宇宙の果ての真夏

森山流

宇宙の果ての真夏

 あたしもうずっとこうして宇宙の果てで仲間が来るのを待ってたんだ。あなたがあたしの友達なの?




 ここは真夏で、あたしの視線の先の麦茶のコップが太陽の光を散乱させて部屋じゅうにばらまいている8月。エアコンはガンガンに設定温度24℃だけど、外はもう37℃を越したってさっきママが言ってた。こんなこの世の片隅にまで真夏がやってくるのは嘘みたいだけど、あたしは必死にまばたきして世界に伝える。あたし生きてる、また新しい夏が来たんだ。


 梅雨の中頃あたしの部屋に業者と病院の人たちが来て、あたしは視線とまばたきだけでコンピュータを操作できるようになった。文字入力の練習に2ヶ月かかったけど、今ならもうこのくらいの日記を書くことができる。先生とママと看護師さん、言語聴覚士、理学療法士、作業療法士のひとたちはあたしの意識がこんなにはっきりして年相応に育っていることをはじめて知ってとてもびっくりしてた。あたしだって何年もただ寝てたわけじゃないのだけど、なにせまぶたと目玉しか動かせるところがないから表しようがなかったのだ。


 あたしは12歳の時の自動車事故でパパと弟と、あたしの全身の自由とを永遠にうしなった。それからずっと人工呼吸器とかたくさんの器械と管につながれて、ベッドの上であたしはいばらの森のお姫様。ママと看護師さんとヘルパーさんが交代で一日中面倒を見ていないと、あたしは生きていけないのだ。もちろん学校になんて行けないから、あたしは13歳から先の勉強がどんなふうかは知らない。それでもママが毎日枕元で教科書や物語の本を語り聞かせ、テレビの教育チャンネルを流し、ラジオの語学講座をかけてくれていたのを、あたしはすっかり聞いていたのだ。あたしはじぶんで動けないから、とにかくまわりから感じられるものを受け取ることに文字通り全身全霊傾けていた。もともと本が好きだから、特に物語を聞くのはうれしかった。あたしはそうして心を育てて、でも表現する方法がほとんどなくて、昔は視線とまばたきで文字盤を指すしかなくて、最近はそれが視線追跡カメラに変わったものの、ものすごくゆっくりとしか出力できなくて、長年ほんとにもどかしかった。癇癪を起こしたくても手足だってバタつかせることもできないし、声に出して叫ぶのも無理。

そんな中、2020年の夏、ついにあたしのところにやってきたのだ。視線でカーソル移動、まばたきでクリックできる最新のアイトラッキング・コンピュータが。


 あたしはとにかく自分から言葉を生み出せることがうれしくて、この2ヶ月はほとんど寝食も忘れる勢いでコンピュータに熱中した。あたしは今までずっと1人で心の中で繰り返し言葉をつぶやいていたから、それを人に見せることができるなんて夢みたいだったのだ。あたしの気持ちが先生やママに伝わる。あたしは楽しくてたまらない。


 そして今日、不思議なことが起こった。あたしのコンピュータはー限られた機能だけにせよーインターネットにつながれたよと先生が言う。とうとうあたしに、外の世界へ出て行く許可がおりたのだ。あたしは試しに検索エンジンを立ち上げ、海、と打ち込む。もう5年間、あたしは水というものを飲み物か点滴の液以外のかたちで見たことがなかったから。5年ぶりの海は青くて広くて懐かしくてやさしくて、あたしはわーっと泣きだせないかわりに「今泣いてる」と視線でタイプした。



 あたしもうずっとこうして宇宙の果てで仲間が来るのを待ってたんだ。あなたがあたしの友達なの?



 あたしは記憶と空想と夢をごちゃまぜにして、プールに頭から飛び込んで深く深く潜り、浮上して飛び出す直前、水面越しに見える太陽のきらめきの美しさに感動する白昼夢を見る。太鼓と笛のお囃子の中、りんご飴とイカ焼きで手をべたべたにしながら夏祭りの盆踊りの輪に駆け寄る夜の匂いを感じる。ラムネの瓶の口に蓋を強く押し込みビー玉を落としたときのシュワシュワはじける音を聞く。あたしはあたしの小さなベッドの上で、5年ぶりの夏を味わう。


 そしてあたしは突然気づく。インターネットには、ほかの、ふつうの、あたし以外の人間がいっぱいいるんだっていうことに。あたしはなんとかしてその人たちと友達になりたい。あたしは先生や看護師さんや療法士のひとたちに日記を公開する方法を教わった。その冒頭に、こう書く。



 ハロー、ここは宇宙の果ての真夏。

 あたしもうずっとこうして宇宙の果てで仲間が来るのを待ってたんだ。あなたがあたしの友達なの?

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