60:やっと

「…………」


 ヴィラはエダンの寝顔を眺めていた。


 規則正しい寝息が聞こえる。額に少し汗があったので、濡れたタオルでそっと拭く。媚薬の効果で、人の肌に触れてしまうと惚れられる可能性があるのだが、物を介していればどうやら問題はないらしい。エダンは身じろぎもしなかった。


(……まさかお世話する立場になるとは)


 ついさっきまで自分が世話になっていた立場ではなかっただろうか。そうでなくてもエダンは医師でもあるので人の世話をすることが多いし、健康に対しても気を遣っている。だからこんな姿は珍しい。


(……今、目を開けられたら気まずいんだけど)


 薬のためとはいえ、口付けを交わしてしまった仲だ。そのおかげか、今はだいぶ回復している。気持ちも楽にはなったが、だからこそどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。そんな時にこれだ。


 だがこの状態での再会ならばむしろよかったかもしれない。ヴィラは少しだけ溜息をつきつつ、濡れたタオルをエダンの額に置く。汗をかいていたのは先程の乱闘もあるだろうが、なんとなく微熱があるように見えたのだ。触れることができないので、あくまで勘だが。


 ヴィラは辺りを見渡した。


 用意された部屋はヴィラが寝ていた部屋の構造とよく似ている。ベッドと椅子と机があった。最初はエダンが寝泊まりしている部屋にする予定だったのだが、隣にクライヴ達の部屋がある。何かあったら、という理由で別の部屋を用意してもらったのだ。


 今、部屋には二人しかいない。


 魔女の媚薬は、不特定多数の人に影響を与えてしまう場合がある。とはいえ、見張っていないと、いざ何か起きた時に困る。ここまで運んだこともあり、必然的にヴィラがエダンの世話をすることになった。ラウラも部屋に入る前に去ってしまったのだ。


 一応媚薬の知識をもらったわけだが、ヴィラは腕を組んで少し考える。媚薬の効果とはいえ、まず触れた相手を好きになる、というのがよく分からない。それにエダンが媚薬如きで人が変わったようになるとは思えなかった。


 先程フィーベルが、ローガンに惚れる可能性があったのでは、という話をした。確かにローガンに体当たりしていた。それでもエダンは耐えた。なら別に触れたところで、と思うのだ。


 仮に、耐えられた理由がローガンであったから。相手が男性であったから、という理由だったとしても。


(……私相手に何もないと思うんだよなぁ)


 仮に何か起きたとしても、何もない気がする。

 だからそんなに心配していなかった。


 エダンの気持ちは薄々気付いている。が、今までずっと一緒だった。一緒だった期間が長いからこそ、好意が芽生えただけなのではとも思う。現にエダンは今まであまり女性と関わることがなかった。


 それに、ヴィラは自分に自信がなかった。女性としての魅力があるように思えないのだ。純粋で綺麗な顔立ちをしているフィーベルや、素直じゃないけどそこがまた可愛らしいアンネなら分かる。だからなぜ自分……? と思うのだ。


 なにより「好き」と言われたことがない。確信的な言葉がないと、本当なんだろうか、と信じられなかったりする。


 エダンは優しい。厳しいところうるさいところはあるが、それでも優しいのだ。だからいつもフォローしてくれる。先程の口付けだって、ただの処方だ。ヴィラは困惑したが、エダンは全く動じていない様子だった。


(世話するのが私で、逆によかったかも)


 日頃から迷惑しかかけてない。ローガンで我慢できたのならきっと自分も大丈夫だろう。……いやむしろ誰か美女を呼んだ方がよかっただろうか。その方が……と考えて首を振る。心がもやもやしてしまったなら、考えてはいけない。


 ヴィラは一度息を吐く。


(着替えようかな)


 ここに来る時、魔法兵団の制服を持ってきてもらった。ドレス姿のままだと動きにくい。何かあっても対処できるように、着替えようと思ったのだが。


(……ここで着替えるしかないか)


 他に場所がなかった。


 エダンは寝ている。今なら大丈夫だと、そーっと側を離れ、部屋の隅に移動する。ヴィラが動いてもエダンは変わらない。それでもあんまり音を出さない方がいいだろう。


 一瞬、着替えるのも面倒だしこの格好のままでいいのでは、と思いつつ、やっぱり背中が気になった。隠れている面積が少ないというのは落ち着かない。エダンも制服をかけてきたし、気にするかもしれない。


 そんな言い訳をしながら、ヴィラは自分の首元に手をかけた。簡単に解ける。……今更だがこのドレス、色んな意味で危険すぎないだろうか。一気に脱いでしまいたい衝動に駆られたが、さすがに一人じゃないので無防備にはなれない。まずシャツを着ようとした。


「……ヴィラ?」


 びくっとなる。


 さすがに背中を向けていた。それは前を向いて着替える勇気がなかったのと、寝ているだろうからどこか安心していたのだ。ヴィラはおそるおそる振り返る。


 上半身を起こしたエダンと目が合った。


 慌てて着ようとしたシャツを前にして隠すが、名前を呼ばれるまで気付かなかった。ということは必然的に、何も着ていない背中を見られたわけで。


「「…………」」


 長らく沈黙が流れる。


 ヴィラは固まって動けなかった。

 まさかあの短時間で起きるなんて。


 あんなに熟睡だったのだ。エダンなら大丈夫だと高を括っていた。せめて着替えていなかったら、普通に会話できたというのに。まさかこんな状態で対面するなんて。焦りと羞恥で頬に熱がやってくる。何か言わなければ、と思いつつ声が出ない。口をもごもご動かしていると、エダンは勢いよく両手で自分の顔を隠した。


「すまない」


 短く言われた。


「いや……別に……減るもんじゃないし」

「馬鹿」


 軽く怒られてしまった。


「外に出る。少し待ってくれ」

「え」


 エダンは顔を隠したままドアに向かおうとする。

 ヴィラは慌てた。


「待って」


 聞きたい。ものすごく普段通りなのだが、もしかして媚薬の効果は切れたのか。というか勝手に出て行かれたらこっちが困る。だがエダンはそそくさと部屋から出ようとする。待てと言ってるのが聞こえないのか。魔法を使おうと思ったが、唱えるより自分の足の方が速い。


「待って!」


 最早突進するようにエダンの背中に抱きついた。一応シャツを前にしていたので物を介している。二人はそのまま倒れ込んだ。勢いをつけすぎたようだ。


「ご、ごめん」


 すぐに起き上がると、いつの間にかエダンの上に乗っているような状態になっていた。倒れる瞬間、エダンがこちらのことを気にしてあえてそうしたのだ。そのおかげでヴィラは無事だったが、エダンは顔を歪めていた。


 それを見たヴィラは焦る。


「ほんとにごめん。大丈夫?」

「……ら」

「救急箱ならあるよ。背中見ようか?」

「……いいから」

「でも」

「いいから離れてくれ……!」

「……ご、ごめんなさい」


 ようやく現状に気付き、離れた。

 エダンはゆっくり身体を起こす。


 怒ったような口調に、さすがのヴィラも、いつもより弱腰になる。するとエダンはばつが悪そうな表情をする。視線を避けながら弁解してきた。


「……媚薬の効果がまだある。正直きつい」

「え」

「必死に耐えてる。解毒剤が少しは効いたが、気が緩むと何をするか」


 ヴィラは目をぱちくりさせる。


 そう言われても目の前のエダンは普段と変わらないように見える。それともそう見えないように耐えているんだろうか。すごい精神力だ。自分が男性で逆の立場だったら耐えられないかもしれない。


 感心していると、むっとされる。


「分かってるのか?」

「なんとなくは。でも大丈夫だよ、ここにいるの私だけだし。エダンくんは休んで。着替えるのはやめておくから」


 現状を知ったからこそ、まだ目を離すわけにはいかない。シャツを前に置いている中途半端な格好にはなっているが、首元を結び直したら問題ないだろう。


 エダンはなぜかがっくりと、うなだれる。


「そういうことじゃない」

「?」

「お前だから困るんだ」

「……あ、他の人の方がよかった? 今から誰か呼んでこようか?」

「そうじゃない」

「じゃあ」

「好きな女が側にいたら何かするかもしれない」


 一瞬思考が止まる。


 言葉の意味を理解しそうになり、すぐに頭から追い出す。そしてこれは媚薬のせいなのだと考えた。危うく勘違いをしてしまうところだった。


「媚薬のせいじゃないからな」


 先に言われてしまう。


「好きだ。理性が保っている間に言っておく」


 急な告白に、思わず息を呑む。


 嬉しいよりも先に、なんでこんなことに、という気持ちになる。相手は真っ直ぐ瞳を向けてくる。あまりの真剣な様子に、媚薬のせいだと思えない。が、待て。媚薬で辛いのにそういうことは口にできるのか。


 ヴィラは焦りながら早口になる。


「なんで言うの。全部媚薬のせいにすればいいのに」

「この状態でお前を襲うなんてこと、俺は絶対したくないからだ」


(……エダンくんらしいな)


 なんだか納得してしまった。


 周りからも誠実だと言われている。側にいるヴィラもそう思っている。こんな状態になってさえも、自分の信念を絶対曲げないところは彼らしい。だからみんな彼のことを信じ、大丈夫だと思うのだ。


 が、今のヴィラは混乱していた。


 告白されたが、本当に自分のことが好きなのか。はっきり口に出してくれたというのに、なんだか信じられなかった。どこが。どこがいいんだろう。やっぱり媚薬のせいなんじゃないのか。そんなことをぐるぐる考える。


「……いいから、部屋から出てくれないか」


 はっとすればエダンは下を向いていた。


 先程より呼吸が荒い気がする。

 顔も苦しそうに歪んでいた。


「寝ていれば多分、大丈夫だ。誰も入れないよう、外で見張ってほしい」

「でも」

「そんな顔させたくない」

「!」


 どうしたらいいか分からないことが、相手にも伝わってしまったようだ。エダンとしても、ここで告白をするつもりはなかったのだろう。それを、何か起きないように、何か起きても媚薬のせいでそうなったと思われないために、伝えてくれた。


(……私は?)


 いつまでも逃げてる自分はこのままでいいのか。自分じゃエダンを幸せにできないと、そんなことを考えて何も行動に移していなかった。エダンは、常にこちらに気持ちを向けてくれていたのに。


 ヴィラは小さく呟く。


「……ここにいる」

「ヴィラ、頼むから」

「大丈夫」

「何も大丈夫じゃない」

「大丈夫なの」

「俺が大丈夫じゃない」

「……っ、好きだから」


 なんとか言葉を絞り出す。

 いつもより震えた声になった。


 気持ちを伝えるのはこんなにも勇気がいることなのかと、初めて知る。心臓が何度もうるさく鳴った。相手の気持ちは知ってるはずなのに緊張している。受け入れられなかったらどうしようと不安になる。でも。


「……好き。エダン殿が好き」


 いつもの呼び方が恥ずかしくてできなかった。それでも、必死に気持ちは伝える。今まで伝えられなかった分、今、ここで。


「好きだからここにいたい。私にできることしたいの。だから」

「……ヴィラ、待て」

「う、嘘じゃないよ。ほんとに好きなの。私、エダン殿のことが」

「待ってくれ……!」


 う、と怯みそうになる。


 拒否されたのかとヴィラは不安げな表情になるが、エダンはまた顔を両手で隠していた。よく見れば、耳元が赤くなってる気がする。


 それに目を丸くする。


「……エダンくん」

「分かってて、言ってるのか」

「え」

「部屋に二人きりで、俺が今どういう状況なのか、分かってて言ってるのか」


 そう言われ、ヴィラは心臓が高鳴った。

 意味が分からないほど子供じゃない。


「……お、大人だもん。それくらい分かるよ」

「俺からすればヴィラはまだまだ子供だ」

「失礼な……! そりゃ身体は成長してないと思うけど」

「そういうことじゃなくてだな……。ああくそ、このまま格好つけて終われると思ったのに」


 言いながらようやく顔を見せてくれた。顔全体が紅潮している。瞳も少し潤んでいる。苦しげなのは、媚薬のせいなのか、それともヴィラの言葉のせいなのか。


 エダンは手のひらで額を拭った。


「もういい。ヴィラ」

「は、はい」


 声に真剣さが増した気がする。

 思わず背筋を伸ばした。


「キスしていいか」

「……は?」


 ヴィラは自分でも、間抜けな声が出てしまったと思った。

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