43:素直

「アンネ!」

「アンネさん!」


 勢いのままにフィーベルとヴィラはドアを開けた。

 中はしんと静まり返っており、倒れた男たちが転がっている。


「……あれ?」

「確かイズミ様はここだって……」


 小屋の中を歩きまわるが、二人の姿がない。


「ここじゃなかったっけ」

「別の場所に移動したんでしょうか」


 魔法兵からの指示でフィーベルとヴィラはここまでやってきた。他の魔法兵と共に首謀者たちを追い詰めたのだ。相手も魔法が使えたが、魔法兵は毎日鍛錬を積み、動きも早い。魔法の技術はこちらの方が上である。そこで魔法の波動を感じてやってきたイズミと出会ったのだ。


 なぜここに、と聞く前にイズミはアンネが危ないことを伝えてきた。なぜアンネが、と聞く前にイズミは走ってしまったので詳しいことは知らない。


 他の魔法兵からこの部屋に入っていくのを見かけたと聞いたのだが、姿がない。二人ともすぐに移動してしまったのだろうか。


「とりあえずこいつらなんとかしないとね」


 男たちは倒れたままぴくりともしていない。


 放置されたままなのが少し気になるが、男たちはみんな気を失っているし、びしょぬれなので水の魔法を使われたのは一目瞭然だ。ということはイズミが対処したのだろう。イズミの魔法の威力は普通の魔法兵より強い。男たちはすぐに起きたりしないはずだ。


 ヴィラはすぐに風の魔法を使い、男たちを浮かせる。それを見たフィーベルは目を輝かせた。


「すごい……! 浮かせることもできるんですか」

「けっこう魔力使うから、短い時間だけならね。浮遊の個性魔法を持つアンダルシア殿なら長い間浮かせられるけど」


 褒められてヴィラはまんざらでもない顔をする。

 二人はそのまま外へと出て行ってしまった。




「「…………」」


 アンネとイズミは一歩も動いてはいなかった。


 ただ、魔法・・は使っていた。アンネが咄嗟にイズミの背中に触れ、「隠して」と言ったのだ。イズミは瞬時に魔法を使い、薄いベールのようなものを生み出した。だからあの二人には見えなかったのだ。


 しばらく静かな時間が流れる。


 イズミはぎこちなく身じろぎする。どうしてこんなことをしたのか、いつまでこうしていればいいのか、迷うような動きだった。だがアンネはそのまま動かなかった。両手でイズミの背中を掴み、じっとしている。


 赤くなってしまった顔を隠したかったし、もし二人に何か聞かれたら、何と答えればいいか分からなかった。イズミと一緒に祭りに行っていたことまでバレてしまう。動かない理由はそれだけじゃない。イズミに放った言葉を今更思い出し、少し恥ずかしくなっている。


 嫌いじゃないとか、嫌じゃないとか、そんなことわざわざ口に出す必要があったのか。感情のまま、勢いのままに言ってしまい、現に今だって普段の自分ならしない行動を取っている。頼るような、甘えるような行為になってしまった。だから動けなくなっているのもある。


 だがそれは致し方ない。先程まで寒かった。暗闇の中強気でいたが、今やどっと冷や汗が流れている。怖かったのだ。怖かったと、今なら素直に言える。だからイズミに触れられて、背中に触れている今も、その温かさにほっとした。


 人の体温というのはこんなに温かいのか。知識はあった。だけど知らなかった。経験が豊富だと周りに思われているが、じつはそうじゃない。思われている方が都合がいいので、そんなふりをしているのだ。


 ようやく心が落ち着いてくる。


 すると頃合いを見ていたイズミが振り返った。

 手が自然と離れ、目が合う。


「あ……す、すみません」

「いや、それはいいが……どうして隠れた?」

「え。いや……その……」

「心配しなくても、俺が助けに来たと言えばいい」


 イズミと二人きりなのを気にしていると、イズミも察したのかそう言ってくれる。少し気まずいが、思ったことを素直に伝えた。


「……元々あの二人に祭りに誘われていたんです。用事があるから行けないと言ってしまったので、ここで会うのはちょっと……」

「誘われていたのか。一緒に行けばよかったのに」

「え……」


(なんで、そんなこと言うの)


 アンネは少しだけ眉を寄せてしまう。


 一方イズミはいつも通り落ち着いていた。むしろその手があったか、と納得するような顔をしている。


「あの二人ならアンネ殿を守ってくれる」

「……イズミ様から先に誘われたので」

「断ってくれてもよかった」

「っ! 最初に誘われた人と行くものでしょうっ!」


 大体行かないと散々断ったのに無視してここまで連れて来たのはどこのどいつだ。思わずアンネは言い放った。


「私と一緒に来たくなかったんですか!?」


 すると少し目を丸くされた。


「いや……」

「私のため私のためって、たったそれだけのために連れて来たならいい迷惑ですっ! 私は、私は一緒に来るなら一緒に楽しみたい。私だけ楽しんでも、イズミ様が楽しくなかったら意味がありません」


 さっと視線を逸らす。

 言った後で自責の念に駆られる。


 ここまで連れてきてくれただけでも感謝なのに、またやってしまった。今度こそ怒られるかもしれない。……いやむしろ怒られた方がいいかもしれない。いっそ怒ってほしい、なんて勝手なことを思ってしまう。


 また静かな時間が流れる。


 先ほどよりもそれがなんだか長く感じた。こんな時間が流れるくらいならいっそ早く言い返してくれたらいいのに、と思いつつ首を下にしたままだ。


 すると柔らかい言葉が降ってくる。


「来てよかった」

「……え?」

「楽しかった」


 よく見れば少しだけ口元が緩んでいる。


「……ど、どこが楽しかったんですか……?」


 そう言ってもらえたのはありがたいが、アンナからすれば半信半疑だ。楽しそうな素振りなんてあっただろうか。と思っていると、すっとイズミが顔の前にあるものを出してくる。


 それはアンネのくまのキーホルダー。イズミとお揃いで買ったものだ。アンネはさっとローブのポケットに手を入れる。そこに入れたはずのキーホルダーがない。落としていたのを、イズミが拾ってくれていたようだ。


「すみません、私」


 もらったものなのに、いつの間にか落としていたなんて。慌てて受け取ろうとするが、イズミはさっとキーホルダーを少し上にする。明らかに渡さない態度をされ、少しだけびっくりした。するとイズミは自分のくまのキーホルダーを取り出し、二つをアンネの目の前に見せる。そして同時に左右に動かした。


「今日は、来てくれてありがとう。一緒に来れて、嬉しかった」


 片方のくまが話したように動かし、その後でもう片方のくまが話したように動かしている。まるで人形のように。アンネは目をぱちくりさせる。するとその反応が意外だったのか、イズミは首を傾げた。


「? くまだ」

「……いや見れば分かりますが」

「ハニーシロップを買う時より、くまを買った時の方が嬉しそうに見えた。俺が動かすくまを見て、笑ってくれて嬉しかった」

「…………」


 イズミは小さく微笑む。


「アンネ殿と一緒なら、どこへ行っても楽しい」


 言いながらくまを渡された。


 ピンク色のリボンをつけたくまのキーホルダー。イズミが持っていてくれたからか、かすかに温かい。アンネはそれをぎゅっと両手で掴みながら、思わず顔を逸らしてしまう。


 思わず顔を逸らしてしまう。


(……せっかく赤みが引いたと思ったのに)


 再度集まる熱を感じながら、でも不思議と嫌ではなかった。イズミの素直な感想に、少しだけ、心が喜んでいるのを感じた。そんなこと、本人には言いたくないけれど。


 アンネは少しだけ息を吐く。

 今度は真っ直ぐ相手の目を見る。


「私も、楽しかったです。ありがとうございました」


 感謝の気持ちはもちろんある。来てよかった。楽しいと思えた。それは本当だ。少しだけ微笑んでみせると、ぽんと頭に手が乗った。そのまま小さく撫でられる。まるで大人が子供にするように。


「……あの」


 なかなかその手が離れないので思わず声を出すと、一度またぽん、と手が乗ってから離れる。イズミはただ一言「よかった」と呟いた。そしてそのままドアまで歩き出す。アンネは髪型を少し直してから、その後を追った。


 分からない人だ、やっぱり。

 ……だが、今は分からなくていいのかもしれない。


 アンネは自然と口元が綻んでいた。







「……さて。今後のことだけど」


 クライヴは手を組み、全員を一旦見る。


 アルトダストの使者であるユナが部屋から出た後、そのまま今後の話をすることになった。シェラルドは無意識に背筋が伸びる。


 フィーベルはヴィラとアンネと三人で先にアルトダストに向かい、後にクライヴとシェラルドが合流する。その間は女性だけでなんとかしてもらわないといけない。ヴィラもいるので大丈夫だとは思うが、それでも数日離れることになる。シェラルドは少し気が気じゃなかった。


「僕と一緒にシェラルド、エダンが行くのはもちろんとして、イズミも連れて行こうと思っている」

「イズミも、ですか」


 エダンが意外そうな声を出す。


 側近であるエダンを連れて行くのは分かるが、なぜイズミもなのだろう。これにはシェラルドも同じ疑問を持った。人数的に三人で向かった方が動きやすいとも思うが。


「だってフィーにはシェラルド、ヴィラにはエダン。アンネのことを考えればイズミもいてくれないと彼女を守れないでしょう?」


 そう言われ、シェラルドとエダンはなんとなく納得したが、それでも少し首を傾げた。アルトダストはフィーベルが来ることを望んでいる。女性だけで行ってもらうのは確かに危険だとは思うが、そこまでして個々を守る必要はあるのだろうか。


 ヴィラは魔法兵の隊長としての腕があるし、アンネも娼婦館で潜入できるほど肝が座っている。フィーベルも魔法兵であり、戦闘能力だって高い。つまり、そこら辺にいるかよわい女性と比べるとみんな強い。それはクライヴが一番分かっているはずだ。

 

「わざわざ人数を増やして行くのは、アルトダスト側から警戒されるのでは」


 エダンの言葉にクライヴは苦笑する。


「ユギニス殿下はそこまで心が狭い方ではないよ。それに、フィーが目的だと決まったわけじゃない。女性だけで行くのは油断を誘うためだけど、三人ともタイプが違う。どの子を気に入るか分からないでしょう?」


 思わずぎょっとする。


 アルトダストの第一王子が未婚であるのは先程聞いたが、まさかクライヴがそこまで考えているとは思わなかった。フィーベルだけじゃなく、他の二人を狙う可能性があるのか。


 するとエダンは愕然とした顔をする。


「まさか、ヴィラも」

「落ち着いてエダン。だから三人を『守る人』が必要になる。例えユギニス殿下が気に入ったとしても、自分の女性だと紹介すればいい。もし奪われたとしても、奪い返せばいいだけの話だしね」


 にっこりといい笑顔を向けてくるが、シェラルドは笑えなかった。相手は一国の王子だ。どのような言動が相手の逆鱗に触れるか分からない。とはいえ渡す気はさらさらない。それはエダンも一緒なのか、どことなく微妙な顔をしつつも、手は拳を作っていた。力強く握りしめているせいか、血管が浮き出ている。


「イズミに任せたいのは彼の能力を買っているからだよ。それにヴィラ隊の副隊長だ。隊長であるヴィラ、隊員のフィー、そして元副隊長であるエダンもいれば、連携は取りやすいだろう。ぜひ任せたい」

「……分かりました。しかし、アンネ殿は男性嫌いで有名です。イズミで大丈夫かどうか……」


 娼婦館の潜入時も、女性であるヴィラとフィーベルと共に行っていた。他にも色々と理由はあるだろうが、だからアンネも承諾してくれたのだろう。


 するとクライヴはきっぱりと言う。


「彼女は確かに男性嫌いだけど、自身に興味のない男性なら平気だよ。イズミはあまり女性に興味がないんでしょう? よく告白を断っている姿を見かけている。だから大丈夫だよ」

「「…………」」


 なぜそれを知っているのか。そして見かけているのか。クライヴはほとんど部屋で仕事をしているはずだ。すると傍にいたマサキが「……また勝手に部屋を抜け出したんですか」と呟いた。クライヴは笑顔を見せていた。


「実際に行かせる日付は伝令を通して決定する。決まればまた僕から伝えるね。それまでフィーを含め、他の者にはまだ言わないように」


 おそらく全員一度に集めて説明するつもりなのだろう。確かにその方が早い。それに、これはクライヴの命令だ。誰も逆らうことはできない。最も、逆らう者などいないだろう。フィーベルならクライヴの役に立てると喜ぶはずだ。そう思ったシェラルドは少しだけもやっとした。


「じゃあ今日はこれで終わり。みんな戻っていいよ」


 ひとまず話が終わり、シェラルドは一度敬礼をした後、部屋を出ようとした。するとクライヴに名前を呼ばれる。彼は先程とは違い、真面目な表情になっていた。


「おそらく来月辺りには行かせると思う。会えないのは数日だけだけど、あのアルトダストだからね。悪いようにはしないだろうけど、どうなるのか誰も予想できない。今の内に、フィーとたくさん話したらいい」

「……クライヴ殿下」

「あとハグもたくさんしたらいいと思うよ」


 器用にウインクされる。


 クライヴは比較的可愛らしい顔立ちなのでそれがよく似合うのだが、それよりも気になるのは言葉の方だ。シェラルドは半眼になった。


「……誰に聞いたんですか」

「最近見せつけているんでしょう? 俺の花嫁だって」

「ばっ!」


 にやにやして言われてしまい、思わず反論するが慌てて口を押さえる。王子相手に馬鹿と言いそうになった。思わずマサキを見るが、彼はこちらを一瞥したくらいだ。お咎めはなさそうだがそれにしても危ない。首が飛ぶかと思った。クライヴは気にしていないのか、にやにや顔のままだ。


「行く前に伝えたら?」

「は……な、何をですか」

「シェラルドの気持ちだよ」

「は、」


 直接的な言葉ではないものの、何のことを指すのかはすぐに分かった。だが、シェラルドは思ったより動揺した。気持ちに迷いない。迷いはないはずなのだが、人に言われるとどうにも何といえばいいのか分からなくなる。それに、この気持ちが本当なのか、自身で疑っているところもある。


 これまで生きていて、自分にはきっと関係ない話だろうと思っていた。結婚も一生しないのでは、と思うくらいだった。多くの女性と会う機会があっても、全くその気がなかった。それなのに急にクライヴからフィーベルを紹介され、仮の夫婦になり、その間も目まぐるしく色んなことが起きた。色んなことを、知った。そしてこれからも色んなことが起きるのだろう。それに自分はついていけるのか、その間に気持ちはどうなっていくのか、予想もできない。


 色々と考えだしたせいか、眉間の皺が深くなる。

 するとクライヴはふっと笑った。


「ごめん。こんな時に軽率に言うことじゃなかったね」

「いえ、そんな」


 はっとして慌てて首を左右に振る。

 まさかクライヴに心配をかけてしまうとは。


 するとにこっと安心させるように笑ってくれる。

 そっと確認するかのように聞かれた。


「シェラルドにとってフィーは大切な存在ってことに間違いはないよね?」

「それは……はい」

「どうかアルトダストでも彼女を守ってほしい。これは命令じゃない。お願いだよ」


 最後は優しい声色だった。


 フィーベルを心配するような、慈しむような、そんな思いが込められていた。本当に大切にしているのだと、表情から、声から伝わる。


「はい。必ず」


 迷いなく答えたシェラルドに、クライヴは嬉しそうな表情になった。

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