~忘却の砂都編~
第80節・大海原の旅路
どこまでも続く大海原。
陽は燦々と降り注ぎ、穏やかな潮風が頬を撫でる。
私は甲板の手すりに肘をついて寄りかかりながら遥か彼方、空と海の境界線を見つめていた。
ベルファの町を出てからもう何日も経った。
途中で何度かメフィル家の艦隊に捕捉されそうになったがどうにか切り抜け、船旅は順調である。
船長の話ではあと三日ほどでキオウ領に到着するらしい。
「あと三日……か」
キオウ領に到着したらヴィクトリアを降ろす予定である。
ヴィクトリアは船旅の最中、船酔いしたミリの看病をしてくれたり、船の手伝いをしてくれたりですっかり私たちに馴染んでいる。
彼女と別れるのは寂しいがキオウ領まで連れていくのがクルギス伯爵との約束だ。
それにキオウ領から先の旅は危険な旅程となる。
彼女を連れて行くわけにはいかないだろう。
「なんだ、ここに居たのか。何か見えるのか?」
船の中からロイとユキノがやって来て私の横に来る。
私は「特に何も。島一つ見えないや」と言うとロイは「だろうな」と頷いた。
「流石にここからでは見えませんがずっと先にミカヅチの国がありますね」
この方角にミカヅチの国が……。
そう言えば私はミカヅチの国というのがどんな国なのかを知らなかった。
ミカヅチの国についてユキノに訊ねてみると彼女は「まあ、私もアルヴィリア出身なのであまり詳しくないのですが」と言いつつ腰に提げていたポーチから地図を取り出す。
そしてアルヴィリア王国の南にある大きな島を指さすとここがミカヅチの国ですと言った。
「ミカヅチの国はアルヴィリア王国の南にある島国というのはいくらリーシェ様でもご存じですね? ミカヅチの国には帝と言われる存在がおり、帝は龍の化身として崇められております」
「帝というのが国王みたいなもの?」
「少し違いますね。ミカヅチの国にとって帝は象徴的な存在、いわば女神のようなものです。実際に国を治めているのは将軍と呼ばれる存在であり、また将軍家の下に御三家と呼ばれる三つの大きな勢力があります」
「国王と大公家みたいなものか」
ロイの言葉にユキノは頷く。
「アルヴィリア王国と異なりミカヅチの国にはミカヅチ人しか済んでおらず、独自の文化が栄えております。ただ非常に排他的なため基本的に鎖国しており、アルヴィリアに伝わるミカヅチ文化はミカヅチの国から出た者や時折行われる交易にて広まったものです」
ユキノ曰くミカヅチ人は武芸に秀でた者が多いらしい。
幼いころより男女問わず戦の手解きを受け、鍛錬をする。
さらに独特の死生観を持ち戦場にて死を厭わない者が多いという。
ミカヅチの国から渡ってきたキオウ家が戦上手なのはそういった文化を引き継いでいるからであろう。
「ミカヅチ人の特徴としては頑固さも有名ですね。彼らは己の文化、信念に誇りを持っており己の意見をそう簡単には曲げない……お二人とも何ですか? その目は」
ユキノが半目で睨みつけて来たため私とロイは慌てて目を逸らす。
ミカヅチ人が頑固だというのは身近にいるのでよく理解できる。
無論そんなことは口にしないが。
「と、ところで帝は龍の化身って言っていたがアレはどういう意味だ?」
「そのまんまの意味じゃよ!」
上から突然クレスセンシアが振って来て、私たちの前で着地した。
「また上で寝てたの?」
「うむ! あまりにも暇なのでな!!」
船旅に出てからというもののクレスセンシアは良くマストの上で寝ている。
よほど退屈なのだろう。
メフィルの艦隊が近くにいると聞いた時、彼女は「暇潰して蹴散らしてくれるわ!!」と一人で挑もうとして慌てて止めたのを思い出す。
「そのまんまの意味ってどういうこと?」
私がクレスセンシアに訊ねると彼女は甲板の手すりの上に座り、足をプラプラとさせながら腕を組んだ。
「ミカヅチの帝とは水竜王と人の間にできた子の末裔。いわば竜人というわけじゃ」
かつてミカヅチの国はドラゴン族が支配していたという。
人はドラゴンに住まわせて貰っているという立場であり、支配される側であった。
ドラゴン族による支配は強圧的でありながらもミカヅチに平穏をもたらしていた。
だが人はドラゴンによる支配を望まず叛旗を翻した。
そして長きに渡る戦いの末……。
「なんだかんだあって水竜王は人間の男と結ばれたのじゃ」
「え……? なんで?」
「いや、儂にも分からん。当時のことを知っているのは火竜王や風竜王くらいでのぉ。まあとにかく水竜王は人との間に子をもうけ、それが帝となったのじゃ」
竜人である帝は代々長命であり、超常的な力を持っているという。
それ故にミカヅチの人々は帝を絶対的な存在として崇めている。
私は遠くの異国のことを想像しながら遠くを見つめているとクレスセンシアが「ところで」とユキノの方を見た。
「あのエルフは結局ダウンしたままか?」
「ええ、最初に比べて大分マシになっていますが相変わらず船酔いが酷いようで」
出航直後のミリはいろいろと悲惨だった。
船酔いをしたミリは盛大に口から逆流したり倒れたりでずっと船室で寝ていた。
ヴィクトリアが薬草を煎じてくれたり、船に慣れてきたのもあって最近はかなりマシになってきたようだがそれでも辛そうだ。
「クフフ、アヤツもずっと船室に籠っては暇じゃろう。ここは儂がアヤツの気分を晴れさせてやる」
クレスセンシアが鼻歌を歌いながら歩き始めたため、私たちは肩を竦めると彼女の後を追うのであった。
※※※
「はい、お茶です」
船室でベッドに腰かけていたミリはヴィクトリアからお茶を受け取るとゆっくりと飲む。
そして飲み終えると「ふう」と息を吐き「いつもありがとね」と苦笑した。
「まったく、まさかこんなに船酔いするなんて思っても無かったわ。アンタが居なかったら今頃私は死んでたかも」
「いえいえ! 私は何にもしてないですよ!」
いや、本当に助かっている。
ヴィクトリアが胃の調子や心を落ち着かせてくれる薬を作ってくれなかったら今頃私は部屋でゲロまみれだ。
彼女のお陰で私は乙女としての尊厳を保てている。
「まあ、あと数日で一度陸にあがれるみたいだしそれまでの辛抱ね」
そう言うとヴィクトリアが「そう……ですね」と苦笑した。
そう、あと数日なのだ。
私はこの子を結構気に入っている。
とてもいい子だし頭も良い。
近くにいると心が癒される子だ。
だがだからこそ彼女とは別れなければいけない。
危険な旅にこの心優しい少女を連れていくわけにはいかないのだ。
「とりあえずキオウ家のお世話になるんだったわよね?」
「はい。キオウの家にお父様と親しい方がいらっしゃいまして。その方のお世話になる予定です」
どういう旅になるかはまだ分からないがアルヴィリアに戻るならもう一度キオウ領に立ち寄るはずだ。
その時にヴィクトリアに会いに行くのもいいだろう。
そう彼女に伝えると「楽しみにしています」と彼女はやや寂しそうに笑う。
それから少し彼女は沈黙すると「あの……」と声を掛けてくる。
「駄目よ」
「まだ何も言っていません……」
「ついて行きたいって言うつもりでしょう? それは駄目。私たちの旅は本当に危険なの。それに貴方のお父さんを心配させちゃ駄目でしょう?」
「……そう、ですよね」
私だってヴィクトリアと別れるのは寂しい。
きっとリーシェたちもそうだ。
だがそこはグッと我慢しなくては。
「そ、そうだ。港に着いたら少し水浴びしませんか? その……私たちどうにも匂うので……」
「……私たち匂う?」
慌てて自分の服の匂いを嗅ぐ。
確かに船に乗ってから一度も水浴びをしていない。
それに私は色々と粗相をしたのでその匂いも着いているかもしれない。
そう考えると非常に体を綺麗にしたくなってきた。
「ヴィクトリア、桶持ってくるわよ」
「え?」
「あと水とタオル」
そう言うとヴィクトリアは「成程」と頷き、船室から出ていく。
船乗りたちは不潔だし、他の仲間たちも水浴びをしていないため今まで気がつかなかったが一度意識すると自分が猛烈に汚いような気がしてしまう。
「あー……エルフラントの大浴場が恋しい……」
まさか深緑の樹海なんかに戻りたいと思う日がくるなんて思わなかった。
そう考えながら私はベッドに突っ伏すのであった。
※※※
ロイはリーシェたちと一緒に船内に戻り、ミリのいる船室の前まで来た。
クレスセンシアが船室のドアを開けようとすると突然ユキノが「お待ちを」と言いドアの前に立つと暫く沈黙し、それから此方を見てきた。
「ふむ……。ロイ様はこの場にいないほうが良いかもしれません」
「いや、なんでだ」
ユキノが「それは……」と何かを言いかけた瞬間、クレスセンシアが「ええい、さっさと開けぬか!」とドアを勢いよく開けてしまう。
ユキノが「あ」と言い、クレスセンシアが入っていたいった船室をリーシェと共に覗き込むと━━。
「な!?」
「へ?」
「あ?」
ユキノの言っている意味が分かった。
船室の中ではミリとヴィクトリアが上の服を脱いでおり、彼女たちの手には水で濡れたタオルが握られている。
いや、分かる。
そうだよな。
ずっと水浴び出来ていなかったら女の子は嫌だよな。
でも船室で体を拭いているとか想像できないよな。
だからこれは……。
(……事故だ!!)
慌てて何かを言おうとする前にミリの顔が真っ赤になっていき次の瞬間━━。
「死ね!!」
顔面に蹴りが叩き込まれるのであった。
※※※
「ップ……それで、ドアを開けたらたまたまお二人が、ップック、その結果ロイ坊ちゃんが……フッフッフフ……」
「……笑い過ぎだろう」
一連の騒動の後、船室に仲間たちが集まり話を聞いたヘンリーが椅子に座りながらさっきから笑っている。
ベッドの方には未だに不機嫌そうなミリと顔を赤くしたヴィクトリア。
あと来て早々爆睡しているクレスセンシア。
それから奥の方に半目で此方を見てくるリーシェとポーカーフェイスだが絶対にこの状況を楽しんでいるユキノがいる。
蹴られた鼻を摩りながら壁にもたれ掛かって立ち、「だから事故だって」とミリに言うと彼女は「でも見たでしょう!!」と言って来る。
「だ、大丈夫だってすぐに目を逸らしたから」
いや、本当はあまりに突然のことなので呆然と見てしまっていたのだがそんなことを言ったら明日の朝日は拝めそうにない。
「おや? そうですか? 私にはロイ様がじっとヴィクトリア様の方を見ていたような気がしましたが?」
「……ッ!?」
ヴィクトリアが顔を更に赤くしてミリの後ろに隠れてしまう。
「ア、アンタ!? そっちの趣味が……!?」
「いや、ないから!! 無いぞ!! リーシェなら分かってくれるよな!!」
「ウン、ソウダネ。シンジテルヨ」
あ、駄目だ。
これは信じていない顔だ。
どうしたもんかと頭を掻いているとヘンリーが「まあまあ」と笑いながら間に入ってくる。
「本当に事故のようですしここはお互い水に流しましょう。まあ、本のネタにはさせてもらいますが」
「本?」とリーシェが首を傾げるとヘンリーは頷く。
「どうにも私の詩は不評みたいでしてね。だったら小説でも書いてみようかと」
「どんな物語になるんですか? 楽しみです!」
ヴィクトリアが目を輝かせてヘンリーの方を見ると彼は「いやいや、まだネタ探しの段階ですよ」と顎を摩りながら笑う。
「一つ書いてみようかなと思っているのがある姉妹の話ですな」
そう言うとヘンリーはリーシェの方を見てリーシェは「私?」と首を傾げた。
「私なんかを書いても面白くないよ?」
「いやいや、これだけ波乱万丈な人生を送っている人間はそういませんぞ?」
確かに。
リーシェもルナミア様も波乱万丈な人生だ。
そして彼女たちと共にいる自分たちも普通の人間よりも遥かに奇妙な人生を送っているだろう。
「まあ執筆をするのも旅を無事に終えてからでしょうしまだまだ先の話です」
旅が終わったら……か。
あまり考えたことが無かった。
この旅が終わった時、自分たちはどうするのだろうか?
(まあ、俺はリーシェの騎士だからな。アイツの行く場所にはついて行くさ)
リーシェがコーンゴルドに変えるならば当然一緒に帰る。
もしリーシェが故郷に帰る以外の願いが出来たのならそれを手伝う。
ただそれだけだ。
そう思っていると爆睡していたクレスセンシアが突然飛び起きた。
ミリが「びっくりした!?」と目を丸くするとクレスは真っ直ぐ船首の方を見つめ、それから眉を顰めた。
「主様、マズいかもしれん」
「え?」
リーシェが「どういうこと?」と言った瞬間、船室の扉が勢いよく開けられ船員が「ちょっと来てくれ!!」と船室に入って来る。
「どうしたんですか?」
尋常ではない雰囲気の船員に訊ねると彼は「密航者……じゃないが変な奴が現れやがった!」と言う。
「とにかく来てくれ!」と船員が甲板の方に去っていったため仲間たちと顔を見合わせ、それから各々武器を持つ。
先ほどからクレスセンシアが凄まじい殺気を放ちながら唸っている。
何か大変なことが起きている。
そう思いながら甲板に向かうのであった。
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