僕の頭に赤い花が咲いたんだが

 異世界転生からもうすぐ1年。自慢に値する英雄伝もなければ、最下位クラスのダメ魔法使いの烙印を押されたわけでもない。魔法学校の「その他大勢」に埋もれた異世界生活に退屈さを感じながら、僕は湖で釣りをしていた。やたら透き通るほどきれいな水に、けだるそうな僕の表情が映る。

 何の前触れもなく、釣り竿の先が何かに食いついたようで、急にしなり始めた。僕は慌てて竿のリールを巻き始める。まさか、大物が釣れたのか!? 期待に胸を躍らせて、僕は必死で獲物を引き上げようとした。

 釣竿に引っかかったターゲットが、湖から姿を現す。


「何これ?」

 僕は釣り針に引っかかった捕り物を見て、喜ぶべきか悲しむべきかわからなくなった。壁画の女性のような顔が描かれた壺の取っ手に、僕の釣り針が引っかかったのだった。

 とりあえず重かったから、そいつを草地におろした。見事に壺も底から着地してくれた。釣り針を外して竿を置き、中身を確かめようとしたときだった。

 いきなり壺から怪しい煙が放たれた。僕は慌てて鼻と口を塞ぎながら後ずさりした。煙は赤紫色で、吸い込むと体を害しそうな気がした。煙が晴れると中から空中に漂う妖精が現れた。

「ふう……」

 僕の手のひらと同じくらいのサイズしかない妖精がため息をつく。黒い長髪は先端がゆるくカールしており、丸々とした目元からはしっかり者で明るい女の子って印象を感じる。黒を基調に割合大きめの赤いリボンがついたメイドドレスっぽい服をまとっていた。とりあえず僕はたった今、妖精が眠る壺を釣ったわけか。


「あの、すみません」

 僕は妖精のもとへ四つん這いのまま近づいた。妖精は突如、僕の顔に強烈な吐息を吹きかけた。色みは壺から出た煙と全然変わらず、僕の全身を包み込むほどの量だった。不意の一撃に今度はまともに煙を吸ってしまった。

 煙が晴れると僕は目を開き、再び妖精と向き合った。

「とりあえずアンタにおまじないかけといた」

「おまじないって、どんな?」

「そこにあるよ」

 妖精は僕の頭の上を指差した。

「あっ、急に触っちゃダメ。とりあえず湖を見てみたら?」

 そう促されて僕は湖に顔を向けた。

「な、何これ?」

「頭にお花、生やしちゃった」

 妖精の言葉どおり、僕の頭からは深紅の花が咲いていた。葉の形を織りなした花弁が何枚にもわたり、花冠を囲っていた。そして根本も見事なクリムゾンである。せめてそこは緑じゃないのか。とにかく湖には花とともに、呆然とした僕の表情までくっきりと写っていた。

 僕は慌てて花を頭から引っこ抜こうとした。しかし、抜けない。それどころか頭皮がまともに引っ張られた感じがして「アイタタタタ」と悶えるハメになった。

「自力で引っこ抜こうとしたって無駄よ」

 妖精が冷やかすように言い放った。僕がそっちを向くと、彼女は口元に両手を添えつつ、無邪気にクスクスと笑っていた。

「申し遅れました、どうもリアベルです。一応フォーレリーやってます」

 おしとやかそうな見た目とは裏腹ななれなれしい自己紹介だった。

「フォーレリー?どんな職業?」

「職業というか、私、天空世界『ペルシス』で妖精していたんだけど、悪いことしちゃって神様怒らせて追い出されちゃった」

 ってことは堕天使の妖精版ってか。じゃあこのおまじないももしや呪いに近いやつか?そう思うと血の気が引く思いがした。どおりで服装が黒っぽいわけだよ。

「まあ、その花つけてたら色々あると思うけど、頑張って」

 味気ないエールを残しながら彼女は自ら体を回転させ、小さな竜巻のように起きた赤紫色の煙に包まれて、壺へ舞い戻っていく。

「ちょっと待って、色々って何だよ」

 その答えを聞けないまま、煙は壷へと収まる。

「あと、その花、紫色のもの見たらキレるから~」

 壺の中からリアベルの声が響く。謎めいた予告が僕の恐怖感をさらにあおる。直後に壺が独りでに湖へ飛び込んでは沈んでいった。

 とりあえず、紫色のものが嫌いすぎる花を頭に生やしてしまった僕。この先の異世界生活には不安しか見出せなかった。


 魔法学校の寮に戻り、ほかの生徒たちと食堂で夕食を摂っていたときだった。僕がスープをすすっていたとき、頭の上でそのスープを思いっきりズルズルと吸い込むような音が聞こえた。

「おい、何やってんだ!」

「えっ!?」

 左隣の生徒がいきなり僕に怒ってきた。僕は何が起こったのかさっぱりわからなかった。

「俺のスープ勝手に飲んでんじゃねえよ、泥棒!」

「いや、僕じゃないんですけど」

「ほら、今度はそっちのスープを勝手に飲んでるだろ!」

 怒った男子生徒が向こう側を指差す。確かに頭の上で再びスープをすする音が聞こえる。何事かと思い、彼が指差した方を向いたら、右隣の女子生徒のスープが吸い上げられ、その軌道が僕の頭の上へ向かっていた。

「ちょっと!」

 女子生徒が怒るとスープの流れが止まる。彼女は立ち上がり、「スープ泥棒、最低!」と問答無用で僕をひっぱたいた。

「だから僕じゃないって!」

 僕は人目もはばからず魂の叫びを上げてしまった。


 翌日も次の授業の教室に向かうべく廊下を歩いていたら、突然頭に咲いた花が前方へ伸びていった。何事かと思っていたら、その花は左斜め前の女子生徒のスカートに自ら花弁をひっかけ、頭を上げようとした。スカートがせり上がり始めるや否や、女子は「きゃあっ!」とスカートをつかんで押さえる。何とか深紅の花からスカートを引き離し、中身が見える異常事態は免れた。

「アンタね、変態!どうせ自分に呪いをかけて、その花に色々けしかけてるんでしょ!」

 衝撃的な言いがかりに僕は唖然とした。

「だから、僕がこの花に命じたわけじゃ……!」

 女子の強烈な平手打ちが弁解の余地を与えなかった。


 変化魔法の実技授業では、実技教室の中心にある円状の教壇に中年の先生が立っていた。

「それでは、ターゲットを紹介しよう。アッパレット、テスタ!」

 先生の呼びかけで、彼の目の前に貝殻が現れた。といってもそのサイズはでかい。5歳児一人ぐらいなら中にすっぽり入ってしまいそうである。

「それではこの貝殻の色を変えてみよう。それじゃあ、最初はアシュリー」

 先生に呼ばれるままアシュリーが立ち上がり、教壇に上がった。

「それじゃあ、プルプラ!」

 彼女の掛け声が、僕にある記憶を呼び起こした。それはあのときリアベルが壺の中で放った言葉だった。

「その花、紫色のもの見たらキレるから~」

 そう言って壺ごと湖に戻っていたリアベルの姿が夢じゃないなら、そして僕の記憶が確かであれば、壮絶にヤバイ状況が唐突に訪れている。プルプラはラテン語で「紫」。僕が彼女を止める間もなく、貝殻は紫色に変わってしまった。


 その瞬間、僕の頭の上で花がその身を揺すりはじめた。その異変に周囲がざわつき始める。僕はもはや打つ手がないと思いながら、せめて小規模の被害で済んでくれと祈った。しかしその願いもむなしく、僕の頭の上から深紅の光線が貝殻に放たれた。貝殻は無抵抗のまま光線を浴び、粉々に弾け飛んだ。突然の爆発に僕も含め、みんな床に伏せた。


 静まり返った教室で僕はかすかに身を起こす。教壇にはわずかな貝殻の破片と、そこかしこに漂う煙しか残っていなかった。先生とアシュリーは僕の花が攻撃する直前に教壇を飛び降り、なんとか身を守ったようで、その陰からおそるおそる惨状を眺めていた。

 しかし頭の花は容赦なく、今度は赤いオーラをまとった風を送り込み、紫色のかけらをひとつ残らず教壇から吹き飛ばしていく。強い風は教壇の向こう側の生徒たちにも及び、そこらから悲鳴が聞こえた。僕はなすすべなく、風にさらされる者たちに申し訳ない思いに包まれていた。


 そんな日から1週間後。学校の広間を横切る僕の頭にはしっかりと花が咲いている。マジで何とかならないのかと辟易していた。また花の先が誰かのスカートに引っかかってしまう前に、僕は小走りで廊下を駆けていく。落ち着く場所を求めて、途中にあった扉から裏庭へ出たときだった。そのとき、女子の嫌がっているっぽい声が聞こえたので、そっちを向いた。


 一人の女子が、いかにも悪そうな男子生徒が持っている鎖に体を巻きつけられている。なぜか全く理解できなかった。

「朝メシのとき、デルフィヌスに色目使ってたな。オレの気持ちはガン無視か?」

「何よ、ちょっとぐらい他の男の子と会話ぐらいしてもいいでしょう。それにデルフィヌスは彼の方から私の目の前に座って話しかけてきただけよ」

「そもそも朝メシのときオレの隣にいなかった時点でおかしいよな」

「何で?付き合っていたらいつもベッタリしていなきゃいけないわけ?」

「それが交際ってもんだろ!」

 どうやらこのワル、いかにも束縛魔のようだ。女子には痛いほど同情する。それにしても気まずい場面に出くわしてしまった。そう思ったらワルは鎖を持ったままこちらに歩み寄ってきた。

「てめえ、何見てんだよ?」

 マズい、絡まれた。

「ああ、何だこいつ?」

 ワルはいきなり赤い花をつかみ、引っこ抜こうとしてきた。頭皮がきつく引っ張られて激痛が走る。

「痛い、痛い、ちょっとやめてもらえますか?」

 僕は苦し紛れにそう言うのが精一杯だった。

「ちょっと、やめてあげなよ」

「うるせえ!お前は黙ってろ!」

 ワルは女子を不条理に一喝した。そのとき、女子の方を向いた彼のローブの背中部分に、猛牛の頭のような紋章があった。そしてその色は、れっきとした紫だった。

 頭の上が慌ただしくなった。花はいきなりそいつの背中に真っ赤なエネルギーの弾を放った。

「いって!」

 ワルが思わず前のめりに倒れる。しかしすぐに起き上がって僕に鬼の形相を向けた。

「てめえ、何しやがった!?」

 ワルに胸ぐらを掴まれ、僕は生きた心地がしなかった。次の瞬間、僕の頭上から謎の赤い液体が飛び出し、ワルの左目にかかった。

「ああっ、目が、目があああああっ!」

 その場をのたうち回るワル。しかし液体がかかった目を押さえながら立ち上がったそいつは、怒りに身を任せるように僕の頭上の花をわしづかみにした。

「わけわかんねえもん生やしやがって、こんなもんズタズタにして、お前もぶっ潰してやる!」

 強烈な脅しと腕力が赤い花を襲う。ワルはこれでもかとばかりに花を揺さぶり、引っこ抜こうとした。その間も花が光線を放っているような音を聞かせるが、ワルは僕から一向に離れようとしなかった。

「ハハッ、花冠を上に向けてやればこっちのもんよ。どんなやべえもん撃ってきたって当たりゃしねえからな」

 自信満々なワル。液体でくらんだはずの目が少しずつ開き、視界を取り戻したようだった。あの液体は色が赤いだけの水でしかなかったってか。このままでは花どころか、僕の身が持たないと思った。僕は懐から杖を取り出し、攻撃の決心を固めた。

「エクスフェラム!」

 僕がそう唱えると、杖から魔法のエネルギーで作られた拳が飛び出し、至近距離でワルの腹にめり込んだ。

「うっ!」

 ぶっ飛んだワルは遠くまで転がる。彼の手が鎖から離れていることに気づいた女子がそれを自分の方へたぐり寄せていく。

「おい、それはオレのものだ、返せ!」

 ブチ切れた少年が女子の方へ走る。

「デフレクタス!」

 僕はカウンターのごとく少年に杖を差し向けた。するとワルは強制的に90度方向転換した。紫の闘牛の紋章が再び花の視界に入った。花は問答無用で、先ほどより二回りぐらい大きなエネルギーの弾を放った。

「ぐあああああっ!」

 まともに直撃を受けたワルが吹っ飛ぶ。こちらを見たときは遠巻きながら、花に脅威を感じて戦意を失った様子だった。

「くそ、お前ら、覚えてろ!」

 精一杯の捨て台詞を吐いて、ワルは逃げ去った。

「大丈夫ですか?」

「ええ、ありがとうございます。私はディオンヌ・ウッドフォードです」

「天羽竜大です」

「素敵なお花」

 ディオンヌは僕に感謝しきりの様子で、花を見つめていた。花は上機嫌になったのか、彼女に向けてきらびやかなダストを振りまいた。ディオンヌは祝福されたような気持ちになったか、屈託ない笑みを見せた。

 僕は頭の上に目を動かした。最初はなんて迷惑なお花かと思ったが、それだけじゃないとわかり、どう考えていいか迷った。

「あなたの花って、とても役に立つわね」

 ディオンヌの花を称える一言で、僕は神様に救われたような気分になった。

「こんな花を咲かせた僕でも、いい人って認めてくれるの?」

「はい、あの束縛魔のワルから、私を救ってくれたんだから」

「ありがとうございます」

 僕はディオンヌに素早く頭を下げた。顔を上げると、女子は純粋な笑みで僕を迎えていた。

「こちらこそ、ありがとう。あなたと友達になりたい」

「いいの?」

 ディオンヌの突然の申し出に僕は戸惑った。

「じゃあ、僕、ディオンヌの友達になってあげる」

「良かった。それじゃあ、中へ戻ろう」

 彼女にうながされるように、僕も校舎へ歩みを進める。ディオンヌに先んじて扉を開き、校舎に入れてあげた。僕も中へ入ると、誰もいなくなった裏庭の方へ小さくガッツポーズを決めてから扉を閉めた。


 頭に赤い花を咲かせて異世界生活するのも、悪くないかもね。


(完)

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