七話 後輩の出現
四月二日の朝。時刻はちょうど七時。
俺はランニングから戻ってきてシャワーですっきりさせたところだった。
これから弁当と朝食の準備にとりかかる。すでに何を作るかは決めているので動き出しはスムーズだった。
エリートと呼ばれる人間は何事もそつなくこなせなくてはいけない。特に今からの時代は男も家事を知っておかなくてはな。上司になった時、女性社員に『銀条部長なにもできないんですよ』などと後ろ指を指されてはたまらない。
弁当が完成し、余ったおかずで朝食をとる。
トーストをかじりながらTVの電源を入れた。
『昨夜未明、新宿歌舞伎町にて妖魔が出現しました。すぐに駆けつけた警視庁妖魔対策課によって駆除され、被害は極めて軽微とのことです』
アナウンサーの言葉に俺は我が耳を疑った。
この世界でTVを見るのはこれが初めてだっただけに、まさかこのようなニュースが平然と流されていることに衝撃を受ける。
「妖魔とはなんなんだ」
近くを漂う青いイルカに視線を向けた。
良い返事がもらえるとは思っていないが一応聞いてみる。
「妖魔は様々な要因で出現する怪異だキュイ。妖怪、悪魔、幽霊、モンスターをひとまとめにした総称だキュイ」
「つまりこの世界の人間はその妖魔と戦っていると言うことか」
「そうだキュイ。滅魔師はその最たる存在だキュイ」
馬鹿馬鹿しい……とは言えないのだろうな。
実際に詩織の異常な力を目の当たりにしたばかりだ。高校生である俺や彼女達が武器を所有していることもそこに繋がるのだろう。
やはりこのゲームは一筋縄ではいかないようだ。何度も言うが頭がおかしい。
「ところでどこまで行けばクリアになるんだ」
「言っている意味が分からないキュイ」
「詩織と俺はどこまで関係を進めればクリアになるんだ」
「交際してキスをすることキュイね。その際、好感度も八十%を越えている必要があるキュイ」
「強引に関係を進めてもあまり意味はないということか」
一応だが現在の好感度を確認する。
飛村詩織 [115/200%]
角倉岬 [0/100%]
桂木馬之助[42/100%]
思ったよりも上がっている。
昨日のやりとりで多少なり詩織の心を揺らす事ができたのだろう。
ただしどこで上がったのかは判然としない。選択肢が正解だったから上がったのかもしれないし、優しくされたから上がったのかもしれない、もしかしたらようやく付き合えた嬉しさに上昇したかもしれないのだ。
俺は女性をよく理解していない。飛村詩織をまだまだ理解できていないのだ。
「一つ聞くが、この好感度は選択肢を選んだことでしか上がらないのか?」
「良い質問キュイ。選択肢は高ポイントを得ることができるけど、それ以外でもポイントは稼ぐことができるキュイ。地道にこつこつ稼ぐか、選択肢で一気に稼ぐかはプレイヤーの自由キュイ」
「なるほど……ちなみに地味に桂木が二ポイント上昇している件だが、これは下げることができるのか」
「可能だキュイ。嫌われる行動を取れば自然と下がるキュイ」
「ではしばらく桂木とは会話はしない」
桂木の好感度は二十くらいには落とさないとな。
四十もあると危機感を抱く。
発せられたアナウンサーの言葉が意識をTVに引っ張る。
『昨晩未明、五鳥市紙無町にて女性の遺体が見つかりました。これで亡くなった方は先月を合わせて七人となります。警察は連続殺人事件として現在も捜査を続けており、五鳥市在住の方々へ注意を呼びかけています』
俺の住んでいる町で連続殺人事件とは朝から嫌なニュースだ。
まさかとは思うがうっかり殺人犯と鉢合わせて死亡とかはないだろうな。
一応昨日の夜にセーブを済ませてあるので死んでも問題はないが、できれば痛い思いはしたくない。それにゲームとは言え死ぬのはあまり良い気分ではない。
ヒロインに十二回殺されただけで充分だ。これからは無難に平和にクリアを目指したい。
朝食を終え食器を流し台に置く。
ぴんぽーん。家のベルが鳴らされた。
玄関に行って鍵を開けると恥ずかしそうにする詩織がいた。
「あの、一緒に学校に行こうかと思って……」
「もちろん構わない。少し待っててくれ」
「うん。おばあちゃんになる前に戻ってきてね」
「どれだけ待つつもりだ!」
彼女はぱぁぁっと表情を明るくする。
脚を見ればすでにそこには傷がなかった。姉が癒療師と言っていたが、どうやら本当に傷を消すことができるらしい。原理は不明だが興味はそそられた。
部屋に戻って制服を着る。
刀を腰に帯びてからコルトガバメントをホルスターに入れた。
未だ慣れない感覚ではあるが、この世界が現実とは大きく異なることを知った今では、とてもではないが置いていく気にはなれない。それに詩織もまだまだ油断できない存在だ。
家を出ると詩織が嬉しそうに隣を歩く。
「かず君とこうして登校するのも数年ぶりだね」
「そうだったか?」
「うん。ほら、私って小学校の時に転校しちゃったでしょ。だから高校で再会できたときはすごく嬉しかったの。でもかず君は私のことをすっかり忘れてて、声をかけても初対面みたいな反応するし」
「……悪かった。謝る」
「いいよ、こうやって約束も思い出してくれたし――ぷぎゃ!?」
彼女は何もないところで突然転ぶ。
ドジというか落ち着きがないというか抜けているというか。
立ち上がった彼女は赤い顔をしてふるふる震える。
「だいじょ――どわっ!?」
「かず君を今すぐ殺さないと! こんなの恥ずかしくて生きて行けない!」
いきなり抜刀した詩織が斬りかかってくる。
俺は咄嗟に反応して刀で斬撃を防いだ。
「ちょっと転んだくらいで殺しにかかるな! そりゃあ何もない場所だったのはかなり恥ずかしいだろうが!」
「やめて! 聞かせないで! 羞恥心でどうにかなりそう!」
「落ち着け、冷静になれ! 今のことは忘れてやる、俺はなにも見なかった! 詩織は気が付いたら立ち上がっていた!」
「――!!」
彼女はハッとした様子で刀を引いて鞘に収める。
それから空を見上げた。
「今日はいい天気だね」
「文字通りなかったことにするんだな」
俺も刀を収めて溜め息を吐く。
いっそのこと今からでも付き合う相手を変えようか。
しかし、もう一人の岬は拳銃所持だ。詩織よりもっとタチが悪い。まぁ本音を言えば岬より詩織の方が好みではあるし、長く戦っていたこともあって詩織の方が思うところは大きい。それにいきなり斬りかかってくる以外は別に不満らしい不満もない。
「おはよう詩織」
「あ、岬ちゃん!」
話をすればなんとやら。
岬が俺達を追いかけるようにして現われた。
「詩織、昨日言われた宿題できた?」
「うん。数学だよね」
「実はアタシすっかり忘れててさ」
「じゃあ後でノート見せてあげるよ」
「深き感謝! さすがは詩織大明神さまぁ!」
「こんなときだけ崇めないで」
会話を聞く限り詩織と岬は友達らしい。クラスメイトなのだから不自然ではないだろう。
問題は俺の立ち位置だ。この場合どう振る舞うべきだろうか。詩織の恋人候補か、それとも間を取って中立であるべきか。難しい。
「銀条って隣に住んでる割に登下校はあんまり会わないよね」
「ん? 隣?」
「なにその初めて知ったような顔。飛村家と角倉家の間に銀条家があるじゃん」
それは知らなかったな。
一応情報収集を兼ねて町内をランニングをしていたのだが、あまりにも近すぎて気が付かなかったらしい。エリートである俺がうっかりを犯すとは恥ずかしい。
「ところで、そろそろアタシのパンツ返してよ。また干してたのを取ったでしょ」
「濡れ衣だ。俺はそのようなことをする人間ではない」
「一週間前もそう言ってポケットから出てきたわよね」
「そうだったここの俺は変態だった」
俺は岬に探して返すと約束する。
すると詩織が俺の目の前に手を出す。
「もう岬ちゃんのパンツは取っちゃだめ。私のあげるから」
恥ずかしそうにスカートを片手で押さえ、ピンク色の布を俺の眼前に差し出していた。
俺は何が起きているのか分からず地面に座り込む。
「馬鹿な……ここは天国か」
違う違う。しっかりしろ銀条和也。
これはあくまでゲームだ。仮想現実なのだ。女の子が脱ぎたてのパンツを俺に差し出すはずがない。あの布もあくまで布のように見える数字。勘違いするな。
立ち上がって埃を払う。
それから中指で眼鏡を上げた。
「俺はパンツなどに興味はない」
「まさか中身に!?」
「違う! いや、違わないが! 断じて違う!」
なんとか詩織を説得して登校を再開した。
◇◇◇
俺は昼休みを利用して図書室へと足を運んだ。
目的は滅魔師が何なのかを知るため。
ニュースに平然と妖魔がどうとか流れるくらいだ、なんらかの情報をここでも得ることはできるはず。一切合切明かして貰おう。
俺は目に付く本を片っ端から抜いて机に置いた。
ぱらり。
不意に紙が擦れる音が聞こえそちらに目を向ける。
そこには一人の女子学生がいた。
はっとするような長く綺麗な銀髪と作り物のような端正な顔立ち。
身長は詩織よりも小さく、特徴的な長い前髪の間からは妖しい光を秘める双眸が覗く。
彼女は少し目を上げて俺を一瞥する。
だがすぐに本へと目を落とした。
「ヒロイン候補ではないんだよな」
「……違うキュイ」
妙な間を開けて青いイルカが返事をした。
それにしてはやけに目をひく。桂木は詩織と岬を二大美少女とか言っていたが、実際は三大なのではないだろうか。詩織と同等の容姿をここにいる少女は有していた。
まぁいい、そんなことよりも今は情報収集だ。
椅子に腰を下ろし本をめくる。
まずは辞典。常識的な名称なら載っているはずだ。
「……あった。なになに」
滅魔師とは古来より妖魔退治を専門とする職種。専門性の高い知識を有し、対妖魔の武器を使用して活動する。
関連→三大十二小家、防衛大学妖魔対策科、警視庁妖魔対策課、使役魔、霊符、呪符、霊力、霊術、斬魔刀、五芒結界、妖魔。
多いな。昼休みだけでは調べきれない感じだ。
ひとまず絞り込んで要点だけを覚えるか。
斬魔刀はっと……これか。
『斬魔刀とは滅魔師が使用する妖魔戦に特化した武具。制作方法は秘匿されており明かされていないがその力は非常に強力。独自の階級が存在している』
ふむ、要領を得ないな。具体的にどのようなことができる武器なのか書かれていない。
俺も詩織みたいに特殊な技を使えるのではと思っていたのだが。
辞書を横に置いて今度は『滅魔師解説書』を手にとる。
すぐさま目次を確認して斬魔刀のページを開いて目を落とした。
斬魔刀――妖魔を殺す事を目的として作られた武具。詳しい制作方法は秘匿とされているが、滅魔の術というものが施されていることは一般常識として認知されている。武具には意志があり自ら持ち主を選ぶと言われている。その為、強い才覚ある滅魔師ほど強力な斬魔刀を所持することができる。
斬魔刀には階級が存在する。零級を最も下に置き、下級、中級、上級、特級の五段階で評価される。なお、零級に関しては斬魔刀の代名詞とも言える『
俺はそれ以上先を読むことができなかった。
普通の武器……だと。じゃあ俺には詩織のような真似はできないと言うことか。
だがようやく理解できたぞ。詩織が力を使うことに後ろめたさのような感情を抱いたことに。
俺は滅魔師としては出来損ないなのだ。
「零級は決して使えない武器ではない」
「うわっ!?」
あの少女が至近距離から俺を見ていた。
いつの間にか本を奪われており、彼女は視線を落として本の内容を確認する。
「零級は言わば中身のない器、確かに斬魔刀としてはほとんど機能しないけど武器としてなら充分にその役割を果たす」
「そ、そうなのか……だがどうせなら力があった方が良かったが……」
「零級を持つ者とは既存の斬魔刀に認められなかったことを指す。認められなければ力を振るうことはできない。けれどそれは斬魔刀を扱えないことと同義ではない。単純に認めてくれる中身がないだけ」
少女は本を机に投げ捨てた。
「それに斬魔刀は代償を求める。むしろ力がないほうが人としては幸せ」
「どう言う意味だ」
「そのまま。強力な力を振るえば振るうほど相応の代償が必要だということ。どのようなことを求められるかはその中身によるけど、少なくともプラスになるようなことは希」
代償を伴う力だったのか。
いやしかし、考えてみれば使い放題なんて都合が良すぎる。何事にも使用しただけ消える物があるのだ。だとすれば詩織もあの刀を使う度に何かを失っていると言うのか。
もしかしてだが、俺を殺そうとしたのもそれが原因なのでは?
一途で純粋な女の子が好きな相手を殺そうと考えることは異常だ。普通に考えればその行為が無意味なことくらい分かるだろう。なのに彼女は違和感を抱いている様子がなかった。それはつまりなんらかの強制的な力が働いている証拠ではないか。
「君、名前は?」
「あべのハルカス」
「嘘を言うな」
「
歩宮は無表情のまま両手ピースを胸の前でクロスさせた。
なんだ後輩だったのか。
やけに上から目線なので俺と同じエリートかもしくは先輩かと思ったじゃないか。
ちょうどチャイムが鳴る。
俺は本を棚に戻し放課後にでも借りに来ようと決める。
部屋を出ようとしたところで足を止めて振り返った。
「歩宮さんも滅魔師なのか」
「風花でいい」
「それでどうなんだ」
「似たようなもの」
似たようなものね……じゃあ違うと言う事か。
俺は彼女はいい助言者になるのではと踏んで質問をした。
「君はいつもここにいるのか」
「だいたいは」
「そうか。じゃあまた相談に乗ってくれ」
「お礼はジュースでいい」
「有料なのか」
だが、それくらいは問題ないだろう。対価としては安いくらいだ。
しかし、そう言えば俺の金ってどうなっているのだろう。
一軒家で一人暮らししているくらいだ、それなりに持っているとは思うのだが。
帰って通帳でも見てみるか。
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