深紅の水を飲んだら色んな意味で変わりました

 石造りの部屋で、僕は憂鬱に打ちひしがれながら、イスに座ったままうなだれていた。なぜなら今日で僕はマジックバトル10連敗。バトルウィザードのキャリアでまさかの0勝10敗である。ロキ国最強のバケモノを倒す勇者になりたくてウィザードになったのに、現実はただのダメウィザード。正直絶望しかない。

「はあ……どうやったら勝てるんだ、どうやったら勝てるんだ。敵に何かアクシデントでも来てくれたらいいのになあ。実は高熱でフラフラとか、実はこっそり呪いをかけられて魔法が使えない、とか、そういうアクシデント的なことがあったら僕でも勝てるのにな」

 と他力本願なことを考えていた。しかしここに出てくる相手はみんな真剣。コンディションを整えてくることが当たり前だ。一方、この日の僕は正直朝からちょっと頭が痛かった。0勝9敗の分際でそんなコンディションで出て行けば、負けの数が2ケタになることなど目に見えていたわけか。

「もう負けたくないよ……。でもどうやって会って相手強いしな。僕の攻撃全然通用しないしな。こんなのが10回続くなんて思わなかったよ。もう嫌になっちゃうよ。バトルウィザードやめようかな」

 頭を抱えた僕がそこまでつぶやいたときだった。

「強くなる方法、知ってる」

 ひとりぼっちだったはずの控え室に、女子らしき声が聞こえた。条件反射的に顔を上げると、銀色に輝くローブを身にまとった女子の姿があった。しかも優しそうで端正な顔立ちをしていて、まるで天使が到来したみたいだ。

「私、メアリー、アルジェルとしてこの世界に生きているわ」

「アルジェル?」

「見てのとおり」

 メアリーは自身の服装を見せびらかすように両手を広げた。そのときの表情は無邪気な笑みに包まれていた。

「かわいい……」

 メアリーの表情を見て、僕の口から言葉が漏れた。

「ありがとう」

 彼女も褒め言葉を聞いてまんざらでない様子だった。

「早速本題に入るけど、何か悩んでいるみたいね」

「えっ、何で知っているの?」

 いきなり核心をつく質問に僕はうろたえた。

「だってこんな体勢でいたでしょ」

 メアリーは地べたに座りながら、さっきまでの僕のような頭を抱える姿勢を取った。

「そ、そりゃそうだよ。だって、マジックバトルに全然勝てないんだもん」

「へえ、そりゃ大変ね」

 メアリーは僕に同情するような素振りを見せた。

「でも私が来たからもう大丈夫。その悩み、解決方法があるわよ」

「えっ、本当?」

 僕はメアリーに興味を示した。

「当たり前じゃない」

 メアリーは後ろを向くと、壁に向かって大げさに体を揺すりながら歩き始めた。

「これまで2200人ぐらいの悩みに寄り添って、解決したアルジェルなんだから」

 2200人という大ざっぱなようでリアリティのある人数が気になった。それって本当なのか。

「これでどう?」

 メアリーは急に振り向くと、僕に一杯のコップを見せた。中には謎めいた深紅の液体。まるで誰かが流した血のようにも感じられた。いずれにしても突然現れたコップに僕は戸惑っていた。彼女のローブにはボタンもポケットもなく、仮に最初からあの中に隠していれば形がくっきりと出てしまう。一体どうやって取り出したんだ。

「さあ、これを飲んですっきりしよう」

 メアリーが優しい眼差しをした表情を傾けつつ、コップとともに間近に迫った。僕はおそるおそる震える手でコップを受け取った。やっぱり誰かの血液みたい。どんな味がするのか不安で仕方ない。

「いただきます」

「どうぞ」

 メアリーは無邪気に微笑みながら、一歩後退した。僕は彼女を見つめながら、深紅の液体を一口含んだ。

「何だこの味は?」

 僕が思わずつぶやいた。

「お気に召した?」

 メアリーがちょっと不安そうに問いかけてきた。

「とっても美味しい。心が癒されるような味が広がっていく。気分が一気に晴れる感じだ。なんだかクセになるな」

 僕はそう語ったあと、残りの水を勢い任せにゴクリ、ゴクリと口へ流し込んだ。気がつけば、コップは空っぽになっていた。

「お味はいかが?」

「と、とっても美味しかった」

 僕はドキドキしながらメアリーにコップを返した。彼女のコップを取ろうとした手が触れて、心臓が弾けそうな感じがした。

「それはよかった。これであなたに嬉しいことがあるといいわね」

 メアリーはそう告げると、もう要は終わったとばかりに床から足を浮かせ、壁へと突っ込んでいった。彼女の体は見事に壁をすり抜け、跡形もなく消えてしまった。

 一体この時間は何だったんだ?


---


 翌日、マジックバトルの練習中に僕は衝撃の光景を目の当たりにする。

「……勝った」

 練習試合とはいえ、僕は相手を倒したのだ。大の字に倒れた相手の男子ウィザードの周囲には、地面が黒く焼け焦げていた。いつもは僕がその場所で倒れているはずだったのに、今日は僕が倒した倒す立場だった。それは現実であることを確かめるや、無性に嬉しくなった。

「やったああああああああああっ!」

 僕は人目もはばからず喜びを爆発させた。


 上がったテンションを抑えられないまま、僕は寮の廊下を歩いていた。途中の大広間にさしかかったときだった。

「アドルフ」

 誰かに呼び止められた僕は広間の方を向いた。あのメアリーが地面からわずかに浮き上がりながら僕にスマイルを見せていた。

「もしかして、あの赤い水が聞いちゃったのかな?」

「やっぱりそうなの?」

 僕は食い入るように反応すると彼女の目の前に駆け寄った。

「そうそう、あれ飲んだ人って、なんか知らないけど吹っ切れたみたいに強くなっちゃうのよね~、もう一杯飲む?」

 メアリーは背中から再びあのコップを差し出した。赤い水の量はあの日とほとんど変わっていない。

「今はいいや」

 僕は断ってその場を立ち去ろうとした。しかし二歩ぐらい下がったところで、なぜか体が動かなくなった。というより、赤い水を飲まずに立ち去ってはいけないような気配を強く感じて、この場を立ち去ろうか迷っていたのかもしれない。

 何よりも今はやたら喉が渇いていて、あの水を逃したら、しばらくスッキリできない気がした。

「こういう貴重ないただきもの、一度逃すともう一生飲めないかもしれないよ?」

 メアリーが首をかしげながら、少しトーンを落として僕を誘ってきた。彼女の可憐なオーラに引き寄せられるかのごとく、僕はそのコップを取った。

「いただきます」

「めしあがれ」

 メアリーの朗らかな笑顔を一瞬だけ見つめると、僕は勢い任せにコップの中身を飲み干した。やっぱり美味しい。そしてさらに気分が晴れるような気がした。何だか僕は神からの救済を受けたみたいだった。

「どうもありがとう」

「どういたしまして」

 コップを受け取ったメアリーが、屈託ない笑顔でお礼を返した。

「それじゃあ僕は部屋に戻るね」

「頑張ってね~」

 メアリーはどこか呑気な調子で見送りの言葉をかけてきた。


「勝者……アドルフ・ヴィクター・スコット=メルヴィル!」

 僕は日に日に自身の魔力が強くなっていくのを感じた。この日もえぐれた床のど真ん中で、僕の練習試合の相手が倒れていた。

「この狼もどき、すげえ」

 練習試合を見ていたウィザードの一人の言葉で、僕はハッとした。自身の顔を触ってみる。なぜか毛深い。まばらながら顔のいたるところに毛が生えているみたいだ。

 やっぱり?確かに朝起きた時から違和感があるような気はしたが、僕の見た目はそこまでひどいか?

 念のため頭のてっぺんも触ってみる。動物の耳らしきものが生えた感じがする。

「アドルフ……か?」

「はい」

 マジックバトルのコーチであるフランク・G・ゲインズボロー先生が僕に歩み寄った。フランクは不思議そうに僕の顔をのぞき込む。まさか、あの真紅の水を飲んだことがここでバレてしまうのか?

「もしかして、自分に変な魔法でもかけたか?」

 その質問は僕の心を震え上がらせた。

「自分に狼になるように命じたのかな?そうすれば今までとは違った強い自分になるから。はっきり言うが、狼になったからといって強くなるわけじゃない。魔法を鍛えたから強くなることはわかってるよな?」

 僕は狼になることを望んだわけではなかった。しかしゲインズボロー先生には、どうやら僕が強くなりたいあまり、見た目から入ろうとして自身に狼的なルックスになれる魔法をかけたと思っているようだ。

「まあその感じだと、10連敗の後から大分鍛えたようだな。これから期待しているぞ。3日後にまた試合だからな」

「わかりました」

 とりあえず深紅の水の話が出なかったことに僕は胸をなで下ろした。ただ、そろそろあの水はやめないと、ろくなことにならないとも思っていた。


 しばらくメアリーとのコミュニケーションは自粛だ。


---


 次の日も僕は、寮の階段の裏側で、コップの中身を飲み干していた。

「だんだんモンスターっぽくなってきてるわね」

 メアリーの優しい声を聞きながら、僕はコップが空っぽになったのを確かめた。コップの底には、紅の一滴が残っていた。

「はい、どうもありがとう」

「ああ、とりあえずどういたしまして」

 背中に重々しい背徳感を覚えながら、僕はメアリーにコップを返した。

「ところで次の試合はいつ?」

「2日後」

「わかった。試合になったら応援に駆けつけるから。じゃあね」

 そう言ってメアリーは階段の裏側の真向かいにある壁をすり抜けながら、この場所を飛び去った。


 その日の練習で、僕はエネルギーがさらに強くなっていることを感じた。とうとう練習試合の相手を巨大な魔法弾ひとつで、壁を突き破って屋外を吹っ飛ばしてしまったのだ。魔法弾の衝撃で練習場の壁は、巨大な岩が通ったような穴が空き、ウィザードたちは対戦相手を心配して、その穴からこぞって彼の介抱に向かった。

 ゲインズボローコーチが呆然とする僕の顔をのぞき込み、「随分毛深くなったな。もはや狼と何も変わらないぞ」とコメントしてから、ウィザードたちの後を追った。


 次の日、つまり試合前日。

 僕は例の水を求めて、寮中をふらふらと歩き回っていた。1階から3階まで行き来し、あらゆる教室をのぞき込んだが、メアリーはいなかった。僕の喉はまるで砂漠に長時間いたかのように渇ききっていた。

 仕方がないので誰もいない魔法調合薬の水道を借り、そこから水分を補給する。しかし、水が流れたはずの喉の中は、ものの数秒で異常な渇きに再び襲われた。


 この日の僕は、凄まじい喉の渇きで遠のく意識と戦いながら、ずっと教室中をさまよっていた。


 翌日、つまり試合当日。

 目が覚めると僕は廊下の角にある物陰でうずくまっていた。この日が試合当日と気づくと、僕は慌てて立ち上がる。異常な喉の渇きは相変わらずだった。


 それでも僕はマジックバトル初勝利のためと必死に堪えながら、コロシアムに入った。しかし喉の渇きのせいで、息が苦しい。飢えに耐えることに体力を使いすぎてしまった感じがする。

「君がアドルフだね?もうすぐ出番だよ」

 コロシアムの係員にそう告げられても、僕は相槌を打つのが精一杯だった。

「どうした?体調が悪いのか?」

「いや、大丈夫です」

 僕は背筋を伸ばして精一杯強がった。係員は僕を見上げながら、どこか恐れ多いような表情を見せつつ、駆け足でその場を去った。

「ここにいたんだ」

 聞き覚えのある女子の声にハッとして振り向いた。案の定そこにはメアリーがいた。右手を背中の陰に隠していたので、僕はまさかと思い、その手をつかんでこちらに寄せた。

「やっぱり!」

「えっ?」

 メアリーは戸惑っていたが、まぎれもなくその手には深紅の水を入れたコップが握られていた。僕はそいつをメアリーの手から引きはがすと、がっつくように飲み干した。真実の癒やしにさんざん飢えていた反動か、深紅の水が喉元を流れていくのを感じると、自分が神様に救われたような感じがした。僕は無意識にメアリーに笑いかけた。

「大丈夫?」

「ああ、僕は……」

 「僕は大丈夫」と言いたかった。でもなぜかその言葉が口にできなくなっていた。体の奥から、凄まじいエネルギーが湧き上がるのを感じたからである。そのエネルギーは、まるで大事を揺り動かすかのような勢いで、僕の体内をえぐるように膨らんでいった。

 人知を超えた力の芽生えを全身で感じていると、一気に目の前が真っ白になった……。


---


「うわあ、これは絶対ダメだね」

 メアリーとは違う可憐な女子が四角い枠の中に映った怪物を冷静に見つめていた。

「ちょっと、見てる?あれ、アンタだよ?」

 うん、ちゃんとこの目で見てるよ。コロシアムを破壊する、狼のような怪獣の姿を。僕はコロシアムのど真ん中で大地を揺るがすほどの雄叫びを上げていた。腕を振るい、足で踏みつぶすことで会場を壊しまくっていたのだ。僕はその場に座り込みながら、枠の中に目を奪われていた。


「そりゃ、ああなるわ。メアリーちゃんの深紅の水の危険性、ちゃんと把握していたの?」

 女子の冷たいダメ出しに、僕は気まずさでは済まない感情を覚えていた。

「……すみません」

「いや、謝るなら私じゃなくて、 ロカ国の面々でしょ」

 女子は冷静にツッコみながら、再び四角い枠に目を向けた。

「アルジェルって、天使の皮を被った悪魔よ。いろんな世界で暗躍して、深紅の薬水『ティプロス』をいろんな人たちに飲ませている」

「ティプロス?」

「でもその薬って、強くなる代わりに日が進むにつれてモンスターになっていく。しかも一回飲んだら、ほかに何を食べても、何を飲んでも強烈な喉の渇きが収まらなくなって、またティプロスを飲んでの繰り返しにはまる。そうしてアンタはあんなモンスターになった」

 メアリーの深紅の水の正体に、僕は愕然とした。

「いやあ、アンタの前で言うのもなんだけど、ロカ国にアルティメットウィザードがいてよかったね。この場面の次の日、6人の勇ましき仲間を引き連れてアンタを撃退したわけだから」

 事の重大さを知った僕の前でも、謎の女子は異様なくらい冷静な態度で、僕の終焉を語った。

「で、僕はここにいるわけ?」

「あの狼が倒されたイコール、アンタの魂はここにある。ここはワールドターミナル。死した者が別世界への転生を求めて行き交う、『世界間交通所』」。

 謎の女子が説明するとおり、この場所ではさまざまな世界からやってきた、死後の人たちが、広場の日常のように行き交っていた。真っ白な世界のあちこちに、不可思議な模様が渦巻く入り口があった。

「そしてアンタは、この私、世界間案内人のセリーナのアシスト役よ」

「いつの間に?」

 僕は思わず立ち上がり、セリーナに憤りの声を上げた。

「たった今から、あんな化け物になってロカ国をめちゃめちゃにした代償として、115年間ワールドターミナルで奉仕活動をしてもらうから」

「長すぎるよ、115年間も生きてられないよ!」

「生きてられないでしょうね、ここにいる人はみんな死んじゃっているから。心配しないで、アンタの体も115年間ずっとそのまま。おじいちゃんにはならないから」

「そういう問題じゃないだろ……」

 セリーナからの非情な宣告を聞いて、僕は世界全体に見放された気持ちになった。


 ……こんな人生ならウィザードとして100連敗した方がマシだ。


(完)

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