第55話 間違えた兄を取り戻す為に

「ふふふ」



 私は上機嫌で端末に指を滑らせて、鼻を鳴らした。それを横で見ていた寧々が呆れたような目で見ている。



「どうしたのよ琴子。何かいいことでもあった?」

「あ、わかる?」

「そりゃいつになく上機嫌な上にヘッタクソな鼻歌まで口ずさんでいれば?」

「ひどーい。そういう寧々にはお家に招待してあげないんだからね」

「待って、待って。そんなつれないこと言わないで頼みますよ~。一週間ぶりに祐美さんのお料理に舌鼓を打てる機会をみすみす逃すなんて、あたしにとって九死に一生ものなんだから」

「それ使い方間違ってない?」

「それくらい大事なの!」



 寧々は大げさな態度で拝み倒すように土下座した。地面におでこをくっつけたかと思えば、太ももに頬を擦り付けて来た。うわっ、鼻水くっつけないでよ!



「分かりましたよ。誘ってあげます。だからそんな子犬のように涙を溜めないで頂戴」

「ふへへ、やったー」



 帰る時間と出かける時間を設定して、メッセージを送る。私達は遠出しているわけでもなく、数階下の部屋にVR専用ゲーム部屋を借りて、そこで遊び倒していた。お姉さまには悪いけど、ゲームに人生をかけている私にとっては死活問題なの!

 寧々のような一般的大学生とは違い、レポートが~単位が~と悩む必要は無問題。

 私はお兄さまのお陰でお金に不自由なく暮らしている。そんな私は一般的認識ではニート。カッコよく言うと自宅警備員任に就いていた。別に働かなくてもいきていくためのお金があるんだから問題ないでしょう?


 しかしそんな生活も祐美さんがやってきた事で終局を迎えた。

 私のハッピーなニート生活を維持するのが難しくなったのだ。

 彼女はコミュニケーション万能、家事万能と非の打ち所がない完璧な人だった。

 同じお嬢様としてカテゴライズされた私達。一体どこでこんなにも差がついてしまったのか。

 当初は眩し過ぎて辛く当たってしまった事もあった。

 けど彼女の誠実さについには私は敗北を認めてしまう。


 そんな負け犬の私にも彼女は本当の妹のように接してくれて、何を小さい事で葛藤していたのかと、張り合うのが馬鹿馬鹿しくなってしまったんだ。


 今ではすっかりといなくてはならない家族の一人になっています。呼び方も祐美さんからお姉さまと改めて、今の私達の生活がある。



「琴子~そろそろ行こうよ。あたしお腹が限界だよ~」



 ここにもお姉さまの魅力に取り憑かれた哀れな子羊が一匹。無理もありません。何と言ってもわがままお嬢様と自覚している私でさえこの有様なのですから。



「それじゃあそろそろ行こっか?」

「うん、行こう行こう」



 荷物を持って、部屋を出る。

 一応遊びに出かけている前提なので身軽過ぎてもダメなのだ。

 インターホンを押すとすぐに扉が開けられた。



「おかえりなさい、琴子ちゃん。寧々さん」



 お姉さまが顔をひょっこり出して安心したように声をかけてくる。少しお疲れなのかしら? 顔色が少し悪いように見える。



「ただいまお姉さま」

「今日もお邪魔しに来ました」

「まぁ、ごゆっくりしていってくださいね」

「えへへ、ありがとうございます。もうここへ住んじゃいたいくらい気に入りました!」

「こーら、寧々。変な事言わないの!」

「まぁ。私も寧々さんのような楽しい妹が欲しかったのでちょうど良かったです」

「えへへ~」

「もう、お姉さま! こんなに煩い妹が増えたら私は安眠できませんわ!」

「まぁ、それは困ったわ。琴子ちゃんも大切な妹なのでどうしようかしら」

「だったらあたしが琴子のお姉さんになったげる! そうしたら問題解決じゃない?」

「そういう問題でもなーーい!」



 いつもの笑顔。いつもの対応。

 でも少しだけ表情が強張って見えた。

 反応が遅く、少し間が空く。

 その間が不安をかき立てていく。

 どうしたのでしょうか?

 少しお疲れに? それとなく聞いて見ましたら、お兄さまに昨晩寝かせてもらえなかった事を理由にしていました。

 毎晩悩ましいほどに激しくされていますものね。妙に納得すると同時に、顔が赤くなっていきます。

 ちょっと寧々、そのにやけ面をやめなさい!


 昼食を頂いた後はのんべんだらりとリラックスタイム。今回は前回とは違って多めに時間を取って伝えてあります。

 寧々がゴネたので前回より1時間多くゆったりできます。

 ですがいつもニコニコ微笑んでいたお姉さまはお疲れのご様子。



「お姉さま、お疲れでしたら無理に私達にお付き合いしなくても、少し横になられては?」

「あら、気を遣わせちゃった? でも大丈夫よ。こういうものは動いていた方が落ち着くの」

「あたし達が気になるんですよ~」

「そうです、寧々の言う通り。お兄さまにも後で無理をさせないでほしいと言っておきますから。ささ、お姉さまはどうぞお休みになってください」

「そう? ごめんなさいね、お構いもできないで。やっぱり起き上がってるのも辛いみたい。少し横にならせてもらうわ」

「何かあったらいつでも頼ってくださいね!」

「ありがとう、寧々さん。その気遣いだけでも嬉しいわ。それじゃあ琴子ちゃん、後は頼むわね。少しお休みしたら元気になると思うから」

「はい。ごゆっくりお休みください」



 そう言ってお姉さまは以前使っていらした個室に入り、内側からロックをかける。

 おかしい。

 その部屋はリラクゼーション用のVRマシンと、お仕事用のパソコンしかなかった筈ですよね?

 VRマシンはたしかに体は休まりますが、見るからに神経が疲れている時に活用するのはあまり推奨されていないのはお姉さまもご存知のはず。

 なんといってもお姉さまのお父上の会社ですもの。一人娘で、その系列会社の社長をなされていたお姉さまが存じ上げないはずがありません。



「お姉さま、どうされたのかしら?」

「何が? お疲れだからお休みしてるんでしょ。すぐに元気な祐美さんになって戻ってくるよ」

「違うの、あの部屋は……」



 寧々にその部屋に備え付けてある諸々を話す。



「確かにそれは変だね。リラクゼーションソフトでも精神的ケアはあまり解消されないと小耳に挟んだ事があるし」

「でしょう? どこかでトラブルに巻き込まれてるのかしら?」

「でも祐美さんて専業主婦でしょ?」

「うん。食材も届けて貰ってるし、洗濯はクリーニング」

「それじゃあVRトラブル?」

「え? それはないって。お姉さまは私達の前では暇そうにしてるけど、私におんなじことをやれって言われたら悲鳴をあげるぐらい多くのことをこなしているのよ? それぐらい主婦って大変なの。だからそれの疲れがたまっているのではない?」

「ん~それもそうかぁ」



 寧々は天井を見上げながらお姉さまのお手製ドーナツに手を伸ばすと一口食べて歯型をつけた。



「でも何が原因なんだろ?」

「それがわからないから困っているんじゃない」

「そこをケアするのが妹の役目でしょう?」

「うぅ、そうだけどぉ」

「祐美さんのこと大好きでしょ?」

「うん、好き」

「それじゃあ頑張ろうよ。あたしも協力するから」

「ありがとう、寧々」

「気にすんなって。あんたとあたしの仲じゃない。

 それに……あたしも祐美さんの妹候補として協力するんだからさ」

「こいつめー、このポジションは誰にも譲らないぞー!」

「あはは、その調子で頑張って」

「うぅ、調子狂うなぁ」




 寧々はそう言うけれど、私は悪い予感が胸中に渦巻いていた。

 お兄さま、いつまでも昔の女の尻を追いかけてばかりではダメですよ。

 お姉さまはもうお兄さましか頼れる人がいないんですから。だから……


 私は硬い誓いを立て、ログインする。

 今度こそお兄さまを惑わす悪い虫を追い払ってやるんだと。



「ミュウ、悪いけどアンタには悪者になってもらうわよ」



 それがお兄さま、強いてはお姉さまの為になると信じて。私はお気に入りの吸血姫のアバターを身に纏い、強い信念を宿してアジトに向かった。

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