第20話 二つの想い。一つの答え。 その3
「なるほどね。最近、あの子の様子がおかしいと思ってたらそんなことが……」
俺が花火大会であったことを話すと、千枝さんが笑うでも呆れるでもなく、俺と同じようにビールを飲んでいた。
「んで、あんたはこんなところでわたしに愚痴ってる、と」
すると千枝さんが持っていたジョッキをドンッ! とカウンターに叩きつけた。
「なんでまだ返事してないのさ! 紗季ちゃんはあんたからの返事を待ってんだろ?」
「……俺は」
「いい加減にしなよ! あんただって子供じゃないんだ。わかってんだろ? 相手が自分のことをどう思っていて、自分がその相手とどうなりたいのかを」
千枝さんが強い眼差しで俺を見つめてくる。その眼差しに普段からみせるおちゃらけた雰囲気は感じられない。それどころか、答えを出そうとしない俺に腹を立てているようにさえ見えた。
「あんたさ。いつまでそうしてるつもり? いつまでも選べないって待たせるつもり? このままじゃあの子が可哀そうだよ……」
「そんなんじゃ……」
「じゃあ、なんでこうしてうじうじしてんのさ」
「そんなこと千枝さんに関係ないだろ!」
「関係ないってどういうことさ! あたしは、これでもあんたたちのことを心配して──」
「それが余計なお世話だって言ってんだろ!」
俺も、たまらず持っていたジョッキをカウンターに叩きつけた。まだ残っていた中身があふれて、カウンターを濡らした。
「……わかってるよそんなこと。でもさ……どうしたらいいかわかんないんだよ」
俺はずっと悩んでいた。
紗季から告白されたあの日からずっと。
紗季と過ごしながら、真衣奈と過ごしながら。
俺はどうなりたいのかをずっと考えていた。
きっと俺は紗季のことが好きだ。
けれどそれと同じくらいに真衣奈のことも好きだと思う。
だからこそ俺は選べない。
どちらかを選ぶということはどちらかとは一緒にいられなくなる。それは恋人としてでなくてもだ。
「……選ばないことが悪いってわかってる。いつまでも返事を出さずにいれば、ずっとこのままでいられるって……。そう思うのが卑怯だってこともわかってる。だからってどうすればいい! どうして俺なんだよ! どうしてもどちらかを選ばないといけないのかよ!」
わかってる。自分でも支離滅裂なことを言ってることぐらい。なのに、頭でそうわかっているくせに俺の心はいうことを聞いてくれない。
「わかってんだよ! ちゃんと返事をしないといけないってことぐらい。紗季の想いに答えなきゃって思ってる。けど、それと同じくらいに真衣奈のことも好きなんだ! じゃあどうすればいいんだよ! 教えてくれよ千枝さん! 俺はどうすればいい!」
俺の口からとめどなく溢れる心の痛みを俺は抑えられなかった。誰かを好きになることがこんなにも辛いってことを初めて知った。
俺がずっと抱えてきた痛み。ようやくそれを吐き出し終えると、俺は力が抜けたようにカウンターに突っ伏していた。いや、安堵から脱力していた。
「あんたの気持ちはよくわかったよ。悪かったね。焚きつけるような真似して」
「……いいよ。俺も誰かに話してすっきりしたから」
「そうかい」
優しい言葉と一緒に栓の空いたラムネが置かれていた。これは? と視線だけで聞くと「あたしからのおごりだ」と言われた。
「ま、あたしもさ、大層なこと言ってる割にはずいぶん不器用に生きてきたからねぇ。だから一生懸命な子を見ると応援したくなるのさ。もちろん、あんたもその一人だよ」
千枝さんがそっと俺の頭を撫でる。その感触がずっと昔、友達とケンカして、落ち込んでいたときに親父が撫でてくれたのと同じで、俺はたまらず泣き出していた。
「いくら悩んでもいい。いくら間違えてもいい。だけどちゃんと答えだけは出してあげて欲しい」
「……でもどうやって」
「それはあんたが考えること。もしかしたらもう答えは出てるんじゃない?」
「答え」
「そう。きっとさそれは頭で考えてもわからないけど心でならわかるんじゃない」
「……心で」
俺は選ばなきゃいけない。紗季か、真衣奈か。
そして数日後、俺は真衣奈に呼び出された。
指定された場所は、俺たちが小さなころよく遊んでいた公園だった。
「ここに来るのも久しぶりだよね」
真衣奈がコーラ片手に、ブランコに乗って揺れていた。
「お前、またコーラ飲むようになったのか」
「いろいろあってさ。たまにはいいかなって」
「そっか」
真衣奈のちょっとした変化に俺は驚いていた。たった数日会わなかっただけでこの変化だ。なにがあったのか聞いてみたい気もした。
「それより話ってなんだ」
もう少し世間話をしたかった気持ちもあったが、そうやって時間を引き延ばすことを真衣奈も俺も望んでない。唐突な気もしたが、真衣奈自身、覚悟していた風で、大きくブランコから飛び降りると、
「わたし、先輩のことが好き」
一点の曇りもない眼差しで俺に告白をした。
「ずっとずっと先輩が好きだった。もちろんこの想いは紗季さんにだって負けてない。ううん、負けたくない」
初めて真衣奈の気持ちを聞いた気がした。いや、俺が耳を傾けてなかったんだ。
真衣奈は俺のことが好きだと言った。
まっすぐな気持ちを俺に伝えてくれた。
だったら俺もちゃんと答えないといけない。
たとえ、その答えが“彼女”の望まない答えであったとしても。
「真衣奈」
俺が真衣奈の名を呼ぶと、彼女はビクッと体を震わせた。
「俺さ、お前とはお前が生まれたときからずっと一緒で、どこへ行っても、なにをするにしてもいつも隣にお前がいた。それがいつの間にかそうすることが当たり前みたいに思ってて、きっとこんな風にずっと一緒に過ごしていけるんだと思ってた。だから、ずっとお前の気持ちに気づかないフリしてた。もし、俺がお前のことを受け入れてしまったら、この関係が変わってしまいそうな気がして、すごく怖かった」
「そんなの……わたしも一緒だよ」
「だからさ、俺はお前から逃げた。お前の気持ちに気づかないフリをして、お前の気持ちを聞かないようにしていればこのままでいられるなんて、そんな甘い考えを持ってた。……そんなわけないのにな」
「バカだよね先輩。……お兄ちゃん」
「ああ、バカだよな。大バカだよ。んなことわかってんだよ。だからそれを承知で聞いて欲しい」
俺はわずかな間をとった。俺がこれから言おうとしていることは、傍から聞いてると本当にバカみたいなことだと思う。それでも俺は、ほかになんて伝えていいかなんてわからない。器用じゃないんだ。なら、器用じゃないなりにもやりかたはある。
「真衣奈。俺は……俺もお前のことが好きだ! 世界中の誰よりもお前が好きだ! お前のちょっとすました横顔も、たまにからかうと本気で怒るところも、たまに人の話を聞いてないところも、ちゃんとしているように見えて実は子供っぽいところも、努力してないように見えて人一倍努力してるところも、甘いもの食べると幸せそうな顔をするところも、案外寝顔がだらしないところも、ちょっと濃い味付けの唐揚げも、全部全部好きだ!」
「は!? なに言ってんの!?」
真衣奈が慌てふためいていた。
わかってる。これだけ恥ずかしい告白もないだろう。
「俺はお前のことが好きだ! だから改めて言う。俺と付き合ってくれ!」
真衣奈に向かって俺は手を差し出した。
これは俺のけじめだ。俺が真衣奈の気持ちから目をそらし続けていた結果だ。
それももう終わりだ。
答えは──。
「……バカ。待たせすぎだよ」
真衣奈が俺の手を取った。俺はたまらず真衣奈を抱きしめていた。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!?」
「はは、真衣奈がすぐ近くにいる」
「く、苦しいってば! 離してよ!」
真衣奈が声を荒げる。けれど離れようとはしない。
「こんなに近かったんだな俺たち」
「……うん。そうだよ」
真衣奈をもう一度ぎゅっと抱きしめる。
ここに来るまでずいぶん遠回りしたけど、離れたりしない。
俺はもう間違えたりしない。きっと──。
「そっか。それは残念だ」
真衣奈に告白したその日、俺は紗季からの返事を出した。
電話のむこうで紗季は意気消沈するでもなく、意外にもあっけらかんとしていた。
「残念って言う割には、あんまり残念そうに聞こえないな」
「そうかな? これでも振られた身としては今にも泣き出しそうなんだけどなぁ」
言葉を聞くだけならそうなんだろうと受け取ってしまいそうだが、思いのほか紗季の声は弾んでいるように聞こえた。
「そんなことよりも、真衣奈ちゃんとはどうなのさ」
「どうって?」
「告白してお互いの気持ちを確かめあったんでしょ?」
「……まぁ、そうだけど」
「キスとかした?」
「するか!」
「えー、せっかくカップルになったんだから、キスの一つや二つぐらいしたらいいじゃん」
「……もう切ってもいいか?」
「わー! 冗談! 冗談だから! ……でもさ、ハカセが真衣奈ちゃんと付き合っちゃったら、こうやって話したりする機会も少なくなるんだろうね」
「そんな淋しいこと言うなよ。真衣奈だってお前だったら許してくれるだろ」
「ハカセはそうやって浮気してくんだね」
「するか!」
なんだかどっと疲れがこみ上げてきた……。
「にしても、わたしとしては残念な結果になったけど、これはこれで望んだ結果なんだよね」
「どういうことだ?」
「わたしさ、二人のこと大好きだから、そんな二人が一緒になってくれて嬉しいんだ」
電話のむこうで紗季がどんな顔をしてるのか、顔は見えないはずなのにありありと想像できた。
「だからさ、ハカセはちゃんと真衣奈ちゃんの手を握っててあげてね」
──わたしはそれを見届けることができないから。
「え? 今なんて」
俺が聞き返す前に紗季からの通話が途切れた。
「……なんなんだ」
紗季が言い残した言葉。どういうことだ……?
「……これで良かったんだよね」
わたしは静かに携帯の通話ボタンを押した。残ったのは彼との通話時間の表示。時間にすると十分もなかった。
わたしは大きく伸びをした。硬直した筋肉がほぐれていく。
さて、最後の仕事も終わったし、もう思い残すことはない。
これで二度と彼と会うことも、話をすることもないだろう。
「バイバイ、ハカセ。真衣奈ちゃんと幸せにね」
わたしは彼がいる二〇五号室に別れを告げると、振り返ることなく歩きだした。
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