第56話 魔王降臨

 ◇side.マリ


 森林フィールドボスエリア前。

 あたし達は誘拐犯の首謀者と対峙しながらノワールと抱き合って助けを待つばかりだった。

 そして隙を見てメニューを開いたり閉じたりしているのが気にかかったのか、ノワールがあたしへ話しかけてくる。

 ちょっとノワール、空気読んで。



『まーちゃん、何してるの?』

『うん、みゅーちゃんが助けに来てくれるかなって』



 そう、何通か送ったメッセージの返信が来ていないかの確認だった。一方通行の交信だった為、他の人に伝わっていなかったが、こういうのはそぶりでバレる。特に当時のノワールは大根役者だったしなぁ。そんな事を思い出しながら適当な言葉を見繕った。



『でもみゅーちゃんやられちゃったよ?』



 案の定ノワールは悲しげな声色で返してくる。余程自分が認めたミュウさんの力が相手に通用しなかったことにショックを受けたのだろう。だからあたしは反論するように言って聞かせた。



『あれは油断ちてただけ。みゅーちゃんは本気を出せばもっと凄いんだから!』



 その言葉にノワールは目をキラキラと輝かせた。ほんと単純で可愛い子。昔のノワールよりも数倍純粋だ。まだ何にも知らないお嬢様のあの子はこんな感じだったのだろう。そう思わせる。


 このまま妹キャラに落ち着くのも悪くないけど、やっぱりこの子にはお姉ちゃんとして接したい。実際にはお母さんの年齢だけど……だからかな? ミュウさんの気持ちもわからなくもない。

 彼女はきっとこの子とこれから生まれてくるであろう自分の子供を重ねている。何と言っても昔のままの自分の姿がそこにあれば思い入れも違うだろう。


 そんな可愛がっていた子が自分の油断で目の前で奪われて攫われて悪い方へ再教育されるなんて知ったらミュウさんの中のノワールがいつ起き上がって来てもおかしくない。

 ただでさえ完璧主義な彼女のことだ、自分の持てる力でもって対処するだろう。あの子は自重する事を知らない。自分のできることが誰でもできる事と思い込んでいる。あの子が悪いわけじゃない。環境があの子をそこまで追い込んだのは親友であったあたしにはよくわかる。そこまでじゃないけどあたしも似たようなものだったから。だから……

 だからこの子が無事である限りは大丈夫。大丈夫だって言って効かせないと!早まらないでよミュウさん、信じているからね!


 そんな誓いを自分の中で立てていると、すぐそばで何かが這いずる音がした。アイツが来た。目に見えてノワールが怯えている。そんな状態であるにもかかわらず、妹を守ろうと毅然に立ち向かっている。だからあたしはギュッと抱きつく事で彼女に勇気を与えた。


 それの身体は流動系であった。水とは違い少し粘着質で、まるで性格が肉体に反映されているのではないかと思ってしまうぐらい……それぐらいあたし達を攫った誘拐犯はネチっこい奴だった。

 背後関係もアッサリバラしたが、どうにもコイツはただの使いっ走りというわけでもなさそうだ。共闘……というのも違う。協力でもない。そうだな、一番しっくりくるのはお互いが利用している。それが妥当な線だ。特にこういう常識を逸したタイプはこの手の極限サバイバルに集まってくる。前作でもそういう傾向があった。だからPKは推奨されていないにもかかわらず日常茶飯事。


 その中でも【英雄】という称号は否が応でも目立つ。だからその席を奪うために英雄は常に狙われていた。つまり英雄とは運営が用意したそういう危険思想を持った奴のヘイトを集める為のスケープゴートだったのだ。事実はわからないが、前作の英雄の間ではそう噂されていた。あたしはそっち方面はさっぱりだからよくわからないけど、クラメンがそう話していた事を聞いたことがある。

 まぁ昔話はともかくとして、コイツの事だ。


 コイツには上を狙う気概はあるが、強者故の余裕はない。熟練度が足りない。だからと言ってこちらから仕掛けるのは死を意味する。



 《どうした? 逃げ出す算段でもしてたか?》



 コイツはスィーラ。

 異形のスライム種。

 いつでも殺せるという表れだろう。自らバラしてくれた。精霊眼と魔法解析で看破して見たところ、合計LVが70を超えていた事から推察するに相当の回数進化している事は明白だ。間違いなく今のあたしもノワールも勝ち目がない。


 タダでさえ物理が効かない上に、幾度も進化を重ねてあらゆる耐性に精通した対人特化の変態だ。趣味は標的の身体を這いずり回って少しづつ溶かしていくこと。ゲームだからこそ許されるのだろうが、絶対に街に入れてはいけないタイプだ。

 そして性質の悪いことに勘がいい。



『…………』

 《だんまりかい、まあいい。お前らは餌だ。極上の獲物を誘うまでのな! その後獲物を目の前で屠って、絶望に包まれたまま喰らってやるから安心して震えてな! キハハハハハ!》



 遠ざかるスィーラの姿を見送りながらあたし達はアイツのいった通り震える事しか出来なかった。精霊に状態異常は通用しない……が、死ぬという概念は最初は誰でも怖いものだ。死にたくないのはどのゲームでも同じ事。死の概念が安いからといって、住民のように生き急ぐでもない限りは死なないように行動する。それはMOBもプレイヤーもそう。

 だからあたしもノワールも、今の生にしがみついていた。





 ◇side.ココット



 森林フィールド・エリア4


 幻覚効果を解除(レジスト)しながらあたしは歩く。目的は兄様を正気に戻す事。

 リアルを放っておいて、何をこんなゲームに入れ込んでいるのよ。確かに見たことのないタイプのカテゴリーに胸がワクワクする気持ちもわかる。これは確かに面白いシステムだ。


 だけどそれはリアルを蔑ろにしてでも優先するほどのことだろうか?

 あの優しい姉様が疲れたような顔をしていた。毎日顔をつき合わせているのにそんな事にも気づかないなんて。

 兄様は好きだ。でも昔の女に執着する兄様に好意は持てない。あたしは姉様につくよ。だからその為に、その原因を排除する。


 歯噛みしながら頭の中で行動を整理していると、すぐ横の木の上からずるりと質量のある水が零れ落ちた。

 いいや、これは水じゃない。水ではない事をよく知っている。協力者として兄様に紹介された時は目を疑ったほどだ。

 コイツは狂っている。言動と行動が一致しないヤツは多く見るが、コイツの場合は根本から違う。誰がどう聞いてもおかしい事を、なんでもない事のように、当たり前のように遂行するのだ。どんな非人道的な事すら遂行する姿勢には怖気が走る。

 先日ミュウを、あんな気の抜けたミュウを殺す為だけにわざわざ《捕食》を選んだようなヤツだ。アッサリ殺して奪えばいいのに、面倒な方を嬉々として選んだ正真正銘のキチガイ。

 対象の怯えた顔を見ながらじわじわ甚振り殺すのが趣味だと言い切ったコイツとは仲良くなれる気がしない。いつ裏切るかわからないコイツを信用しろと言われてできる方がどうかしていた。


 そんなヤツに聞くのは癪だけど、こんな奴でも一応協力者だ。会話が通じる限りは精一杯利用してやろう。



「スィーラ、兄様はどこ?」

《あぁん? 俺はアイツと手を組んじゃいるが下っ端じゃねーから居場所とかいちいち知らんわ》

「そう、じゃあ用は無いわ」

《まぁ、待てよ》



 踵を返してその場を後にするあたしへ、あろう事かソイツは攻撃を仕掛けてきたのだ。

 黒い水溜りから人一人くらい丸呑みできそうなほどに膨張して見せて、そこから3本の触腕を振るった。

 それを余裕を持って回避し、殺意を込めて睨みつける。



「……何の真似?」

《なに、大した理由じゃねぇよ。俺様は実力主義でな。どっちが上からキッチリしときてぇのよ? あんたもこっち側だ、理由は分かんだろ? 弱えぇ奴にイキられたままだとイラつくんだよ》

「ふぅん、そういう事」



 そんな理由で襲ってくるとはどうかしてる。だが、一理ある。

 ちょうどムシャクシャしていたところだ。もし殺してしまっても、所詮その程度の相手だったという事だ。ここで切り捨てておいて後腐れなくしておくのも手か。秒で考えをまとめて向き直る。



「しょうがないから付き合ってやるわ。精々足掻くことね——」

《そうだ。その顔だよ、狂気に歪んだその顔だ! やっぱり俺の見込んだ通り、あんたはこっち側だったなぁ! さぁ、楽しもうぜぇ!》



 すん、と相手を見下したまま肩の力を抜く。吸血鬼とは絶対優位者だ。どんなに不利な戦いも有利に振舞って優位に導くものだ。自分の中でそういうルールを設けて行動を組み立てた。


 しかしコイツの耐性の数は一体どうなっている? あらゆる魔眼を試したが決定打を与えられそうもなかった。

 おまけに物理も無効でこちらには打つ手がない。とは言えここで手の内を見せるのは早計。切り札は最後まで取っておくのがあたしの流儀だ。

 使うタイミングはここじゃない。


 一進一退を繰り返し、攻防一体の一撃を穿つ。



「いい加減くたばれ……《闇の胎動》!」



 ドクン……

 心臓の跳ねる音が収束した闇の中から聞こえる。これは任意の場所に眷属を生み出す上位魔法。自身のステータスを分けたもう一人の自分を生み出すものだ。

 使用者は乾きの限界まで消耗して暴走状態に陥るが、もう一人の自分が冷静に対処してくれる切り札の一つ。

 あたしはこれを最大三つまで解放させることができる。食糧はバッグに三つまで用意してある。だから三つまでだ。


 単純に手数が二倍に。思考も二倍になる。並列思考ではなく、質量のある分身だ。その攻撃ひとつひとつに本体と同等の破壊の力をもたらしてスライムを、スィーラを翻弄していく。

 しかしアイツのスタミナ管理はどうなっている? いくら責めてもチョロチョロと回避して鬱陶しいったらありゃしない。


 まるでモグラ叩きでもしているような、イライラとする気持ち。

 これがコイツの戦闘スタイルか?

 だとしたら相当厄介だ。タフネスの高さを甘く見ていた。次はどう攻めようかと行動を整理しているところへそれは現れた。

 一瞬それがなんだか分からなかったが、ただ一つ分かることがあるとすれば……



『ミツケタ、ミツケタ。ミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタ!!』



 純粋なまでの狂気がその場を支配していた。

 そこにいたのは見知った樹の精霊。

 だけどその纏った気配は完全に別の物にすり替わっている。

 すぐ手前ではスィーラがブルブルと震えている。純粋な恐怖の前ではいかな耐性があろうとも打ち勝てないのだろう。

 あたしも怖い。これが、ノワールなの?



《キ、キヒヒ、キハハハハハ! これが、コイツがノワールか! 確かに、確かに確かに確かに確かに。コイツはバケモノだ! まだこんなヤツがプレイヤーに居たとは、嬉しいゼェ! なぁ、お前。俺と戦え! そして悲鳴を聞かせろぉおおおおおお!!!》



 狂ったような音を出して、スィーラが飛びかかった。


 ミュウだったものはなんの感傷もなく、飛んでくる濃縮された悪意が目の前で弾け飛び、それを全身に浴びても何ら思うこともなく笑った。ケタケタと楽しそうに、可笑しそうに、そしてひとしきり笑い終わると泣きそうな声で自問自答を繰り返していた。


 狂っている。とっくに自我をなくしている。まさかあれだけのことでここまで自我を崩壊させるなんて思ってみもしない。少し本気になるぐらいと、そう高を括っていた自分がいた。


 ミュウ……あんたは過去にどれだけの闇を抱えていたの?


 こちらを覗き込む視線に震える体。

 それを堪えて前を向く。

 飛びかかっていったスィーラの反応はもう何処にもない。どんな手を使ったのかはさっぱりと分からない。

 あたしはただ目の前の狂った精霊を前にして活路を見出す為に頭を回転させていた。

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