第203話5.23 マナとカナ

 私が入って来た扉とは異なる玉座の裏の隠し扉らしき場所を抜け、長い廊下を抜けた先で目に入ったのは、これまでいた屋敷とは異なる建物だった。

 ――どこに向かうのだろう? ヤヨイ様の話では、イエヤスの護衛か、クイナ婆やのような裏の仕事を任されるのではないか、という話だったのですが

 不安になる私ですが、体は勝手に命令通りイエヤス公爵へとついて行ってしまいます。そんな中、最終的にイエヤス公爵が立ち止まったのは、古寺の本堂でした。


「聖女はいるか⁉」

 本堂の障子を開けて声を掛けるイエヤス公爵。

「はい、こちらに」

 中で経を読んでいる尼さんの集団の中から先頭に座る女性が振り向きました。

「皆さま、少し早いですが、本日のお務めはここまでにいたしましょう」

 立ち上がり他の尼へと話をする尼さん。白い頭巾から覗く顔に、少しだけイエヤス公爵の面影が感じられました。

 イエヤス公爵に手を合わせて、立ち去っていく尼さんたち。最後に残った――振り向いた――尼さんだけになったところで、イエヤス公爵はすっと、尼さんの前に座りました。


「邪魔をしたか」

「いえ、もう時間ですので、大丈夫です。父様」

「そうか。ならばよい。今日は、一人追加で連れて来た。名はアズキという。腕が立つらしいから護衛にでも使ってくれ」

 言うだけ言って直ぐに立ち上がるイエヤス公爵。私に、「聖女の命に従え」とだけ告げて本堂から出ていってしまいました。


 本堂に残された尼さんと私。しばらく、見つめ合っているところで、「あ~、そうですね」と尼さんが話始めた。

「アズキさん、ですね。先ずはこちらに来て座ってください」

 自らの前を指さす聖女。私は命令に従って腰を下ろします。すると、そこに衝撃の言葉が飛んで来ました。

「操られる振りはもう結構ですよ?」

「な⁉」

 驚きのあまり、素で反応してしまう私。尼さんは、くすくす笑いながら話を続けた。

「大丈夫ですよ。ここでは、誰もあなたを傷つけませんし、イエヤス公爵様、いえ、父様もご存じだと思いますから。いえ、ここに連れて来たという事は、確実に分かっておられるという事ですから」

 なおも、くすくす笑う尼さん。

「あ、私≪わたくし≫のことは、マナと呼んでください。周りの方は聖女などと呼ばれますけど、私≪わたくし≫は好みませんので」

 少し真面目な顔で、そう告げた。


 そんな中、私の心の中は不安でいっぱいでした。

 ――イエヤス公爵には全部ばれてる⁉ どうして?

 ヤヨイ様の計画なのに……考えれば考えるほど訳が分からなくなる私。

「マナ様、どこまでご存じなのですか?」

 素直に聞いてみることにした。短い時間だけどマナ様から全く邪気を感じられませんでしたから。


「どこまで……と仰られても困ります。私≪わたくし≫には外の情報を伝えてくれる方などおりませんので」

 マナ様は寂しげに笑うだけでした。そして、その後は逆に私が色々聞かれる事になりました。


 どうして連れてこられたのか、何が知りたいのか、はたまた私の境遇まで。優しく問いかけてきてくださるマナ様。私は、全てをお話ししました。

「そうですか。狭間教が……」

 暗い顔をされるマナ様。そこに声が届きました。

「お茶をお持ちしました」

 すっと障子を開けて入って来たのは――マナ様と同じお顔のメイドさんでした。

「ありがとう。カナ」

 優しく返すマナ様。だが、そのマナ様に、「滅相も――」と言いかけたメイドのカナ様。

「きゃぁーー」

 手にするお盆を上空へ放り投げる形で派手に転んでしまいます。宙を舞うお盆と、その上にある熱いお茶。さらに、そのお茶の落下地点には――万の悪い事にマナさんが座っています。

「危ない⁉」

 立ち上がりお盆とお茶を受け取る私。

「ありがとうございます。腕が立つと伺いましたが、これほどとは思いませんでした。素晴らしい動きです」

「す、すみません。また、聖女様にお怪我を負わせてしまうところでした」

 褒めたたえるマナ様と、平謝りのカナ様、二人のあまりの反応の違いに困ってしまいました。


「大したことではありませんし、カナ様。誰も怪我をしておりませんし、もう謝罪は必要ありませんよ」

「ですけど私ったら本当にドジで、これまでも何度、聖女様にお茶を掛けたことか……」

「カナ、大丈夫ですよ。私≪わたくし≫は怒っておりません。それに、二回目からは、ちゃんとお茶をぬるくしてくれていたではありませんか。その気遣いが嬉しいです」

「聖女様、ありがとうございます」

「いえ、それよりもカナ、私≪わたくし≫のことは、名前で呼ぶようにと言っているではありませんか? 双子姉妹なのですから」

「滅相もない。私のような出来損ないを、姉妹などと……」

「何を言うのですか、カナ。ここには、あなたを出来損ないと言う人はいませんよ。ここにいるのは、皆、あなたと同じ亜人と呼ばれる方々なのですから。御覧なさい。このアズキさんの堂々たる振る舞い。関西では種族による差別など無いというのは本当のことの様です。ですので、あなたももっと自信をもって行動してください」

「はい。分かりました。……マナ……様」

「ふふ、よくできました。もう少し欲を言えば、様も不要なのですけど?」

「いえいえ、そればかりはご寛恕のほどを……」


 拝むように頭を下げるカナ様。私は、掴んだお盆を片手に、首を傾げていました。

 ――カナ様は、何の種族だと言うのでしょう。ぱっと見ましても普通の人族に見えますが

 と。


「ごめんなさい。アズキさん。さ、もう一度お座りください。カナもね――全てお話ししますから」

 私の態度でマナさん、心の内が分かってしまったのでしょう。私がお茶を配り終えたら、お茶で唇を湿らせてから話を始めました。

「父様であるイエヤス公爵様から聞いた話ですが、私≪わたくし≫達が生まれた時、トクガワ家は、それはもう上へ下への大騒ぎだったそうです。なにしろ、関東の盟主の家から差別の対象である他種族の赤ん坊が生まれたのですから。すぐに殺して無かったことにするべきだ! 家臣たちは騒ぎ立てたそうです。ですが、父様は別の手段を取りました。何だか分かりますか?」

 突然のマナ様の問いに私は首を横にするしかありません。何しろ、関西では、どんな種族の子供でも自分の子を差別するような話聞いた事ありませんでしたから。

 そんな私の様子に、マナ様くすりと笑みを浮かべ、話を続けた。

「父様にしても苦渋の決断だっと思います。何と、父様は、カナの種族の特徴であった耳と尻尾を切り落としたのです」

 ――生まれたばかりの赤ん坊から耳と尻尾を切る⁉

 あまりのことに言葉が浮かばない私。マナ様は、またくすりと笑みを浮かべながら続けた。

「そんな顔をなさらないでください。確かにカナの耳と尻尾は切り落とされましたが、命はあったのです。さらには、私≪わたくし≫をこの古寺の庵主に、カナを私≪わたくし≫の召使いとすることで共に生きられているのですから」

 普通では考えられないことです。そう締めくくったマナ様。隣で泣きそうな顔をしているカナ様の手を優しく握って頷いていた。

「イエヤス公爵が、そのような決断を――」

 私には、にわかに信じられない事でした。関東の陰謀により人生を滅茶苦茶にされた私には。

「でしたら、なぜ、未だに――」

 ――この国の混乱を招くようなことばかりしているのか

 聞きたいことが口から出てこない私。そこに、マナ様の声が届いた。

「アズキ様の疑念も分かります。こちらに送られてくる尼は、全て他種族の女性です。彼女達から話は聞いております。関東の、いえ、イエヤス公爵の言動について……です」

「いけません。マナ様!」


 言いよどむマナ様。カナ様も止めに入ります。ですが、首を横にするマナ様、ゆっくりと口を開いた。

「いえ、カナ、言わなければなりません。真実を。関東の盟主であるイエヤス公爵ですら操られているという事を」

 衝撃の言葉でした。

「イエヤス公爵が操られている⁉」

「そうです。アズキ様。方法までは存じませんが、一日の半分以上は操られているようです。特に家族意外と会う時は」

「いつから……」

「正確には、分かりません。ただ、母様が言っておられました。私≪わたくし≫達を生んでから父様は変わったと……」

 顔を顰めるマナ様とカナ様。

「カナを助けるために何かしら契約を結んだのではないか、と私≪わたくし≫は疑っています」

 マナ様は、そう続けた。

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