第90話 亜人協会の誤算

「が、があああああああ!」


 倒れ伏し、左足を抑えて呻き声をあげる豹の獣人。


 彼はそのとき十分な勝算があると考えていた。豹の獣人である彼は素早い動きで相手を翻弄しながら戦う高速戦闘に絶対の自信を持っていた。人族では豹の獣人の移動速度に勝てるわけがない。いや…移動速度はおろか剣速ですら自分の移動速度には及ばない。自慢の素早さですれ違いざま目の前の冒険者の胴を薙いで終わらせるつもりだった。ここにはポーションもある。死ぬことはあるまい…。盾で木剣の斬撃を防ぐ必要すら考えていなかった。


 低く構えた獣人が高速で肉薄し、走り抜けざまプレスの右脇腹へと斬撃を放った瞬間、斬撃を完全に見切っていたプレスは紙一重で斬撃を躱した後、桁外れの素早さで豹の獣人との間合いを詰めた。この時点で獣人はまだプレスの右側面をすり抜ける最中である。プレスは獣人の左膝へと木剣での斬撃を放った。斬撃を受けた獣人は前方に体勢を崩し、その体が宙に舞う。その間にプレスは返す木剣で左の足首へと強力な打撃を上段から叩きつけたのだった。


 獣人は地面に蹲ったまま動けない。左膝の関節は完全に破壊され、足首は健を両断され関節を砕かれたのだ。最早、彼に高速戦闘は不可能だろう。それどころか立つことすらも難しい状態である。


 先程まで沸いていた会場は音もない。協会の面々も驚愕の表情を浮かべている。プレスは蹲る獣人の首筋に木剣を当て審判を見た。


「戦闘不能ってことでいいかな?」


 確かにこの状態ではもう戦えないだろう。


「…勝者!プレストン殿!」


 我に返った審判はそう声を張り上げた。プレスはティアの下に戻りつつ会長のレムルートに視線を送る。レムルートは憤怒を抑え込んだような表情を崩していない。


「これで分かってくれたかな?」


「主殿…。やりすぎだ…」


「え?」


「周囲を見ろ。主殿を殺すまで帰してくれなさそうな状態だぞ?」


 確かに協会の面々は殺気立っているようだ。


「いや…。そんなこと言われても…」


 そんなプレスにティアは声のトーンを落とす。小声だ。


「主殿に剣で勝つなど不可能なのだ。穏便に一、二発は撃たれてやって辛うじて勝つくらいがよかったのではないか?」


 プレスが遠くを見る。確かにちょっとやりすぎた。


「そんな表情をしても手遅れだ。どうする?」


「ちょっと話をしてくるよ」


 そう言ってプレスはレムルートへ声をかける。


「おれ達が実力のある冒険者ってことを証明できましたか?」


 亜人協会の会長である獅子の獣人は苦虫を噛み潰したような表情のままだ。


「まだそなたの連れの実力を見ていない。判断はそれからだ!!」


 唸るように言うとレムルートの背後から一人の獣人が現れる。筋骨隆々とした白い虎の獣人だ。巨大な大剣を背負っており背丈は二メトルを超えている。そして纏っている武威は先ほどプレスが勝った獣人よりも強いことを伺わせる。プレスもそれを感じて軽く目を見張った。そんなプレスを見てレムルートは笑みを浮かべる。


「この者の名はタージ。亜人協会が持つ最大戦力だ。そなたの連れは魔法使いであろう?タージ相手に魔法が使えないこの空間での戦いはただでさえ分が悪い。E級冒険者であるそなたの連れでは相手になるまい。素直に敗北を認めることだ!」


「いや…普通に戦うさ…。特に問題は無いよ。それと一つ確認したい。ティアがこのタージって獣人ひとに勝ったらおれたちに普通に護衛の仕事をさせてくれ!」


 こともなげに話すプレスを見てレムルートのたてがみが逆立つ。


「後悔するぞ?」


「それよりも護衛の仕事は?」


 全く気にしていないプレスにそう言われたレムルートはニヤリと笑みを浮かべて答える。


「万が一ほどの勝機も無いが、いいだろう。そなたの連れがタージに勝つことができればそなた等が護衛となることを認めよう」


 自信満々に答えたレムルートであるが、結果としてその自信は粉々に砕け散る。レムルートが目にしたのはタージと呼ばれた獣人の巨体が一撃で地面にめり込む姿であった。

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