第23話 命がけの対決

 あった。

 吉備津丸を無事地面から拾い上げると、またぼんやりと光を放ち始めた。

 それを反射した虎之介の顔も白くぼうっと光っている。

「それが、探し物でございますか」

 のぞきこんだ深田が言った。

「なんと、光っておるようですが、それはいったい……」

「これを探していたのには違いないが、まだ別に探し物はあるのだ」

 影が動き、なり損ねが提灯に取りつこうとしていたのを見つけた。

 とっさに小刀を突き出すと、糸が切れたように穴の淵に倒れ込み、動かなくなった。ほかのなり損ねは、吉備津丸の光を恐れるように暗闇に引っ込んだ。


「こ、こやつらはいったい、なにもので」

 深田は目を剥いた。彼はようやく置かれた状況に理解が及んだようだった。

「かいつまんで言うと、わたしとおまえの敵だ。わたしは探し物にきて、ここの番人に見つかってしまったとでも考えてくれ。しかし、よく提灯を持ってきてくれた」

「はは、そろそろ空が暗くなりはじめておりましたから、お姿を見失ってはならんと考え、これが一番かと。番屋から無理にひったくって参ったのですが」

 深田新八は恥ずかしそうに言った。彼も夢中だったらしい。

「実は、遠望いたしました殿の後ろ姿から、なんと申しますか、ただならぬ気配を感じましたもので、きっと深い理由がおありに違いないと、とるものもとりあえず」

「そんなに、ひどかったかな、わたしの後ろ姿は」

 自覚していた以上に悩みが表に出てしまっていたようだ。城主としては、まだまだ修行が足らない。

 戻ったらさらに精進し、家臣に余計な心配をかけさせない城主にならなければと思う。ただそれも、生きて帰れたらの話だ。


「しかし、変わったところにございますな」提灯の光の下で、深田はようやく周囲を見回した。「外にいた婆さんに、探し物をされているお侍がここで消えたと聞き、取り急ぎ飛び込んだのです。しかし、茂みかと思えば穴。おまけに餓鬼みたいなのもいるし、もしや地獄の入り口では」

 いまごろになって、深田は恐ろしさを覚えたようだった。動いてから考えるたちかもしれない。

「地獄ではないのだが、なんとも言い難い。そうだ」ようやく虎之介は説明を思いついた。「こう言えばわかるか。つまりここが橋に穴をあけた奴らの隠れ家だ。探しているのは、その首魁」

「ふえっ」


「あら、新しいお客さまは御家臣かしら」また朱の声がした。「なら、別のをお召し上がれ」

 さっきより少し元気そうななり損ねが二、三人奥からあらわれた。今度は狭い穴の中を四つん這いになって近づいてくる。

「お、おまかせを」

 新八が抜刀して立ち向かったが、その危なっかしい腰付きに、虎之介もひとまず吉備津丸を懐にしまい、脇差を構えなおした。

 細くて手足の長いなり損ねが、新八をすりぬけて虎之介まで手を伸ばしてきた。

 手首を刀で薙いだ。敵は手を引っ込めたが、血は流れない。

「それねえ」また朱が口を出してきた。「出来がどうにも中途半端なのよ。円津が焦って作ったのに人前に出せず、そのままにしてたの。よかったらまだまだあるから、存分に味わって」

 身体がかしいだり、細すぎたり、いずれもうつろな顔をした男たちがのろのろと奥からやってきた。

 すべて傀儡のようで、自分の意志で動いているとは思えない。

 「やっ、この男に見覚えがあります。女と逃げたと噂だった厩番です。なにかと評判の悪い男でしたが、こんなところに」

 虎之介をつかもうとした男を新八が懸命に引っ張りながら、言った。

「深田、こいつらの爪や歯には気を付けろ。獣と同じであとで効いてくる毒があるらしい」

「はっ。毒にございますか」

 突っ込んできたなり損ねを、虎之介は抱え上げて壁に投げ飛ばした。こんな場所でも新八は、「おみごと」と追従を言った。


「あらあら、ご精のでますこと。もっとじっくりお相手したいのだけど今宵は忙しくて。これも、あの生臭行者が円津を壊してしまったせいよ」

 また朱の声がした。やはり、同時に複数の術は難しいらしい。しかし、知られてもどうってことないと考えているみたいなのが、朱らしい気もする。戦をしているつもりは、まったくないようだ。

「との、さっきから時折聞こえる、この声は女ですか……」

 ようやく新八が聞いてきた。空耳だと思っていたようだ。

「わからぬ。しかし、これが一味の頭目の声だ。この先にいるはず」

 話しているうちに、なり損ないに前後をとり囲まれた。ふたりは提灯を掲げ、吉備津丸を振り回しながら、背をかがめ奥へと突っ込んだ。


 朱の声がまた途切れている。

「森で暴れた僧は、円津というのか。あれは昔からおぬしの手下だったのか」

 虎之介が闇に声をかけると、

「あー、違うの」時間を置いて返事があった。意外に律儀な妖怪のようだ。

「はじめはね、奴の方からここに悪霊がいると聞いてお祓いにきたの、悪霊ってあたしのことね。それを言いくるめて結縁したってわけ」

「ふむ」

「表向きは善人ぶっていても、心の奥には押し込めた邪が渦巻いてるような男だったから手間はかからなかった。それに、そこにいるあなたのお供よりは役に立った。この国は、いずれあいつに任せてもいいと考えてたのに、残念だわ。よければ殿様、代わりをお願いできる?」

「わたしが仲間になれば、他のものを許してくれるか。あるいはわたしの命と引き換えに」

 新八もぎょっとした顔で虎之介を見た。


「そういうの、いや」朱は少し憤ったようだった。「身代わりとか犠牲とか、そんな考えは嫌いなの」

「そっちが先に言っていたのではなかったか」

「いやねえ、あれは方便」朱はあっさりと認めた。

「身代わりとか命をかけるとか、さもなければ勢力をどんどん増やそうとか。殿方はそんなことばっかり言う。あの坊主もそう。仲間を増やせ増やせって。将棋じゃあるまいし、駒ばっかり増えても仕方ないのにね。あいつ、生まれは武家だったの。だからかな」

 朱が気楽そうにしゃべる一方、虎之介と新八は奥に進むにつれ、ますます増えてきたなり損ねと必死で争っていた。

 いやな臭いをふりまく数人に囲まれ、思わず懐から出した吉備津丸を一人につきたてると、声にならない声をあげ、なり損ねは倒れて動かなくなった。

 歯軋りのような音をたてて他のなり損ねは一斉に逃げ出し、ふたりを遠巻きにした。

 しかし、さらに奥からなり損ねがあらわれた。合わせると十人はいそうだ。

 守り刀で刺したさっきのなり損ねが、洞窟の地べたに転がり、提灯の灯りに照らされていた。見ると、顔の肉が落ちて骨が剥き出しになっている。

「うえっ」それを目にした新八が口元を手で押さえた。

「これは。さっきまでただ気を失っておったのに、今度見たら骨に」


 虎之介は悩んでいた。

(殺したくないが、どうすればいい)

 生きているのか死んでいるのか、なり損ねについてはよくわからない。だが、もとは彼の家臣や領民の可能性が高い。まだ生きているのなら、自分の手で殺したくはない。

 しかし、穴の奥に進まなければ、朱とは会えない。

 吉備津丸を振り回しながら、穴の先に飛び込もうとする。だが迷いがあったのか、うしろが疎かになり、背後から着物を掴まれた。

「うわっ」

 今度のなり損ねは、骨と皮だけなのにすごい力をしている。

 小刀を落とすまいとして、かえって首に腕をまわされてしまった。意識が一瞬、遠のいた。

 叫び声をあげて新八がつかみかかったが、別のなり損ねに捕まった。


 真喜のことを思い出した。やさしい彼女の香りを。

(こんなくさい奴らに囲まれて、穴ぐらで死ぬのか)

 

 いや、ばかげている。

 必死の力が出た。後ろから彼をつかむ、なり損ねの髪を逆につかみかえし、力任せに前に引きずり出し、そのまま腰車にのせて投げ飛ばした。敵は仲間と岩にあたりながら転がっていき、壁にあたって動かなくなった。

 さらに、新八と揉み合っている相手の腕を取ると、その関節を固めたまま虎之介は自ら飛び込むように投げを打った。

 相手は肩を脱臼し、腰もひどく打ったようだ。地べたに転がり、わなわなもだえるだけになった。

 虎之介も固い地面で肘と膝を打ったが、興奮しているため擦り傷だけで済んだ。やわらとか組討ちというのも習っておくものだ、と思う。

 思いっきり手を伸ばし、吉備津丸を振り回すと、なり損ねの数人が腰でも砕けたように地面に座り込んだ。

 とりあえず敵の波は押し返した。しかし、すっかり息があがってしまった。

 新八とふたり、提灯の前で背中合わせになる。

(このままでは長くはもたないぞ。朱との約束など捨て置き、深田を使いに助けを呼べばよかった)

 汗が目に染みて守り刀の放つ光が滲んだ。

「ええーっと、どこまでいったかしら」また声がした。「わけがわからなくなってっきちゃった。しかしあなた、やるわね。殿さまにしておくのは惜しい」

 だが虎之介に言い返す余裕はなかった。



〈江戸・宇部家江戸下屋敷庭園〉


 当初は祖母の様子を聞かれていたのが、そのうち亡父の話に変わった。合いの手を入れたり話を変えたりのきっかけをつかめず、真喜はとまどっていた。

 一方的にしゃべっているのは旗本、花岡正義である。御用取次もつとめたはずの彼が、父親の代から祖母と交流があったのは聞いていた。しかし真喜の亡父とのそれについては、目の前で花岡が語るほど関わりがあったとは知らなかった。

 感情のこもった思い出話をされても、機械的にうなずくしかない。

 

 だいたい、真喜と父親とには、心の交流と呼べるようなものは存在しなかった。

 お付きの人間が伝えてくれる、父が彼女を思ってうたを詠んだとか土産を贖ってくれたとかの話が、適当に創作されたものであるのは、子供の彼女にもわかった。

 父がどの程度娘に関心を持っているか –––– あるいは持っていないか –––– は、ごくたまに顔を合わせた時の様子から、勘の鋭い真喜には容易に読み取れた。

 父は、娘がどんな衣装を着ていようが、そして子供から娘となって、年齢の割に成長が遅いと近習たちが心配を訴えようが、張り替えた襖に対するほどの興味も示さなかった。

 真喜の夫は、実父や実兄によって わざと僻地へと追いやられていたそうだが、真喜の父はそんな感情の動きすら見せず、ただひたすら無関心を決め込んでいた。言葉をかけられたことすらまれであり、父がどんな声をし、どんな話し方だったか、いまではぜんぜん思い出せない。

 大名の親子関係などそんなものだと解していたし、父親になにかを期待する気も、はなから彼女になかった。


 ただ、寂しさや空虚さをまったく感じないとまでいえば、嘘になる。他人行儀ではない交誼を結ぶ父娘が世の中にあることは知識として知っていたからだ。

 それでも特に不満などは抱かなかった。あまりに触れ合いがなさすぎ、父のために感情に波立ちを与えられなかった。

 先年の父の悲惨な死に対してもそうだ。胸が痛まないわけはなかったが、父との思い出の絶対量が少なすぎ、長く悼み続けるための材料がない。心の冷えるような意地悪を仕掛けてきた亡兄たちの方がまだ接触があった。

 

 真喜が他者に感情を持たないわけではない。むしろ豊かなほどかも知れない。

 例えば夫とは、知り合ってからの年数は短い。しかし、折々に彼の発した言葉、見せた表情については、記憶の特別な場所に保管してあって、ときどきそれを取り出しては反芻し、真喜はひとりにんまりと笑う。ましてや将来の、死による夫との永遠の別離など、想像するだけで身震いするほど恐ろしい。

 しかし亡父に対しては、その死を瞑目するぐらいしかやることがなかった。


 目の前に立つ大身旗本による口舌はまだ続いていた。

 そのうち、互いが家督を継ぐ前、亡父との間にあった交誼について語り出し、人前で明かしていいのかと心配するほど際どい内容になった。過去の遊びやその金の出どころ、鉄火場への出入りまで明かしたかと思うと、ふいに黙った。

 ほっとした真喜が打ち切ろうとすると、また早口で語りはじめ、そしてまた、「かつて父君と共に、江戸の、江戸の、江戸の」と、まで言って沈黙した。

 これは疑いようもなく、変だ。

 そう思ったとき、たもとに潜んだぎんが彼女の腕を五回づつ、つつき続けているのに気がついた。「気を付けろ」だった。

 横を見ると花岡家の人間、鵠山側の付き添い、そして宇部家やそのほかの真喜および花岡との面談を待つひとびとまで、そろって顔に困惑を浮かべている。

 ふたり話をしているのは決して長い時間ではないが、若い大名の奥方にいい歳の旗本の当主がずっと話かけている図は、異様さが際立っている。

 思いついて真喜は視線を四方に走らせ、さっき目にした怪しさ特上の女を探した。

 見つからなかった。

 しかしその代わり、少し離れたところにある葉のまだ青い紅葉の根元に、六十過ぎに見える男が立っているのが目についた。

 真喜に人の容姿をあげつらう趣味はないが、幅の広い顔をした男は目の間隔と顎、唇およびシワの関係が、ヒキガエルのそれに似ていた。それでも平時なら眉のあたりに知性が感じられたと思うが、おそらく、わざとこちらに視線を向けない男のどんぐりまなこは、過剰なほど黒目がちだった。そしてそこには、なにかに取り憑かれたとしか表現できない静かな狂おしさがあった。

 男は、あらぬ方向にときどきうなずき、言葉を発するような形に口を動かしている。

 くちびるを動かさないまま真喜はささやいた。

「ぎん、手前のまだ葉の青い紅葉の傍らに立つ男、おかしくありませんか」

 彼女のたもとが揺れた。

「ややっ」

「どうです」

「まごうことなき取り憑かれ。できうれば、疾く逃げるべし」

「やはり」

 花岡は二度ばかり首を捻り、また話し続けている。それを評してぎんは「この旦那はただの凧。糸を持つのはあちら。けど、あのおっさんがなにをさせたいか、読めないな」

 「との、ではそろそろ。あちらでは水野様がお待ちに」ついに花岡家の家老、吉川が介入した。主人の変調を察知したようだ。

 「いやだ」子供のような断りかたに、周囲が一瞬、しんとなった。「まだこれから話さねばならぬことがあるのだ。これからが大事なのだ」

「しかし、との」

「だまれ」叱責の声は、静かで感情はこもっていない。それでも吉川をたじろがせるに十分だった。異様な気配を感じてか、物見高い人が集まりはじめている。

「このような場で、そのような……」花岡が真喜に一歩近づき、彼の家臣たちがどう振るまうか困り顔になったその時、

「あっ」ふいに真喜が体をすくませた。


「ど、どうなされました」あたりにいたお付きの衆が一斉にどよめいた。

「少々、さしこみが……」

「お、奥方様」 

 真喜は胸を手でおさえ軽く腰を屈ませると、

「大事ありません、ときどきやるのです。少しその辺りで休ませてもらえれば」と言いつつ、花岡とも、カエル風の男とも離れた縁台を指し示した。

 よろよろと歩く真喜を庇うように囲んだ男女は、一斉に彼女と共に縁台を目指して移動した。

 えんは、うろたえながらも大きな身体で真喜を支え、その手をとって縁台に腰掛けさせた。きぬというお付きの女は扇で真喜の顔をあおいだ。老女の松尾は、なにやら黒い丸薬を取り出し、与えようとする。

「胸のすうっとする薬にございます」

 人の波に阻まれた花岡はその間、すっかりでくの坊のようにただ立っていた。騒動をききつけた各藩の留守居役たちもこちらに向かってきて、人の流れが変わった。

 思わぬ騒ぎに、カエル風の男・用人の橋本はしばらく真喜たちを睨め付けていたが、そのうちチッとでも言いたげに顔をゆがめ、姿を消した。

 

 運ばれてきた白湯を飲んで息をついた真喜を、ぎんがこっそり、

「あら、お上手」と褒めた。

「あら、どういたしまして。それで花岡様は」

「ぼーっと立ったまま。きっと、あとで覚えちゃいないだろうね。一体なにしたかったのかしら。それはともかく、姫さまのその見事なお芝居がもったいないから、このまま屋敷に帰られますか?見るものは見たし、食べたし。あとは三十六計逃げるにしかず」

「そうですね。ここは図々しく、この屋敷の男手を借りて帰るというのも良いかもしれません」

 彼女を心配し、入れ替わり立ち代わりやってくる関係者のうち宇部家の人間から、

「医師をお呼びいたします」と言ってきたのを真喜は直接に断った。そして、「せっかくの催しにこのような有様となり、まこと申し訳ないとお伝えしてほしい」と言いつつ胸元に掌をあてながら、悪心快方せずできればこのまま屋敷に戻りたい、ただ、もはや空のすっかり暗くなったこの時刻に、当家だけの少ない供連れで帰るのも不安であるし勘ぐりもさけたい、ましてや夜盗づれに怯え帰るのはなお口惜しい、恐縮だが途中までだけでもこちらの家中の方々をお借りし、武威をととのえ、家名を傷つけずに催しを抜けたい –––– などと主張した。

 松尾まで目をぱちぱちさせる強引な申し出ではあったが、賓客の突然の病に慌てた宇部の家臣たちは、ひ弱な奥方が体調不良に取り乱しているのだろうと好意的に解釈したのか、

「仰せの通りに」と、人を集めようとせわしなく行き来をはじめた。

「こんなところで、どうかしら」と真喜がたもとに言うと、「お上手」とぎんがこたえた。

 しかしすぐ、

「まって」と言った。「なにか、きたわよ」

 そこには、さっきの用人がいた。うしろに男女をひと組引き連れているが、どちらも表情はうつろだった。そしてそのさらに背後に、あの女がいた。女はうっすらと笑みを浮かべて、こっちを見ていた。

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