第九章 絶対にいい試合にしなきゃ ―― 対杉戸商業戦・その1 ――
1
ずばん、とゴールネットど真ん中へ突き刺さった。
「次いけっ」
二年生の
続いて
さらに
続く
周囲から明るい笑いが起きて、良子も頭を掻いて照れ笑いした。
「良子、どんまい」
「ありがとう」
立ち上がった良子は、両手で軽く自分のお尻を叩きながらシュート練習の列後尾へと回った。
本当に、忘れてしまったみたいだな。
良子はまるで他人事のように心の中で呟き、苦笑した。
ボールの蹴り方のことである。
このシュート練習だけでなく、先ほどのパス練習もそれはもう見るに堪えない有様だったのだから。
重たい悩みを無駄に背負い込んで泥沼にはまっていた、という状態からは吹っ切れたのだから、ある程度はまともになるのではないかと期待していたのだけど、そんな都合のよいことは起こらなかった。
でも心は完全復活だ。
精一杯大きな声を出して、的確な指示を出して、ピッチに立ったら立ったで体力の続く限り走り回って、とにかく自分にやれることをしっかりやって必ず先輩たちにバトンを渡すんだ。
良子は拳をぎゅっと握り、決意を胸に誓った。
また自分の番が回ってきた。
なんだかさっきより上手にシュートを蹴れる気がする。いや、必ず決める!
と意気込んだはいいが、またもや空振り&尻餅。ウォーミングアップを始めてからこの十数分ほどの間に、果たして何回お尻を床に叩きつけたことだろう。
ここは埼玉県川口市にある、舟戸体育館。
女子バレーボールチームである坂本製薬ホワイトリーガンズが本拠地として利用しているここを会場に、本日は全国高校生フットサルフェスティバル、通称全フェスの女子の部、関東予選大会が行われるのだ。
観客収容数が約千五百人ほどの小さな会場であるが、広さとしては丁度よいのかも知れない。
たかだか高校フットサルの予選大会なのだから当然ではあるが、観客席はほとんどが試合参加校の選手たちばかりで、相対的にガラガラであったからだ。
既に開会式も終わり、これから第一試合を戦おうという両チームがコートを半分に分け合ってウォーミングアップをしている。
片や全国規模の大会で毎年のようになにかしらのタイトルを取る強豪中の強豪である千葉県立佐原南高等学校、
片や徹底したチームワークで去年度の東洋新聞カップに優勝して部の設立以来初の日本一に輝いた埼玉県立杉戸商業高等学校。
この二つのチームが、まもなく対戦するのである。
どちらも既にジャージを脱いでおり、ユニフォーム姿になっている。
佐原南は、上下とも深い青。
部の設立からデザインも素材もまったく変わっておらず、いまとなっては古風な雰囲気が漂うものである。
杉戸商業は、上下とも黄緑を基調に、昇華プリントによる微妙なグラデーションや、黄色や赤色の柄や文字がうっすらと入っている。
佐原南とは対照的に、最近の流行を取り入れたものである。
黄緑色の密集の中から一人、こちらへと近づいてくる者がいることに良子は気づいた。
腕には赤いキャプテンマークを付けている。
青いユニフォームの中から同じくキャプテンマークを付けている者、
「杉戸商業三年、主将の
握手を求めて、花咲蕾へと手を差し出した。
「佐原南高校三年、花咲蕾です。でもこの試合は、あっちが主将だから」
花咲主将は勝山優梨の手をぎゅっと握ると、そのまま歩き出して良子の方へと引っ張っていった。
そして自分のキャプテンマークを抜き取ると、良子の腕にはめて、良子と杉戸商業主将の手を掴んで握手をさせたのである。
「杉戸商業、三年、主将、勝山優梨、です」
なんだか狐につままれたような表情の彼女。
「あ、は、は、はい、あ、あたし、わた、わたしは、佐原南、一年、しし新堂良子でです」
良子も突然のことにびっくりして、勝山優梨の比でないくらいにつっかえつっかえになってしまった。
そんな良子の慌てぶりに逆に落ち着きを取り戻した勝山優梨であるが、新たに生じた疑問にまたびっくりした顔になった。
「え、一年生?」
「はい」
良子は何故だか申し訳なそうに、軽く頭を下げた。
「まあ、いいや。佐原南は知らない者のいないくらいの強豪校。わたしたちは胸を借りるつもりで、精一杯戦います。お互い悔いのない、いい試合にしましょう!」
勝山優梨は笑顔で、すっと手を差し出した。
「はい! よろしくお願いします!」
良子も手を出し、ぎゅっと握った。
「それじゃ試合頑張ろう!」
杉戸商業主将は、良子の方を向いて手を振りながら自分達の集合場所へと駆け戻って行った。
「青春やなあ」
近くで見ていた高木双葉が、少し照れくさい感じに呟いた。
「そうだね。……あんな挨拶されちゃったら、絶対にいい試合にしなきゃ。ね、良子」
芦野留美の言葉に、良子は振り向いて笑顔で頷こうとした。
だが、良子の顔は笑みを作るどころか一瞬にして凍りついていた。
「へーえ、ドリが主将なんだあ」
その声に、顔ばかりでなく全身がかちんかちんに凍結していた。触れれば砕けてしまいそうなくらいに。
2
双葉たちの脇を通って、その声の主がゆっくりと良子へ近づいていく。
ワインレッドのユニフォーム上下。
胸にはMORIKOSHIの金縁文字。
すらり背は高く、その顔はほっそりとしているが、釣り目で気が強そうである。結い上げて額を出している髪型が、よりその気の強さを強調していた。
彼女は良子の前に立つと、蛇に睨まれた蛙のようにすっかり動けなくなっている良子を見下ろしてニンマリ笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「佐原南に入ったって聞いていたけど、笑い話じゃなくて本当のことだったんだ。まだ入学して三ヶ月の一年生が主将だなんて、どういう仕組みなの? 面白いねえ。……いや……つまんないな。だって二回戦で日本を代表する強豪と当たれるってんで楽しみにしていたのに、たいしたことないってことだからなあ。そう思わない? ……ねえ、なんで黙ってんの? ドリってば。久し振りに会ったのに、なんで無視すんの?」
良子は口を半開きにして突っ立ったままその言葉を浴び続けるのみで、一言も返すことが出来なかった。
「誰? この無礼者は」
「つつ、つだ、つだ……」
主将の後ろで、良子は口をパクパクさせなんとか質問に答えようとした。
そう、このワインレッドのユニフォームを着た彼女こそ、地獄のような中学校生活を良子に与え続けた
「ああ」
と、花咲主将は納得したような表情になり、そしてかすかに鼻を鳴らした。
「中学の時はそっちの後輩だったかも知れないけど、いまはこちらの可愛い後輩で、大切な戦力なんだ。佐原南をどうこういうのは構わないけど、個人を侮辱するのは遠慮していただきたいな」
花咲主将は良子と同様に小柄であり、長身である津田文江とは二十センチ近い身長差があった。
だが、その崩れることのない冷静な表情は、差を埋めるばかりか余りあるほどの怖さ、迫力があった。
津田文江は一瞬怖じけづいたような表情になったが、すぐに気を持ち直したか薄い笑みを作った。
「久々の再会が懐かしくてつい正直な気持ちが口をついて出たというだけで、別に誰も侮辱なんかしてないんですけど。そうだよね、ドリ。あたしたち仲いいもんね。ああ、そうそう、お母さんは見つかったの? 家族を捨てて逃げ出しちゃったお母さんさあ、探したんでしょ? 見つかったの? ねえ、聞いてる? ねえ。本当いじわるだなあ、どうしてさっきからあたしのこと無視すんのお?」
先端に猛毒の塗られている無数のトゲが生えた、そんな疑問符の槍を、津田文江はニコニコ笑いながら良子へと矢継ぎ早に突き刺し続けた。
昨日までの良子であったならば、耐えられず逃げ出していただろう。
逃げなければ猛毒のハンマーに身も心も粉々に粉砕されてしまうであろうから。
しかし良子は、昨日までの良子ではなかった。
自分を庇おうとしてくれている花咲蕾の前に再び回り込んで、津田文江と正面から向き合ったのである。
「あ、あの……」
つっかえつっかえでまともに言葉の出ない良子を、津田文江は楽しそうに見下ろしている。良子が相変わらずであることが嬉しいようであった。
だが、彼女は知らなかったのである。
相変わらず、ではないことを。
関東へと引っ越した良子が、どれだけ素晴らしい仲間と出会い、成長したかを。
「見つかりませんでしたっ!」
良子は怒鳴るような大声を張り上げていた。
「さ、探したけれどっ、見つかりませんでした! 家族のみんなは、あたしの状態を考えてくれて、それ以上探すことや、お母さんの話をすることをしないようにしていました。で、でも、でもっ、あたしはもう平気です。また、探します。見つかるまで、探します! いつまでも!」
予期せぬ良子の対応に津田文江は少し面食らったようであったが、余裕のある表情を作り直して、また口を開いてなにかを喋ろうとした。そこへ、良子のぶるぶる震えるような大声が重なった。
「でで、でもそれっ、今日の大会とっ、なななんの関係もないこと、ですよね。……わたわたしたち、もうすぐ試合なんでっ。失礼します。もしもしも第二回戦で当たることになったら、おおお互い、頑張りましょう!」
良子は深く頭を下げた。
しばし呆然としていた津田文江であったが、やがて、また笑みを浮かべた。
「こっちに逃げてきて、仲良しに囲まれて気が強くなったのか、生意気なこというようになったねえ。それとも、ひょっとして自分が成長したつもりでいる?」
微笑みを維持しながらも、ちょっと顔を歪めてふんと鼻を鳴らした。
その時である。
周囲を驚倒させるようなことが起きたのは。
黙って見ていた主将の花咲蕾が、突然声を上げて笑い出したのである。
表情があるのかないのか分からないような、少なくとも決して笑うことのない、一見冷たく、陰で女海賊などと呼ばれている主将が。
笑い出したどころではない。
まさに腹を抱えての大爆笑であった。
津田文江は突然のことに呆然と突っ立っている。
「ああ失礼、気に障ったなら謝る。なんだ可笑しくてね」
花咲蕾は目に溜まった涙を指で拭うと、なんとか笑い声をこらえながら津田文江へと軽くお辞儀をした。
からかわれている。
そう感じたのか津田文江は、顔を真っ赤にしたかと思うと、床をどんと踏み鳴らした。
踵を返して足早に歩き去っていった。
それでもなお花咲蕾の笑い声は収まることがなく、いまにも床を転げ回りそうなほどであった。
3
「ね、良子ちゃん、ほんとにあたしがスタメンでいいの?」
真矢は先輩たちからなにかにつけて雑用ばかり押し付けられていたし、コートネームにしたってアロー北陸などという妙ちくりんな、逆に呼びにくくなるだけであろうものを付けられるし。普段から、戦力として見られていないのではとすっかり自分の能力に疑いを持ってしまっている。
だからこうした反応は、まあ当然なのであろう。
「もちろんだよ。いいに決まっている。相手の左をしっかり押さえて、行けそうならどんどん上がっちゃって」
杉戸商業の試合データを分析した結果、左からの突破率や得点率が高いことが分かっている。
だから良子としては、器用な真矢を相手の左に当てて色々と試させることで、より効果的な攻撃や守備の形を探したいのだ。
サッカーと違ってフットサルはいくらでも交代が出来るため、それほどにはスタメンという存在の重要性はない。
ただ、試合開始直後は失点しないように注意しつつも相手を探っていく必要があり、そういう意味ではスタメンの役割は重要であった。
どう試合に入るかによって、すべてが決定してしまうことだってあるのだから。
会場へ向かう電車内での作戦会議で、良子はスタメンとその果たすべき役割については散々と伝えている。
だから真矢も、ここで改めて問うような必要性はないはずなのだが、繰り返すが、中学時代に存在感ゼロであったことを自覚しそんな自分に嫌悪感を持っている彼女としては、どうにも実感の沸かないところなのであろう。
スタメンどころか、これから公式戦のピッチに立つのだという実感すら無いのかも知れない。
なお、真矢以外のメンバーは次の通りである。
コートの反対側には黄緑色のユニフォーム。対戦相手である杉戸商業の選手たちだ。
ピッチの中に散らばって、思い思いにストレッチなどをやっている。
先ほど良子たちのところへ挨拶にやってきた主将の
両校とも円陣を切り終えて、現在キックオフの笛を待っている状態である。
「任せたからな」
二年生の
たまたま目が合ってしまった高井真矢は、かかる重圧にびくうと肩を震わせると、
「は、はい」
と、すさまじく引き攣った笑顔で応えた。
「みんな、リラックスしよう。緊張していちゃあ、これまで練習してきたことを出せないよ!」
良子はピッチ脇に立って、手を叩いた。
表面上は明るい笑顔であるが、内面では苦笑していた。
誰より緊張しているくせに、どの面下げていってるんだかなあ、と。
「みんな、いつも通り自信を持ってパスを回していこう」
コート向こうで、杉戸商業の勝山優梨主将が叫んだ。
杉戸商業はパス回しの上手さが大きな特徴なのである。いわれているのみならず、成功率というデータとしても実証されている。
それほど優秀な人材の集まる学校ではないため個人技としては並の選手が多く、チームワークで補うために徹底的なパス回し戦術を取るようになり、それがいつしか杉戸商業の伝統的な特徴となったといわれている。
個人技において並とはいえ、フットサルの基本はチームワークによるパス回しであり、それが得意だというのだから、これほどに優れた特徴もないだろう。
あなどったら絶対に負ける。
そういう意味で、今年公式戦出場ゼロの一年生主体で挑むのは悪くないのかも知れない。
こちらとしては不安いっぱいで相手をあなどるどころではないし、相手もこちらを研究出来ていないだろうからだ。
優位点は優位点として徹底的に利用して、そうでない点も良い方へ解釈して怖気づかないようにして、なにがなんでも勝たないと。
良子は、ぎゅっと拳を握った。
じっとりと汗ばんでおり、お腹に手を当て拭った。
「それじゃ、始めますよ」
黒い服を来た女性審判員が大きな声で選手たちに呼び掛けながら、ピッチ脇に立った。
反対側にもう一人おり、こちらも女性である。
フットサルは第一第二と二人の審判がおり、バレーボールやバスケットボールなどと同様にピッチの外からジャッジを行うのである。
第一審判が首から下げていた笛を手に持ち、ゆっくりと自分の口へと運んだ。
つい今まで場内は少々騒々しかったのだが、いつしかしんと静まり返っていた。
もうすぐ試合が始まるというところからくる佐原南と杉戸商業の選手たちが発する緊張、それが場内の隅々にまで広がって軽口一つはばかられるような状態になっていたのである。
脆いガラス細工のように指で触れただけで粉々になりそうな、そんな空気を吹き飛ばす審判の長い笛の音が、いま場内に響き渡った。
突如どっと沸き上がった喚声を受けて、本大会の第一試合が始まった。
4
杉戸商業ボールで試合開始だ。
9番、ピヴォが右足の裏で踏み付けていたボールを、こんと軽く押すように蹴ったかと思うとすぐさま爪先で引き戻して背後へと転がした。
そのボールを前へ走りながら受けた5番の
杉戸商業のボールは、簡単に左アラである3番に繋がった。
上手い……
ピッチ脇から試合を見ながら、良子は相手のプレーに対して素直に感心していた。
勝山主将のパスではなく、受け手である3番の動き出しのことだ。
3番は、確か二年生の
良子は手にしたメンバー表を見た。
間違いなかった。
去年、杉戸商業が東洋新聞カップという大会で全国優勝した際に、まだ一年生ながらも主力の一人として全試合に出場していた選手だ。
そうか……データや伝え聞く話では、杉戸商業はチームワークだけで去年の大会を優勝した印象が強いけれど、そうじゃない。こういった確固とした技術を持つ選手もいて、それをチームワークが支え、生かしているんだ。
良子は、気を引き締めた。
「3番に気をつけて。絶対に突破させるな!」
叫んだ。
しかしその抜群の個人技によるボールキープは、注意を促した程度で対処出来るものではなかった。
高井真矢と、前から戻った
ただ、守備を固められたことを覚って攻撃を組み立て直そうと思ったか、3番は突破を諦めて斜め後ろにいる味方へと転がした。
ほっと一息の佐原南であるが、しかしその後も杉戸商業のパス回しが続いた。
佐原南のフィクソである茂満香奈美は、自分が
飛び出したピヴォの9番が斜めからゴール前へと迫り、佐原南ゴレイロの
柚葉は飛び出さずにゴール前に立ったまま、シュートコースを塞ぐような位置取りをして軽く腰を落とした。
9番はドリブルの速度を落しながら、タイミングを見計らってシュートを放った。
枠上を狙った、しっかりと腰の入った上手なシュートであった。
ゴールネットが揺れたとしても不思議はなかったが、だが柚葉はしっかりと弾道を見切って左拳によるパンチングで弾いた。
ボールはラインを割った。
CKを与えることになってしまったものの、とりあえずのピンチを乗り切ったことで、佐原南の部員たちピッチ内外ほぼ全員がほっと安堵のため息をついた。
「ユズ殿、まったくもってかたじけない」
茂満香奈美はあどけない顔のくせに時代劇のような硬い口調で、後ろ頭を掻きながら柚葉へと近寄った。
「いいんだよ別に。それよりしっかり声を掛け合わなきゃあ」
「そういうのなんか苦手で。……でも、そんなこといってられないな。やってみる」
茂満香奈美は突然大きく口を開いて、おのおのがたあ! などと注意を促す雄叫びを張り上げた。
近くにいた柚葉は、びっくりしてぶっと吹き出して自分の唾にげほげほむせてしまった。
「おい、ちょっとシゲ!」
げほごほの間に声を絞り出す柚葉。
ピッチ脇で見ていた良子も、さすがにぶっと吹くことはなかったが、ちょっと驚いて身体をぐらつかせた。そして、軽く笑みを浮かべた。
シゲちゃんって声はやたらと大きいけれど、そういえばいつも独り言だったよなあ。
以前に二人きりで会って話をした時、中学ではいつも孤立してて淋しかったとか、ここでは構っていじってくれるから有り難いけど、自分からはどう接したらいいのかが分からないとかなんとか悩んでいたっけな。
茂満香奈美だけでなく、佐原南にはタイプこそ違えども自分も含め不器用者ばかり集まっているようで、失礼だよなと思いつつも良子にはなんだか嬉しかったのである。
って、いまはそんなこと喜んでる場合じゃない!
杉戸商業のCKなのだから。
ピンチなのだから。
「ここ集中して! しっかり守って速攻を狙おう!」
良子はパンパンと手を叩いた。
佐原南ゴール前に、敵味方が密集している。
勝山優梨はコーナーにボールをセットすると、短く助走をつけ、蹴った。
大きく山なりに、密集を越えて反対側にいる6番へすとんと落ちる。
6番は、須賀崎桜がすっと詰め寄ったことに慌てて少しトラップにもたついたが、なんとか足元に収めると、真ん中に蹴り込むふりをしつつ、佐原南ゴールではなくマイナス方向へとボールを転がした。
いつの間にゴール前の密集から抜け出していたのか、そこには9番がフリーで待ち構えていた。
運が良ければ人と人の間をすり抜けてゴールだ、という狙いなのか、9番はダイレクトにシュートを打とうと蹴り足を上げた。
上げはしたが、振り下ろして振り抜くことは出来なかった。
佐原南ゴレイロである九頭柚葉が、身体を横にして滑り込んできていたのだ。
杉戸商業の連係を読み、敵味方密集する間を素早く掻き分けて飛び出したのである。
柚葉はこぼれたボールを足先でコントロールし、収めつつ立ち上がると走り出した。
杉戸商業の選手たちは、慌ててその背中を追った。佐原南の選手たちも、少しびっくりしながらも駆け上がる。
こうして、ゴレイロが最先陣を切って走るというフットサルには非常に珍しい状況が出来上がった。
しかしながら、結果には繋がらなかった。
守備に残っていた杉戸商業6番に強く肩を当てられて、柚葉はよろけてボールが離れてしまった。
ファールではない。
一昔前までのフットサルルールはとにかく接触プレーに厳しかったためファール判定であったかも知れないが、ここ最近はプレーの流れを損なわないためという名目で大幅緩和が図られており、サッカーほどではないがある程度のタックルは認めるようになっているのだ。
速攻のチャンスは失ったが、まだボールは死んでいない。柚葉はぐらりよろけたもののなんとか踏ん張って、6番と肩を押し合いながらボールへと走った。
二人はほぼ肩を並べていたが、足のリーチの差で柚葉がわずかに早くボールに触れ、蹴った。
上がってきたフィクソの茂満香奈美が、ボールがサイドラインを割る直前に間に合って、そのままドリブルで駆け上がる。
香奈美は走りながら、ちらりと一瞬横へ視線をを向けた。
真ん中には鈴鹿澄子。
反対サイドには、高井真矢がいる。
「カスコ!」
香奈美は鈴鹿澄子のコートネームを叫びつつ、強く蹴って高井真矢の走る先へと転がした。
「ええ?」
澄子と真矢が同時に声を上げた。
真矢はカスコつまり鈴鹿澄子にボールが行くと考えて、進路を変えて澄子のフォローに入ろうとしていた。結果、真矢が直進することを想定して転がしたボールは、杉戸商業に奪われることとなった。
高井真矢が咄嗟に進路再変更して6番へと接近するが、蹴り出して相手キックインにするのが精一杯だった。
「シゲ、あたしカスコじゃないよ!」
プレーの切れたところで、真矢は反対サイドにいる茂満香奈美へと文句をいった。
「ああ、えっと、相手が混乱するかなあと思って」
香奈美は、鼻の頭を掻いた。
「相手があたしたちのコートネームなんか知るわけないでしょ! こっちが混乱するだけだよ!」
続いて鈴鹿澄子が怒鳴り付けた。
「むむ、確かに」
香奈美はようやく気づくと、すまなそうに肩を小さくした。
杉戸商業のキックインだ。
大きく山を描いて反対サイドへ飛んだ。
待ち構える3番には、高井真矢がしっかりマンマークについている。
キックインの精度は少々雑であったが、空間認識力で真矢を上回ったか3番が先に落下地点に入った。
足元に収まる直前に奪い返してやればいい、と開き直ったような表情の真矢であるが、しかし勝負は相手のいることであり、思う通りにはいかなかった。
杉戸商業3番、浜野蛍は胸で受けながら身体を反転させ、ボールをそのまま胸でぐいと押しながら真矢の脇を通り抜けていた。
「ああ」
ピッチ脇で見ている良子は、思わずそのようなため息混じりの声を出していた。
5
サッカーにも通ずる練習を行っていることからハイボール処理は伝統的に佐原南の御家芸であるが、あの3番も上手い。
「……厳しいな。やっぱり」
一年生だけで戦うというのは……
相手も地域の強豪であるわけだし、一つの大会において去年全国優勝しているわけだし。
佐原南の採用している戦術部分としては、特に負けてはいない。でも、個人のところでやられてしまっている。そこをカバーするのもまた戦術ではあるけれど、限界がある。個人技を急速に向上させることは不可能だし。
でも、そもそも個人技としてはみんな充分な潜在能力を持っているはず。
気持ちの問題をどうするかが重要ということか。
つまりは、やれるんだという意識づけをすることが。
「シゲ! ポジショニング!」
それにはまず、とにかく声を出すことだ。雰囲気で押されていては、どうしようもない。
これまで良子はコートネームに対してもちゃん付けをしていたが、いま初めて呼び捨てにした。
ぱっと瞬間的に意思を伝え合うための呼び名であるというのに、余計なものを付けていられないからだ。
フィクソの茂満香奈美は良子の言葉を意識し、自分のマーク対象である9番を見つつも3番の進路を塞いで攻撃を遅らせた。
3番は、9番へ渡す振りをしつつ強引な突破から強引にシュートを狙ったが、ゴレイロの九頭柚葉に楽々とキャッチされるだけであった。
「行くぜキザ!」
柚葉は助走をつけて思い切りボールを投げた。
前線にいるピヴォの須賀崎桜が、落ちたところを素早く足裏で踏み付けトラップするが、既にそこへ6番が突っ込んできていた。
桜は判断が一瞬遅れ、かわそうとするが間に合わずにお互いボールを蹴って跳ね上げてしまう。
落ちて転がるボールへと、桜と6番は瞬発力を競い突っ込んだ。
先にボールに触れたのは桜であった。またぐように通り越すと、踵で蹴り後ろへと転がした。横目に鈴鹿澄子の動き出しが見えたので、彼女を使おうと思ったのだろう。
澄子はフリーでボールを受けた。
いや、3番がいち早く感づいてプレッシャーをかけていた。
驚いた表情の澄子であったが、なんとか背を向けてボール死守。
「カス!」
フィクソの茂満香奈美が後方からフォローに上がって来ていた。
澄子は仕掛けて3番を抜きにかかるふりをしつつ、横へと転がし、そこへ香奈美が飛び込んだ。ゴール前五メートル、完全にフリーとなった状態で、香奈美はボールに右足を叩きつけた。
決定的であった。
だが、決まらなかった。
ゴレイロの立ち位置が良く、身体でブロックされたのだ。
こぼれに反応する澄子であったが、ゴレイロは身を伏せてボールに覆いかぶさった。
「惜しかったあ! この調子! 続けてこう!」
ピッチ脇で、良子が手を叩いた。
「ナイスシュート。いい上がりだったよ」
澄子は、香奈美の肩を叩いた。
「あ、いや、その、拙者まだまだ修行が足りないでござる」
香奈美は照れたように頭を掻いた。
「そんなことない。……それより、カスっていわなかった?」
澄子は、香奈美をじろり睨んだ。
「さあ……」
鼻を掻く香奈美。
二人はどちらからともなく笑い出した。
良子もピッチの外からそれを見て、微笑を浮かべた。
雰囲気、思ったより悪くない。
でも、だからこそ交代だ。
チームの完成度としては、ずっとやってきている向こうの方が遥かに上。こちらのやり方を対応される前に、手を打っていかないと。
相手の特徴は分かった。
噂通りにパス回しが速く上手いことと、とにかく3番浜野蛍の個人技が脅威であることだ。
「シゲ、カスコ、アロ、交代!」
良子はピッチの中にいる三人へと大きな声を投げると、ウォーミングアップをしている一年生たちへ顔を向けた。
6
「テバ、ルミ……ビニ、入るよ」
なお
三人は、茂満香奈美、鈴鹿澄子、高井真矢と交代ゾーンで入れ代わり、ピッチに入った。
いわゆるセットの入れ替えを行なったことによって、ピッチに立つ佐原南の
茨崎悠希、
須賀崎桜、
山崎芳枝、
芦野留美、
「ザキ同盟プラス芦野留美」という、現状のところ攻守において一番期待の出来る形になった。
三人の連係と、芦野留美の安定感や判断力を期待したのであるが、果たしてこのセットは良子が想像していた以上に杉戸商業に対して効果を発揮した。
前三人によるコンビネーションは、良子の打ち立てた基本戦術を核としながらも自由自在縦横無尽に動き回り、次々とチャンスを作り出していった。
須賀崎桜、茨崎悠希の惜しいシュートなどもあり、そのたびに佐原南のベンチからは無念の声が上がった。
長所ばかりではなかった。
押せ押せではあったものの、その分だけ三人がすっかり自分の世界に入ってしまって、フィクソである留美の守備や舵取りの負担も大変そうであった。
一回、悪いボールの奪われ方をしてしまい、一気に攻め込まれてあわや失点という大きなピンチを向かえた。九頭柚葉の好セーブにより、なんとか難を逃れたのだが。
少しずつではあるが相手に対応されてきていることを感じた良子は、ぎゅっと拳を握りしめ、唇をかみ締めると、一つの大きな決断を下した。
「ルミ、交代! あたしが出る!」
交代ゾーンへと歩き出す良子に、部員たちの驚きや不安といった視線が浴びせられたのは当然だろう。
みな、良子の個人技があまりにも酷いものであることを充分に知っているのだから。
ただし花咲主将により良子の出場は義務付けられていたわけで、それほど大きな驚きではなかっただろうが、よりによって何故このタイミングでとは誰もが思ったことであろう。
「思いきってやってこい」
副主将の
「はい!」
良子は振り返った。
「無茶をせず自分に出来ること頑張ればいいんだからな」
須黒笛美の言葉に、良子は小さく頷いた。
前を向くと、真っ直ぐ交代ゾーンへ。
「任せたよ」
芦野留美が小走りで交代ゾーンへとやってきた。
数分しか出ていないというのに、息が荒い。それだけザキ同盟の攻めをフォローするために奔走していたのだ。
パン、と手を打ち鳴らして、留美と良子の二人は入れ代わった。
こうして良子は初めてこの大会のピッチに足を踏み入れたのである。
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