白薔薇
蒼野もか
第1話
これは、少年と少女の出会いの物語。
こげ茶色の髪に、いわゆる標準体形。顔は整っていながらも、どこか存在はおぼつかない。そう評価される彼は、一度だけ訪ねたことのある地で、住宅街に迷い込んだ。
高校一年生になった彼は、念願の一人暮らしとなり、今日は駅からまっすぐ下宿先に向かい、近所に挨拶をしに回る予定だった。
電車を降りて着いたのは3時。そして現在、4時。彼は、まだその予定を実行する以前に、下宿先にすら到達していない。立派な「大きな迷子」である。
「本当に、今どこにいるんだろ...」
長時間知らない土地をさまよっていて、彼はどこからともなく虚しさを感じさせる風が吹いてきている気がしていた。
一度来た経験からも地図からも、途中までは確実に道を間違えてはいない。それなのに迷ってしまうとは、人間というものは不思議である。
気づいた時には周りは家ばかりで、現在地の判断のつけようがない。それにまだ日も落ちていないというのに、人を見かけることが全くないのだ。何か気味の悪いものがあるのではと思った彼は、思わず背筋を震わせる。
幸いなことに彼は特に足を痛めているなどということはなかっため、もうしばらくは頑張って目印となるものを探すことにした。
しばらく歩いていると、彼はほんのりといい香りを感じた。その香りを辿れば誰かいるのではないかと、上り坂を小走りで駆け上がる。
そうして長い坂を上りきると、不意に視界が開ける。
そこには外界から切り離されたような、不思議な雰囲気を醸し出す西洋の屋敷があった。それは規模としてはさほど大きくはないのに、異様なほどの存在感を放っていて、つい後ろに下がってしまうほど。
その周囲には数えきれないほどの花が咲き誇り、それでもその調和が乱れることはない。まだ花をつけず、成長しきっていないものでさえも、目を奪われてしまうほど気高く、美しい。
そんな中でも、ひと際目を引くものが一つ。
真珠のように白いきめ細やかな肌。手足はしなやかで、背丈は150cm中ほど。そのブラウンの瞳はかすかに濁りながらも輝きを失ってはおらず、腰ほどまで伸びるその長い髪は、ルビーのように紅かった。
年は、14、15ほどであろうか。絵にかいたようなその少女に魅せられた彼は、思わず「綺麗...」とつぶやく。
そのほんの小さなつぶやきが聞こえたのだろうか、その少女は植物たちに水をやる手を止め、彼のほうを向く。ほんの少し目を見開いてから目を伏せ、にっこりとした笑みを浮かべた。
「こんにちは。こんなところに人が来るなんて、珍しいですね。何か御用ですか?」
鈴を転がしたような彼女のその声に、頬に熱が集まるのを感じながらも、彼を言葉を紡いでいく。
「え、ええっと、その、恥ずかしながらも道に迷ってしまって。もしよければ、道を教えてほしいんだけど...」
「あぁ、もしかして引っ越してこられた方ですか?それはさぞお疲れでしょう。良ければ、ハーブティでも飲んでいかれませんか?」
長時間歩いてきた彼にはとても魅力的な提案に、彼は受けることを即決する。これが悪いものではないのだと、何となくそう感じたからだ。
「それじゃあ、ご厚意に甘えて。えぇっと、僕は、純。君は?」
「私は、ましろです。お受けいただいてうれしいです。中へどうぞ。」
ましろと名乗った彼女は、慣れた手つきで柵の錠を開けていく。彼女に促され庭に足を踏み入れると、外から見たのよりも多くの種類の植物たちが目に入る。その種類は誰もが知るようなガーベラやスズランなどから、道端で時折見かける名を知らない花々、目にした覚えのないものまでと数え切れない。
「あの、アレルギーや食べられないものはありますか?」
「えっと、確かなかったと思う。」
「それならよかったです。ではこちらのお席に。」
案内されたのは四方を花々に囲まれたテラスのような場所。まるで異世界にでも来たかのように幻想的だ。
彼が呆けている間に先ほど言っていたハーブティでも取りに行ったのか、彼女の姿は見えない。彼女はここに一人でいるのだろうか。いまさらながら彼は彼女の他に誰も見かけなかったことを思い出し不審に思ったが、それも彼女が戻ってきたことで掻き消える。
「すみません、お待たせしてしまいましたね。疲れた時によく効く、ルイボスやハイビスカスを入れたものです。良かったらお菓子もどうぞ。」
「ありがとう、頂きます。」
彼女がハーブティをカップに注ぐと、ハーブの心地よい香りが漂ってくる。それに口をつけると、だんだんと体がほぐれていく感覚がする。芳醇な香りは今まで感じたことがないほどのおいしさに変換されている。
そしてやっと頭が回るようになってきたのか、彼は自分が初対面で敬語を使っていなかったことに気づき、顔を青くさせる。
「おいしい...!あと初対面なのに失礼な口をきいてしまってすみません。でもすごいですね、こんな風にお茶を入れられるなんて。」
「慣れれば難しくありませんよ。それとわざわざ敬語を使ってくださらなくても大丈夫です、むしろ使ってくれなかったほうが楽なので。」
「ですが失礼な態度をしたのは事実です。でもそういってくださるなら、普通に話します。ハーブティ、あんまり飲む習慣はないけどすごいおいしかった。」
そういうと、彼女は少しうれしそうに、口角を上げる。
「お口にあったようでよかったです。それと地図を持ってきたのですが、どこのあたりを目指していたのかお聞きしてもいいでしょうか。」
彼が目的の場所を指差すと、彼女は少し驚いた顔をしながら、彼に丁寧に道順を教えていく。
「そちらのほうに行かれる方が、こちらに来られることはあまりないのですが...。本当に迷われたんですね。」
「道を覚えるのが苦手ではなかったはずなんだけど。でも、ましろに会っておいしいお茶が飲めたから、まぁ良かったってことで。」
そんな誤魔化しに彼女はクスクスと笑いながら、周辺の説明をする。気の抜けるような会話を十分ほどしてから、彼は再び住宅街の中を歩いていた。今度は、しっかりと正解の道を。
「もし、良ければ、また。」
紫色のリューココリネが、花弁を一枚、床に落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます