第6話 承認欲求と激辛料理

 昼休みの学食はとても賑やかだ。

 多くの生徒や教職員が同じテーブルを囲み、談笑しながら食事をしている。


 一方の漢エドガーは一人、2人がけのテーブルに座って食べていた。

 だが彼はぼっち飯など意に介さない。

 理由は唯一つ、《一匹狼》という字面がとてもカッコいいからだ。


 彼はフォークを進めながら、書物を読む。

 本のタイトルは『新世紀に問う《正統魔術》』


 この大陸で信仰されている宗教を取り仕切る教会組織、略して教会。

 教会が認めた魔術は《正統魔術》と呼ばれ、それ以外の《異端魔術》を行使すれば魔女狩りの対象となりうる。


 教会が行う魔女狩りや異端狩りは、魔術を衰退させる原因となっている。

 だから魔術を自由に使わせてくれ、というのがこの本のテーマなのだ。


「魔術の衰退は『すでに』始まっている、か──それが《世界の選択》というわけだな。その《滅びの運命》を避けるにはどう行動するべきか……」


 エドガーは物憂げに呟く。

 周囲の生徒や教職員たちは、そんな彼を物珍しそうに見ていた。


『──ほほう、新しい考え方をしておりますな』

『──《世界の選択》って言葉、カッコいい!』

『──あの人、バカなんじゃないの?』


 賛否両論はあるが、エドガーは注目されて悦に浸っていた。

 たとえ罵倒を受けたとしても、「フッ、我が崇高たる理想を理解できないとは。なんと凡俗なことか」と笑い飛ばせばいい。


「──あの……すみません……」

「ん、どうした?」


 突如として女声が聞こえたため、エドガーは顔を向けて声の主を確認する。


 その女生徒はエドガーのクラスにいた生徒であり、そして彼の旧友でもあった。

 彼女はお盆を持っており、どうやら席を探しているようである。


「あの……エドガー・シャロンさん……ですよね? わたしのこと、覚えてますか……?」

「覚えてるよアリス。元気だったか?」

「うん!」


 女生徒アリスからは緊張の色がなくなった。

 教師エドガーが実は自分の知り合いだった、という確証が取れたからだろう。


 アリス・カルヴァン。

 異端審問官時代の元同僚の妹で、なにかと話をする機会が多かった。

 数ヶ月前になんの前触れもなく失踪したが、その直後にこの学院に転校したのだろう。


 彼女は肩にかかる程度の金髪を、ツーサイドアップにしている。

 体格は小さい方でかなり幼い印象を受けるが、それ故に愛らしく可憐である。


 アリスはお盆を持ったまま、エドガーに誘いをかける。


「お昼ごはん、一緒に食べない?」

「いいよ。どうぞ座ってくれ」

「ありがとう!」


 アリスはエドガーと対面する形で座る。

 「《一匹狼》はカッコいい」と思っていたエドガーだがそれと同時に、気心の知れた友達と食べるのも悪くないとも思っている。


「アリスは白身魚のマリネか。悪くない選択だ」

「でしょー? エドガーさんはトマトソースのパスタ?」

「ああ、一口食べてみるか?」

「うん!」


 エドガーはパスタが乗った皿をアリスに差し出す。

 アリスはフォークで麺を巻き取り、とても嬉しそうに口にした。


「か、辛っ!? ちょっと、なにこれ!?」

「フハハハハハッ! それはな、スパゲティ・アラビアータだッ! 辛くてうまいぞ!」

「もー、それならそうって言ってよ!」


 唐辛子の味が強いトマトソース。

 それがアラビアータと呼ばれるもので、名前の由来は《怒り》である。


 そうとも知らずに激辛料理に挑んだアリスは、「アラビアータ」の名の通り、可愛らしく怒っていた。


「あはは。ごめん、悪かった。ほら、この牛乳全部あげるから。辛味が緩和されるぞ」


 エドガーは牛乳をアリスに差し出す。

 無論それは飲みさしではなく、彼が完食し終わった後に飲み干す予定のものだった。

 牛乳を明け渡すことは自殺行為にも等しいが、友人のためには仕方がないと彼は諦めた。


 アリスはコップを勢いよくひったくった後、両手に持って一気飲みする。


「──ぷはっ……はあはあ……死ぬかと思った……」

「でも、癖になるだろ?」

「ならないよ!」

「我は予言する……一週間後くらいには、身体は《憤怒のアラビアータ》を求め欲することであろう、と。禁断症状に悶え苦しんだあとの背徳的な味に愉悦を覚え、さらなる快楽を貪り尽くすこととなる……フフフ」

「ヘンなこと言わないで! ──あはははははっ!」

「ハハハハハッ!」


 エドガーとアリスは大笑いする。


 エドガーはこの一連のやり取りが、愉快で仕方なかった。

 友達とバカをやる機会は、彼にはあまりなかったためである。


 エドガーとアリスは気を取り直し、それぞれ食事を始める。


 アリスは先程のアラビアータが少し尾を引いているのか、食べづらそうにしている。

 それでも泣き言を言わずに食べていて偉いなと、エドガーは感心していた。


 一方のエドガーはアラビアータの、舌を焼く辛さに酔いしれている。

 大量の汗と鼻水と涙を垂らしつつ、必死に食らいつく。

 傍から見ればただのバカだが、彼はそんな外野の評価など気にしない。


「よくそんな辛いの食べられるよね? エドガーさんはすごいなあ」


 エドガーが激辛料理を好むのは、ひとえに承認欲求を満たせるからである。

 常人は激辛料理を食さないゆえに、そのような物を嬉々として食べれば間違いなく羨望の眼差しで見られる。


 今のアリスのように「すごいね」などと褒められるのだ。

 それが激辛料理を食べることで得られる愉悦だと、エドガーは思っている。


 そのような浅ましい動機で食べているうちに、本当に辛味の魅力に目覚めたというわけである。


「別にすごくないよ。最初は俺も嫌いだったけど、何口か食べればハマるから。もう一つどうだ?」

「い……いらない! わたし、絶対にハマらないからっ!」


 アリスの碧眼はとても潤んでいた。


 よほど激辛料理が嫌で、二度と口にしたくないのか。

 あるいは、辛いのは嫌だけど油断したらハマりそうだから、必死になって抑えているのか。


 それはすなわち、イケないことをすることで得られるスリルや背徳感を忌避するのと、意味合いが似ている。

 あるいは、本当は罵られたいけど自分がマゾで変態であるとは認めたくない、それと同じだ。


 エドガーは彼女の真意を、興味津々で予想している。

 が、それよりももっと重要な話があると思い至り、彼は話題を変えることにした。


「──それにしてもアリス、突然いなくなったからびっくりしたよ。転校してたんだな」

「黙っててごめんね。言いそびれちゃったの」


 アリスはとても申し訳無さそうにしている。

 そんな彼女に対してエドガーは「謝らなくていい」と言い、なんとか罪悪感を和らげようとした。


「そうだ、なにか悩んでいることはないか? 転校してそんなに経ってないんだろう?」

「ううん、大丈夫。最初はちょっと不安だったけど、みんな優しくしてくれるし。ルイーズさまは特に、わたしのことを気にかけて下さったんだよ」

「え、あの王女さまがか? 俺にはめちゃくちゃ厳しかったけどな」

「もう、それはエドガーさんが更衣室に入っちゃったからだよ……ふふ」


 ルイーズを含むクラスメイトが、彼女に対して優しく接してくれているということ。

 エドガーはそれが聞けて、とても嬉しく感じていた。


「あら、誰の話をしているのかしら? 私も混ぜてほしいわね」


 噂をすれば影とは、まさにこのことである。

 エドガーの背後には、配膳トレーを持ったルイーズが立っていた。


 この時エドガーの毛穴からは、変な冷や汗が滲み出ていた。

 それも、激辛料理を食べた時以上に。

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