24色百合色鉛筆

笹百合ねね

とりどりに吸血跡を飾るもの

 吸血鬼に血を吸われた跡は、決してふさがることはないという。

 それなら、いっそ美しく。


     ◇


 わたしは人間であり、そして吸血鬼の食糧だった。

 なんとなく聞こえてきた話によれば、吸血鬼たちは現在食糧難に陥っているらしい。それゆえにわたしは貴重なものであり、身に余るほど丁重な扱いを受けていた。大切な食糧が瘦せ細ったり病に臥せったりしては困るからと、貴族のような食事を与えられ、暖かい寝床も用意された。吸血鬼の趣味なのか、生地が贅沢に使われた衣服も十分な数を支給されている。血を吸われることの他には、何不自由ない生活を送ることができるようになっていた。

 時間になると、わたしは必ず湯浴みを済ませてから、清潔なローブを身に着ける。

 香料の類が身体や衣類に付着していないか、最低限のマナーとして確かめることも忘れない。料理を出すときに、プレートやカトラリーが余計な香りを纏っていたら食欲が失せてしまうだろうから。

 自室として与えられている部屋から出て階段を上がると、この屋敷の主である吸血鬼の部屋がある。屋敷といっても御伽噺に登場するような豪奢なものではなく、もっとコンパクトで、部屋数も設備も最低限しかない。けれど決して質素ではなく、天井からは美しいシャンデリアが下がっていたり、飾られること以外の用途を持たない置物の類が、所々に並べられていたりした。きっとひとり暮らしに広い空間は不要というなのだろう。この屋敷で、主以外の吸血鬼と顔を合わせたことは、いままでにいちどもなかった。ちなみにわたしは食糧なので、住居している者の数には入らない。


「食事の時間よ」


 ノックをしてから声をかけると、内側から扉が開かれた。

 吸血鬼の寝室というと、いかにも血のにおいが充満しているイメージがあるけれど、実際はそうでもなかった。部屋には白い薔薇がたっぷり飾られていて、夜だからか窓は開け放されていた。夜の新鮮な空気は冷たく、体内に取り込むと、身体の温度が中心から消えていくような気がした。

「夜風はいけないよ。身体に障る」

「食事はあたたかい方が良いものね」

 彼女は手触りの良いブランケットをわたしの肩にかけると、部屋に唯一ある窓を閉めた。厚手のカーテンがひかれれば、外の気配はもうしない。

 わたしの頬を両手で包んで、彼女は今日の食事の「出来栄え」を確認する。体調が優れなかったり気分が落ち込んでいたりすると、やはり味が変わるらしい。気になったので自分でも何度か、指先に針を刺して血を舐めてみたことがある。けれど身体や精神のコンディションによる味の違いは良くわからず、いつ舐めても鉄っぽくて生臭い血の味にしか感じられなかった。

 彼女はわたしのローブをすこしはだけさせると、右首筋に顔をうずめた。体温のない吐息がすこしくすぐったい。血を吸われるとき、皮膚を刺繍針のようなものでちくりと刺されるような痛みを感じる。けれどそれは一瞬で、以降は痛みもなにも感じることはない。吸血鬼が口の中に隠し持っている鋭利で美しい牙が皮膚にぷつりと埋まればすぐに、人間は気を失ってしまうから。

 だからわたしは、吸血鬼が本当に血を吸っているのか、はたして屋敷の主として認識している彼女だけが私の捕食者なのか、牙を差し込んだ後どのように血を飲むのか――等といったことは、どうしたって知ることができない。


     ◇


 血を吸われるたびに、肌に小さな跡が増えていく。

 それは辛うじてミシン針を通すことができるくらいの、ほんのささやかなものにすぎない。じっくりと肌の表面をなぞるみたいに観察しなければ、見落としてしまうくらいの。

 それに気づきはじめたのは、彼女の3回目の食事が終わった後だった。食後、気を失っているわたしはたいてい、彼女の部屋のカウチに寝かされている。ローブはしっかりと着つけられていて、血の染みひとつついていない。彼女は食べ方がきれいなのだと思った。きちんと躾けられて育ったのかもしれない。夢から覚めるときのようにゆっくりと意識が戻ってくると、わたしの視界に入ったのは手首につけられたふたつの跡だった。左の首筋に触れれば、そこにもふたつの小さな牙の跡が確認できた。さらに右の内腿にも――さすがにローブを捲って確認しようとはしなかったけれど――食事の跡が残されているはずだった。とてもささやかなものだったので、縫い針をうっかり指に刺してしまったときの傷みたいに、数日すれば治るものだと考えていた。けれどそれらの跡――というより穴――は、数日が経過しても塞がる様子を見せなかった。そこからは血が滴ったりすることはなく、ちいさな黒子か何かのように、ただそこに残っているだけだった。

 それから食事のたびに跡が増え、普段衣服で覆い隠されている身体には、ちいさな点々が目立つようになった。特に多いのが首筋と内腿で、その部分から血を吸うのが好みなのだろうと知ることができた。また吸血鬼は一度牙を刺した部分から再び血を吸うことはないようだということも。食事が終わってわたしが目を覚ましたときと、夜眠りにつく前に、必ず跡を数えているので、それは間違いないと思われた。それには何か理由があるのかもしれないし、単に好みの問題なのかもしれなかった。どちらにしても、食糧のわたしにはわかるはずもない。例え言葉で説明されたとしても、きっと本当の意味で理解することはできないだろう。


     ◇


「ねえ、今日は耳から血を吸ってくれない?」

 ある日の晩、わたしは彼女にそう頼んでみた。

「何故?」

「ピアスをつけてみたいの。いいでしょう?」

「そうはいってもねえ、きみ。耳からでは十分な量が吸えないよ」

「ダイエットになってちょうどいいじゃない」

「おやつにも足りないな」

 彼女は乗り気ではない様子だったけれど、その晩はわたしの頼み通りに、左右の耳たぶから食事を摂った。ピアスをつけるのにちょうど良い位置に穴ができていたので、わたしは嬉しくなった。耳であっても、妙な位置に吸い跡があったのでは、ピアスを飾るのは難しい。吸血鬼にも、装飾品を身に着ける文化があるのだろうか。彼女はいつも仕立ての良い衣服を身に着けていたけれど、装飾品の類で自身の身体を飾っているところは一度も見たことがなかった。

 頼んでいたピアスはすぐに届いた。食糧であるわたしは屋敷を出るわけにはいかないので、必要なものは配達してもらっている。配達人の姿を見たことはない。毎回、小包がいつの間にか自室に置かれているのだった。また食糧が金銭の類を持つはずもないので、おそらく支払いは吸血鬼が行っているのだろう。我ながら、随分と維持費がかかる食糧だなと思う。

 そのピアスは紅色の石が一粒光る控えめなデザインのものだった。けれど、だからこそ石の美しさがより一層引き立っているように思えた。左右の耳につけると、吸血鬼の牙の跡にしっくりと収まった。まるで血を吸うためではなく、ピアスを飾るために開けられたピアスホールであるかのように自然だったので、わたしは自分を褒めてあげたくなった。

 次の食事のときに披露すると、吸血鬼はひとこと「いいね、美しい」と言った。

「ほかにもっとないの?」

「ほかに? 血の色みたいで美味しそうだね」

「さいあく」

 けれど確かに耳たぶで光る紅色は、血の粒がふっくりと浮かんでいるように見えないこともない。

 彼女はお行儀よく食事をしているようなので、わたしは自分の肌に浮く血の玉を見たことがほとんどなかった。一滴でも惜しいと思ってくれているのなら食糧冥利に尽きるというものだけれど、毎日血を吸われているというのにその血を自分で見ることがないというのは、考えてみるとおかしなことだと思われた。

 自分の肌に血が浮かんでいる様子を再現するのも面白かったけれど、次は紅色ではなく碧色を選んだ。その石は、手首に飾ると、うっすらと透けている血管の色と同化するように馴染んだ。その次は、水のように透明な石のついたピアスを首筋に飾る。それらは部屋の灯りが反射すると、きらきら輝いて、顔色を明るく華やいだように見せてくれた。さらにその次は菫色で、それは吸い跡の少ない足首に、特別なものとして着けた。そしてその次は――どのような色の石が良いだろう? 食事のたびに、この愛おしい跡をどのように飾りつけようか考えて、胸を躍らせる。

 わたしの身体には日ごとに石が追加され、輝きを増していった。

 吸血鬼は同じところから血を吸うことはない。

 だから食事ごとに跡が増え、そこはピアスで埋められる。耳に、首に、鎖骨に、手首に、内ももに。耳以外のところにボディ・ピアスをつけるのにも、違和感があったのは最初だけですぐに慣れた。全身が美しくきらめき、わたしが何か動作をするたびに、それらはそこにあるのだと主張するかのように一層明るく輝きを放った。


 ――肌がすべて宝石で埋まってしまったら、可哀想な吸血鬼はどうするのだろう。


 宝石で埋め尽くされた身体は、きっと美しいだろう。けれどその身体からはもう、食事をすることができなくなってしまう。最後の一滴まで舐め取ってしまったら、その身体はからっぽだ。どれほど芳醇なワインであっても、中身が飲みつくされてしまったらボトルには興味がなくなってしまう。

 吸血鬼界はいま、食糧難だという。だから次の食糧がいつ供給されるのかは、わたしにはわからない。わからないけれど、関係がないことではない。


 ――美しいと、確かに言った。


 全身が輝く石で覆いつくされたなら、生身の身体が最後の一滴の血を失い干からびてしまっても、彼女はそばに置いてくれるかもしれない。飾られるためだけに生まれてきた、きらびやかな置物の中に、紛れ込ませてもらえるかもしれない。

 そうなったらわたしは、ついに彼女の食事風景を客観的に眺めることができるのだ。


 ――わたしの方が口に合ったと、一瞬でも思えばそれでいい。


 赤い液体を飲み下すときの、喉の動きが見たいと思う。

 唇を手の甲で拭った後の、その表情が見たいと思う。

 どのような手つきでゆるんだローブを直すのか、その様子を、見たいと思う。

 二度と彼女の視線と重なることがなくなった、眩く光る、宝石の瞳で。


 〈了〉

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