42:嫌じゃない

 アンネはイズミの腕を取って足を早める。


 すぐ近くにフィーベルとヴィラがいるのだ。できるだけ見つからないようにそそくさと逃げた。お祭りが始まって時間が経っていることもあり、最初よりも人が多くなっている。そのせいでなかなか前に進まない。それでもアンネは人混みをかき分けて進もうとする。


 しばらく進んでやっと空間のある場所に出ることができた。人の多さに溺れていたような感覚だったが、ここまで来れば大丈夫だろう。アンネはイズミの腕を掴んだままだった。とにかく進もうとするあまり、彼のことを忘れかけていたのだ。


 はっとして振り返れば、


「…………」


 イズミに抱きしめられていた。


 正確に言えば、抱きとめてくれたといえばいいだろうか。ずっと腕を掴んだままで、ひたすら引っ張っていた。それが急に止まったのだ。引っ張られていたイズミからすれば、すぐに止まることなどできない。互いに向かい合った状態でぶつかりそうになった。


 勢いのままにぶつかれば体重の軽いアンネは倒れてしまう。それをイズミが懸念し、抱きしめるような体勢を取ったのだ。おかげで身体はよろめいたものの、持ち堪える。互いに怪我をすることなく、倒れることもなかった。というのはアンネも状況的に察した。元はといえば自分のせいであることもすぐ理解した。


 アンネは反射的にぱっと離れる。

 イズミと目が合うが、彼から先に逸らした。


「悪い」

「いえ……すみません」


 アンネも謝る。元はと言えば急に腕を引っ張った自分に非がある。イズミはあまり気にしないような素振りをしつつ、話題を変えた。


「シロップ、重かっただろう。俺が持つ」


 腕に下げていた袋を取ってしまう。小瓶ではあるのだが、たっぷりシロップが入っていることもあり、確かに少し重かった。最初から持とうかと言ってくれたのだが、手に入れた感触を味わいたいと思って断っていたのだ。


 小さく頷いてお願いする。


(……なんだか、よそよそしい)


 イズミの様子が先程と違うような気がする。

 アンネは自分の腕をさすった。


(……だからなんだっていうの)


 どうしてそんなことを気にしているのか、と自分で自分を叱責する。だが、先程まで普通に話していて、お互いの素が見えた気がした。それなのに、今は無言でいる。それが妙に居心地が悪い。


 と、急に中央から活気のある声が聞こえてくる。


「今ならタイムセール! 鈴蘭を使った美容液を販売しているよ~! ほら女性はみんな寄っておいで~!」


 それを聞いて女性達は嬉しそうな声を上げ、吸い寄せられるように向かう。アンネもその波に乗ろうとした。今、イズミと一緒は気まずい。美容液自体に興味があるし、なにより女性向けの商品なら女性しか集まらない。


「私、ちょっと行ってきます」

「え。待て、アン殿」


 イズミは声をかけるが、アンネはフードを深く被り、行ってしまう。イズミは追おうとしたが、その時アンネはある物を落とした。


 先程買ったくまのキーホルダーだ。


 ピンク色のリボンをつけたくまが、つぶらな瞳でこちらを見つめている。イズミはすぐにそれを拾い、目を戻す。だがすでに、彼女の姿はなかった。







「あれ。ヴィラ隊長にフィーベルさん」


 二人で祭りを楽しんでいると、魔法兵の男性と出会う。祭りであるというのに彼は制服だ。馴染みのある顔なので、ヴィラは「おー! お疲れ様~!」と声をかけ、フィーベルは丁寧に頭を下げて挨拶をした。


「どうしたの制服で。もしかして仕事?」


 すると相手は苦笑した。


「悲しいことにその通りです。最近物騒な事件が起きているので、対処できるように配置されてるんです」

「え。祭りの日なのに?」


 ヴィラは意外そうな声を出す。


「若い女性や子供を攫う事件が起きてるんです。祭りは人が多いですから、紛れるのが簡単なんですよね。それに、どうやら魔法が使える集団が誘拐をしているようで」

「魔法を使って悪巧み……?」


 徐々にヴィラの顔が歪み、食べ終わったフレンチトーストの袋をぐしゃっと握りつぶす。それを見たフィーベルと魔法兵の男性は少しだけびくついた。


 ヴィラが怒るのも無理はない。世界には魔法が使える人、使えない人に分かれている。魔法を使えることで有利な場面もあれば、周りから怖がられるなど不利になる場面もある。だがなにより、魔法が使える人と使えない人では圧倒的に力の差がある。あると分かって悪事を働かせている者がいるなんて、到底許せることではない。


「その情報、共有して。私も手伝う!」

「私もです!」


 フィーベルも声を大にしていた。


 力のない女性と子供を狙うなんて、同じ魔法を使える者として許せない。その力はそんなことのために与えられたものではないはずだ。


 すると相手は目を丸くした。


「でもお二人共、今日は祭りでお休みでは」

「誰か危ない目に遭ってるかもしれないのにのんきに祭り楽しんでる場合かっ!」

「そうですよっ!」

「す、すみませんっ。上に指示を仰ぐので少し待って下さい……!」


 慌てて魔法兵は魔法具を使ってどこかへ連絡を取っていた。それを待っている間、ヴィラとフィーベルは辺りを見渡す。怪しい人がいないかどうか調べるためだ。しばらくして彼が報告してくれる。


「魔法の波動を感じた場所があるそうです。ひとまずそちらに」

「了解!」


 すぐさまヴィラは箒を呼んでいた。


 外では自由に箒を呼んで飛ぶことを許可されている。フィーベルもヴィラの後ろに乗り、すぐにその場所へと向かった。姿が見えなくなるまで眺めていた魔法兵は、感嘆の声を出す。


「……さすがヴィラ隊。動きが早い」







 アンネは地べたに座っていた。


 手は後ろに組まされ、紐らしきものでぐるぐる巻きにされている。足は自由だが、両手が不自由だから動くのも容易ではない。隣には同じ格好になっている女性が二人。彼女たちは恐怖からか身体を震わせている。


 目の前には、見知らぬ複数の男性の姿があった。


「これはまた……随分いい女が入ったな」

「今回はレベルが高い」


 どの男もにやにやしながらこちらを見つめている。アンネはローブは着ているものの、男たちは頭の先からつま先までじっくり品定めしてくるように見てくる。他の女性に対してもそうだ。


 先程までアンネは街の中央にいたはずだった。鈴蘭の美容液があると知り、駆け出した女性たちと共にそのお店に向かった。向かったのだが、急に場所が変わった。薄暗く埃っぽい小屋のような場所で、複数の男性の前で座っている状態になっている。


 一瞬何が起きたのか分からないが、この男たちがこれから自分たちをどうするかはなんとなく理解できた。多くの者から視線を向けられてきたが、この不躾なくらい見てくる目は……。


「いきなりで驚いたか?」

「魔法ってのは便利なものでなぁ」


 楽しそうに手を動かす。彼らの手からぱちぱちと光が生み出されていた。聞いてもいないのにご丁寧に説明してくれる。多く人が集まる場所、特に女性が集まる場所で魔法を使ったようだ。彼らは瞬間的に物や人を移動させる魔法が使えるようで、それにアンネや他の者も引っかかったらしい。


 大勢の人が消えると周りも驚くが、一人や二人、少人数ならば不審がられない。そうして女性や子供をそっと誘拐しているそうだ。聞いているだけで心が痛くなる。


「その後、彼らはどこへ向かったと思う?」


 はは、と笑いながら問いかける。思わず顔を歪ませてしまう。聞きたくもない。知りたくもない。だけど相手は容赦がなかった。わざわざこちらに膝をつき、目線を合わせて言ってくる。


「みんな、求められる場所に売られるんだよ」


 女性たちは「ひっ!」と怯える。

 それを見て男たちは笑った。


「これが飛ぶように売れるんだよなぁ」

「魔法が使えると得をする。俺達は別に金には困ってない。けど求めてくる奴がいるからな。だからわざわざこうして働いているわけだ」


 彼らの戯言だけを聞けば、魔法を使える者全てが悪人になりそうなものだった。普通の人はそうかもしれない。こんな目に遭ったらトラウマにだってなるだろう。だが、魔法が使える者全てがそういうわけではない。フィーベルはもちろん、ヴィラや魔法兵たちはいつも人のために魔法を使っている。それに。


 アンネはもう一人の顔を思い出す。


「せっかく美女揃いなんだ。ちょっとは遊びたいよな」

「きゃあっ!」

「!」


 男性のうちの一人が、女性の胸ぐらを掴んでよく顔を見ようとしていた。咄嗟にアンネは「やめて!」と叫ぶ。すると別の男性がこちらにやってきた。


「威勢がいいな」


 にやっと笑ってこちらを見てくる。対し、アンネは思い切り睨んでやった。こういう奴らは弱い姿を見るのが好きなのだ。絶対に屈した顔なんてしない。


「ふぅん。強い女も嫌いじゃない」


 そう言ってアンネのローブに触れようとする。とその時、急に「大変だ!」と、部下らしき者がこちらに駆け寄ってくる。


「なんだ。今いいところで」

「魔法兵が気付いたらしい。こっちに向かってきてる!」

「なに!?」


 耳をすませば、周りが少し騒がしい気がする。遠くから複数の声に足音が聞こえてきた。助けてもらえるのだと分かり、まだ油断ならないが、それでも少しだけ気が緩む。と同時に、魔法兵の優秀さに脱帽した。


「どうする!」

「仕方ねぇな。商品だけ先に移動させるか……!」


 すぐさま男たちは魔法を使おうと女性たちに手を向けた。

 アンネは反射的に叫ぶ。


応えろリスポンド!」


 アンネの首元から大きい光が辺りを包み込む。

 あまりに眩しく、男性のみならず女性たちやアンネも顔をしかめた。


「な……なんだ!?」


 しばらくすれば光は落ち着いたが、それでもイズミから渡された宝石はほんのり青く輝いていた。思ったより威力が強く、アンネ自身も少し驚いている。


 イズミから渡された後、何かあった時は「応えろ」という言葉が合図になると言われた。具体的にどうなるのかの説明はされなかったが、相手の隙をつくものだったのかもしれない。アンネが魔法を使ったからか、男たちはより険しい顔になる。


「お前、まさか魔法が使えるのか?」


 これは好機だと思った。


「そうよ。彼女たちに指一本でも触れたら許さない」


 睨みを強くする。


 決して屈しないと、自分は弱くはないことを伝えるために。美人というのは睨むと凄みが増すと言われている。今の自分の顔がどうなっているか分からないが、それでも相手を怯ませる効果はあるはずだ。


 すると男性たちは焦った顔になった。


「くそっ、どうする!」

「さっさと逃げたほうがいいんじゃないか……!」


 リーダーらしき男の指示を待つ者もいれば、自分の身を案じてか先に逃げ出す者もいた。アンネの目の前にいた男は盛大に舌打ちをする。


「怯むなっ! せめてこいつだけでも連れて行く!」


 言いながら髪を思い切り掴んでくる。


 アンネは思わず「いっ!」と声を漏らし、顔を歪めた。するとその一瞬の隙をついてか、みぞおちに衝撃が来た。――気を失ってしまう。瞬時に分かった。だが自分ではどうすることもできない。


 遠くなる意識の中、アンネはぼんやりと考えた。


 危ない目に遭わないようにイズミから宝石を受け取ったのに。普段から危険とは隣合わせで、だから気を付けることはできたはずなのに。イズミの言動で、なんでこんなにも振り回されないといけないのだろう。振り回されていなければ、こうはならなかったのだろうか。


 ゆっくり目を閉じようとする。

 すると大きい声が聞こえてきた。


「アンネ!」


 瞬間、首元の宝石が再度光を放った。


 アンネはその光によって瞬きを繰り返し、意識も取り戻す。一斉に辺りに水が溢れ出し、小屋の中がまるで海の中にいるような世界を作った。


 男たちは口から泡を出しながらもがいている。アンネも反射的に息を止めたが、自分の状況に違和感を感じた。海の中にいるのに、髪も服も全く動いていない。濡れた感覚もなかった。そっと呼吸をすれば、普通にできる。隣を見れば、女性たちも同じようで、驚いたように辺りをきょろきょろしていた。どうやら男たちとアンネたちがいる空間は別のようだ。


 しばらくもがいていた男たちは皆気を失ったのか、動かなくなる。すると一瞬のうちに水がどこかに吸収され、元の小屋の様子に戻った。やはり身体は濡れていない。だが男たちはずぶ濡れの状態で倒れている。


 その中で唯一立っている人物がいた。


「……イズミ様」


 小さく呟いてしまう。


 イズミの魔法によって水は吸収されたようだ。よく見ればアンネの首元はチェーンだけになっており、宝石がない。魔法を使ったから消えたようだ。


「大丈夫か」


 言いながらイズミはすぐに紐を解いてくれる。


 他の女性たちの紐も解き、助けが来ていることも伝えてくれた。すると丁度小屋の外で名前を呼ぶ声が複数聞こえ、女性たちは一目散に駆け出す。おそらく家族か友人だろう。それを見たアンネは、やっとほっとした。


「すまない」


 声がする方に顔を動かせば、イズミは口を結んでいた。いつも無表情だが、なんだか今は少し険しい表情をしているようにも見える。こうなったのは自分のせいだと思っているのだろう。実際アンネはイズミに言いたいことがたくさんあった。


 どうしてもっと早く魔法が発動しないのか、とか、どうしてあの時急によそよそしくなったのか、とか、どうしてちゃんと追ってくれなかったのか、とか。全部イズミのせいにしてしまう言葉ばかり。


 イズミはこちらが何か言う前にすぐに謝ってくる。自分が悪いとすぐに認めてしまう。だから怒るに怒れない。そういうところも文句を言いたくなる。


 だが、今一番彼に伝えたいのはこれかもしれない。


「……助けてくれて、ありがとうございます」


 少しだけ笑って見せた。


 男性に対して自分から笑みを見せることなどしたくない。勘違いをされたくないから。だがイズミに対しては、素直に感謝を受け取ってほしいと思った。そんなアンネの思いが届いたのか、イズミは目を丸くする。彼にしては珍しい反応だった。


 すると彼も口元を少しだけ緩めた。

 これでおあいこだ、とアンネは思った。


「立てるか」


 手を出してくれ、アンネはそれを取る。勢いよく引っ張ってくれたが、力が思いのほか強く、アンネはその勢いのままイズミの胸元に飛び込んでしまうような形になった。二人は一瞬にして硬直する。だがすぐにイズミは離れ、「悪い」と謝ってくる。


 アンネは――なぜか無性に腹が立った。


「別にイズミ様は何も悪くないですけど」

「いや、嫌だっただろ」

「誰も嫌とか言ってませんけど」

「言ってないだけで嫌だっただろ」

「勝手に人の気持ち決めつけないでくれます!?」


 思わず怒鳴った言い方になる。

 イズミは何度か瞬きをした。


「アンネ殿は、男が嫌いだろ」

「嫌いですけどイズミ様が嫌いとは言ってません」

「だが、急に触れられるのは嫌だろ」

「急に触れたんじゃなくて当たっただけでしょう!? それをいちいち嫌だと言うほど私は我儘じゃないです!」

「いや、我儘でいい」

「……なんでそこ甘やかすんですか」

「アンネ殿はいつも我慢してる。俺の前では、我慢しなくていい」

「…………なにそれ」


 小屋の外から他の人の声や足音がさらに聞こえてくる。自分と同じように捕まっていた人が他にもいるんだろうか。アンネは頭の片隅でそんなことを思いながらも、目の前の人物から目が逸らせなかった。


 イズミも真っ直ぐこちらに瞳を向けてくる。

 綺麗なラピスラズリ色の瞳。


 角度を変えれば、違った見え方になる。


 彼からの視線は嫌ではない。これは前からそうだった。彼の視線はただ真っ直ぐなのだ。邪な情が一切入っていない。ただ、見つめてくる。だから不快に感じなかった。と同時に、まるで見透かされているようで、怖かった。だから避け続けていたのに、今はそれができない。


 いや、できないんじゃない。しなくていい。彼はただ真っ直ぐ見ているだけで。それ以上の気持ちはなく、いつだって優先してくれている。今まで出会ったことがない人だからこそ、アンネはイズミのことがよく分からなかった。だけど、力になろうとしてくれていること、見てくれていることは、十分過ぎるほどに分かった。


 なんでここまで言ってくれるのか、ここまでしてくれているのか。今度はそれを知りたいような、知りたくないような、曖昧な気持ちになる。


 すると急に頬に手が添えられた。

 ぽかんとしていると、イズミが聞いてくる。


「嫌じゃないか」

「…………」


 わざわざ確かめるためにこうしてきたのか。イズミの手は大きく、頬全体を包んでくれているような感覚になる。温かい。先程まで緊張状態でいたこともあり、今はなんだか心地よかった。


「嫌じゃないですよ」


 素直にそう伝える。


「そうか」


 言いながら手が離れた。


(……別に離さなくても)


 心の中で呟いてはっとする。

 今自分は、何を。


 一瞬にして顔が熱くなる。

 アンネは焦った。


 イズミは気付いていないのか、小屋の外に出ようとドアまで歩き出す。急に「ヴィラ隊長とベルも一緒だ」と言われ、アンネは「え!?」と声を上げる。


「見回りの魔法兵に会って合流したらしい。アンネ殿のことも心配していた。会って安心させるといい」

「い、いやちょっと」


 こんな顔の状態のまま会えるわけがない。どうしようと迷っていると外から「アンネ!?」「アンネさーん!」と二人の呼ぶ声が聞こえてくる。まずい。絶対入ってくる。


 ドアが開かれる瞬間、アンネは行動に移した。

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