なにか買ってくるもの、ある?

怜 一

なにか買ってくるもの、ある?


 「あっ。お醤油ないや」

 「どーする?」

 「うーん。いいや。私、買ってくるよ」

 「じゃあ、アタシもいく」

 「千歳は、家に居ていいよ」

 「ホント?じゃあ、任せるわ」

 「任された。…先に、食べないでよ?」

 「食べない、食べない。ちゃんと待ってるから」

 「まぁ、いいや。じゃ、いってきます」

 「あーい。いってらっしゃーい」


 玄関の扉を開けると、春の心地よい風が頬を撫でる。柔らかく甘い香りが、鼻腔をくすぐった。

 すぐそこに停めておいた自転車のサドルに、一枚の桜が散っていた。私は、ジャケットから取り出したスマホでサドルを撮影し、その画像を千歳に送る。


 「春ですねぇ」


 桜を払い、自転車に跨った私は、近所のスーパーを目指して漕ぎはじめた。

 今日の夕飯は、仕事帰りにスーパーで買ってきたお刺身の盛り合わせだ。ご飯を炊き、みそ汁を作り、あとは醤油とわさびを小皿に垂らせば完成といったところで、醤油を切らしていたことに気がついた。

 

 「お刺身買うときに、千歳に連絡すればよかった」


 そんなことをボヤいても仕方ないのだが、口をついてしまう。

 緩い坂道を降り、大通りに出る。そこから一つ信号を超えて、左折すると、最寄りのスーパーが見えた。併設された駐輪場へ自転車を止め、スーパーへと入っていく。自動ドアのすぐ端に積まれていた灰色の買い物カゴへ視線が移り、立ち止まる。


 「むっ…」


 買い物カゴ、いらないよなぁ。レジに持って行った時、カゴの中に醤油一つっていうのもなんか申し訳ないし。

 そんなことを思っていると、ジャケットに閉まっていたスマホが小刻みに震えているのに気がついた。取り出してみると、画面には、千歳のメッセージが表示されていた。


 「春ですねぇって、私と同じこと言ってるじゃん。…あっ、そうだ」


 私は、そのままスマホで千歳に電話を掛ける。それと同時にカゴを一つ手に持って、店内へと進んでいく。

 二回ほどコールが鳴ったあと、千歳の声が聞こえた。


 「どしたー?」

 「えっと、醤油以外にも足りてないのあるかなと思って。なにか買うもの、ある?」

 「ちょっと待ってて」


 冷蔵庫の扉を開く音や物をかき分ける音が聞こえてきた。少しして、その騒がしい音が鳴り止み、千歳が話しはじめる。


 「ティッシュと詰め替え用の洗濯洗剤かな」

 「わかった。じゃあ、それを買ってい」

 「あと、アイスが無かった」

 「…ん?」

 「アイスが無かった」

 「え?待って。一昨日、買い溜めしてたよね。それ、あるでしょ」

 「ない」

 「ないって」

 「全部、食べちゃった♡」


 食べちゃった♡じゃ、ないでしょ。確か、十個くらいは冷凍庫に詰まってたのに、それを二日で食べきったの…。まったく、もぉ。


 「だから、昨日触ったときに、お腹ぷにぷにしてたのか」

 「バカっ!バカバカバカっ!春香のバーカっ!」

 「っ!?…いきなり、耳元で大声出さないでよ」

 「うるさいっ!スタイル、気にしてるのに、そういうこと言うなんてっ!」


 いや、うるさいのはそっちなんだけどな。しかも、スタイルを気にしている人間が、そんなにアイスを食べてて良いの?というか、スタイル、気にしてたんだ。少しぷにぷにしてたけど、健康的で引き締まったお腹周りなんだよな。一体、どこまで良いスタイルを目指しているんだ。


 「うわー。すっごい傷ついた。もう、立ち直れない。今すぐ春香がアイスを買って帰ってこないと立ち直れないよ、これは」

 「はぁ…。はいはい。アイス買って帰るから、機嫌直して」

 「バニラ味と、あと春香の分のアイス。なるべく違う味で」

 「なに?シェアするの?」

 「もち」

 「わかった。じゃあ、ティッシュと洗濯洗剤とアイス2つね」

 「春香、大好き!ちゅっちゅっ!」

 「あー、私も大好きだよ」

 「じゃ、待ってるねー」

 「はーい」


 通話を切り、買い物へと戻る。

 これは、早く帰らなきゃ、さらにいじけちゃうだろうな。とっとと買い物済ませて帰りますか。

 このスーパーは、広いワンフロアの中に食料品から生活必需品まで揃えてある。醤油とアイスが置いてある食料品コーナーは、入り口から比較的近い棚にあるのだが、ティッシュと洗濯洗剤などの生活必需品コーナーは一番奥の方にあるため、必然的にこのフロア全てを一通り見てしまうことになる。


 「醤油オッケー。アイスは溶けちゃうから、最後にして…んっ?」


 醤油をカゴに入れた後、生活必需品コーナーに行く途中、赤文字で値段が大きく記されたpopに目を引かれた。

 

 「チリンビールの6缶パックが999円っ!」


 生活必需品コーナーから目的を変えて、ビール売り場へ一直線に向かう。

 さっき、お刺身を買いに立ち寄った時に見逃してたっ!これは買いでしょっ!このサイズなら五セットくらいは自転車のカゴに積めるよな…って、お一人様2セットまでか。まぁ、そうだよね。千歳、連れてくればよかったなぁ。


 「おいしょっと。結構、重くなっちゃったな」


 結局、千歳に頼まれた買い物と、チリンビールのセット二つを買った私は、自転車の前後についている大きめのカゴに荷物を積んで、帰路についた。



×



 「ただいまー。千歳、ちょっと手伝って」

 「おかえり。うわっ。ビールいっぱい」

 「安売りしてたから買い溜めしちゃった」

 「へぇ。いくら?」

 「いくらでしょう?」

 「あー、1,500円くらい?」

 「ざんねーん。1セット999円でした」

 「安い…の?ビール買わないからわかんないわ」

 「フフッ。そうだよね。見た目だけなら、千歳の方がお酒好きそうなのにね」

 「春香は、見た目小学生だからね。年齢確認されなかった?」

 「そこまで子供じゃないし」


 買ってきたモノを一通り片付け終わった後、改めて食事の用意をして、二人で食卓につく。パックからお皿に移し替えた数種のお刺身と、温め直したお味噌汁。白米のご飯に、私だけにさっき買ってきた350mlの缶ビール。なかなか良い眺めだ。


 「「いただきます」」


 二人で食事をする時は、いつもお互いに目配せをして、同時に挨拶をする。こうすること、不思議といつもよりご飯が美味しくなるからだ。

 千歳とは大学一年生の頃に、サークルの新歓で知り合って仲良くなった。千歳への第一印象は、お洒落で美人、私とは住んでいる世界が違う人間という印象だった。しかし、私が酔っ払った先輩に絡まれていたところ、千歳が声を掛けてくれて助けてくれたのだ。さらに、そこから二人で抜け出し、大学生になってからの不安や愚痴を語り合っていたら、すっかり意気投合してしまった。

 夕飯をあらかた食べ終わり、お酒を飲み進めていたら、ふと、口に出てしまった。


 「千歳はさぁ、新歓の時、なんで私に声をかけてくれたの?」

 「なに?どうしたの急に?」


 お刺身の下敷きになっていたツマを、黙々と食べる千歳の箸が止まる。


 「なんか、気になって」

 「んー。特に理由はないけど、なんか可愛い子が困ってるなーって思ったから、助けただけだよ」

 「えっ!じゃあ、私が可愛くなかったら、助けてくれなかったの?」

 「かもしれない」


 千歳は、悪戯に微笑む。


 「ふーん。千歳ってそういう酷い人だったんだ」

 「冗談だって。可愛くなくても助けるよ」

 「私が、可愛いっていうのも冗談だもんね」

 「それは、冗談じゃない」

 「っ…」

 「春香、酔ってるでしょ。あとで一緒にアイス食べるんだから、ビールでお腹いっぱいにしないでよ」

 「…うん」


 あぁ。私、酔ってるんだ。


 「ごちそーさま。春香、お風呂どうする?」

 「うぇ!?あ、えっと、少し酔いが落ち着いたら入ろうかな」

 「クッ、アハハッ!うぇ!?ってなに?うぇ!?って」

 「あーもー!いいから、お風呂いって!」

 「わかったって。アタシがのぼせる前にきてね」


 千歳がお風呂に入った後、酔いが醒めてきたので、私もお風呂に入る支度をする。

 千歳にからかわれるのはいつものことだけど、今日は特にやられっぱなしな気がする。それに、か、可愛いって言われたし。普段、あまり言ってくれないから、結構、恥ずかしかったな。

———ヤバイッ!思い出したら、顔がっ!


 「あー!もう、千歳のバカっ!」


 私も、千歳にやり返したい。なにかいい方法ないかなぁ。千歳を同じ目に合わせられる方法…あっ、あった。


+


 「千歳ー。入るよー」

 「どうぞー」

 「あっ。千歳、目、瞑って。あと、壁の方に向いてて」

 「なに?今更、恥ずかしくなったの?いつも、見せてくれてるのに」

 「ふんっ。さっき、私をからかった罰」

 「それって罰になるの?」

 「千歳は、私の裸、見たくないの?」

 「見たい」

 「じゃあ、罰になるから見ないで」

 「あっ…。はぁ。わかった。目、瞑るから、早く入ってきて」

 「本当に目、瞑った?」

 「瞑った。ちゃんと壁の方にも向いた。信じて?」

 「…わかった」


 お風呂場のドアを開け、千歳を確認する。言った通り、湯船に浸かった千歳は、壁の方へ顔を向けていた。私は、少しずつ、ゆっくりと千歳の方へ近づき、手に持っていたモノを千歳の首筋へと押しつけた。


 「わきゃ!?な、なな、なになになになに!?」

 「クスクスッ!わきゃ!わきゃって!アッハッハ!」

 「もー!なにすんの!」

 「ごめん、ごめん。どーしても千歳の変な声聴きたくて」

 「って、それってさっき買ってきてくれたアイスじゃん!このために持ってきたの?」

 「うんっ。それに、ほら。一緒に食べるんでしょ?」


 私は、両手に持ったカップ型のアイスと二本のスプーンを千歳に見せた。

 呆れたように首を振る千歳にアイスを渡して、私は早々と身体を洗い流し、千歳と向かい合うように湯船に浸かる。二人で入るには狭い浴槽で、私が体育座りの姿勢を取り、私を挟み込むように千歳が脚を伸ばす。

 少し柔らかくなったチョコレート味のアイスをスプーンで掬って、千歳に差し出す。


 「はい、あーん」


 千歳は、差し出されたスプーンをなすがままに咥えた。


 「どう?美味しい?」

 「んっ。美味しい。ほら、春香も、あーん」

 「あーん」

 「美味しい?」

 「うん。美味しい」


 しばらくすると、脱力した身体に気持ちのいい熱が篭ってくる。さらに、湯気のせいで視界が白み、まるで夢を見ているかのような感覚に陥った。

 千歳の熱った頬に、汗が伝い落ちる。それをぼんやり眺めていた私は、顔を近づけ、その汗を自分の舌で舐めとった。自分の行動に驚き、一瞬で目が覚めた私は、すぐさま顔を離そうとする。しかし、千歳の手で頭をそっと抑えつけられ、動くことができなかった。

 動転していた私の左耳を、千歳の囁き声がくすぐる。


 「美味しかった?」


 左耳から走る甘い刺激が、全身へと駆け巡る。その衝撃に、思わず喉を鳴らしてしまう。


 「んぁっ…」

 「また、ヘンな声」

 「いゃ…。あっ」


 千歳は、私の腰に腕を回して身体を抱き寄せた。密着した胸から、千歳の心音が私に流れ込んでくる。この速く脈打つ鼓動を感じていると、不思議と安心して、冷静を取り戻せた。私が落ち着いた頃を見計らったように、千歳は、身体を離す。


 「まだ酔ってるの?」

 「たぶん、そうかも」

 「じゃあ、もうあがろ。酔っ払いに長風呂は危ないからね」

 「うぅ…」


 私としたことが、不覚だ。でも、ちょっと甘かったな。

 


×



 お風呂から上がった私達は、パジャマに着替えた後、二人でベッドに入り、薄暗くなった天井を見上げていた。


 「千歳。明日、バイトなんだっけ」

 「そうだよ。朝の7時から」

 「そっか。それじゃ、早く寝ないとね」

 「寂しい?」

 「…ちょっと」

 「じゃあ、これならどう?」


 千歳は、布団の中にあった私の右手に指を絡ませ、握った。それに少し驚いた私は、千歳の方を見る。僅かに差した月明かりが千歳は、優しく微笑んだ表情を照らす。それに釣られて、私の頬も緩む。


 「これなら、寂しくない」


 徐々に目蓋が重くなっていった私と千歳は、二人、繋がったまま、深い眠りについた。


 end


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