君のスプラッシュ
小鳥 薊
前編
学校祭を控えた放課後の校舎は、どこにいても人の気配がある。
新聞部の刈谷健太郎はアンケートの集計作業や下調べが不十分なまま、この後ある生徒へのインタビューを控えていた。
というのも、この企画はつい昨日、学年主任から突然依頼されたものだった。
即席で作った手書きのアンケート用紙を午前中に配れるだけ配布し、夕方に回収したのだが、ざっと目を通すだけでもふざけた質問ばかりだ。
先日、高飛び込みの地区大会で優勝した遠矢夏見の特集記事を組むことになったのだが、先生曰く少々扱い難い生徒のようで取材にもなかなか応じてくれなかったらしい。それが昨日、気が変わったからと取材を承諾したと聞いた。赤鬼みたいな学年主任を振り回すなんていい度胸の女だな、と健太郎は思った。
アンケートは、「今、期待の高飛び込み選手、遠矢夏見さんに聞きたいこと」というタイトルで自由記載の形式にしたのだが、「好きな人はいますか?」とか「スリーサイズは?」とか、どいつもこいつも好き勝手書いている。彼女がここへやって来る前に、使える質問をピックアップする作業までは終わらせたい。
しかし、予定より20分も早く部室の扉が開いた。
「遠矢ですけど、」
「え、あ、はい。早いっすね」
「早く終わらせて練習したいので」
遠矢夏見は、面倒臭そうに答えた。そんな夏見の表情に、こっちだって、と言いたい健太郎ではあったが、気の動転が勝った結果へこへこした態度になり、取材は序盤から暗雲が立ち込めていた。
「では、来月の広報に掲載させてもらうインタビューを一問一答形式でやっていくんで、よろしく。ちなみにうちの生徒に質問を考えてもらったんで、まあ肩肘張らずにテキトーにお願いしまっす」
「ふーん」
(ふーんっすか……やりにくっ)
第一印象から、苦手なタイプである。
「俺、新聞部の刈谷です。同じ学年なんだけど……」
「……」
黙ったままの夏見は、健太郎になど興味はなさそうだが、彼にはその方が都合が良い。もしもこの記事がコケても、これきりの人なら今後の生活にも支障はないだろう。
健太郎は、途中まで終わっていた集計をまとめた紙をくしゃくしゃに丸め、手元の用紙から順に聞いていくことに決めた。彼女が飽きたら、そこでストップ。今回の記事は簡潔にまとめよう、と今、決めた。
「えっと、じゃあ始めます」
「飛び込みを始めたきっかけは?」
「お父さんがやってたから」
「じゃあ、コーチもお父さん?」
「昔はね、今は違う」
「えっと……じゃあ、いつも何を考えて飛ぶの? っていう質問がいくつかあるな」
「特に何も」
「何も? 恐くないの?」
「慣れるわ……飛び込み台に立ったときの気持ちを知りたいなら、自分で立ってみたら? あなたの感想を記事にすれば?」
夏見は、たどたどしい健太郎を無視し、上にある用紙を覗き読み、先に答えた。
「あは、すんません。準備が整ってなくて……あ、ちょっと困るよ」
「ふーん、興味ない質問ばっかだね」
健太郎の膝の上に散らばっている質問用紙を数枚とって夏見はペラペラと捲りながら言った。しまった、と思った。その中には、夏見が見たら気分を害しそうなものも混ざっている。咄嗟に全部を取り返し、健太郎はこのインタビューを早々に切り上げることに決めた。
「あのさ、記事にするにあたって最低限聞いておきたい質問が三つだけあるから、それだけ真面目に答えて、帰っていいよ」
「何?」
「飛び込み、楽しい?」
「……楽しいっていう言葉じゃ、表せないな。競技自体は二秒とかで終わっちゃうし、体づくりとポーズの練習って地味だし」
「じゃあ、遠矢さんが高飛び込みを続ける理由は?」
「ノースプラッシュって言葉、知ってる?」
「……ごめん、下調べしてなくて、知りません」
「ふふ、別にいいんだけど。後でウィキってよ。それをまだ追いかけている途中だから」
(ノースプラッシュを追いかけている途中……想像すらできん)
「はい、あと一つは?」
「っと、全国大会に向けての抱負を聞かせてください」
「ただ練習して、いつも通りのことをどんな状況でもできるようにするだけ。結果はそれに付いてくるでしょ」
夏見との対談はこれで終わった。健太郎は正直、この記事の担当を降りたい気分だったが、きっと誰も代わってくれないだろう。夏見の去り際に、練習中の写真を撮らせてもらう許可をもらい、後からプール場に向かうこととなった。
明日から学校祭が終わるまでの四日間、校内のプールは使用禁止となる。何でも、ある企画の会場として使うらしい。
十分しか経っていない。なのに健太郎はびっしょり汗をかいていた。体はぐったりだ。部室の窓を全開にすると、思いのほか強い風が一気に入ってきて、紙の束が床一面に散らばった。
ノースプラッシュは、調べると、水しぶきをあげない静かな入水のことだった。風に舞って落下する一枚の紙に夏見の姿を重ね合わせ、しばらくの間、健太郎は立ち尽くしていた。
(あの人、高飛びの話をしている間中、にこりともしなかったな)
遠矢夏見は、本当に飛び込みを好きなんだろうか……。
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