背中全身に赤い花が散ってますよ」

「えええ……」


 脱衣所には鏡がついているが、今は見たくないかもしれない。何度もされたのだ。おそらく跡が残っていると思っていたが、指摘されると恥ずかしい。思い出しそうになってすぐ顔を振る。


 アンネはあっさりと言い放った。


「ものすごく愛されてるじゃないですか」

「……いや、ほとんど媚薬のせいだし」

「媚薬のせいにしたくないから告白してくれたんでしょう? 誠実だと思いますよ。言い訳だってできそうなのに」

「…………」


 それはヴィラも思ったが。


「互いに両思いでしたらそりゃ深い関係にもなりたがりますよ。ガラク様に聞きましたがもう七年の付き合いなんですよね。そりゃあ二人共拗らせますね」

「……え、それどういう意味?」

「一緒にいる期間が長すぎて、いざ相手を好きになってもどうしたらいいか分からないというやつです。実際そうでしょう?」

「それは……まぁ」


 教育係として指導してもらったと思えば、自分の補佐のような立場になり、現在は自分よりも高い位置にいる。その間も甘い一時があったかと聞かれれば現実はそんなことなく、喧嘩をしたり仕事のことで互いに話し合ったり、男女の関係なんてものはもちろんない。


 一緒にいすぎて周りからは色々言われたものの、相手は自分のことなど眼中にないだろうと思っていたし、絶対に素敵なお嫁さんを見つけるだろうとも思っていた。むしろ幸せになってほしかった。


 エダンからそれらしいことを言われても、いつまで経っても女性らしくなれない自分をフォローをしてくれているんだろうなと思っていたのだ。今だって、同じ想いだったのが正直信じられない。


「そろそろ入りましょうか」

「うん」


 タオルを持って移動する。


 ドアを開ける手前で鏡があるのに気付く。

 ヴィラはなんとなくそちらに顔を向けた。


 湯に髪が入らないように一つにまとめている頭。鎖骨には大きく一つ、赤い湿疹のようなものが見えた。途端にどっと顔が熱くなった。先に行ってしまったアンネを慌てて追う。あの時は一瞬だったと思うのに、どれだけ力を入れて吸われていたのか、また心臓がうるさく鳴ってしまった。




「はぁー……気持ちいい……」

「温まりますね」


 お湯に浸かるとじんわり身体がぽかぽかしてくる。ここのところ忙しいこともあって、ゆっくりする暇もなかった。これは疲れが取れそうだ。


 アンネはちらっとヴィラに目線を動かす。お湯が気持ちいいのか、表情が穏やかになっていた。先程までかなり強張っていたのだ。話は大体聞いたが、ヴィラにとってかなり刺激的だったように思う。それでも応えてあげたのは媚薬の効果を薄めるため。これはヴィラを迎えに行く前、ラウラから話を聞いた。


 それでもエダンはかなり大胆な行動を取っていた。これは媚薬のせいもあると思う。おそらくエダンのことだ、ヴィラのペースに合わせようとはするだろう。でなければアンネの「押して駄目なら引いてみろ作戦」を健気に実行しないと思う。


(……でもエダン様、いい意味で積極的だったわ)


 どこまでもついて行くだけの行動力がある。エダンがクライヴの側近に決まり、ヴィラがこれを機に逃げ回っていても、追っていた。昔からヴィラを追いかけていた。と思うと、媚薬だけのせいでもないかもしれない。案外素も入っていたんだろうか。現時点ではなかなか判断が難しい。


 だが一つだけ、確実なことがある。


「ヴィラ様は元々綺麗な顔立ちをされていますよ」

「……ええ? なに急に」

「あ、信じてない。じゃあこう言いましょうか。最近とても綺麗です」


 すると黙られる。


 少しだけ口元が緩んでいた。

 だがそれを隠そうとしている。可愛らしい。


 アンネはそこそこヴィラと話をする関係になった。だから性格を分かってくれているはずだ。アンネは嘘を言わない。意見がはっきりしている。だから多少は信じてくれるのだろう。


 ふっと微笑んでみせた。


「恋する女性は、自然と綺麗になるんですよ。相手のために綺麗になりたいと思って、行動しますから。髪だって最近伸ばしているでしょう?」


 するとヴィラはそっと自分の髪に触れた。


 前までは邪魔だからとすぐに切っていた様子だが、今や髪のケアもしっかりしている。その証拠に、いつもしっとり綺麗なのだ。周りもそんなヴィラの変化に気付いている。


 可愛くなった、という話も、綺麗になったという話も、以前にも増して男性からの目線も集めている。エダンは何も言っていないみたいだが、遠くでヴィラを愛おしそうに見つめている姿は何度も見かけている。効果はあっただろう。


「あ、ありがとう」


 素直に感謝の言葉を口にしてくれる。

 少しは素直になってきたのだろうか。


 そんなヴィラが、少しだけ羨ましく映る。


「……誰かを好きになるって、いいですね」


 思わず呟いた。


「アンネさんはいないの?」

「え?」

「気になる人、とか」


 優しい眼差しだった。

 まるで見守ってくれているような。


「…………」


 いつものアンネなら、おそらく何も口にしなかっただろう。それか自然と誤魔化すことができただろう。だがなぜか。お湯の温かさにまどろんだせいなのか、口が滑る。


「気になる人は、いますね」

「どんな人か、聞いてもいい?」


 からかうこともなく、慎重に聞いてくる。

 ヴィラなりの配慮だと分かった。


「……よく、分かりません」

「よく分からない人なの?」

「何を考えているのか、よく分からなくて」

「そっか……。だけどアンネさんは気になるんだ?」

「…………そう、ですね」

「相手のこと、知りたいって思ってるんだね」


 そう言われて、妙に納得した。

 そうだ。知りたい。


「その人はアンネさんにとってどんな人?」

「どんな……?」

「よく分からなくても、印象とかはあるんじゃないかなって」

「印象……」


 イズミのことを思い浮かべる。


 目鼻立ちが整っており、綺麗な瞳を持っていて、いつも姿勢が真っ直ぐで。迷いがなくて、いつも直接的に伝えてくる。嘘は多分つかない人で、でも冗談とかは口にしてくれて、楽しませようとしてくれたり。何かあれば助けてくれて、助けられなかったと分かると子供のように落ち込んでくる。面倒くさい人だと思うが、だけどそれが嫌でもなくて、触れられるのも嫌ではない。


 一緒にいるとなんとなく気まずいのだが、それは相手が真っ直ぐ過ぎるから。そんな風に生きていないから、どう反応したらいいのか分からなくて。喜んでいいのかも分からなくて。仮面のような笑顔が得意なのに、我慢しなくていいと言ってくれて、本当に自分には甘いと思う。


 だけどそれが、妙に心地よく感じることもあって。


「……アンネさん」

「え?」

「今自然に、笑ってたよ」


 ヴィラが嬉しそうに目を細めてくる。

 そう言われて、アンネもまた少し微笑んだ。


「一緒にいてもいいと、思える人みたいです」


 自然と気持ちが言葉になった。

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