第四十六話『恐れ』

 

 焦り散らし。

 息を切らし。


 そのまま廊下を突っ切って。

 私を恐れて逃げていく、ユリス。


 彼はいつの間にか消えていた。

 いや、比喩ではなく。本当に。


 光学迷彩。

 周囲の風景に溶け込み、紛れる戦略兵器。


 私はそれを使った瞬間を見れなかったが。

 それでも、音は聞こえる。


「───ッ!」


 心臓の高鳴る音。

 布が激しく擦り切れる音。


 荒い息遣い。

 焦りのままに、大きく靴音を鳴らして駆け抜けている。


「……逃げる時は、慎重にして頂かないと」


 右ですね。

 その角を曲がった、十三メートル先。


 周りの生徒の耳も気にせず、走ってますね。

 ……追いましょう。


「───案外、馬鹿な人ですね」


 だがそのまま追うにしても。

 私は、他の生徒の目が気になりますね。


 ユリスは消えているから良いんですが。

 私は異常なスピードで、姿を消さずに追うのですから。


 まぁバレたら大変。

 なので。


 廊下を曲がってきた生徒には見られない様に。

 壁を垂直に駆け上がり、天井を伝って。


 そのまま音も無く着地して……また、追いましょう。

 後は生徒たちの死角を突けば良い話です。


 簡単ですね。


「しかし……広いですね。この学校も」


 帝国随一の名門校なだけある。

 その間取りは広く大きく、同時に迷路の様に複雑だ。


 だから時々撒かれる。

 まぁ、音がだだ漏れなので直ぐに追えますが。


 息を吐き。

 私は再び、体を猛進させた。



 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢



「はぁっ、はぁっ───!」


 息が切れていく。

 足行きが覚束なくなり始め、思考も回らなくなってきている。


 それもそうだろう。

 彼はこの一年を通し、ずっとあの暗い機械兵科に住んでいたのだから。


 以前のスタミナは失われ、培われていったのは技術だけ。

 たがその心には、培われてきた罪悪感が募っている。


「俺は違う俺は違う俺は違う、裏切ってなんか……」


 掠れた声で、自分にそう言い聞かせる。

 無駄な事なのは、彼も骨の髄まで理解できている。


 けれど。

 それでもまだ、違うと───そう言い張るのだ。


 頭の中を、あの時の記憶が過ぎっていく。

 彼女達と研究の研鑽を重ねた、輝かしい日々を。


 羨んだ事を。

 一瞬でもそれを、妬んだ事を。


 そして……。

 悪魔の囁きを、聞き入れてしまった事を。


 彼は悔やんでいた。

 だが同時に、恐れてもいた。


「ごめんっ、ごめんっっっ───!」


 動悸が体を揺らしていく。

 喉が、どんどん熱くなっていく。


 その瞬間。

 彼の視界は、一瞬にして──────暗転した。


「……案外耐えたモノですが。観念しなさい」

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