第23話 紗季の秘密 その3
九月に入ると、身の周りが一気に慌ただしくなった。学園祭の手伝いに加え、バイト先の天文台の仕事やら、たまに駆り出されるいろはでの仕事やらで忙殺される毎日が続いていた。
そして学園祭当日。
まだ夏の気配が残る青空に花火が打ち上げられると、校内にいた生徒たちが、大きく湧き上がった。
学園祭開始の合図だった。
入場ゲートが開かれると、ぞくぞくとお客が流れ込んでいった。
俺もその中に混じって歩いていると「先輩」と声をかけられた。
「おはよう先輩。今日は寝坊しなかったんだね」
真衣奈が笑みを浮かべながら近づいてきた。あと今日はは余計なお世話だ。それじゃあまるで、俺がいつも寝坊しているみたいに聞こえる。なのでささやかな抵抗とばかりに「うるさい」と返してやった。
真衣奈はいつもどおりの制服姿。なのにこういった場で会うのは初めてだったせいもあってか、少し新鮮さを感じていた。
「随分な人だな。俺のときとは大違いだ」
「ここ最近はいつもこんな感じだよ。うちの学校、地域のボランティアとかやってるから、いろんな人が来るみたい」
真衣奈の言うとおり、明らかに生徒の父兄とは違った人の姿がちらほらと見えた。屋台を運営している生徒と仲良く話をしているのを見ると、それなりに良好な関係を築いているようだった。
「それで真衣奈のクラスはなにやってるんだ?」
俺はふとした疑問を投げかけてみた。学園祭とはいえ、部活でやる出し物や屋台のほかにも、クラスでの出し物もある。実際、俺がここに通っていたころにやったプラネタリウムは、クラスの出し物としてのものだった。
「うちのクラスは喫茶店やってるよ」
「喫茶店か。ずいぶん普通だな」
というのも、真衣奈のクラスの担任は祐介さんだ。実の親子同士が同じ教室にいるのも妙な取り合わせだと思う。とはいえ、俺が言いたいのはそんなことじゃない。祐介さんが受け持つクラスだからこそ、クラスの出し物が喫茶店ということに違和感を感じたのだった。
俺のそんな様子を感じ取ったのか、真衣奈が補足とばかりに話してくれた。
「もちろん普通の喫茶店じゃないよ。特別顧問に千枝さんが入ってくれてるから」
ああ、そういうことか。その一言で合点がいった。
きっと今ごろ真衣奈のクラスは戦場になってるだろうな、きっと。
「それより、お前はここにいていいのか?」
「あ、うん。わたしは外に出てお客さんを呼び込む係だから」
「へぇ、そうか」
そう言ったのも束の間。
ガシッと腕を掴まれた。もちろん腕を絡ませてくるなんてそんな甘い雰囲気のものじゃない。
俺は真衣奈に引きずられるように校内へと引き込まれていく。
「……真衣奈さん?」
「言ったでしょ? わたしはお客さんを呼び込む係りだって」
なるほど。そういうことか。
納得すると同時に、このあとに待ち受けるであろう現実に覚悟を決めることにした。
真衣奈の通う教室から出るころには、俺のお腹は膨れ上がり、その代償に財布は薄くなった。
いくらなんでも食べさせすぎだ。
千枝さん監修の喫茶店は、喫茶店とは名ばかりの戦場とでもいったほうがしっくりくるものだった。メニューは割と普通だったのだが、その量が尋常じゃなかった。サービス精神旺盛といえば聞こえはいいが、食べきれないと料金が二倍という理不尽なルールのせいで、半ば強制的に食べきらないといけなかった。もちろん俺の場合、座るなり注文もしてないのにいろんなものが運ばれてきて、それを次々と食べないといけない状況に陥った。……なんとか食べきったが、食べきれなかったときのことを考えると背筋が凍りつく思いだ。
それでも教室の中にいた人たちは、その理不尽なルールを楽しんでいるようで、最初に頼んだメニューを食べ終わったと思ったら、追加で頼んでいる強者もいた。世の中なにが流行るのかさっぱりわからない。
天文部の出番までまだ時間があった。俺は行くあてもなく、学校内を彷徨う。
傍をこの学校の生徒らしき二人組の男子が走っていく。その姿に当時の自分の姿を重ねてみた。たかだか二年しかたってないのに、遠い日のことのように思う。
ぼんやりしながら歩いていると、知らないあいだに天文部の部室の前に来ていた。ここしばらく通っていたせいか、自然と足が向いたらしい。
部室のドアを開けると、中には誰もいなかった。
踏み入れると、何度入っても感じるすえた匂いがした。
閉められたはずのカーテンが一つだけふわりと風に凪いだ。窓が開いていたらしい。カーテンを開くと、そこは紗季が割った窓ガラスがあった場所だった。
俺とあいつが出会った場所。もし、あの時あいつが窓ガラスを割らなかったら俺たちは出会ってなかっただろう。俺たちの時間は交わることなく、お互いの存在を知らないまま卒業していた。
なあ、紗季。お前もここにいたら同じことを思うか? お前は俺と出会ったことを後悔してないか?
俺は未だ帰ってこない友人を想う。
そんな想いを遮るように天文部の出番を告げるアナウンスが響いた。
「それじゃあみんな! お疲れさまー!」
真衣奈の掛け声とともにジュースが入った紙コップが掲げられる。
学園祭は無事に終わった。心配されていた劇もなんとか事なきを得て、ようやく三年生の長かった部活動も終りを迎えた。
「それじゃあ、引退される先輩方から一言ずついただきましょう。それでは栄えあるトップバッターは我ら天文部の女神、椎名真衣奈部長よろしくお願いします」
なぜか同じく引退するはずの吉仲が丸めた台本をマイク替わりにして(なぜか小指が立ってた)各々にコメントして回っていた。
俺は彼らと少し離れたところでそれを見ていた。一応、この部のOBであり、今回の特別顧問という理由から断ったのだが、彼らの引退セレモニーに付き合うことになった。
「翔吾、お疲れだったな」
「祐介さんこそ」
肩の荷が下りたのか、祐介さんが柔和な笑みを浮かべて乾杯を申し出てきた。その瞳にわずかに涙のあとが見えた。実の娘が大役を果たしきったのだから当然だろう。
「結局、来なかったなあいつ」
祐介さんが缶ビールをあおる。祐介さんが誰のことを言ってるのか、紗季のことだ。
佳史乃さんを通じて紗季に伝えて欲しいとそう言ってあったのだ。最後の思い出になればという気持ちもこめて。
しかし、紗季は姿を現さなかった。
「もう戻ってこないのかもな」
祐介さんが諦めに似た声で言う。佳史乃さんから受けた宣告からもうすぐでひと月。彼女の言葉通りなら紗季はもう……。
「悪かったな」
唐突な言葉だった。俺は首をひねって見返した。
「長谷川のことだよ。あいつが転校した理由とか、体のこととかずっと黙ってて悪かった」
「知ってても言えなかったんだろ? それに教師がほいほいと生徒の秘密ばらしてたらクビになるぞ。その年で再就職は難しいって聞いたぞ」
気遣うように言うと「ガキに心配されるような年じゃねーよ」と笑っていた。それから「ありがとうな」と、お礼の言葉を述べた。
「それじゃあ最後に、部長のお父様でもある天文部顧問、椎名祐介先生にお言葉を頂戴したいと思います! 先生、お願いします!」
吉仲に呼ばれて景気付いた祐介さんが「任せろ!」と、みんなの輪に入っていった。俺は空になったコップを近くにあった机の上に置くと、誰にも気づかれないようにその場をあとにした。
すっかり夜の帳が落ちた空。昼間きれいに晴れていたせいか、夜になっても星がはっきりと見えた。
誰もいない屋上に寝そべり、胸ポケットの中にしまいこんだままにしていたタバコを取り出す。年齢上問題ないはずだが、場所が場所だけに妙な背徳感に駆られる。
大きく息を吸い込んで吐き出す。濃紺色した夜空に紫煙が溶け込んでいく。
目を閉じる。三年前もこうして夜空を眺めていた。
果たされることのない約束。
夏の星座が見えなくなっていく。
「ハカセ」
ふと、紗季に呼ばれた気がした。もちろんそんなことありえない。
辺りを見回しても見えるのは星空と闇。一番会いたいはずの人の姿はない。
それでも夢中になって探していた。すると、今まで鳴らなかったはずの携帯が鳴った。発信者は……紗季だった。
「もしもし?」
「……あ、ハカセだ。久しぶりだね」
電話の向こうから聞こえてきたのは、紛れもなく紗季の声だった。ひと月前までと違っていたのはその声にいつもの元気がなく、ずいぶん弱々しくなっていた。
「久しぶりじゃないだろ! お前……今までなにやってたんだ!?」
「……えへへ、なにも言わずにいなくなったことはとりあえず謝っておくよ……ごめん。ハカセは……あれからうまくやってる……?」
「俺のことはいいだろ。それよりもお前今どこにいる?」
「……その様子だと全部聞いたんだね」
「……聞いたよ。だから……だからこうして心配してんだろ!」
思わず怒鳴っていた。怒鳴るつもりなんてなかったのに。慌てて謝ろうと思ったが、紗季はひるむことなく、態度を変えなかった。
紗季の声の後ろでタタン、タタンという音が聞こえる。
「……ごめんね、ずっと黙ってて。本当はさ……ちゃんとお別れしてからいなくなるつもりだったんだ……」
「バカか! 別にいなくならなくてもいいだろ!」
「……そういうわけにはいかないよ。……わたしがいることでハカセたちに迷惑かけられないもの……。それに……ね……」
「次は
紗季の声が遠のく。俺は紗季の存在を掴もうと、必死になって叫ぶ。
「おい! 大丈夫か紗季!?」
「……聞こえてるよ……うん……なんだっけ……ああ、そうだった……。それでね……わたし……もう長くないから、できることなら笑って見送って……ほしいな……」
「縁起でもないことをいうな! それよりどこにいるんだ? 今からそっちに行くから」
「……ハカセ……どこ……? 約束……果たしにきたよ……」
そう言って紗季との通話が切れた。ツーツー、と無機質な電子音が残った。すぐにリダイヤル機能を使ってかけ直すが、聞こえてきた「おかけになった電話は──」のアナウンスに舌打ちした。
「くそっ!」
俺は屋上のフェンスに拳を打ち付けた。ガシャン! と派手な音を立てて揺れた。
こんなところで地団駄踏んでいても意味がない。それよりこれからどうするかを考えろ。改めて自分を奮い立たせる。
紗季との通話を思い出す。紗季はどこかへ向かってるようだった。
ヒントはずっと聞こえてた一定のリズムを刻む規則正しい音。これは電車が走る音だ。しかしそれだけでどの電車に乗っているのか、特定することはできない。それだけ富山の鉄道路線はある。
けれどヒントはもう一つあった。それは紗季の声とは別に聞こえた『大山寺』という名のアナウンス。これはある路線の駅名の一つだ。もしこの駅名が別の駅名だったら、紗季がどこに向かうのかわからず、途方にくれていただろう。しかし、この駅名がある路線は富山に一つしかない。そして、その路線から推測するに紗季がどこへ向かっているのか見当がついた。
俺はもう一度舌打ちをした。もしかしたら間に合わないかもしれない。不安が押し寄せてくる。それでも俺は行かなくちゃならない。
二年前果たせなかった約束を果たすために。
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