第78節・二つのシェードラン


 人々はそれを見た。

押し寄せる異形たちが突如動きを止め、塵と化して行くのを。

遠くに見える巨大な獣がゆっくりと崩れて行くのを。


 何が起きたのか理解できなかった。

だが自分たちは助かったのだということは分かった。


 嘗てこの町を象徴していた城が崩壊していき、城の方から何かが来る。


 ドラゴンだ。

1匹のドラゴンが町の方へと向かって来る。

その背中には鎧を身に纏った少女が立ったおり、人々はその姿を呆然と見上げる。


「……英雄だ」


 誰かがそう呟いた。

呟きは響めきに変わり、響めきはやがて歓声に変わる。


 竜を従えた黒髪の少女。

巨獣を打ち倒した彼女とその仲間たちの姿は古の英雄アルヴィリアを彷彿とさせた。


 将も兵も民も。

皆、新たな英雄が誕生したのだと、新たな世が到来するのだと予感した。


 そして暫くの間、根拠なき祝福の歓声は鳴り止むことが無いのであった。


※※※


 ガーンウィッツから離れた空に1匹の異形が飛んでいた。

二本の首が生えた白いワイバーン。

その背中に"隠者"が立っており、彼はガーンウィッツの方に向かって拍手をしている。


『いやはや見事。私の期待以上だよ』


 レクター・シェードランが予想以上の進化を遂げたことやホムンクルスが乱入してきたことなど予想外の展開が立て続いたが逆にそれは部隊を大いに盛り上げる結果になった。

彼らのお陰でルナミア・シェードランは英雄となる。

もう彼女に立ち止まることは許されない。

彼女はこのまま前に進み続け、そして”真の英雄”となるのだ。

そしてその時こそ我が大志も成る。


『それにしても……ベヘモスは最後まで動かなかったか』


 レクターの進化は完全では無かったか?

いや、彼は見事に人を超越してみせた。

あの状態の彼ならばベヘモスを自在に操れたであろう。

だというのにベヘモスが動かなかったということは……。


『従妹との決着は自らの手で、ということか。肉体的進化を成しても精神が進化しなければ真なる超越者にはなれぬということか』


 レクターは最後まで中途半端であったということであろう。

人にも超越者にもなれず。

絶対的な力を持つ為政者にも只の青年にも慣れなかった。

哀れな男だ。

だがそんな哀れな男がルナミアを追い詰めたのは興味深い。


『人の意地や意志。それは時折大きな力となる。だがそれ故に危険なのだ。それこそが世を歪めているのだ』


 だからこそ私は人を進化させ、世界を救う。

完全なる世界を目指すのだ。

そしてその為には世界を歪める元凶を討たねばならない。


『さて私の脚本も折り返し地点。ここから一気に物語を動かすとしよう。だがその前に━━』


 遠く、東の方を見つめる。

ホムンクルスの活動が活発になっている。

更に”鴉”からの情報では”奴”が動くかもしれない。

ここまで順調に来ているのだ。

”奴”に邪魔をされてなるものか。


『あの男が動くとしたら彼方の方か。さて、向こうには極力干渉しないようにと思っていたが致し方あるまい』


 そう呟くとワイバーンが羽ばたき東に向かって動き始める。

遠退いていくガーンウィッツの方を向くと『そちらは任せたぞ』と言うとワイバーンと共に雲の中に消えるのであった。


※※※


 ルマレールの砦は巨獣が出現してから騒然としていた。

一時は全員砦から脱出をしようとしていたが巨獣は動かず、そして突然崩れ落ちるように倒れ始めた。


「城が……沈んでいく」


 砦の胸壁に集まっていた兵士たちが崩壊する城を見てそう呟いた。

歴史あるガーンウィッツの城が崩れ去っていく。

何が起きたのかは分からない。

だがきっとレクター・シェードランは負けたのだろう。

シェードラン大公家は滅ぶのだろう。


 正門の上から城と共に巨獣が消えていくのを見ていたアナメリア・シェードランは静かに涙を流す。

それに気がついた彼女のメイドは「奥様……」と呟くとアナメリアはゆっくりと目を閉じる。


「息子が……レクターが逝きました」


「坊ちゃまが!? 確かにお城は崩れましたがまだ生きていらっしゃるかもしれません!」


 メイドの言葉にアナメリアは首を横に振る。


「いいえ、逝きました。今、私たちの目の前で」


「それはどういう……まさか……」


 消えていく巨獣。

あの姿を見て胸が締め付けられるように苦しくなるのをアナメリアは感じていた。

自分には分かる。

あれはきっと息子だ。

姿は全く違うが分かるのだ。

息子は力を求め獣となった。

そして今、ヒトによって討たれ散ったのだ。


「嗚呼……! なんということ!!」


 メイドが動揺し、それから「奥様!」とそっとアナメリアの手に触れる。

アナメリアはその手を握り返すと声を震わせながら「もう、全て終わったのです」と力なく笑う。


 結局息子には何もしてあげられなかった。

あの子を傷つけまいとした行為は全て裏目に出てあの子を追い詰めた。

己の愚かしさのせいで夫も息子も失った。

シェードラン大公家はもう間もなく終わりを迎える。

いずれ勝利した反大公軍がここに押し寄せてくるはずだ。

ならば━━。


「貴方達は逃げなさい」


 胸壁にいた兵士たちに向かってそう言うと兵士たちは困惑したような表情を浮かべ互いに顔を見合わせた後、一人の騎士が前に出た。


「私は大公家に仕える騎士。ならば最期までご一緒しましょう」


 騎士の言葉に他の者たちも賛同し始め、皆「お供を!!」と力強く頷く。

メイドも「私たちも奥様と共におります!!」と言い、力強く手を握りしめてきた。

皆、どうあがいても滅びからは逃れられないと分かっているのにシェードラン大公家と運命を共にしようとしている。

そのことが申し訳なく、また嬉しかった。


 涙を流しながら彼らにゆっくりと頭を下げると兵士の一人が「な、なんだアレは!?」と空を指さす。

頭を上げ、その方向を見るとドラゴンが此方に向かって来るのが見えた。

騎士が守りを固めるように指示を出し始めるがそれを止める。

あれが何なのかは分かっている。

まったく……あの子は息子と違い誠実すぎる。

そう思い苦笑すると「新たな大公を出迎えましょう」と言い、近づいてくるドラゴンを見つめるのであった。


※※※


 ルマレールの砦の正門前に人々が集まっており、その中にアナメリア・シェードランが居るのを見ると私はフェリアセンシアに正門前に着地するように指示を出した。

そしてフェリアセンシアが兵士たちの前に着地すると私は彼女の背中から飛び降りる。


「……アナメリア様、お久しぶりです」


「ええ、お久しぶりです。最後に会ったのはヨアヒムとラヴェンナと共に来た時でしたか」


 「はい」と頷くとアナメリアは「時が経つのが随分と早く感じます」と目を伏せる。


「あの頃は良かった。ずっとあんな日々が続くのだと思っていました。ですが夫が逝き、息子も逝った。私は私の愚かしさによって全てを失いました。だから死ぬのは怖くは無い。ですが━━」


 アナメリアはじっと私を見つめてくる。

その瞳には強い意志があり、私はそれをしっかりと受け止めるように彼女を見つめ返す。


「夫も子も進んだ道は異なりましたが大公家を守るという意志は同じだった。ならば私はその意志を守らなければいけない。申し訳ないですが只ではこの首、差し出しませんよ」


 彼女の言葉には躊躇いは無い。

彼女だけではない。

この場にいた大公家の兵士たちは皆死ぬ気だということを感じた。


 私はゆっくりと息を吐くとソードベルトに掛けていた剣を引き抜く。

すると周囲の騎士たちが身構えるが私はそれを無視してその場に跪き剣をアナメリアに差し出す。


「……どういうつもりですか?」


「私は今日、己の従兄を手に掛けました。貴女の家族を奪いました。貴女には私に復讐する権利がある。大公家を守るものとして簒奪者を討つ使命がある。ですが━━」


 私はゆっくりと顔を上げ、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「ですが、もし私に少しでもシェードランの意志を継いでも良いと考えてくださるのならばどうか私が大公になることをお認め下さい」


「……シェードランの意志」


 私は頷く。


「父であるヨアヒム・シェードランの意志。叔父であるラウレンツ・シェードランの意志。そして従兄であるレクター・シェードランの意志を」


 父はコーンゴルドを守ろうとしていた。

従兄上はシェードランという家を守ろうとしていた。

そして叔父様はシェードランとそしてアルヴィリアという国を守ろうとしていた。

皆、進んだ道は違った。

だがその道の先は同じだったのではないのだろうか?

ならば託され、奪ったものとして私は道の終着点に辿り着かなくてはならない。


「息子もそれを望むでしょうか?」


「レクター従兄上ならば『貴様なぞに大公の重責が背負えるものか』と言うかもしれませんね」


 私がそう言うとアナメリアは「そうかもしれませんね」と静かに頷く。


「貴女が憎くないとは言えません。ですが道を踏み外した息子を止めてくれたことに感謝をしているのも確か。だから私は━━」


 アナメリアが私から剣を取り、刃を私に向ける。

後方でフェリアセンシアが僅かに身構えたが私は目を閉じ頭を垂れる。

すると肩に刃が軽く乗せられ、アナメリアが「頭を上げなさい」と言った。


「貴女がシェードランの意思を継ぐというならばやりきってみせなさい。大公という重責を背負い、歩み続けなさい」


 アナメリアは言う。

それは一度背負ったら逃れられない責であると。

ラウレンツ叔父様が苦しみ、レクター従兄上が狂った呪いの肩書きであると。


 分かっている。

それは従兄の記憶と繋がった時に思い知っている。

だがそれでも私は━━進むのだ。


 私とアナメリアは暫く見つめ合い、やがてアナメリアが肩から刃を離すと私の方に剣を差し出してくる。


「受け取りなさい新たな大公。二つのシェードランの名を背負った若き英雄」


 私はアナメリアから剣をしっかりと受け取り、力強く立ち上がるのであった。


※※※


 夕刻。 

ガーンウィッツの町にある大広場に沢山の人々が集まっていた。


 騎士も兵士も。

貴族も平民も。

老若男女全ての人々がある一点を見つめていた。


 大広場の中心には二人の人物が居た。

一人は王家の紋様が描かれたマントを羽織った青年だ。

そしてもう一人はその青年の前で跪き、頭を垂れている黒髪の少女。

青年は近くにいた騎士から漆黒の刃の剣を受け取り、それを天に向かって突き上げ大衆に刃を見せる。

そしてゆっくりと腕を降ろすと少女の肩に剣を乗せた。


「ルナミア・シェードラン。汝を新たなる大公に━━シェードラン大公に任じる。その命尽きるまでこの国の為に尽くすが良い。そして……」


 青年は少女の肩から剣を離すとしゃがみ、彼女に手を差し伸べる。


「共にこの国の、我々の未来を切り拓いて行きましょう」


 青年の言葉に少女は頷き、その手を取って共に立ち上がる。

そして青年から剣を受け取ると彼女はそれを地面に突き立てゆっくりと、だが力強く拳を振り上げる。


 広場は静まり返る。

だがやがて少しずつ拍手が起こり始め、それは万雷の拍手となる。

誰もが新たなる大公の誕生を歓迎し、英雄の再来に熱狂した。


 エスニア歴千年仲春。

こうして二つのシェードランの戦いは幕を閉じた。

新たな大公の誕生の方は瞬く間に王国中に広まり、ある者は喜び、ある者は怒り、ある者は新たな争乱の始まりであると恐れた。


 未だ終わりの見えない内戦の中に起きた大きな変革が王国にとってどのような影響を及ぼすのか、それはまだ誰にも分からないのであった。

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