第77節・一つの終わり
フェリアセンシアは敵と向かい合うと強烈な殺気を放っていた。
"神の子"と名乗っている敵が危険だということはクレスセンシアから連絡を受けていた。
こうして相対して見ると彼女の言葉が間違っていないことが理解できる。
この感覚。
嘗てエスニア大戦で"天使"と戦った時以上だ。
全力を出して五分五分、いや、敵が勝るかもしれかい。
(ですが退けませんね)
背後には傷だらけの仲間たちがいる。
彼らのためにもここは一歩も退けない。
翼を大きく広げ威嚇した直後、ベヘモスが突然大きく揺れ始める。
それとと共に敵が踏み込んできたため巨大な氷塊を生み出し、敵に向かって放つ。
敵は全身に炎を纏うと氷塊を殴打し、氷塊は砕け散り水蒸気となる。
水蒸気によって視界を遮られるが強烈な敵意を察知し、その方向に目掛けて尾を叩きつけるように振る。
すると敵は此方の尾を蹴り、一気に距離を離してベヘモスの肩の端の方に着地した。
「……どうやらここまでのようだな。氷竜王、テメエも分かってるンだろう? ここで手打ちにしようや」
『そうですねー。本当は皆さんを傷つけた貴方を徹底的に叩き殺したいところですが……』
揺れが激しくなってくる。
ベヘモスの体内から魔力が放出され、霧散していくのを感じる。
恐らくルナミア達がやったのだ。
ベヘモスの核を、レクター・シェードランを討つことに成功したのだろう。
ならばもう間もなくベヘモスは力尽き斃れるはず。
一刻も早くここから離れる必要があるだろう。
「オレも盛り上がってきたところを水差された感じだがまぁ、次があるからな」
そう言うとツヴァイは殺意に満ち溢れた笑みを此方に向けてくる。
次もまた来る。
次は殺すという宣戦布告だ。
ベヘモスが大きく振動すると少しよろめき、ツヴァイは崩れ始めている城の方を見ると「おおっと、そろそろだな」と言う。
「じゃあな人間ども! なかなか愉しかったぜェ。次までにもっと強くなれや。そしてもっと俺を熱くさせて見せろや」
ツヴァイはケタケタと笑うと地面を蹴り、凄まじい跳躍を行う。
そしてあっと言う間にベヘモスから離れて見えなくなるとホッと安堵の息を吐いた。
あのまま戦っていたらどうなっていただろうか?
今回はどうにかなったが次はこうはいかないだろう。
『兎に角、ここから逃げますよー! エドガーさんたちは……』
「副団長とメリナローズさんならば城の方に向かいましたわ。ルナミア様とお二人を助けなくては!!」
エルが重傷なアーダルベルトを此方の背中に乗せながらそう言うと崩壊していく城の方を見る。
彼女の言う通りルナミア達を助け出さなければいけない。
だが崩れ始めている城に入るわけにもいかない。
ならば……。
『お三方を信じて一旦私たちは飛びましょう。そして空から探し出しますー』
今できることはそれしかない。
エルもこのままでは自分たちも崩落に巻き込まれてしまうことを理解しているため苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべながら頷く。
そして「クロエさんを頼みます」と言うと背中に乗ってきたため、尻尾で気絶しているクロエの体を巻き取り持ち上げる。
『それじゃあ急上昇しますよー!!』
その言葉と共に大きく羽ばたき上昇すると城の壁が大きく崩れ尖塔が斃れ始めているのが見えた。
ルナミア達は無事だろうか?
いや、無事なはずだ。
きっと城から脱出するために城外に向かっているはず。
ならば城を周囲を旋回し、空から彼女たちを見つけよう。
そう判断すると城の崩壊に巻き込まれないようにしながらベヘモスの上を旋回し始めるのであった。
※※※
私は大きく息を吐くと震える右手を左手で押さえ、しっかりと剣の柄を握った。
もう力は残っていない。
剣を振ることも、魔術を使うことも不可能だろう。
本当に、本当にギリギリの戦いであった。
「…………」
レクターが動いた。
髑髏の顔で私を見下ろし、そして何かを言おうとすると口を噤む。
そしてゆっくりと後退ると胸に突き刺した剣が抜けていき、大きな傷口から光が零れ落ちていく。
レクターの胸から剣が完全に抜けると「っぐ」という唸り声を上げ、傷口を抑えながら私から離れていった。
エドガーがレクターを警戒しながら私を庇うように間に入るが私は彼の肩に手を置き首を横に振った。
もうレクターに戦う力は残っていない。
そして気力もだ……。
「……渡さん」
レクターはよろめきながら玉座に向かって歩いていき、そして崩れ落ちるように玉座に腰を落とした。
「これは……渡さん……渡してなるものか……」
「レクター……」
レクターの身体には少しずつ罅が入っていき崩れ始めている。
彼の核は既に破壊されている。
もう長くはないだろう。
「この玉座は……オレが全てを捨てて欲したもの。これを、これだけは奪わせない……」
レクターは天井に向かって手を伸ばし、何かを掴もうとするが「いや……」と手を止め、自嘲するように喉を鳴らして笑い始めた。
「結局俺は欲しいものを一つも得られない、自ら手放したか……」
レクターの欲しいもの。
それはずっと彼の傍にあった。
だが耳を塞いだ彼はそのことに気がつかず、そして気がついた時には全てを失ってしまっていたのだ。
もし、もし一度でも立ち止まり己の周りを見ていれば。
一度でも誰かに己の胸の内を明かしていれば。
彼の運命は、私たちの関係はもっと変わっていたかもしれない。
「ク……クク……。今更言っても何も変わらんことだ」
レクターの両足が崩れ、塵となって消えた。
彼は私の方を向くと辛そうに咳込み、それから静かに此方を指さす。
「……予言をしてやろう。貴様がその道を進み続けるならば必ず━━俺と同じ道を選ぶ」
「それは無いわ。私は貴方を否定した。ならば貴方を否定し続け、貴方から全てを奪ったことを背負い続ける」
「ならばこの俺の怨嗟を背負え。これから奪う者たちの絶望を背負え。そして気がつくといい、大公という呪いの重さを。そして知るがいい。人は獣と変わらぬと」
そうレクターが言った直後、領主の間が大きく振動した。
それにより柱が折れ、天井が崩れ始める。
レクターの命が尽きそうになることによりべへモスもまた力尽きようとしているのだ。
「ルナミア様!」
「ええ、分かっているわ」
レクターを警戒しつつ後退すると彼は指を鳴らす。
すると領主の間の扉が開き、彼は扉の方を指さした。
「さっさと行け。貴様と心中するなど御免だ」
「……私も御免だわ」
私はレクターと頷き合い駆け出す。
そして領主の前から出る前に一度足を止め振り返ると一人玉座に残ったレクターの方を向き、こう呟くのであった。
「さようなら……従兄上」
※※※
レクターはルナミアたちが去って行くのを見届けると静かに息を吐いた。
その気になればルナミアたちを道連れにできた筈だ。
だがその様な気には全くなれず、むしろ憑き物が落ちたかの様に肩が軽い。
もしかしたらこうなることを望んでいたのかもしれない。
道を踏み外し、しかし己では戻ることも止まることも終わらせることもできなかった道化。
実にレクター・シェードランらしいではないか。
全身から力が抜けて行く。
もうすぐ終わりが近い。
死の間際で思い出すのは嘗ての情景。
父が居て母が居て幼い自分が居て。
宝石のようであった輝かしい日々。
結局自分は家族の愛が欲しかったのだ。
家族を守りたかったのだ。
父が、母が悪く言われるのが嫌で、そう言われないように振舞おうと足を踏み外した。
自ら奈落の底に堕ちながら本当の願いを忘れ、そして気がつけば自らの手で壊していた。
なんと皮肉な事であろうか。
なんと愚かな事であろうか。
玉座を得た結果がこれか。
「……ルナミア、貴様は耐えられるか? 上に向かうことの恐怖に」
天へと羽ばたくほど人は孤独になっていく。
必死に上へ、上へと登るほど振り返った時に周りに誰もいないことに絶望する。
ルナミア、お前は俺よりも更に上に行くのであろう。
大公よりも更にその上へ、いずれは愚民共の上に立つのであろう。
その時にお前はどうする?
孤独な為政者としてどこまで耐えられる?
間違いなくお前の進もうとしている道は地獄だ。
目の前に瓦礫が降ってきた。
天井に大きな穴が開き、部屋に光が差し込む。
もう殆ど動かない体で首だけを動かし、天を見上げると誰かが居た。
白く、曖昧な輪郭。
だが分かる。
あれが誰なのかは自分には分かる。
崩れ始めている腕を伸ばし、必死に掴もうとする。
嗚呼、あれこそが本当に欲しかったもの。
本当に辿り着きたかった場所。
「……こんな俺を……迎えにくてくれるのか……ちち……うえ……」
そして崩れた。
レクター・シェードランという男は塵となりこの世から消滅する。
そして誰もいなくなった玉座に瓦礫が降り注ぎ、呪いの玉座は闇の中へと沈んでいくのであった。
※※※
どんどん崩れていく廊下を私とエドガーは必死に走っていた。
ベヘモスが振動するたびに天井が崩れ、瓦礫が私たちを押しつぶそうとする。
瓦礫を避ければ柱や壁が倒れてくるため私はエドガーに手を引かれながらどうにか障害物を避けて廊下を進み続ける。
だが。
「あ……!!」
脚に力が入らず転倒してしまう。
脚からは血が流れ続けており、息も絶え絶えだ。
これ以上は走ることが出来ない。
そう弱気になった瞬間、エドガーが「失礼!!」と私を抱きかかえた。
「え、エドガー!?」
「走ります!!」
エドガーも満身創痍であるのに私を抱きかかえた状態で駆け出し、廊下の角を曲がった。
私は彼の腕の中でレクターから奪った漆黒の剣を抱きしめるように抱え、エドガーになるべく負担が掛からないようにする。
前方に大広間の扉が見えてきたためエドガーは走る速度を上げるが目の前の床が崩れた。
更に私たちの方に向かって床が崩れ続けたためエドガーは近くの扉を蹴破り部屋に入ると舌打ちする。
部屋の中には町に現れていたテンシモドキたちがおり、敵は私たちを見ると襲い掛かろうとしてくる。
「ちぃ!! やるしかな━━」
「メリナちゃんキーックッ!!」
突如崩れた壁からメリナローズが現れテンシモドキを一体蹴り飛ばす。
そして即座に魔力の鎖を展開すると敵の群れを薙ぎ払い一掃する。
「お前、無事だったのか!」
「そりゃああの程度でやられるメリナちゃんじゃ……うわ!? お姫様抱っこ!?」
メリナローズがエドガーを「やるねえ」と茶化したため私も少し恥ずかしくなってくる。
いや、今はそれよりもだ。
「メリナローズ、退路は!?」
「んっふっふふ! 任せなさいって! このメリナちゃんが二人をちゃんと脱出させてあげる!!」
メリナローズが出てきた壁の穴に再び入り隣の部屋に移動したためエドガーは私を抱えたまま彼女に続く。
するとメリナローズは部屋の大窓を鎖で砕くと下の方を指さす。
「この部屋からなら死ぬ気で飛べば胸壁に降りれるはず!」
エドガーが窓から外を覗き込むと下の方に胸壁があった。
だがそこまでは結構な距離があり、届かなかったらそのままベヘモスの身体に叩きつけられて落下死だ。
ベヘモスが大きく揺れ、壁全体に罅が入り始めるとエドガーは「やるしかないか!」と覚悟を決める。
「それじゃあ、おっさきー!」
メリナローズが助走をつけて窓から跳び、胸壁に着地するとエドガーは「しっかり掴まっていてください!」と言う。
私は頷き、彼に抱き着くようにしがみつくと「ぐ!? 平常心!!」とエドガーは叫び駆け出す。
そして思いっきり窓から胸壁に向かって跳ぶが━━。
「届かない!?」
僅かに届かなかった。
エドガーが必死に手を伸ばすが私たちは落下し、もうだめかと思われた瞬間私たちの身体に鎖が巻き付く。
そして上へと引き上げられると胸壁に放り投げられ、私たちは床を転がった。
「し、死ぬかと思ったわ……」
「すみません、思ったよりも重くって」
「は? 重い?」
エドガーを半目で睨みつけると彼は慌てて「そ、そんなことありませんでした!!」と首を横に振る。
いや、確かに今は鎧を着ているから重いのは仕方ない。
決して私自身が重い訳ではない。
そのはずだ。
「お二人さん、遊んでないで行かないとやばいにゃあ」
メリナローズの言う通りだ。
ここは城を覆う城壁の上。
ならばこのまま胸壁を伝って正門の方まで行けるはずだ。
そう思った瞬間、ベヘモスが倒れた。
巨獣が突如膝を着き、その衝撃で城の尖塔が折れて城壁に降って来る。
それにより尖塔が城壁を砕き退路が失われた。
更にその余波で城壁が崩壊し始めると私は「参ったわね……」と苦笑する。
退路は失われ、足場も間も無く崩れる。
どうにかならないかと辺りを見渡すと上空をドラゴンが通過した。
ドラゴンは旋回すると私たちの方に向かって急降下してきたため、私たちは頷き合い胸壁の端へと移動しようとした瞬間、城壁が崩れた。
※※※
(す、滑る!?)
城壁が斜めに崩れていき、私たちは床を転がって落ちていく。
駄目だ、掴む場所が無い。
掴んでも城壁と一緒に下に落下するだけだ。
万事休す。
そう思い、覚悟を決めながら胸壁から放り出されると落下する私たちをドラゴンが━━フェリアセンシアが急降下を行って追ってきた。
「っく!! 伸びろッ!!」
メリナローズが必死に鎖を伸ばすと鎖はフェリアセンシアの脚に巻き付く。
そして彼女は直ぐに近くで落下していたエドガーに鎖を巻き付けると彼をフェリアセンシアの背中の方に運んだ。
エドガーがフェリアセンシアの背中にいたエルたちによって引き上げられるとメリナローズはすぐに私に向かって鎖を放つが手を伸ばしても鎖に届かない。
「駄目……、落ちる!!」
地面が迫ってきている。
フェリアセンシアが必死に私を追っているが鎖と私の手の距離は縮まらない。
死ぬ。
ここで死ぬ?
ここまで来たのに?
レクターを討ち、彼の死を背負って進むと決意したのに?
リーシェに彼女が帰って来る場所を守ると誓ったのに?
嫌だ。
嫌だ!!
こんなところで死にたくない。
死ぬわけにはいかない。
必死に鎖に向かって手を伸ばし、未来を掴もうとする。
だが、どうしても届かない。
あと少しの距離、だが私にとって絶望的に遠い距離が届かない。
悔しさに顔を歪め目尻に涙が浮かんだ瞬間、それを見た。
フェリアセンシアの背中から飛び降りる姿。
エドガーだ。
折角助かったエドガーが再び私目掛けて落下した。
「エル!! やれえ!!」
エドガーが叫ぶとエルが彼の背中に向かって風の魔術を放つ。
それにより彼の落下速度は早まり、あっと言う間に私の近くまで来た。
そして「ルナミア様ッ!!」と叫ぶと手を伸ばしてきたため私も必死に手を伸ばし、彼の手を取った。
その直後、エドガーの身体に再び鎖が巻き付き、私はエドガーと共に上へ引き上げられた。
フェリアセンシアが上昇を始め、地面が遠のいていくのを見ると私とエドガーはフェリアセンシアの隣まで引き上げられ、彼女は「まったく……ひやひやさせるなぁ」と大粒の汗を額に浮かべながら苦笑するのであった。
※※※
私たちがフェリアセンシアの背中に引き上げられるとすぐにエルが「大丈夫ですの!?」と近寄って来る。
そんな彼女に「なんとかね」と言うと重傷を負ったアーダルベルトが目に入り息を呑んだ。
「はぁい、ルナミア様。もう、そんな顔しないでよ。アタシはどうにか無事よ」
本人は無事だと言っているがかなり顔色が悪い。
クロエもまた頭から血を流したまま意識を失っている。
二人を早く下に降ろし、治療させなければ……。
『ルナミア様、崩れます』
フェリアセンシアの言葉にベヘモスの方を見れば巨獣がついに力尽きルマレール湖に顔を突っ込むように倒れ始めた。
凄まじい衝撃と水しぶきを上げながらガーンウィッツの城が崩れ去り、水没していく。
そしてベヘモスの身体が発光していくとマナとなって霧散し始めた。
「…………」
長きに渡りシェードラン領を治めていた城が消滅する。
それは終わりを意味するのか、それとも始まりを意味するのか。
いや始まるのだ。
始めなくてはいけないのだ。
私は漆黒の剣を十字架に見立て沈んでいく城に黙祷を捧げるとフェリアセンシアが『その剣は……』と呟いた後、沈黙して正面を向く。
この剣は従兄から奪ったもの。
従兄を殺めたという証。
そして剣を握った時に理解した。
これは遥か昔から受け継がれてきた英雄の記憶でもあるのだと。
それを手にするという意味は理解している。
もう嘗てのような甘い考えは持てない。
人は時に望まぬ事をせざるおえない。
クリス王子の言葉を思い出し、私は決意を込めて静かに頷くとフェリアセンシアにこう言うのであった。
「アーダルベルトとクロエを降ろした後に向かって欲しいところがあるのだけれども━━」
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