第18話 二つの想い。一つの答え その1
昼前には気温は三十度を超え、このままいくと今年一番の暑さになるだろうと額から汗を流したリポーターが、うちわ片手に伝えていた。テレビから漏れ聞こえる声が遠くに感じる。このままじゃもしかしたら脱水症状で死んでしまうだろう。まぁそのときはそのときで、このまま死んでもいいかもしれないと思っていた。
花火大会の一件以来、真衣奈とは連絡が取れなかった。
あのあと紗季から聞かされた。この街に戻ってきてから真衣奈とたびたび連絡をとっていたことを。真衣奈には俺と付き合ってないと話をしていたことを。それは嘘ではない。それを聞いた上で真衣奈は紗季に恋愛の相談をしていたそうだ。真衣奈の意中の相手は……俺だった。
その事実を聞かされても驚きはさほどなかった。どこかで気づいていたのだろう。それを認めるのが怖かった。その弱さが結果的に真衣奈を傷つけた。
こんな事態を招いたのは俺だ。俺がちゃんと答えを出せていればこんなことにはならなかったはずだ。今さら悔やんでも仕方ない。
ジーワ、ジーワとアブラゼミが小煩く鳴く。
紗季ともあれ以来連絡をとっていない。というより今までは友達としてのやり取りだったのに、あんなことがあってからは、妙に意識をしてしまってなんて送っていいかわからなくなっていた。それは向こうも同じなのかわからないが、いつもだったら紗季の方からどうでもいいような内容のメールがくるはずなのに、ここしばらくそれもない。
無意味に携帯をいじってみる。メールの問い合わせをしてみても新着メールはなかった。ならばとメール画面を開いて適当に文字を打ってみるが、それも思い悩んだ末に消した。
なにやってんだ俺……。
携帯を放り投げゴロンと大の字に寝転がる。すると目に映るすべてが逆さに映った。
今日はいっそ寝て過ごそうか。そう思いまぶたを閉じてみるが、窓の外から聞こえるセミの大合唱と夏の暑さがそれを許してくれなかった。
やれやれと起き上がりもう一度携帯を眺めてみる。時間は五分も経ってなかった。
俺はどうしたらいい……。
考えれば考えるほど答えは出てこなかった。
とあるうらびれた建物の一角、その建物と同じようにくたびれたプレートをぶら下げた部屋があった。
名を『天文部』。以前までなら物置小屋と揶揄されていた教室も、今は学園祭の準備に追われているせいで、もしかしたら以前の物置小屋と
そんな中、一人の少女が窓際で黄昏ていた。そのさまは見る人が見れば一枚の絵画のようさえ見えたかもしれない、なんてことを胸中で思ってみる。現実はそんな美しいものじゃないけど。
はぁ……、とため息を一つ。照らす夕日は美しいのににわたしの中は相反してひどく曇っていた。
自分の心の中を曇らせている原因はわかっていた。それを晴らすための方法も理解している。なのに未だ心の中のもやは晴れることを知らない。
八月へと暦が変わり、何週間かすればまた学校が始まる。しばらくしないうちに学園祭や体育祭があって、日々が流れるように過ぎていく。そこから数ヶ月後には自分の将来を決めなければいけない。だからその前に自分のこのもやもやした想いに決着をつけたかった。そう思って誘った水族館でのデート。自分なりにやれることは全てやった。けれど距離は縮まることはなく、平行線をたどってばかり。それどころか、一緒に行きたかった花火大会で一番見たくないものを見てしまった。これ以上どうすればいいのか、もはや悩めば悩むほど答えなんて出ない。
はぁ……と、もう一つため息を漏らす。自分自身をここまで追い詰める元凶、それもこれも全てあの年上の幼馴染のせいだ。
「どうしたらいいんだろ……」
「なんだまだ残ってたのか」
かけられた声にゆっくりとした動作で振り返る。声をかけてきたのは天文部顧問で三年B組の担任教諭でもある、わたしの父親だった。
「なんだ。お父さんか」
「学校でその呼び方はやめろって言っただろ。ここでは椎名先生だ」
「うん。ごめんお父さん」
わたしは半ばからかうようにそう呼んだ。するとお父さんは呆れたように頭を掻いていた。
「……ま、今は俺たちしかいないからいいけどな。んなことよりなにやってたんだこんな時間まで」
「ちょっと考え事」
「そうか。学園祭のことがあるからってあんまり一人で抱え込まなくていいからな。大変だと思うことがあったらいくらでも仲間を頼れ。俺もなにかあったら力貸すから」
お父さんが力強く励ましてくれた。が、見当違いのことを言う父親に、正直苦笑していた。それからお父さんは少し言いにくそうにしながら「そういや、お前最近どうなんだ?」なんて聞いてきた。
「どうってなにが?」
「なにって翔吾だよ。あいつとなにかあったのか? 近頃ずっと家にいるし」
「なにもないよ。もしかしてお父さんわたしが家にいたら邪魔だったりする?」
「そういうわけじゃない。なんていうか父親としての勘というやつか、そんな気がしてな」
「気のせいだよ。心配してくれるのは嬉しいけど、周りに変なこと言いふらさないでよ?」
困ったように笑いながら適当にごまかしておく。普段あまり父親らしいところを見せない割に、こういうところは案外鋭い。今も花火大会であった一連のことを知っているかのように言ってみせた。もちろんわたしはそのことを話していない。たぶんだけど、先輩や紗季さんもそのことは話してないはずだ。なのにお父さんがそう思ったということは、普段からそう思われていたのだろうとわたしは感じていた。
「それならいい。それよりもまだ残ってるのか?」
「もう少ししたら帰るよ。お父さん今日も遅くなるの?」
「俺もしばらくしたら帰る。悪いけど晩飯用意しておいてくれ」
「わかったよ。今日は冷やし中華にするけどそれでいい?」
「それは楽しみだ。んじゃ戸締りちゃんとしろよ」
二、三言話すとお父さんは職員室へと戻っていった。父親の背を見送ってからやり残した仕事にとりかかる。スケジュールの確認だ。これを怠るとまた雄一がうるさい。お調子者のように見えて実は仕事が細かい。ついこの間も指摘を受けたばかりだった。これじゃあどちらが部長なのかわからない。
わたしは学園祭までのスケジュールを確認しながら、けれど頭の中では年上の幼馴染のことを考えていた。それと一番会いたくなかった人の顔。
どうして今になって……。それを思い出すだけで胸が苦しくなった。あの時と同じだ。
「……こんなこと考えてる場合じゃない。終わらせないと」
何度かスケジュールを確認してようやく納得のいく形になった。これを雄一に確認してもらって部員に通達すれば仕事は完了だ。
と、机の上に置かれた一冊の台本に目が止まった。表紙には『惑星戦隊プラネタリア』と書かれていた。内容なんて大したことのない、小学生が書いたようなどこにでもあるようなヒーローの話。ずっと前に、この天文部で青春を送っていた二人の男女が描いた物語。
わたしはこの話を見るたびに思う。なぜ、わたしは彼らと同じ時に生まれなかったのだろう、と。
開いた窓から見えるソフトボール部の練習風景。今日はボールが飛んでくることはなさそうだ。
彼と彼女の出会いはきっと運命だった。では、わたしと彼の出会いはどうなのだろう。生まれたときから彼がそばにいて、自分自身も彼の姿を見続けていた。それでも縮まらない距離。近くて遠い。わたしは手を伸ばす。遠くに見える一番星をつかもうとするけど、手は宙をかすめるだけで星には到底届かない。
どうして届かないの……? どうしてどうして……? すぐそばにあるのに……こんなにも近くに見えるのに……。わたしの手は決して届くことはない。
「……ほんっと遠いな。織姫と彦星みたいだ」
やがて手を伸ばすのを諦めて、開けたままにしていた窓を閉めた。
机の上に広げていた資料や書類を片付けて、わたしは部室を出た。
いつもの通学路を歩いていると、すぐそばを同じ学校の制服を着た数人の生徒が楽しそうに談笑しながら通り過ぎていった。部活の先輩後輩なのだろう。時折敬語が混じっていたけど、それでも打ち解けた雰囲気があってそれがより一層、彼らの仲の良さを伺わせた。
昼間暑かったせいか、気温が穏やかになってくると、空気が湿っぽく感じる。夏草の匂いが鼻をくすぐった。
ふと、わたしは自分が一年生だったころのことを思い出した。
高校に入学したばかりのころはよく先輩と紗季さんと三人で帰っていた。時間にすると十数分程度の時間だったけど、わたしはそのわずかな時間がいつも楽しみで仕方が無かった。時には家に帰らず千枝さんのところに寄ってから帰ることもあった。いつも三人一緒だった。それでも彼と彼女の間にはわたしとは違う特別なつながりのようなものがあった。
わたしはどうしてもその中に入りたかった。最初は友達としてという想いが強かった。一人だけ仲間はずれにされているような気分だったから。それが次第に先輩を取られたくないという気持ちに変わっていった。紗季さんに嫉妬していたのだろう。それでも、紗季さんとは仲良くしていたいという気持ちもあったから複雑だった。
何度か紗季さんに相談しようかと思ったこともあった。紗季さんだったら笑いながら「そりゃあ困ったことになったね」なんて冗談っぽく笑いながら話を聞いてくれただろう。それなのに相談しなかったのは、紗季さんを信頼していなかったというより、紗季さんに遠慮していたからだろう。きっと当時の紗季さんも先輩のことが好きだった。これは間違いじゃないはずだ。
それからもわたしたちは、付かず離れずの微妙な距離感を保ちながら一緒にいた。けど、しばらくして紗季さんはわたしたちの前から姿を消した。たった一言の別れの挨拶もなく唐突に。それからは先輩が卒業するまでそれまでと同じように二人で下校をしていた。
お互い紗季さんの話はしなかった。わざとしなかったのかもしれないし、話をしたところで、紗季さんが帰ってくるわけでもないとでも思っていたのだろう。それなのにわたしと先輩の間には一人分の空間が空いていたように見えた。
一つ息を吐き出し空を見上げる。あかね色に染まる空の彼方に藍色が混じっていた。あのころ見た空もこんな感じだった。違うのは今は三人じゃなくて一人だってことぐらいか。
そんな中、一台の自販機に目が止まった。どこにでもある有名な飲料水のメーカーのものだ。わたしは何気なく近寄ってみる。そういえばまだ三人で帰り道を歩いていたころ、よくここで好きな飲み物を買っていた。先輩がボタンを押そうとすると、紗季さんが横から勝手に押していつも先輩に怒られていた。わたしはそんな二人のやりとりが割と好きだった。
財布から小銭を数枚取り出し、いつもどおりミネラルウォーターのボタンを押そうとして、手を止めた。たまには違った飲み物もいいかもしれない。そう思ってコーラのボタンを押すが反応がない。お金が足りないことに気づいた。財布の中を探ってみるがあと十円足りない。……仕方ない。いつものミネラルウォーターにしよう。
ボタンを押そうとすると、横から伸びる手があった。その手は手早く足りない十円を投入すると、わたしがたった今押そうとしていたコーラのボタンを押した。ガタンッと大きな音を立ててコーラが出てきた。その音にびっくりして後ろを振り返ると──なぜかさっきまでわたしの思い出の中にいたはずの紗季さんが立っていた。
「紗季……さん……?」
わたしが呆然としていると、紗季さんは商品口からコーラを取り出すとそれをわたしに手渡した。
「ほい、これ真衣奈ちゃんのだよ」
「あ、ありがと……」
「うーん、わたしはなににしよっかなぁ~。わたしも真衣奈ちゃんと同じのにしよっ」
そう言いながら小銭をいれて同じ商品のボタンを押した。さっきと同じ音を立ててコーラが出てくると、紗季さんが押したボタンには売り切れの表示が出ていた。
「お、最後の一個だ。なんかさ自分が買って売り切れになると得した気分になるよね」
紗季さんが嬉しそうにコーラを取り出すのを眺めながら、わたしはなんでここに紗季さんがいるのかという疑問を抱いていた。
「なんで紗季さん……」
「ん? ああ、十円のことなら気にしなくていいよ。それはわたしのおごりってことで」
「そうじゃなくって、なんでここにいるの!?」
「たまたま歩いてたら真衣奈ちゃんがいたから、声かけようかと思ったんだけど、せっかくならサプライズしてみたくって」
「……またバカにしてるんだ」
「……ごめん。茶化したね。本当は真衣奈ちゃんと話がしたくってさ」
「わたしには話すことなんてない」
「わかってるよ。だからさ、せめてわたしが出した十円分ぐらいは話を聞いてくれないかな?」
そう言って紗季さんはわたしが持っていたコーラを指さした。
「……」
わたしは迷っていた。本当なら紗季さんとは会いたくなかった。けど、もう一度だけ会って話をしたかったのも事実だった。
「……じゃあ十円分だけなら」
渋々といった体を装いながら答えると、紗季さんは静かにありがとうと笑ってみせた。
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