56:良薬は口に苦し

(……きついな)


 ヴィラはずっと笑みを崩さなかったが、心の中では弱音を吐いていた。大勢の魔法使いからイントリックスについて、魔法について聞かれ、細かく伝えればさらに質問が増える。そしてひと段落ついたと思えば、今度はこちらが聞く立場。


 少しでも得たことを持って帰らなければ、と自分を奮い立たせてはいるものの、かなり口を動かした。今は頭を動かしている。いつもならばこれくらい何も問題ない。だが、思ったより身体が疲弊しているのだ。


 やはりアクロアイトの力は大きい。「魔法を封じ込める宝石」という名は伊達じゃない。あの時魔力がぶっ飛んだくらいに力が抜けた。宝石の危険性を身をもって体験した。逆に人に伝えられるという意味ではいいかもしれない……なんて言ったらエダンに叱られるだろうか。


(自分のせいでこうなったんだから、最後まで責任持たなきゃ)


 まだ耐えられる。話を聞くだけなら、そこまで体力を消耗しない。理解したり整理するために頭の消耗はするものの、自分で話すときの方がけっこう労力を使う。


「ヴィラさん、グラスが空いているわね。おかわりはいかが?」


 魔法使いの女性がすぐにワインを持ってきてくれる。ヴィラはお礼を言いながら受けとった。そのまま一口流し込む。


(……みんなお酒好きだよなぁ)


 年齢的にも立場的にもお酒を持ってこられる。一応飲めるが、あんまり好きじゃない。お酒を飲むより料理を食べる方が好きだ。だがなぜかこういう場はみんなお酒を嗜み、おしゃべりに華を咲かす。どこもそうだ。なんでなのか。むしろ食べながら話してもいいじゃないか、とよく思う。


 酔いが回ると少し気分が悪くなる。とはいえ意識が飛ぶ程ではない。いっそのこと飛んでくれた方がありがたいのに。


「ヴィラさん、一曲踊っていただけますか?」

「え」


 隣にいた男性の魔法使いから誘われた。


「すみません、ダンスは得意じゃないので」

「大丈夫です。リードしますよ」

「いや……」


 ヴィラは少し苦々しい顔になる。


 ダンスなんてしたらさらに気分が悪くなってしまう。なんなら吐いて相手の服を汚してしまう可能性もある……とはさすがに言えない。


 その魔法使いは、笑みを絶やさずにヴィラを見つめてくる。一応客人だから立ててくれているんだろうか。どうしようかとヴィラは視線を彷徨う。口ごもっていると、別の方向からも声が上がった。


「じゃあ彼の後に僕と踊ってもらっても?」

「その次は私が」

「俺もいいですか?」


(は?)


 次々ダンスを申し込まれた。


(なんで?)


 周りを見渡せばヴィラ以外にも女性はいる。みんなとても綺麗だったり可愛らしい。だから謎だ。なんで自分なんだ。なんなら女性陣と一緒に踊りたい。


 それにこんなにも立候補されると踊ることが決定してしまうじゃないか。さすがに困る。断りづらい。ヴィラは顔を強張らせた。


「あ、あの」

「――では俺からよろしいですか」


 聞いたことがある声に、思わずそちらを凝視してしまう。すると見慣れた深緑色の制服を着た青年が、ゆっくり歩いてくる。


「あら、凛々しい殿方」

「いい男ね」


 年齢が上の女性達が弾むような声を出す。


 慣れない他国であるのに堂々とした姿は、確かにかっこいいかもしれない。ヴィラはぽかんとした顔のまま見つめてしまった。


 するとエダンはヴィラの側に寄り添い、そっと肩を抱いてくる。自然な動きにどぎまぎしていると、エダンは周りに向かって微笑んだ。


「イントリックスから参りました、魔法兵のエダン・ルーシーと申します。同じく魔法兵であるヴィラに用事がありますので、一時退席させていただきます。また後ほどお会いしましょう」


 言い終われば肩を抱かれたままエダンは歩き出す。ヴィラも慌てて足並みを揃えた。二人がその場を去ったことで、ダンスを誘っていた魔法使い達は焦ったような顔になる。


「あの人は、ヴィラさんの何だ?」

「せっかく一緒に踊れると思ったのに……」


 落胆の声を出していた。


「さっきの方、素敵でしたわね」

「まさに大人の男性ですわ」


 女性達はきゃあきゃあ楽しそうな声を上げていた。




「……あの」


 ヴィラは遠慮がちに声を出す。

 エダンは前を向いたままだった。


「休憩できる場所を教えてもらった。限界だろ」


 すぐ休めるように足を早めている。別にまだ平気だ、と言おうとしたが、やめておく。その言葉に怒られるかもしれない。


(……敵わないなぁ)


 ヴィラはぼんやり思った。

 今もだが、昔から。


 最後まで匙を投げなかったこと、見事隊長にさせられたこと、今は立場が違って距離が離れたというのに、変わらず真っ先に来てくれること。年齢は十も離れている。実力だってエダンの方が上だ。性別も違うし役割も違うのであまり比較するべきじゃないかもしれないが、それでも彼には敵わないと思うことが多い。


 いつも気にかけてくれること。

 それにどれだけ救われたか。


 いつも背中を見せてくれること。

 それがどれほど悔しいか。


 嬉しいはずなのに負けず嫌いが発動してしまう。いつまで経っても素直になれない。だからいつもろくにお礼も言えないのだ。


 だがエダンが来てくれたからか、気が緩む。来てくれたことに、安心している自分がいた。




 会場にはもしものために仮眠室があるようで、そこで休むことになった。部屋は簡素だがベッドがあり、机もある。椅子もある。十分過ごせそうだ。


「ううう……」


 ヴィラは遠慮なくふらふらした足取りでベッドにダイブする。ふかふかで気持ちがいい。これなら瞬時に眠れてしまいそうだ。先程までは客人の対応で猫を被っていたが、今いるのはエダンだけ。ヴィラは遠慮なくぐったりした。


「大丈夫か」


 言いながらエダンが近付いてくる。ベッドの傍に腰を下ろし、ヴィラの前髪をさっと手で払う。軽く額に触れてきた。


「熱はないな。軽く調子を聞いていいか」

「……はい」


 すると苦笑される。


「敬語はなくていい」

「うん……」


 気を遣わなくていいのはありがたい。


 いつもなら立場的に気にするが、今は話すのもしんどい。気が緩んだせいで、完全に身体は休息モードに入っている。本当に限界だったようだ。なんとか耐えていたが耐えたように見せかけていただけだった。


「手短に聞く。痛みはあるか?」


 エダンの問診が始まった。

 こういう時は医者だなと思う。


「……だるくてしんどい。痛みはない。お酒を飲んだから気分悪い」

「前からお酒は断れと言っただろう」

「……飲めないわけじゃないし」

「飲めると分かると周りは飲ませようとする。飲めないと言って断れ」

「……お説教は後にして」


 いつもならもう少し強い口調だがそれを言う元気もない。弱々しいヴィラに、エダンはあっさり引いてくれた。


「そうだな。他に気になることは?」

「特に……。魔力が減ってるから余計身体に負担がかかってるのかも」

「そうか。分かった」


 すぐに終わった。本当はもっと色々聞きたいだろうに、とにかく休ませることが先決だと判断したのだろう。ヴィラはふう、と息を吐く。


「薬を持ってきてるからそれだけ飲んでくれ」

「……え」


 ヴィラは首を動かす。


 エダンは自身の制服の裏に入っていた一つの薬剤を取り出した。人差し指ほどの大きさで細長い瓶に入った液体。エダンは物によってはいつも薬を常備していたりする。ヴィラは思い切り顔をしかめた。


「……やだ。それだけは絶対やだ」

「何度か飲んだことあるだろう」

「あるから嫌なんだよ」

「即効性もある。すぐ身体が楽になるぞ」

「やだよ……だってそれ、すごく苦いもん」


 その薬は主に疲労回復、身体を休ませるための成分が含まれている。今までも厳しい訓練で身体が悲鳴を上げ、その時にこの薬をもらったことがあった。お酒で身体の調子が崩れた場合にもこの薬を処方されたことがある。結構万能な薬らしい。


 だが飲んだことがある者として言わせてもらいたい。その薬はまずい。かなり苦くて口に含むだけで顔面が崩れる。ただエダンの言う通り、かなり効く。


 服用して少し休めば身体が楽になるのだ。経験があるので分かっている。分かっているが、口に含むのに勇気がいる。ましてやこんな弱り切ってる時に飲めだなんて。あまりの苦さに意識が飛ぶ自信さえある。


「最初だけだ」

「……それ苦いって証明してるじゃん」

「良薬は口に苦しと言うだろう」

「誰が上手いこと言えと……」


 全く笑えない。


 さっきまで何事もなく気丈に振る舞っていた自分を褒めたくなる。ヴィラはいつの間に瞼が重くなるのを感じていた。薬を飲む前に夢の世界に行ってしまうかもしれない。


「ヴィラ、ほら」


 エダンが薬を渡そうとしてくる。


 蓋を開けて口に入れて飲んでしまえば終わる。けど嫌だ。飲みたくない。まずいものはまずい。それに、それを口に含もうと手を動かす元気すらない。


 だがエダンはその場を離れない。鬼畜なのか諦めが悪いのか。さすが嫌がる教え子を結局隊長にさせただけはある。


 ヴィラは思わず呟く。


「飲ませたらいいじゃん……」


 介助してもらえたら頑張って飲むかもしれない。頑張りたくないが。そんな思いも込めて言ってみる。


「分かった」


 あっさり返事をされる。こちらとしてはもう目も口も閉じていた。どうするつもりなのだろうと思っていると、いつの間にか身体が少し浮いた。


 薄ら目を開けると、口に何か触れる。


(は……は!?)


 口付けされていることに気付いた。


 目を閉じたエダンの顔が目の前にある。と思えば上唇が相手の唇によって甘嚙みされた。反射で少し口を開けてしまう。すると少しずつ苦い液体が中に入ってきた。この苦さに覚えがある。あの薬だ。


(そういう意味じゃない……!)


 まさかそっちの意味で薬を飲ませるとは。ここまでされたら飲むしかない。この薬は苦くてまずいが、それなりにいい薬なので値段もそこそこする。無駄にしたら各方面から苦情が出るだろう。


 少しだけ体が斜めに、倒れたような形になっているのは飲みやすくするためか。ヴィラの頭の後ろをエダンの手が支えている。もう片方の手は背中にあった。


 こちらに考慮してか、相手はゆっくりゆっくり与えてくる。その度に微かに唇が動き、刺激を感じてしまう。ヴィラは声だけは出さないよう、目を閉じて耐えた。何か縋るものが欲しくて、エダンの胸元の制服を強く掴む。


 どうせなら一気に与えてくれたらいいのに。そしたらすぐに終わるのに。余計な優しさのせいで、互いの絡む音がいやに大きく聞こえてくる。


 徐々にヴィラは顔に熱を感じる。呼吸が荒くなりつつある。薬はどれだけの量があっただろうか。もう終わるんじゃないのか。ヴィラは与え続けられる液体をとにかく早く飲み込もうとする。


 と、やっと終わったのか、唇が離れる。


 ヴィラは大きく呼吸を繰り返した。顔は下に向ける。相手の顔が見られない。自分のも見せたくない。いつもだったら抗議しているところだが、怒るに怒れなかった。こちらが蒔いた種であるし、何か言われたら多分言い返せない。


「……休む」


 ヴィラは掴んでた手を離した。力強く握ったせいで、大きいシワになっている。だがこれくらは許してほしい。


「ああ……」


 エダンも体からそっと手を離す。


 そのままヴィラはうつ伏せになった。顔を見せないようにする。今の自分は絶対変な顔になっているに違いない。すると衣擦れのような音が聞こえ、背中から何かかけられる。ヴィラは温かいそれが何か、確認しなかった。


「おやすみ」


 そっと頭を撫でられる。


 ベッドが軋む音が聞こえ、重みが消える。そのまま部屋のドアが開き、ばたんと閉まる。エダンがいなくなったとはっきり分かってから、そっと振り返った。


 背中にかけられていたのは制服の上着だった。わざわざ制服で来たのはイントリックスの魔法兵であることを伝えるためだろうに。と、ヴィラは自分の背中がかなり開いていることを思い出す。


 ヴェールはかけているものの、生地が薄いのであまり隠せてない。いつものエダンなら小言の一つや二つあるだろう。けど、今回はなかった。病人だから優しかったのかもしれない。


 優しかったといえば何もかも優しかった。

 触れた手も、口付けも。


 思い出して突っ伏したくなる。


 ヴィラは思わず唇を噛む。さっきの感触を忘れるように。だが、そんな簡単に忘れられない。


(……ファーストキスが薬味とか)


 必死で飲み込んだので苦味は気にならなかった。……いや、やっぱり苦かった。ヴィラは大きい溜息をついて、枕に顔を沈めた。







 エダンは部屋を出てすぐに、長く息を吐く。

 しばらく茫然とした後、唇に少し触れる。


 自分でしたことが少し信じられなかった。


 弱っていたこともあって、ヴィラは気を許してくれていた。彼女は普段あまり人に弱みを見せたがらない。だけど参っていたのだろう。いつもより素直だった気がする。


 薬は何度も服用したことがあるのでヴィラも分かっているはず。だが相当苦い薬でもあるのでなかなか飲んでくれなかった。それでもこのままよりはいいと辛抱強く待てば、飲ませればいいと提案される。


 なるほどその手があったと本気で思い実践してみれば、エダンにとって理性との戦いになった。触れた唇は柔らかく、何度も触れたくなるほど甘美で、だが何のために触れたのかと、頭の中で自分を抑える。


 口移しというのは難しいもので、一度に与えすぎると溢れてしまう。だから少しずつ、少しずつ与えたのだがその分時間がかかり、その分耐えるのに必死だった。ヴィラにいきなり胸元の制服を強く掴まれ、怒っているのかと思えばこの状況を受け入れているのが分かった。目をそっと開けてみれば、掴んでいる指が少しだけ震えていた。


 今日のヴィラはいつも以上に美しかった。


 髪型やメイク、ドレスもなのだが、頬が染まり目を閉じたヴィラが美しかった。背中を支えるために触れればかなり大胆なドレスを着ていることを知り、誰にこんなドレスを見せるつもりなのかと責めたくなる。……弱っていたので、今は何も言わないでおいた。せめて隠せるようにと制服は置いたわけだが。


 エダンは溜息をつく。


 問題はヴィラが元気になった後だ。薬のおかげでおそらくすぐに回復するのではと思われる。それはいいが、次会った時に今度こそ嫌われる可能性がある。医師でもあるので色んな場面に対応したことはあるが、さすがに口移しはしたことがない。しかも好きな女性に。


(……いっそ、言えば)


 いいかげんに好きだと言えばいいだろうか。


 今まで言わなかったのは、その言葉を口にすることで、関係を終わらせたくなかった。それらしいことは言えるが、ヴィラがもし本当に自分から離れてしまうと思うと、動けなかった。……諦めるつもりは、ないが。


「何してんの?」


 はっとして顔を上げるとそこにはリオがいた。この国の制服を着ている。いつも気軽な格好をしているのに珍しい。


 すると眉をひそめられる。


「なにその格好。上着は?」

「それは……」


 口ごもっていると「ああ」と言われる。


「風の魔法使いにあげたとか?」

「な、」


 なぜすぐにヴィラのことだと分かったのか。先程のこともあって、顔全体が熱くなってくる。


 リオは半眼になった。


「いやあんた分かりやすいよ。伝令役だったから国を行き来してたけど、いつも風の魔法使いの話をしてるか、追ってるか、どっちかじゃん。あれは気付くわ。ちなみにこの情報、こっちの国にも伝えてるから」

「は!?」

「両国からお金もらってるから仕入れた情報は両方に流す。これも俺の仕事」


 もしかしてラウラがすぐにヴィラの名前を出したのは、リオから情報を得ていたからだろうか。それにしても会う前から最初から知られていたとは。なかなかに気恥ずかしい。


 と、ここで気になることがある。


 仕入れた情報は両国に流している。ということは、クライヴも何か情報をもらったということだろうか。


 リオは言葉を続けた。


「どうでもいいけどその格好なんとかしなよ。一応客人なら着飾るのがマナーでしょ」

「だがあいにく、着るものが」

「なんでないんだよ……。着いてきて」


 さっさと歩いてしまう。


 慌てて横に並べば、パーティー用の服を用意している場所に案内してくれるようだ。彼がそんなことまで知っているのが意外だ。それに手を焼いてくれることも。感心して伝えれば、そっぽを向かれる。


「聞いてもないのに教えてくれた人がいたんだよ」

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