狂い咲く寒芍薬

寒芍薬……クリスマスローズの和名。花言葉は、中傷、誹謗、悪い評判など。




『まあまあ面白かった』


 総一が初めて書いた小説で、読者から最初にもらった感想だ。正直、嬉しかった。嬉しすぎて、電車のなかだったのに声が出てしまったのを覚えている。感想の内容ではなく、もらえたこと自体に感動した。


 友人や家族ではない、まったくの赤の他人から得た作品の評価。


 自分が認められたかのようなその錯覚は、気恥ずかしい優越感と、危うげな陶酔感とを総一にもたらしたが、それと同時に、承認欲求に飢えていた己の卑しい側面にも気づかされることとなった。


 読んでもらえるだけで満たされていた欲望は日に日に膨張していき、やがて届く感想などには目もくれなくなった頃、いつしか総一は作品のPV数とサイトのランキング順位ばかりを気にするようになっていた。


 紙の小説は知らないが、ウェブ小説にはより多く読んでもらうためのテクニックがいる。たとえ面白い作品を書いても、SNSでただ宣伝するだけでは駄目だ。流す時間帯や、宣伝の書き方にも気を配るのは当然で、SNSの基本的な活用術も押さえておいたほうがいい。


 総一は開いたラップトップの画面に書かれた、『トリニティ・サーガ』というタイトルをしばらく眺めてから、壁に表示された残り時間を見やり、もう何度目になるかわからない溜め息を盛大に吐き出した。書けるわけがない。こんな状況で。ましてや最高傑作など無理に決まっている。


 良い曲を書けと売れる曲を書けでは意味が違う。売れたからといって、必ずしも万人の心に染み入る楽曲だとは限らない。どちらかといえば、数字を使って集団心理を煽動したといったほうがしっくりくる。物事の流行り廃りには仕組みがあり、同じことはウェブ小説にも言える。


 ファンタジーを例にとると、ひと昔前まで王道だった勧善懲悪モノは鳴りを潜め、現在人気となっているのは異世界での生活を描いた日常系で、アドベンチャー的な要素はほとんど見受けられない。だが、これも以前は立場が逆だった。時代の移ろいに合わせ、人々の求めるものも変わるということだ。


 この数時間、書いては消してを繰り返している画面の空白を見つめ、文章が降りてくるのを待つ。ノルマの一万字にはタイトルも含まれるのだろうか。残り時間はまだ二十時間以上もある。それでも間に合うか自信がない。書きはじめたばかりの新作を、数日前に公開してしまったことが悔やまれる。




 ——キヴウェゾン王国、疑いの森、精霊の祭壇付近。


「なぁ、おい、ナッシュ。ナッシュ!」


「なんだよ、うるせぇな」


 ナッシュと呼ばれた少年が振り返り、手にした松明で背後を照らすと、巻き毛の少年が眩しそうに顔の前に両手をかざした。


「やっぱりまずいよ。日が暮れてからの祭壇近くは魔物が出るって」


「ハァ……ルルト。おまえ、怖気づいたんだろ」


「違うって、そうじゃない。父さんが」


「心配すんなって! まだ日は暮れてねぇだろ。ほら、見ろよ。空のあのへんちょっと明るいし。それに、祭壇には聖剣があるっていうから、いざとなったらそいつで魔物をぶった斬ってやるさ!」


 意気揚々とナッシュは言い放ち、まだ何かを言いたそうにしているルルトを尻目に、「早く行こうぜ!」と言うなり前を向いて歩き出した。剣術なんて習ったことないじゃないか、という言葉を飲み込んでルルトが後に続く。


 獣道を進んでいるうちにも辺りは少しずつ暗くなり、ときおり森を吹き抜ける生暖かい風が、繁みを揺らしては大きな音を立てた。ナッシュが持つ松明の他に明かりはなく、たとえ近くに猛獣や魔物が潜んでいても、それらを感知することはできそうもない。


 前日に雨が降った満月の夜にしか咲かない、勇者の証と呼ばれる珍しい花——マーシャアンカ。ナッシュはそれを手に入れ、十五歳で行われる成人の儀を早めてもらうつもりらしい。なんであと三年くらい待てないんだ、とルルトは呆れる。


「ナッシュ。聞けって」


「もう、なんだよ。さっさと歩けよ」


「違うんだって。思い出したんだよ」


「なにを」


「父さんが言ってたんだ。出るのは魔物だけじゃ」


 言い終わる前に何かにぶつかったルルトは、「いてっ」と呟いてからそれがナッシュの背中だとわかり、「急に立ち止まるなよ」と文句を言ってから「ナッシュ?」と不安げに声を掛けた。返事がない。


「ナッ……」


 ルルトが再び呼びかけようとすると、ナッシュが「シッ!」と短く息を吐き出してその声を制した。松明の炎が風に煽られる音と、虫の鳴き声が大きくなる。


「ルルト」


 ナッシュに小声で名前を呼ばれ、「どうした?」とルルトが聞き返す。


「うしろ、絶対に振り向くなよ」




 ——同時刻、ノス公国、ノス公爵家、舞踏会ホール。


 楽団の奏でる軽快な音楽に合わせ、くるくると踊る豪奢な衣装に身を包んだ貴族たちを横目に、外の空気を吸って夜風にあたろうと、シグリスはホールを横切ってバルコニーへと向かった。


 普段と違って甲冑は着ていないが、シグリスが帯剣しているのを見れば、貴族よりも身分の低い軍人であることがわかる。ホールにいる人間は誰も彼には注意を払わないし、話し掛けることもない。建物内に入れるぶん、番犬よりはいくらかマシというだけの存在だ。


 扉を開けて外へ出ると、纏わりつくような湿った生温なまぬるい風が、シグリスの頰をぬるりと撫でていった。幸いバルコニーに人はおらず、遠方の山々のあいだへ沈もうとする落暉らっきの光が、闇に染まりつつある夕刻の平原を、美しい黄金色こがねいろに輝かせている景色を独り占めできた。


 こうしていると、争いなど起きていないかのように錯覚してしまう。世界に問題などひとつもなく、どこまでも静謐で、ただただ美しい。万物は移ろいゆくが、それが本来あるべき姿であり、なにも憂うことはないのだと。


「ふっ」


 思わず自嘲の笑いが漏れる。戦場では剣を振るって人を殺しまくっている自分が、一体何を軟弱なことを。


「シグリス殿」


 名を呼ばれて振り返る。暗くて顔がよく見えない。帯剣していることから軍人ではあるようだ。


「誰だ」


「アラムです」


 聞かぬ名だ。見知った顔の奴はいくさの後に大抵いなくなる。それを知ってからは、いちいち名前など覚えなくなった。ここにいるということは、少なくとも腕の立つ男ではあるのだろう。ただの雑兵には公爵家の敷地にすら入る資格はないのだから。 


「何用だ」


「公爵様が全護衛を東のバルコニーへ集めろと」


 気づけば楽団の音楽がやんでいる。


「了解した。何事か起きたのか?」


「詳しいことはわかりませんが、空が異様だとか」


 言われてシグリスが頭上を仰ぎ見ると、群青色に染まりつつある空には星々が白く瞬いているだけで、特に異変はないように思われた。


「ただちに向かおう」




 ——同時刻、メガシア王国、ネルロー村東部、カダン山脈、祈りの洞窟。


 日課の礼拝を終えたリーシアは、壁に立て掛けていた松明を手にし、暗くなりつつある洞窟内を急ぎ足で出口へと向かった。早く帰らなければ。


 寒くなる直前のこの時期、冬ごもりに備え、餌を求めて動物たちが頻繁に現れはじめる。ほとんどは人間を恐れる臆病な種が多いが、なかには危険な大型の獣もいると聞く。


 いつもより日が落ちるのが早い気がする。洞窟の外へ出てその原因に気がついた。来るときは晴れていた西の空に、暗雲が立ち込めはじめている。部分的に夕日が差してはいるものの、空の他の部分は今にも雨が降り出しそうなほどに暗い。


 雨で松明がやられる前に




 筆がのってきたところで、ポケット内のスマホが振動し、総一はキーを打つ手を止めた。メールでも届いたのだろうと無視しようとすると、まだ震えているのに気づき、電話だろうかとポケットへ手を入れてスマホを取り出した。


 画面を見るなり「え?」と声が漏れた。電話ではない。メッセージが届いたというSNSの通知が次から次へと現れてくる。馬頭間頼斗のアカウントだろうか。だが、プロフィールを埋めただけで反応があるのは奇妙だ。


 ポップのひとつをタップして開こうとした総一は、部屋に硬貨がじゃらじゃらと流れ落ちるような音が響き、思わず身体を震わせて頭を上げた。モニターの左脇の壁に大きな赤い数字が表示されている。一桁目はゼロで固定されているが、二桁目の数字が回転を続けており、たった今、三桁目に『1』が現れた。


 ポイントだ。どういうわけか、ポイントが流れるように入ってきている。作品を公開するどころか、投稿すらしていないというのに。一体何が起きているのだ。


 壁の数字からスマホへと視線を移してSNSを開く。メッセージが十件以上も届いている。眉間に皺を寄せつつ、メッセージのアイコンをタップした。


『失せろ不正野郎!』


『ゴミカスは文章書くな』


『通報しといたわ』


『評価してやるからさっさと作品アップしろ』


『ファンタジーが得意ってどれほどのもんだよビッグマウス』


 不正やら通報やら、こいつらは何を言っているのだ。まったく身に覚えがないことで責められている。にも関わらず、なぜかポイントが入り続けている。何かがおかしい。これらのメッセージとポイントは相関関係にあるのだろうか。早急に原因を突き止めなければ。なにやら酷く、胸騒ぎがする。

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