第126話 魔道具に魅入られた者

 プレスとB級冒険者パーティとの戦闘が行われた時より少し前…。


 ティアは姿を変え平凡な装いの一般女性として祭りの準備を見物に来ていた。囮であるためドラゴンの気配はクリーオゥに教えて貰いリヴァイアサンが人の姿になったときと同じくらいに留めている。そして内包する魔力をリヴァイアサンより小さめに偽装していた。犯人はリヴァイアサンよりも下位のドラゴンと見間違うことだろう。



 その頃…。




 ここは大陸有数の発展を遂げた河口の街リドカルにおけるスラム街…。リドカルには多くの人が集まる。しかしこの街においても皆が成功を、望んだ暮らしを手に入れられるとは限らない。夢破れた冒険者、希望の職を得られず、または失って生きる道そのものを失った者、元犯罪者、孤児院などの施設からも見放された孤児達…。そしてそういった者達を道具として利用したいと考える裏の組織。これらが集まってスラム街を形成していた。


 一般人は決して立ち入らないそんなスラム街のさらに奥。薄暗い一角に薄汚れた建物を見つけることが出来る。その一室で男が机に額を打ち付けている。もう何度打ち付けたことか…。額の傷は深く皮膚を破り額の骨まで到達していた。机から滴った血液は床に大きな水溜まりを作っている。


「何故だ…?何故だ…?何故だ…?何故だ…?」


 男の動きは止まらない。


「魔道具は作動した…。私の計算は完璧だ…。なのに…。なのに…」


 男はかつて世界的な魔道具の研究施設に所属し、魔道具作成における天賦の才を認められ百年に一人の逸材とも謳われた。専門は魔物のテイム。現在でも使用されているテイムを補助する魔道具の基礎理論で彼はその頭角を現した。このままその道で研究を続ければ大陸を代表する研究者の一人と言われるようになっていたと考えられている。


 しかし、男は道を誤った。彼はテイムを戦闘に利用したいと考えた。


 一般的に魔物をテイムする目的は農耕、運搬といった肉体労働の補助、老人に限らない一般家庭での生活の補助などが中心である。斥候職の冒険者が魔物をテイムして使用する場合もあるが、冒険者が戦闘でテイムという能力を有効に使用した記録は表立っては今のところ存在しない。強力な魔物は魔法への耐性を持ち、魔力を用いて実行されるテイムへの抵抗力が大きく、またテイマーの適性を持っている者は魔力量が少ないことが原因であった。


 男の研究はそういった世の常識に対抗するものであり、強力な魔物を強制的に洗脳し、その凶暴性を目覚めさせて対象を襲わせる魔道具の開発に主眼が置かれたのだ。


 その研究内容を発表してから全てを失うまではあっという間だった。テイムの本質は魔物との信頼関係を築くことである。プレスがティアに施した神滅魔法による眷属化であってもその本質は変わらない。根本を無視したその研究は多方面から強い反発を受けた。そもそもそれはテイムですらないと…。それでも主張を頑なに変えなかった男は結果として全てを失ったのである。


 リドカルの街に流れ着き、このスラムの一角で泥をすすり、命を削りながら細々と自分の研究を続けているだけであった男の身に異変があったのは一年前のことである。


「竜がこの街に人の姿で現れることがあるのです。それを洗脳しては頂けないでしょうか?そして…」


 蠱惑的な香りと共にかけられた甘い声にそう言われた後のことはよく覚えていない。気が付くと目の前にはドラゴンを発見、洗脳するために自分が思い描いた魔道具の材料その全てが揃っていた。取り憑かれたかのように寝食を忘れ一年かけて魔道具を作成した男は広場にいた一人の女がドラゴンであることを魔道具により特定し洗脳の魔道具を使用したのであった。


「それなのに!!」


 そう言って男は机に額を打ち付ける。


 男の計画では女は本来の姿を取り戻し、凶暴化して暴れる予定であった。しかし実際のところ女は姿を消してしまいその後のことは分からない。


「何故だ!!」


 男がさらに頭を打ち付けようとしたその時、


「…この香りは…?」


 そう呟くのが限界だったのか男の眼から生気が失われそれと同時に動きが止まる。


「ふふふ…。いい子ね…」


 そんな言葉と共に男の背後の空間がどろりと溶け黒い液体となって流れ落ちる。そうして空いた空間の裂け目から現れたのは黒いローブを纏った黒髪の女性であった。その見事な胸元から美しい肩にかけて大胆にローブをはだけさせ妖艶な美貌を讃えたその姿は悪魔的といっても過言ではない。


 女は男の背後から首へと手を回して抱きしめる。蠱惑的な香りと魔力が男へと纏わりつき男の鼻腔から侵入しそして脳へと辿り着く。魔法の達人であれば相当に性質タチの悪い洗脳魔法だと気づけたはずだが男にはそれが出来なかった。その艶めかしい唇を耳へと押し付けるようにして女は男に囁きかける。


「あなたはよくやった…。偉い子ね…。あなたの活躍でリヴァイアサンの棲み処を見つけることができたわ…。ありがとう…」


 男の眼、鼻、耳から血液が流れ落ち始める。極めて強力な洗脳魔法を受けた影響だ。


「でもね…。もう一つだけお願いがあるの…。広場に別のドラゴンが来ているわ…。あのドラゴンは位階が低い…。あれならうまくいくわ…。面倒だけど約束だから…街を襲わせないといけないし…冒険者の目もそちらに向く…。リヴァイアサンを退けた冒険者がこの街にまだいるかもしれないから万が一にもそんな冒険者に邪魔をされたくないの…。おねがい…ね?」


 男は血をまき散らしながらガクガクと痙攣し始める。限界が近いようだ。


「いい子ね…」


 女はそう呟いて男の頬に口づけすると魔法の行使を止め空間の裂け目に溶けるように姿を消す。それと同時にまき散らされた血液も蠱惑的な香りもその全てが消えていた。残されたのは額の傷が治っている男が一人…。


 光の無い目のまま男は立ち上がり、箱状の魔道具を手にすると無言で広場へと向かって歩き出した。

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