第5話 新しい出会いは楽しい日々の始まりのはずだった。

 確か左側で黙々と弾いていた堅そうな髪が短いベーシスト。

 春も終わりだと言うのに、黒のハイネックに黒のジャケットなんか着ていて、しかも汗一つかいていない。大きな手はさらさらしていた。


「大丈夫です」


 そう言って、俺は彼の手を借りて立ち上がった。楽器をかついだ彼は、俺より頭一つくらい背が高かった。


「あー、ここすりむいてる」


 やっぱり楽器をかついでいた長い金髪の人がつん、と俺の頬をつついた。痛、と俺は自分がいくつかのすり傷をこしらえていることに気付いた。


「ねえトモ君、この子、ケガしてるよ」

「そうだな、ちょっと戻ろうか」


 そんなことを言って、彼は俺の手を引っ張った。引っ張られて、結局俺は、出てきたライヴハウスにまた戻る羽目となってしまった。


「あらあんた、どうしたの!」


 裏口から中へ入ると、さっき俺を外へ出したカウンターの女性が高い声を出した。


「何、ナナさん、この子知ってんの?」


「ううん、別に。ただ、この子、さっき、閉店まで何かぼけーっとして居残ってたから…… あらあら大変。ケガしてるじゃなあい。綺麗な顔なのに!」


 彼女は早口でそれだけ言うと、あたふたと救急箱を捜してくるから、と立ち上がり駆け出した。

 そして残された俺は、メンバー達の質問責めにあってしまった。


「何、今日のステージ見てくれたんだ」

「あ、あの」

「どぉだった?」


 俺はステージの配置を思い出す。確かこの金髪の人は右側に居たギターの…


「良かったです、あの、俺、こういうの見たの初めてで……」

「初めて!」


 ギターの人は、へええ、と珍しい物を見た、というような顔になる。


「でも! その初めて見たのが、えーと…… ベルファストで良かったと思います!」

「ベルファスト違う。それじゃ地名じゃないの。BELL-FIRSTよ」


 チチチ、と年齢不詳ファニイ・フェイスのヴォーカルの人は人差し指を立てて振る。はあ、と俺はうなづくしかなかった。そして俺はその時、彼の名前も知った。

 彼は吉衛友則ヨシエトモノリという名だったから、「トモ」とか「ヨシエさん」と呼ばれていた。後者だとまるで女の子の名前のようだから、と彼は俺には前者を呼ばせた。

 そしてそれ以来俺は、地名のベルファストならぬ、BELL-FIRSTのメンバーとお知り合いというものになってしまった。



 何故かこのメンバー四人が四人とも、俺のことを気に入ってしまったらしく(おそらくは今日び珍しい純粋培養少年とでも思ったのだろう)、その結果として、俺は本格的にライヴハウスに通うようになってしまったのだ。

 ACID-JAMは、基本的にドリンク券さえ買えば、そこのステージを何でも見られるタイプの気楽なライヴハウスだった。、BELL-FIRSTのメンバーは俺を外で見つけると、ほとんど人さらいの要領で楽屋へ連れ込んだ。



 このバンドを簡単に言い表すと、「同業は実によくウケるバンド」だった。

 とにかく上手い。テクニックはある。曲も悪くない。そして何か埋没してしまわないだけのセンスやプラスαもある。

 だが、このバンドのメンバーは全員が全員、基本的に「音楽さえできれば人生楽し」という態度の人だった。そのために、「売れる」もしくは「知名度を上げる」という部分が大きく欠けていた。


 皆その腕のせいか、バンド以外の副業を音楽で持っていたようだった。

 ギターのナサキさんは、楽器屋でギターの講師をしていたし、ヴォーカルのノセさんは時々レコーディングなどのコーラス隊でレコード会社から呼ばれる。ドラムのハリーさんもそうだった。いいドラマーというのは人口が少ない。サポート・ドラマーの時もあるし、結構カラオケとかのドラムは量できるからいい収入になるのだとも言う。

 そしてベースのトモさんは。

 俺をあの時助け起こしてくれたあの人は。

 結構落ち着いて見えるので、二十代も半ばかと思ったら、まだ二十三だった。去年大学を卒業したばかりなのだと言う。

 だがそう見えてしまうのも不思議でない程、彼は落ち着いた、穏やかな人で、笑うと、二重なのだがあまり大きくはない目が更に半分になってしまった。

 そんな彼らは、ライヴ前の人さらいだけでなく、よくライヴ後の打ち上げ、というか食事に連れて行ってくれた。


 新しい発見と新しい出会い。春の終わりは、楽しい日々の始まりのような気がしていた。

 そのはずだった。

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