死にゲーと化した青春ラブコメについて
徳川レモン
一話 囚われた哀れな眼鏡男
理解力のある部下。
頼りになる先輩。
信頼できる同僚。
同性にはほどほどに好かれ、異性にもほどほどに気に入られ、内外問わず誰にでもいい顔をする。
――それが
現在の年齢は二十八歳。身長は百七十六。中肉中背。
自分で言うのも何だが容姿は良い方だと思っている。かけている眼鏡はシルバーフレーム。イメージ戦略としてできるビジネスマンを演出している。否、実際にできるビジネスマンだ。
学生時代はほぼ全てで学年成績トップ、在籍していた剣道部でも全国一位をとっている。文武両道の絵に描いた優等生。同級生、教師、両親からは飽きるほど賛辞を贈られ続けてきた。
もちろん慢心などはしない。世の中には上がいるものだ。
たとえ小さな世界で華々しい経歴を掴もうとも、真の世界に出ればそんなもの胸に飾るべき勲章にもならない。せいぜい話のネタにするくらいだ。社会では現在と未来が重要なのだ。
結果に繋がらない過去など思い出すだけ無駄。時間の浪費だ。
とは言え俺も人間だ。決して過去を振り返らないわけではない。
もちろん後悔だって存在する。あの時こうしていればなどと無意味な思考に支配されることだってある。今がまさにそうだ。
「ふぅ」
鼻腔をくすぐるコーヒーの香りに、俺は物思いの状態から一時的に覚醒する。
騒がしいオフィス。
携帯の呼び出しが無数に響き人の会話が入り交じる。
自身のデスクには起動中のPCと処理中の書類が置かれていた。
PC画面の端には数枚のふせんが張られ、午後から顔を合わすクライアントが記されている。双方で想定外の出来事がなければ本日中に話がまとまるだろう。
現在の仕事は上々、苦労の甲斐があって昇進はほぼ確実と評されている。
大企業で勝ち上がって行くというのは並大抵のことではない。内外の敵を味方に付け、味方にならない奴は排除し、権力を持つ上には全力でごまをすり続ける。その為に俺はどれほど時間と金を消費し、精神をすり減らしただろうか。
全ては望んだ結果を得るためだ。
幸せな人生を送るために俺は働き続けている。
そう、幸せだ。俺は俺の望む人生を送り、最後に最高だったと言って死んで行きたいと考えている。人生とは結果が全て、ゴールがあるのならそこを目指せば良い至極単純だ。だがゴールに行くにはドリブルが上手くなくてはいけない、決め手となるシュートだって重要だ。ゴールに至るまでにはそうなるだけの過程が必要なのである。
長々と話を続けているが、つまり俺にとってのドリブルは会社で成功すること。シュートとは人生で転機となる出来事だ。
転機……結婚だ。
だがしかし、間もなく昇進するだろう俺は未だ独り身。
将来を約束する恋人など姿形もない。
なぜこうなったのかは分かりきっている。原因は自分自身だ。
青春を謳歌するはずの学生時代、俺は勉学と部活に励んでいた。それはもう異性など目の端に入れることもなく。いや、少しくらい意識していたことは否定しない。男の子なら甘酸っぱい青春を期待しない方がどうかしている。
――が、俺は見事に走りきった。たった一人で。
おかげで社会に出ても異性と親密になることもなく、当たり障りのないほどほどの関係しか築けないでいた。社内における女性からの評価は悪くないと思うのだ、だがどうアプローチすれば良いのかさっぱり分からん。
誰かに相談しようにも、そう言う話を一切してこなかったせいで今ひとつ踏み出せないでいる。恥ずかしくて言えるわけがない。こんな歳にもなって女性と手を繋いだこともないなんて。俺はエリートサラリーマンだぞ。
とまぁそろそろ三十路。結婚も考えるべき歳なのだが、ここから先どうしたら良いのか分からず足踏みをしていた。恋愛など今の俺には蜃気楼、男女交際で迎える行為などは夢のまた夢だ。
もはや俺の中では都市伝説。本当に行われているのか甚だ疑問だ。
「銀条先輩」
「ん」
声をかけられ振り返れば見知った後輩がいた。
メイクをした可愛らしい顔にボブショートのふわりと揺れる髪。
性格はよく知らないが表面上の言動は嫌いじゃない。外見はどちらかと言えば好み。
「この書類、先輩に通すように言われたんですが……」
「ああ、これか。確認した後は部長に渡しておくからもういいぞ」
「ありがとうございますっ!」
彼女はぺこりと頭を下げた。
だが、顔を上げてもこの場から離れようとしない。
「……なんだ? まだ用か?」
「あの、先輩って今夜空いてますか」
「今夜か。悪いな、すでに用事が入っているんだ」
「そうですか……先輩モテますもんね」
「?」
後輩は走り去って行く。
何だったのだろうか。もしや仕事の相談だったとか。
俺はこう見えて年齢性別問わず相談はよく受ける。
彼女の言う通りモテているのだ。まぁ異性関係という意味では全くだがな。
だがしかし、あいにく今日は剣道部OBとしての顔出しがある。
後輩もそこそこ育ってきて今は大事な時期だ。恩師からもできれば相手してやって貰いたいと言われているからな。これを断るわけにはいかない。
くいっと眼鏡を中指であげる。
さて、そろそろ仕事に戻るか。休憩はここまでだ。
俺はマグカップをデスクに置いて書類に目を通した。
◇◇◇
帰宅したのは二十二時だった。
自宅は1LDKのそこそこ見栄えが良い賃貸物件。
エリートサラリーマンは住んでいる場所も見られているのである。
なぜこんなにも人の目を気にして生きなくてはいけないのか、普通の奴ならそう思うだろうが俺は昔から優等生を演じてきた筋金入りだ。今さら気になどしない。
照明を付けてダイニングにあるテーブルに鍵を置く。
「シャワーを浴びてくるか」
稽古をした後なので汗でシャツが張り付いている。
鞄をソファにおいてシャワールームへと足を向けた。
シャワーで身体をすっきりさせてからダイニングに戻り、タオルで頭を拭きながらデジタル表示がされている最新冷蔵庫を開ける。中には数本の缶ビールが確認できた。がらんとした内部に顔をしかめてから缶を一本持って扉を閉める。
ソファに腰を下ろすとTVの電源を入れた。
ぷしゅ。缶を開ける。
ぐびぐび喉を通り抜けるビールに至福の息が漏れた。
結婚したら冷蔵庫の中のあの空間もなくなるのだろうか、ふとそんなことを考えて自分を嘲笑した。馬鹿馬鹿しい。たかが冷蔵庫だぞ。
俺はもうある程度覚悟している。この先独身貴族で生きて行くことを。
独身も悪くはないと思うのだ。好きなものを好きなだけ買えて、束縛されない自由な時間を得ることができる。幸せとは必ずしも一つではない。選択肢は無数にあるのだ。ドリブルしたままゴールすることだって可能なのだからな。
今のご時世結婚しない奴は大勢いる。俺がその一人になったとしても何も問題はない。
独身のまま幸せになればいいのだ。迎える結果は変らない。
しかしだ、だからといってこのままなのはさすがに不味い気もする。
せめて異性との交際くらいはするべきだろう。
生きていく上でできるだけ弱点はなくした方が良い。異性を理解できないというのはこの現代において大きな欠点だ。昇進しても異性に関するトラブルで炎上したら全て水の泡。どうにか異性と深く接する機会を得なければ。
「なんだこれは?」
不意にテーブルに見慣れない物があることに気が付いた。
それは据え置き型ゲーム機のソフト。
俺はすぐさま部屋の中を確認して侵入者がいないかチェックした。
そもそも俺はゲームをしない。ソフトが自宅にあることはあまりにも不自然。何者かが自宅に入って置かない限りあり得ないことだった。
「いないか……」
荒らされた形跡はなかった。人の気配もない。
そこで俺はソファに戻り、これがここにある理由を探る。
弟が来たのか? だがあいつもゲームはしない。もし来るなら連絡をよこすはずだ。この線はない。じゃあ母か? もっとあり得ない。母はTVゲームなど馬鹿のすることだと言い張るほど頭の固い人間だ。そうなると残るは父だが、あの人もゲームにはまるで無関心、だいたい俺がここに住んでいるのも知らないはずだ。
待てよ、俺の住んでいる場所を知っているのは家族だけではないぞ。学生時代の友人や先輩や後輩は希にだがここへ来る。
いやいや鍵はどうする。あいつらはスペアなんて持っていない。
となるとやはりその線はないか。
誰が持ち込んだゲームソフトなのだろうか。
俺はソフトを確認する。
「む」
このゲームは俗に言う恋愛シミュレーションゲームのようだ。
一応だがその手の知識は多少頭にある。かつての上司にそう言うゲームを好む人がいたのだ。すでに海外に飛ばされてしまっていないが。とにかくその人とそつなく会話をこなす手段として恋愛シミュレーションゲームを調べたことがあった。もちろん大雑把な情報を頭に入れただけで実際にしたわけではない。
裏には『リアルな異性を体験できる!』と書かれている。
あからさまに俺を狙ったような売り文句に怪しさを感じずにはいられない。
「しかし具体的にどういったゲームなのかは書いていないのか……ふむ」
裏には可愛い制服姿の女の子のイラストが描いてある。
ということは学生という設定なのだろう。
うっすらと学校らしき背景も描かれているので間違いない。
学生生活か……俺がこんなことで悩んでいるのもそこで
せめて大学の合コンくらいには参加しておくべきだったな。あの時は不埒な場だと考えて敬遠してしまった。
今思えば社会人になってから初めて合コンに行くのはハードルがかなり高い。
恥ずかしいことなのだが俺は人前でハメを外す技術を会得していないのだ。社内の空気は読めても異性のいるどんちゃん騒ぎの空気は読めない。経験がなさすぎるのだ。
そう考えるとチャラ男などと呼ばれている人種はある意味では尊敬に値する。
とてもではないが俺には真似できない。
もしかすると彼らはその家のみに伝わる秘密の訓練を受けて育ったのだろうか。
ならば納得もできそうだ。すでにスタートから差が付いていたのだろう。残念ながら銀条家には異性との距離を縮める奥義は存在しなかった。なんと悔しいことか。
この時の俺はゲームから女性というものを知ることができるかもしれない、などと考えてしまった。
どうせゲームを制作したのはむさ苦しい男だろう。だがしかし、だからこそより分かりやすく俺に教えてくれるかもしれない。異性と付き合うまでの流れが。
もしかしたらそれからの詳細な対応もこのゲームにはあるかもしれない。
可能性を否定するのは簡単だ。けれども否定した先に代案がなければ先はない。今の俺には新たな経験が必要なのだ。たとえ期待外れでもきっかけになればいい。
さぁやるぞ。誰が置いたのかは分からないが俺はコレをやってやる。
ソフトの箱を開いて俺はディスクを取り出した。
「――しまった。肝心の本体がない」
馬鹿か俺は。ゲームには本体が必要だろう。
しかし幸い明日は日曜だ。本体を購入してスタートさせるだけの時間がある。
俺はしばらくゆっくりしてから就寝した。
翌日の昼頃、俺は大きなビニール袋を下げて帰宅した。
もちろん袋の中はゲーム機だ。リビングで箱を開けて本体を取り出し、付属するコードをTVに接続して行く。
電源を入れれば画面に起動の証であるロゴマークを現われた。
「これからどうすればいい。もうゲームができるのか」
俺はビールを持ってきてタブを開ける。
ぐびっと一口飲んでから説明書に目を通した。
……なるほど、この状態でディスクを入れれば起動するのか。
ゲームソフト『スーパードキドキパラダイス♥』の箱からディスクを取り出し、ゲーム機本体へと入れる。内部でふぃいいんと回転、読み込みが始まる。ほどなくしてゲームを始めるかどうかの文字が表示された。
ピッ。迷うことなくゲームを開始。
次の瞬間、俺は激しい目眩に襲われた。
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