第9話『天使とお隣さん』

 午後四時三十分。買い物を終え、家に着いた時刻だ。


 残す仕事は『お隣さんへの挨拶』だけなのだが、白銀との邂逅もあり、精神的にも肉体的にも疲れている。


 一先ずソファーに座り、ひと休憩する。

 恋詠は俺の隣で、帰りに寄って買ったルーソン限定プリンを美味しそうに食べている。

 今日は運が良かったのか、一つだけ残っていたのだ。



「さて、やりますか」


 玄関に置かれたスーパーの袋を一瞥し、俺は重い腰を上げた。恋詠がプリンを食べている間に買ってきた食材の分別に取り掛かる。中学生の時から父に代わって俺が買い出ししていたため、食材などの収納はどちらかといえば得意分野なのだ。一目で分かるよう、それぞれジャンルごとにまとめて、台所の棚や冷蔵庫にしまう。


「食べ終わったので私も手伝います」

「あぁ、ありがとう。――って恋詠、カップラーメンは冷蔵庫じゃないぞ」

「あっ、そうなのですか。今までカップラーメンを買った経験がなくて……」


 冷蔵庫にカップラーメンを入れようとする恋詠は不思議そうな表情を浮かべてその手を止めた。

 もしかすればと思い、俺は質問する。


「カップラーメンの作り方って知ってる?」

「蓋を開けたら完成している訳ではないんですか?」


 まぁ一度も買ったことや食べたことがないのなら無理もないか。

 今までそんな人に出会ったことがないので、いまいち分からないが。



 色々と恋詠に説明しながらやったが、分別は十分近くで終わった。

 今からお隣さんへ挨拶をしに行かないといけない。


 予め分けておいたお菓子を持ち、恋詠と一緒に家を出る。

 隣の部屋は205号室。表札はない。


「そういえば、お隣さんってどんな人なんでしょうか」

「俺が大家さんから聞いたのは一人の若い女の子ってだけだな」

「少し緊張します」

「まぁ隣室の住人と言っても、そんな深く関わるか分からないけどな」


 そんなこと言いながら、インターホンを押す。中で音が響くのが聞こえたが、人がいる気配はない。


「留守なんでしょうか」

「っぽいなー」


 なんて話して、俺たちは自分の部屋へ戻ろうとした時、ゆっくりとドアノブが下がった。


「誰なのだよ?」

「あ、昨日引っ越してきた赤宮です。挨拶遅くなり申し訳ありません」

「赤宮……?」


 チェーンがかかったドアの隙間から誰かがこちらを見ている。中が暗いせいで、外からでは全く見えない。

 声は可愛らしい女の子のものだ。


「私はお前を知っているのよ、赤宮那月。後ろにいるのは……蓮咲恋詠?」


 ドアを締め、チェーンを取る音が聞こえた。

 正直、女性の言葉に俺は全く身に覚えがない。

 俺の通っていた中学校からここは遠い。同じ地域にすら知人がいなかった俺が、こんな離れた場所に知り合いなどいるはずがない。


 再度、ゆっくりとドアは開いた。

 中から出てきたのは黒いドレスに身を包んだ可愛らしい女の子で、年齢は高校生くらいに見える。

 身長は恋詠と同じくらい小柄で、金色の髪が良く似合っている。


 もちろんはっきり顔を見たが、俺はこの子を知らない。


「僕たち、どこがであったことありますか?」

「中学校の図書室なのよ」

「…………」

「まったく! なんで覚えていないのかしら!」


 顔を見ても全く思い出せない。中学校の図書室ということは同級生ということになるよな。


 考えていると、ポンポンと恋詠が俺の肩を叩いた。


「那月くんの知り合いですか? どうやら私の名前も知っているようですが」

「いや、正直全く思い出せん。恋詠こそ知らないのか?」


 恋詠は首を横に振った。


「私は図書委員だった浅倉あさくら蒼依あおいなのよ」

「浅倉……!?」

「よく話していたはずなのよ!」

「いや、ごめん。……本当に思い出せなかった」


 浅倉はすごく怒っている様子で、腰に手を当てる。確かに忘れていたのはよくないが、浅倉自身、中学校の時より見た目が大きく変化している。

 ……今の方が可愛いというか。

 俺の知る浅倉は両目に前髪が掛かっていたし、メガネもつけていた。

 確か、口調はもっと大人しかった。


「立ち話もなんだから、我が家に招待してあげるのよ。聞きたいことは多いかしら」

「……恋詠、あれだったら先に戻っててもいいぞ。軽く話してすぐ帰るから」

「他の女の子と二人っきりにさせるのは危険です……那月くん、私も行きます」


 何か『危険』とまでは聞こえたんだが、声が小さかっため、あまりうまく聞き取れなかった。



 とりあえず俺たちは隣の205号室にお邪魔することにした。

 そんな深く関わることはない、か……。これから嫌でも関わるしかなさそうな、そんな嫌な予感がする。

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