02:主からのお願いごと

「やぁ、フィー。よく来たね」


 金髪のさらさらとした髪に美しい青色の瞳の青年がにこっと笑う。彼がこの国の第一王子、クライヴ・イントリアンスだ。フィーベルより年上なのだが、元々柔らかい表情の持ち主であるので、気品のみならず可愛らしさもある。


 傍には当たり前のようにマサキがいた。


 彼はちらっと時計に目を向けた後、こっちを見てくる。口で言わなくても分かる。どうせ「もう少し早く来れなかったのか」という嫌味だ。


 細かい人は何も言わなくてもうるさいなと思った。

 昨日は特に色々あってあまり寝付けなかったというのに。


 ひとまずフィーベルは頭を下げた。


「殿下。遅くなってしまい、申し訳ありません」

「そんなことないよ。むしろこんな早い時間にごめんね」

「いえ。それで、要件というのは」

「一週間後にエリノアの誕生祭があるのは知っているよね?」


 エリノアというのはクライヴの妹姫だ。

 もちろん知っている。そう答えようとすれば、タイミングよくドアが開く。


 入ってきた人物を見て、フィーベルは目を丸くした。


「殿下、お呼びですか」


 昨夜に会った騎士だ。


 運命というのは残酷だ。

 なぜこうも簡単に引き合わせるのだろう。


 フィーベルは一気に血の気が引いたが、クライヴは気付いてないのかにこにこと笑っていた。なぜそんなにもいい笑顔なのだろう。今すぐにでもこの場を逃げ出したい。やはりあれか。粗相をしたからか。


 このままクビなのだろうか、と頭の中でぐるぐると考えてしまう。


「なんですかその辛気臭い顔は」


 マサキが様子に気付いたのか嫌味を言ってくる。

 一日何もしゃべらない日があればいいのに。


 だがクライヴは微笑んだままだ。


「彼はシェラルド・タチェード。騎士団の一つの隊の隊長を任せているんだ。そして僕の妹であるエリノアの側近」

「エリノア様の」

「そう。とっても頼りになるんだよ」


 そんな人がなぜここへ。同じ疑問ばかり出てしまう。

 クライヴはシェラルドに顔向けた。


「彼女はフィーベル・ファクナー。可愛い子でしょう?」


 じっと見つめられる。

 フィーベルはさっと視線を外した。


 昨日の今日だ。さすがに覚えているだろう。

 どうしよう。昨日のことを言われるだろうか。


 フィーベルは思わずぎゅっと目を閉じた。


「それで、私を呼んだ理由はなんですか」


 あっさりと話題が変わり、少し拍子抜けする。

 昨日に対して何もないのだろうか。


 クライヴは苦笑した。


「僕の言葉に対して何も感想はないの?」

「感想を求めないでください。人によって様々でしょう」

「じゃあ可愛くないってこと?」

「……そうとは言ってませんが」

「じゃあ可愛いんだ」

「俺になにを言わせたいんですか」


 あからさまにシェラルドの機嫌が悪くなる。

 だがクライヴは気にせずくすくすと笑っていた。


 そして顔がこちらに向く。


「フィー。実はお願いがあってね」

「は、はい」

「シェラルドの花嫁さんのフリをしてくれないかな?」

「……は?」


 思わず自分が言ったのだろうかとフィーベルは錯覚したが、その声は隣から聞こえた。シェラルドの方が唖然としている。フィーベルはクライヴと彼を交互に見てしまった。


 驚いたのはクライヴの言葉だけじゃない。

 なんで彼もそのことを知らないのか。


 二人して立ち尽くしていたら、クライヴは言葉を続けた。


「彼はとても優秀で……と、この話をしたら長くなるね。簡潔に言うと、彼の両親から頼まれたんだよ。今度のエリノアの誕生祭で、花嫁を連れてこいって」

「……殿下、どういうことですか」


 やっとシェラルドは口を開く。

 その顔は微妙に引きつっていた。


 クライヴはのんきに笑う。


「ひどいなシェラルド。前に僕は言ったよ?」

「いつですか、いつそんな話しましたかっ!」

「君がエリノアの我儘を聞いていた時にこっそり言っただろう? 『君の花嫁を探したいんだけど』って」

「な、そんな話俺は」

「ああ、髪型が気に入らないからもう一回やり直せって泣かれた時ですね? 確かにその時のシェラルド殿、『分かりました勝手にどうぞ』って言ってたような」

「マサキ殿っ! なんで俺が覚えてないこと覚えてるんですかっ!」


 フィーベルは目をぱちくりさせて聞いていた。


 さっきよりもシェラルドは思い切り素を出して叫んでいる。先程は少し我慢していたということなんだろうか。傍にいたアンネは隠すことなくおかしそうに笑っていた。彼女は世話係なので、特に用事がない時はここにいない。が、フィーベルが一人だと不安だろうと思い、クライヴが呼んでくれていた。


 その間も話は進んだ。


「俺は仕事に生涯を捧げるつもりです! わざわざ花嫁など」

「いやいや、お嫁さんはもらった方がいいよ。家庭に入った方が仕事も捗るって聞くし」

「だったら殿下が先に結婚を」

「あ、僕のことは気にしなくていいから」

「そういう話ではっ!」


 フィーベルは頭の中で整理を始める。


 つまり、花嫁になればクライヴの役にも、シェラルドの役にも立つということか。なぜ自分が花嫁に選ばれたのか分からないが、クライヴのためならなんでもするつもりだ。それに、昨日シェラルドには粗相をしてしまった。彼の役に立てば、昨日のことも許してもらえるかもしれない。自分としても一石二鳥だ。


「あ、あの」


 勇気を出して声を出せば、一斉に静かになり注目される。

 フィーベルは少し固まったが、ゆっくりと口を動かした。


「やります。花嫁のフリ」

「はぁ!?」

「わぁ、ほんと?」


 シェラルドとクライヴの声が合わさる。

 面白いほどに肯定と否定、両方に分かれる。


「は、はい。花嫁をしたら、殿下と……タチェード様の役に立つんですよね」

「うん、そうだよ。それに」

「なに言って」


 嬉しそうな表情に不機嫌な表情。

 明らかにシェラルドは納得していない様子だった。


 もちろんこちらとしても、どちらの意見も尊重したい。

 フィーベルは、声を張り上げた。


「だ、だって、その時だけですよね? 花嫁のフリって」


 二人が話していた内容をまとめると、どうやらエリノアの誕生祭の時に花嫁が必要なようだ。つまり、それさえ終わればなんてことはない。しかも、フィーベルはあまり人前に出たことがない。おそらく今後も出るつもりはない。つまり、花嫁として出席しても違和感はない。


「おい」

「ひっ。な、なんですか……」


 顔を近付けられたので思わず半歩下がる。

 切れ長の瞳がこちらをぎろっと睨んでいた。


「それじゃお前に何のメリットもないじゃないか」

「え、メリット? そんなものいりません」

「は」

「あ。でも私、人前に出ていいんでしょうか?」


 魔法のこともあり、クライヴからあまり人前に出ないように言われていた。だが今回はエリノアの誕生祭。花嫁として出席するということは、色んな人に出会うということだ。


 クライヴは優しく微笑む。


「うん。大丈夫だよ。ずっとフィーの魔法を調べていたけど、なかなか進展がないから、むしろ人脈を広げるいいチャンスじゃないかなって。各国から大勢の人が来るんだ。魔法に詳しい人もいると思うし」

「殿下……もしかして、私のために……?」

「人と話すの慣れてきたもんね。フィーにとってもメリットがあるでしょう?」


 相変わらず優しく美しい笑顔で応えてくれる。

 それだけで胸がいっぱいになった。


 居場所をくれただけでなく、自分が疑問に思っていた魔法のことも気遣って動いてくれるとは。こんなにもいい主がいていいんだろうか。フィーベルはやはり一生を捧げようと思った。


「ありがとうございます……! 私、誠心誠意頑張ります……!」

「おい待て。俺はまだいいとは言ってな」

「シェラルド。まだ納得してくれないの?」


 少しだけ声が低くなる。

 フィーベル以外は全員気付き、少し異様な空気になった。


「……しかし」

「さっきも言ったけど、これは君の両親、そして君のお兄さんとお姉さんの願いでもある」

「いや両親はともかくなんであいつらの言うことを……!」

「彼らにはいつもお世話になっているしね。それにほら。フィーならしっかりやってくれそうだろう?」


 ちらっとフィーベルを見る。

 まだ浸っているのか、彼女はにこにこした顔をしていた。


 逆にシェラルドは微妙な顔になる。

 一度溜息をついた後、フィーベルに向き直った。


「おい」

「はい?」

「ちょっと来い」

「え」


 言うが早いか、手を取られる。

 そしてフィーベルの手を握ったまま部屋を出る。


 二人が部屋から出てから、クライヴは満足げな表情になる。

 マサキはちらっと主人を見た。


「予想通りですか」

「うん、そうだね」







「あの、あの!」


 さっきから全然手を離さないため、フィーベルはずっと呼び続けた。男性に手を握られたことがないため、むずむずしたなんだかよく分からない感情になる。


「あの、タチェード様」

「シェラルド」

「……え?」

「俺の花嫁になるんだったら下の名前で呼べ」

「そんな無茶な……! あと手を」

「逃げるだろ」

「にっ、いや、」

「昨日の夜、俺と会ったよな」


(バレてる……!)


 さぁっと冷や汗が流れる。

 分かってはいたが、本人に言われると相当ダメージが大きい。


 だがあっさりと言われた。


「気にするな。別に怒ってない」

「あ、そう、ですか……」


 それを聞いてほっとした。よかった。クビにならない。

 と思ったがそうじゃない。人としてやはり申し訳ない。


「で、ですが本当にすみません! いきなり魔法を使ってしまって」

「別にいい。俺が怖がらせた」


 どこか諦めに似た表情になる。

 もしや今までもそういう経験があるんだろうか。


 最初は確かに怖かった。だが今見れば、整っている顔立ちだとは思う。睫毛も長いし、綺麗な金の瞳を持っている。黙っていれば、かっこいい。


「なんだ?」


 じっと見過ぎていたのだろう。

 慌てて首を振りつつ、ぎこちなく笑った。


 すると急に質問される。


「お前、恋人はいるのか」

「え? い、いません」

「そうか。じゃあ今まで何人と付き合った」

「!? ひ、一人もいません」

「そうか」

「……あの、なんですかこの質問」


 シェラルドはなんでもないような顔をする。


「先に聞いておかないと、後から何かあったとき困るだろ」

「何かって?」

「それは……分かるだろ」

「分かりません」


 真顔で即答する。

 すると眉を寄せられた。


「なんだお前。もしかして男慣れしてないのか?」

「な……そ、そういうタチェード様は女慣れしてるんですか……!?」


 図星なのと恥ずかしさで思わずそう返してしまう。

 その返答にシェラルドの方が少しどぎまぎする。


「いやそういうわけじゃないが……」

「だって今まで何人付き合ったか、とか……。過去に何人もいたんですか?」

「いるかっ! 人の過去を詮索するなっ!」


 少し叫ばれつつ軽くおでこを叩かれる。


「えー!? 先に聞いてきたのはタチェード様なのにっ!」


 叩かれたこともあって思わず抗議したが、知らんぷりされてしまう。とはいえ、やはり女慣れしているんじゃないだろうか、と思った。シェラルドはクライヴと同じくらいの歳に見える。なら自分のことなんて、妹のようにしか見えないだろう。


 なぜかそう納得し、フィーベルは苦笑する。


「タチェード様からすれば、私なんてただの子供ですよね」

「子供?」

「だって年上ですよね?」

「いくつだ」

「十九です。いくつですか?」

「二十五だ」

「ほら、やっぱり」

「いや、けっこう大人っぽいと思うが」

「え? どこがですか」

「…………いや」


 なぜか間があった。


「え、なんで顔逸らすんですか」


 思いっきり横に動いた。


 一瞬どこかを見られた気がしたが、一瞬すぎて分からない。気になったのでなんとか問いただそうとするが、シェラルドの方が早かった。


「悪い。こんなことに巻き込んで」


 きょとんとする。何のことかと思えば、花嫁のフリのことか。それなら全く気にしない。クライヴのためにもなるし、シェラルドのためにもなる。何より昨日ことを怒ってないことにほっとしていた。


「大丈夫です。言って下さったらなんでもしますよ」

「……お前その発言、男の前ではしない方がいいぞ」

「え、なんでですか?」

「…………」


 微妙な顔をされる。

 どうやら言いにくいらしい。


「とりあえず今後の打ち合わせをしよう。でないとお前も動けないだろ」

「あ、はい」


 部屋を借りるというので、そこまで一緒に向かう。

 一気に色々話したおかげか、最初よりはシェラルドを怖いと思わなくなった。


 すると突然昨日の話になる。


「昨日、俺に魔法を使っただろう」

「す、すみません」

「そうじゃない。その後ちゃんと謝っただろ」

「謝った、って……」

「聞こえた」


 フィーベルは目を見開く。まさか耳元で呟いただけの声が聞こえていたなんて。よかった。あの場で逃げ出してしまったことに、少し罪悪感を持っていたのだ。


「気になったんだが」

「はい?」

「お前男慣れしてないんだろう。大丈夫か。フリとはいえ花嫁だぞ?」


 もしや花嫁としてちゃんと動けるのか、という不安があるのだろうか。これはまずい。推薦してくれたクライヴにも申し訳ない。


「が、頑張ります。仕事と思えば俄然やる気は出るので」


 確かに普段男性と接することがほぼないので(クライヴとマサキは例外だ)、緊張はするだろう。だが、仕事と思えばなんでもない。なによりクライヴとシェラルドの役に立てされすればいい。それを原動力にやるしかない。できなければクビだ、と自分でプレッシャーをかければ死ぬ気でできるだろう。


「仕事、ね」


 シェラルドが少しだけ面白くなさそうな顔になる。

 だがそれに気付かないフィーベルは、絶対に成功にさせるぞ、と燃えていた。

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