第16話 花火大会、そして…… その3

「悪いな。こんなところまで送ってもらって」

「帰り道だからついでだ。それよりもここでいいのか?」


 俺が車から降りようとするのを祐介さんは名残惜しそうにしていた。もしかしたらまだ話したりなかったのかもしれない。

「昔話してたらちょっと寄りたくなってさ」

「そういうもんか?」


 祐介さんが首をひねる。それなりに堅牢な門構えに備え付けられたプレートには県立桜谷高校という名が刻まれていた。俺の母校であり、祐介さんの職場でもある。


「そういや、紗季って覚えてるか? 俺が三年生のときに転校したあいつ」

「紗季? ああ、長谷川のことか。覚えてるけどそれがどうかしたのか?」

「偶然街で再会して知ったんだけど、あいつさ今ここに戻ってきてるんだよ。ついでに俺と同じ大学に通ってる。学年は一つ下だけど」

「……長谷川がか?」


 俺が紗季の話をすると、なぜか祐介さんが怪訝そうにした。


「知らなかったのか? 真衣奈あたりから聞いてると思ってたけど」

「いや、聞いてなかった。そうか、それじゃあ無事に……」

「祐介さん?」

「あ、いや、それでどうした?」

「二年ぶりぐらいに会ったけど、あいつ全然変わってなくて驚いたよ。今度時間あったら祐介さんにも会わせに行くよ」

「そうか。楽しみにしてる」


 祐介さんを見送り、校門を抜ける。グラウンドでは運動部が妙な奇声を上げて走り回っていて、校舎からはお世辞にも上手いとはいえないトランペットの音色が響き渡っていた。久しぶりに訪れた母校は、俺の思い出の中にある姿となんら変わりなくて、それが少し嬉しく思った。


 校舎に入り、迷わず旧校舎へと向かう。旧校舎は部室棟として使われていて、天文部の部室もその二階にある。階段を上がった廊下の奥、天文部と書かれた古びたプレートが下がった教室が天文部の部室だ。


 見慣れた木製のドア。久しぶりに会った友人のようにさえ思う。真鍮製のドアノブをひねると、感触はそのままにゆっくりとドアが開いた。少し緊張しながら部屋の中へ入ると、一人の男子生徒がひどく驚いた顔で出迎えてくれた。


「宮野……先輩?」

「よう。久しぶりだな吉仲」


 人懐っこい笑みを浮かべる生徒に俺も軽く手を上げる。


「お久しぶりです宮野先輩。なんか先輩あんまり変わってないっすね」

「たった二年で変わるかよ。つーか、お前は……なんだ、ずいぶん変わったな」


 困惑気味に言うと、吉仲はそうかな? と、自分の体をジロジロと眺めていた。にひひ、と無邪気に笑うその癖は俺の知っている吉仲雄一本人で間違いなかった。ただ、二年前ならまだ俺より背が低くて高校生というよりは、まだ中学生に見えたその容姿も、たった二年の間で俺を見下ろすぐらいまで成長していた。


 ……生憎とその見違えるような変化を、高校生だった頃の俺は経験することはなかったが。


「それよりどうしたんすか急に。学校になんか用事ですか?」

「あ、いや。用事ってわけじゃないんだ。久しぶりに立ち寄ってみたくなってさ」 

「なーんだ。てっきり先輩が俺に会いに来てくれたと思ってました」

「なに気持ちわるいこと言ってんだよ。お前らが学園祭の準備やってるって聞いたから、せっかく差し入れでもしてやろうと思ったんだけどな」

「じょ、冗談っすから! いや、先輩が来てくれたのはもちろん嬉しいっす!」


 吉仲があたふたしながら俺のご機嫌をとろうとする。容姿は見違える程になってもこいつも真衣奈同様変わってない。


「ところで真衣奈は?」

「部長っすか? 部長なら図書室にいるはずっす。なんなら呼んできましょうか?」

「別に真衣奈に用があるわけじゃないからいいよ。それより今年の学園祭はなにやるんだ?」

「それがまだ決まってなくて、このままじゃ学園祭に間に合わないっすよ」

「いつもこの時期だったらなにやるか決まってるだろ。いくつか案も出てるだろうし」

「それなんすけど、本当なら先輩たちがやってた劇をやろうって話になってたんすよ。でも、肝心の台本がどこにも見つからなくて、それで話は白紙になったんす」

「劇ってあれか?」

「惑星戦隊プラネタリアっす」

「……」


 その一言に俺のトラウマという名の扉が、ゴゴゴ……と重苦しい音を立てて開いた気がした。


「先輩は台本がどこにあるか知らないっすか?」

「台本か。部室に一冊あったと思うけど……この調子じゃ探すのに手間がかかりそうだな」


 部室内を見渡すと学園祭の準備のせいか、部屋の中は元の物置小屋と揶揄されていたころより物で溢れかえっていた。


「まずは部屋の片付けからだな」

「そっすね」


 部室の中を片付け始めると、思いのほか手間取った。というのも、片付けを始めたそばから懐かしいものが掘り出されて、その度に手が止まって先に進まないということがしばしば。やっとの思いで三分の一ほど片付いたところで真衣奈が戻ってきた。


「図書室も探したけどやっぱり見当たらなかった……って、先輩? なんでこんなことろにいるの?」


 図書室に出かけていた真衣奈が戻ってきた。両手には抱えきれないほどの本を抱えて。


「やっぱり親子だな」

「え、なんの話?」

「こっちの話だ。それよりお目当てのものは見つかったか?」

「それが見当たらなくって……。でもちょうどよかった。先輩は台本どこにあるか知らない?」

「そう思って吉仲と二人で探してたところだ。といっても、結果は見ての通り」


 ようやく物置小屋と揶揄されていたころぐらいまで片付いた部屋を見て、真衣奈がため息を吐いた。


「ここになかったら他どこにありそう?」

「俺の家か、もしくは……あいつなら持ってるか」


 俺は携帯電話を取り出すと、思い当たる節に連絡を取った。電話の主はよっぽど暇なのか、ツーコールで出た。簡潔に事情を説明すると、すぐに行くと言って電話が切れた。本当に暇だったみたいだ。


「誰にかけてたの?」

「まぁすぐにわかるって。さ、もう少し片付けるか」


 三十分後……。


 すっかり片付けも終わり、外を眺めながら差し入れに買ったアイスを食べていた。


「遅いっすね先輩の待ち人」

「ん? ああ。もしかしたらどこかで油でも売ってるのかもな」


 ……それにしても遅いな。あいつのことだからすぐに来ると思っていたのに。携帯を取り出してかけてみる。繋がらない。もしかして探すのに手間取っているのか? それとも見つからなかったのか。


 いや、そのどちらであったとしても連絡ぐらいしてくるはずだ。あいつはいい加減なところはあるけど、その辺はちゃんとしている。


「ねぇ、先輩」

「なんだ?」

「わたしなりに考えてみたんだけど、先輩が呼んだ人ってさ、もしかして──」


 真衣奈がこちらをじっと見つめる。いや、睨みつけるようにして。


 その時だった。


「危ない!」


 横から吉仲が叫んだ。はっと窓の外を振り返ると、グラウンドから飛んできたのだろう。白球がこちらめがけて一直線に向かってきているのが見えた。


 俺は側にいた真衣奈に覆いかぶさるように倒れこむ。球は俺たちの上をすれすれに通り抜けると、ガンッ! と派手な音を立てて部室のドアに直撃した。


 間一髪だった……。そう思ってしまうほど一瞬の出来事だった。


「大丈夫だったか?」

「あ……うん……わたしは大丈夫。先輩こそケガとかしてない?」

「俺も大丈夫だ」


 真衣奈を抱えるようにして起き上がろうとすると、吉仲が手を貸してくれた。


「だ、大丈夫っすか!?」

「間一髪だった。お前が教えてくれなかったら直撃してたかもな。助かったよ」

「そんな……。でもなにが飛んできたんすかね……」


 吉仲の疑問に俺は思い当たる節があった。もしかしたらその犯人さえも。


「これ……ソフトボールっす。てことは……」


 ああ、やっぱりか。その先は聞かなくてもわかっていた。グラウンドではガヤガヤと騒ぐ声が聞こえ、部室棟の廊下ではドタドタと誰かが走ってくる物音が聞こえた。そうだな。この感じならあと数秒後にはドアが開くだろう。そしてきっとこう言うのだろう。


「あ、頭大丈夫だった!?」

 やっぱりお前か……。

 そこには血相を変えて走ってきた紗季の姿があった。



「いやぁ~ごめんごめん。久しぶりに学校来たら懐かしくなっちゃってさ」


 そう悪びれもせず謝ってくるあたり紗季らしいと思った。紗季の話によると、俺からの電話を受けてからすぐに家を出たそうなのだが、学校に着くと俺からの用事も忘れて、グラウンドでソフトボール部の練習試合を眺めていたらしい。しばらくはおとなしく観戦するだけに留まっていたのだが、次第に我慢できなくなった紗季は、無理やり乱入した挙句、エースピッチャーがやる気をなくしてしまうような特大ホームランを天文部の部室にお見舞いしてくれたというわけだ。


 ……にしても、デジャブというかなんというか。二度あることは三度あるなんて言葉があるが、できることなら三度目は謹んで遠慮願いたい。はたしてそんなことを俺の前を歩く紗季は思っているのやらどうやら……。


 部室をあとにした俺たちは、千枝さんが営む店、創作お好み焼きいろはへ向かっていた。これは紗季が言いだしたことで、俺たちに迷惑をかけてしまったお詫びなのだそうだ。きっと本心は、ただ単に運動したからお腹が空いた、辺りだろう。


 そんな道すがら、紗季と吉仲は二人で盛り上がっていた。傍から見たらカップルというより姉弟に見えるだろう。


「楽しそうだね二人とも」


 俺の傍らを歩く真衣奈がどことなく嬉しそうに言った。


「紗季さんやっぱり変わってなかったね」

「そうだな。人の頭にソフトボールをぶつけようとしてくるところとかな」

「それって偶然じゃないの?」

「偶然にしては出来過ぎな気もするけど、三度目がないことを祈ってるよ」


 俺は肩をすくめてみせた。


「こうして見ると外見は大人っぽくなったのに、中身は変わってないんだね。わたし、大人ってもっとすごいものだって思ってた」

「残念ながら、二十歳イコール大人ってわけじゃないんだぞ。あくまで大人って身分を名乗ってもいいってだけで、実際のところ中身は高校生のままだ」

「あ、それわかるかも。先輩もそういうところあるし」


 どういうことだろう? と頭をひねって考えてみる。数秒後、それが馬鹿にされていることだと気づいて、仕返しとばかりに真衣奈の頭をわしゃわしゃとなでてやった。


「あー、もう。髪が乱れちゃった……」

「人を馬鹿にした罰だ。自業自得だろ」

「そういうところが子供っぽいっていうのよ。ほんっと大人げないなぁ」

「生憎、子供以上大人未満なんでね」


 皮肉には皮肉で返すに限る。真衣奈もこれ以上の反論は無駄だと判断したのか、両手をあげて降参のポーズを取った。俺はポケットからタバコを取り出すと、勝利の余韻に浸るように、火をつけた。


「前から思ってたんだけど、タバコってそんなに美味しいの?」

「どうしてそう思う?」

「先輩いつも吸ってるからかな。あと、タバコ吸ってる時はなんだか考え事してるように見えるし」

「傍からみたらそう見えるんだな」

「それで結局どうなの?」

「まったく美味いなんて思ったことない。むしろ、どうにかして止めれないか考えてるくらいだ」

「なにそれ。意味わかんない」

「そう思うだろ。俺もだ」


 真衣奈からしたらからかわれてるように聞こえるかもしれない。しかし、俺がなんでタバコを吸ってるのか? と聞かれても理由なんてわからない。医学的に見ればニコチン中毒なのかもしれないし、もしかしたら習慣のようなものなのかもしれない。止めようと思えばすぐにでも止められると思う。むしろ、吸っているほうが害なのだ。なのに、俺は止めようと思わない。きっと親父のせいだからだ。胸ポケットにあるオイルライターの重さがそれを感じさせた。


 俺がタバコを吸い始めたきっかけなんてたまたまだった。高校を卒業して一人暮らしを始めるときに、家の中を片付けていると、古びたオイルライターを見つけた。それは生前親父が愛用していたもので、親父の死後どこかへ紛失したものだと思っていたものだ。当時、親父の遺品はほとんど片付けてしまって、残っているものなんて、遺影とボロボロになったヘルメットくらいなものだった。だからそれを見つけたときは、久しぶりに親父に会った気がして嬉しくなった。とはいえ、高校を卒業したばかりの俺がタバコを吸っているわけもなく、その日初めてタバコを吸ってみた。初めてタバコを吸った感想は……まぁそれはいいだろう。


 それでもタバコを吸っているときは、死んだ親父が側にいる気がした。生きていたらお前がタバコなんて百年早いとか言われそうだけど、俺ももうこの年になったんだ。いいだろ親父?


 タバコをもみ消すと、ようやく現実に戻ってくる。横を歩いていた真衣奈がなぜか不機嫌そうにしていた。


「どうしたんだ?」

「やっぱり聞いてなかった。あれだけ話しかけてるのに先輩ったら上の空なんだから。それで今度はなにを考えごとしてたの?」

「さぁてね。秘密だ」

「なによそれ。別にいいけど」


 そう言うものの、俺がなにを考えていたのか気になるらしく、ちらちら視線を向けてくる辺り、真衣奈の性格が伺えた。とりあえず、話しても真衣奈にとってはさして面白くもない話だろうから、こちらから話題の矛先を変えてやることにする。


「んで、花火大会がどうかしたか?」

「聞こえてたんじゃない。それで先輩は花火大会行くの?」

「今年か? 今年は──」


 紗季と一緒に行く。そう言いかけて言葉を飲み込んだ。


「その日バイト入ってるんだ。だから今年は行かない」

「そっか。今年も一緒に行けると思って楽しみにしてたんだけど、バイトなら仕方ないよね」


 残念だな。そうつぶやく真衣奈の横顔が痛々しく見えた。そして思う。


 どうして俺は嘘をついたのだろうか、と。


「おーい、早く行こうよー」


 数歩先を歩く紗季が大きく手を振った。俺も手を振り返す。


「あいつが一番子供っぽいな」

「それが紗季さんらしくっていいんじゃない?」

「そうか?」

「そうだよ」


 あんな風に素直に自分を表現できるなんてさ……。真衣奈がそう言った気がした。

「行こ。紗季さん待ってるし」


 夕日に照らされ、伸びた影を追って真衣奈が駆け出す。それを追う。なんだか俺まで高校生に戻った気分だった。




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