双天のエーポス

第７４節・虚ろの翼

　薄暗い部屋の中、激しい剣戟の音が鳴り響いていた。

互いの位置を何度も入れ替えながら刃を打ち付けあい、その度に生じた小さな火花が両者の顔を照らす。

　戦いはレクターが優勢であった。

体格差はそのままリーチの差となり、腕力も相手の方が圧倒的に上だ。

更に敵の太刀筋は正確に此方の急所や隙を突いてくる。

今も僅かに後ろに下がった瞬間に突きが放たれ、それを急いで上体を逸らすことに回避する。

（……もともと剣の腕自体は悪くなかったけれども！）

　そうレクターの剣の腕はそれなりであった。

しっかりと鍛えればきっとアルヴィリア有数の剣士になれただろう。

だが彼は己の才能に胡坐をかき、また彼の指導役も彼を甘やかした。

傲慢さが彼の才能を奪っていたのだ。

そして今、彼は傲慢さを捨てている。

　上から振り下ろされる攻撃を後ろに下がり避けるとレクターはそのまま下から上に刃を返してくる。

更に大きく後ろに下がり避けることで刃を避けると左側面に回り込んだ。

そして彼のわき腹に剣を叩き込むが彼は左腕の装甲で此方の剣を弾く。

　攻撃を弾かれたのを確認するとすぐにその場を飛び退きレクターから距離を取ると一息吐いた。

手強い。

全てを捨てて私に勝つという事だけを求めた彼は手強い。

頬を冷や汗が滴り、私は大きく息を吸うと剣を構えなおす。

「初めからそうしていれば良かったのに」

　そう呟くとレクターは鼻で笑い「そうかもな」と言う。

「認めよう。俺は傲慢だった。俺の目は曇っていた。今ならば分かる。貴様を侮っていたと。もっと早くに貴様を始末すべきだったと」

「同感だわ。私ももっと早く貴方を終わらせるべきだった」

　駆け出す。

レクターを中心に円を描くように駆け、そして背後に回り込むと踏み込んだ。

レクターはすぐに反応し、右足を軸にして回転斬りを放ってくる。

それをスライディングで避けるとレクターの背後に再度回り込み背中に斬撃を叩き込む。

しかし斬撃は彼の背中から生えている翼に受け止められ、そのまま押し飛ばされる。

「刃の翼！？」

　翼は二対の巨大な刃であった。

羽は全て鋼鉄のように硬く、そして人間をたやすく断てるほど鋭利だ。

身体は鎧と一体化し堅牢に、そして背中には巨大な刃。

成程、彼の心をそのまま体現したような状態か。

　着地するのと同時にレクターが踏み込んできた。

大きく剣を振りかぶり放たれた斬撃を剣で受ける。

凄まじい力によって体が宙に浮き、そのまま吹き飛ばされると近くの柱に叩きつけられた。

強烈な衝撃に息が止まり、視界が霞むが何かが放たれたのを見て横に転がる様に避けた。

すると先ほど叩きつけられた柱にレクターの翼が突き刺さり、柱を一瞬で砕く。

「どうした、ルナミア・シェードラン！　この程度か！！」

「人から魔術を奪っておいて良く言うわ！！」

　ベヘモスのせいで魔術が使えないのが辛い。

人を超えたレクターを相手に接近戦をするのは非常に危険だ。

此方の攻撃を敵は耐えられるが此方は一撃でも喰らったら致命傷になる。

そのことはプレッシャーとして重く圧し掛かってくるのだ。

「ああ魔術か。それは済まなかった。詫びとして━━俺の魔力をやろう」

　レクターが大きく翼を広げた瞬間、急激に悪寒を感じた。

即座に駆け出すとレクターの翼から大量の光の矢が放たれた。

光の矢は一瞬で床を破壊し、レクターは体を捻ると全力で駆ける私を追う。

私は光の矢の雨に追い付かれると判断すると近く柱の陰に跳び込んだ。

そして大量の矢が隠れた柱に直撃し、砕くと慌ててしゃがみ込む。

（このままだと殺られる！！）

　ならばと柱から飛び出しレクターに向かって突撃を行った。

当然レクターは此方に光の矢を放ってくるが私は瞬間的に魔術障壁を展開する。

障壁はベヘモスの力によって当然即座に吸収される。

だが私は障壁が消えるたびに展開し続け、魔力が続く限り障壁を生み出した。

　幾つかの光の矢が障壁を貫き、私の肩を、腕を引き裂く。

だが足を止めない。

止めてはならない。

そしてどうにか弾幕を突破すると剣を真っすぐに構えレクターの首目掛けて突きを放った。

（いける……！！）

　レクターは無防備だ。

このまま一気に敵に致命傷を与える。

そう考えた瞬間、レクターが嗤った。

「甘いな」

「！！」

　直後、床から何かが突き出た。

それは槍だ。

ここに来るまでに見た白い触手が槍のように変形しており、突然床から突き出てきたのだ。

私はそれを右に跳んで避けようとするが槍の先端が私の左脚をスカートごと引き裂く。

それにより転倒してしまうが慌てて起き上がりその場から飛び退くと再び床から槍が突き出てきた。

（そうか……！　ここはコイツの体内！！　全方位から攻撃が可能ってこと！？）

　レクターからかなり距離を取ると彼は「串刺しにできると思ったんだがな」と肩を竦めた。

「さて貴様に選ばせてやろう。俺の剣で死ぬか、光の矢で肉片残さず消滅するか、それとも串刺しにされるか。俺個人としては貴様を串刺しにして部屋に飾りたいところだが━━」

「悪いけどどれも却下よ！」

　そう言うのと同時に私は再びレクター目掛けて突撃を開始するのであった。

※※※

　城の廊下をエドガーはメリナローズを背負いながら駆けていた。

背後からはテンシモドキたちが追いかけてきており、その数は城に入る前よりも増えているような気がする。

「もしかして城に入ったのは間違いだったか！？」

「うーん……こっちから敵が現れていたからにゃあ」

　そういえばそうだ。

敵を引きつけながら撒くつもりが敵陣に突っ込むことになってしまった。

ならばやることは一つ。

「このまま突破し続ける！！」

「エドガーくん、メリナちゃんはもう行けるよ！」

　その言葉と共にメリナローズが背中から離れ後ろから飛びかかってきたテンシモドキに蹴りを叩き込む。

此方も反転して別のテンシモドキを切り伏せると再び駆け出した。

すると正面から新手が現れたため舌打ちしながら突撃を行った。

　敵をいちいち倒していては囲まれて袋叩きにあう。

テンシモドキの足を砕き転ばせながらメリナローズと共に突破すると正面に扉があるのが見えた。

その扉まで全力で駆け、そして蹴り破ると一瞬立ち止まる。

　そこは城の大広間であった。

だが床のほとんどが崩落し、まるで一本橋のようになっている。

領主の間に行くのであればこの大広間を通らなければいけないが……。

「ビビってる暇ないよ！！」

「ビビッてなんかいない！」

　今にも崩れそうな床を駆け抜ける。

そして大広間奥にある扉まで辿り着いた瞬間、背後の床が崩れ落ちていった。

「しまった！」

　慌てて振り返ると橋を渡り切れなかったメリナローズが困ったような表情を浮かべて取り残されている。

「どうにかする！　少し持ち堪えてくれ！！」

　そう言うとメリナローズは静かに首を横に振る。

「エドガーくんは先に行って。アタシはここでアイツらを喰いとめるから」

「無茶だ！　なら俺も━━」

　此方の言葉を遮りメリナローズは首を横に振る。

そして「守るんでしょう？　ルナミア様を」と言うと振り返り、短剣を構えた。

「それにメリナちゃんを甘くみてないかな？　見た目はか弱き乙女。だが本当の姿はなんと”蛇”の使徒。アタシがこんな奴らにやられると思う？」

　確かにメリナローズは普通の人間よりは遥かに強い。

だがあまりにも多勢に無勢だろう。

どうにか彼女の方に渡れないかと見渡すがどこも崩落しており彼女の方に行くのは無理だ。

「エドガーくん！　男ならビシッと決める！」

「……分かった」

　今、自分にできることは何も無い。

ならば己の使命を果たしに行くだけだ。

　力強く拳を握りしめるとメリナローズの背中を見つめ「勝手に死ぬなよ」と言う。

すると彼女は左手を軽く振ったため頷きを返し、彼女が生き延びることを信じて再び領主の間に向かって駆け出すのであった。

※※※

　エドガーの気配が去っていくのを感じると思わず苦笑してしまった。

本当に私はおかしくなっている。

誰かの為に戦う？

自ら危険に飛び込む？

私らしくない。

本当に、私らしくない。

「でもさあ、意外と楽しいんだよね」

　飛びかかってきたテンシモドキの首を短刀で引き裂きながらそう呟く。

そう、楽しいのだ。

誰かと共に戦うことが。

誰かに信じて貰えることが。

人の輪に入り、繋がりができることを私は嬉しく思っているのだ。

例えそれがいずれ引き裂かなければいけない繋がりであったとしても。

　騎士の姿をした敵が二体突撃してきた。

一体目の顔面に短刀を投げつけ、怯んだすきにもう一体に此方から踏み込む。

敵が剣を横薙ぎに振ってきたため大きく跳躍し、背後に着地すると即座に振り返って背中から心臓目掛けて短刀を突き刺す。

　こいつらの核は人間の心臓と同じ位置にある。

そこを砕けば倒すことができるのは既に把握していた。

　一体目の核を破壊するとすぐに短刀を引き抜き、仰け反っているもう一体の顔面に刺さった短刀を掴んでそのまま引き抜くと両腕をクロスさせるように振って敵の首を刎ねた。

そして右手の短刀で敵の胸を抉るように貫くと核を砕き、敵を仕留める。

「でも疲れるのは嫌いだにゃあ」

　こうやって”仲間ごっこ”をするのは楽しいがこの敵を仕留めるのは疲れる。

鎖が使えたらこんな奴ら簡単に倒せるのだが……。

「ま、愚痴ってもしょうがないか」

　それよりも次だ。

この今にも崩れそうな橋に敵が殺到してきている。

というか既に何か所か崩れて敵が落下していくのが見えた。

「さあて、どうやって打開しようかなあ」

　敵ごと奈落の底へ真っ逆さまなんてことは御免だ。

かなりキツイだろうが押し寄せてくる敵に突撃し、突破するしかないだろう。

そう判断すると短刀を構え、口元に笑みを浮かべると「じゃあ行きますか！」と言い、敵に向かって斬り込むのであった。

※※※

　レクターとの戦いは防戦一方となっていた。

あらゆる方向から飛んでくる敵の攻撃を必死に避けるのが精一杯で反撃に転じる余裕が無い。

体中に傷が出来ており、特に左脚の怪我が不味い。

見た目以上に傷が深く血が止まらない。

「……！！」

　天井から突き出てきた槍を回避するが反応が僅かに遅れ、右腕を掠める。

「どうした？　動きが鈍くなってきたぞ？」

「五月蠅い、黙ってなさい！」

　動きが鈍くなっているのは私自身が良く理解している。

血を流し過ぎたのだ。

剣を持つ手に力が入らなくなってきている。

（どうするルナミア……！！　どう勝つ！？）

　長期戦は無理だ。

このまま逃げ回っていてもいずれ出血多量で意識を失う。

ならば危険でも敵に肉薄し短期戦に持ち込むしかない。

　再び床から槍が現れたのと同時にレクター目掛けて全力で駆け出す。

彼はそんな此方の動きを読んでいたと言わんばかりに翼を大きく広げて光の矢を放ってくる。

光の矢に対する対処方法は同じだ。

魔術障壁を展開し続け、限界まで防ぐ。

　大量の光の矢が障壁と激突し弾ける。

光の矢のことは気にするな。

それよりも感覚を研ぎ澄ませろ。

あらゆる力の流れを追い、そして把握しろ。（来る……！！）

　そう思うのと同時に脚に力を込め更に加速した。

すると背後で槍が床から突き出たのが分かった。

それから次々と私を串刺しにしようと槍が現れるがそれをジグザグに移動しながら回避していく。

そして此方の間合いに敵を捉えると全力で剣を振った。

「抜けてきたか……！！」

　レクターが此方の剣を己の剣で受け、弾く。

私は弾かれた勢いで側面に回り込むように回転し、そのまま横薙ぎの一撃を叩き込む。

それもレクターが剣で弾くと次の一撃へ、それを防がれたら更に次の一撃へと凄まじい速度で攻撃を叩き込んでいく。

　お互いの刃の速度は最早目で追うことができないほど早くなり、ただ互いの間に火花が散るのだけが見える。

己の体力を無視した強引な攻撃に剣の方が耐えられなくなってきた。

黒曜の刃は欠け、ガタガタになっていく。

構わない。

剣が折れようとも攻撃を叩き込み続けろ。

奴の心臓を貫くまで休むな。

死ぬまで剣を振るえ、死んでも剣を振るえ。

（……く！　力が……！！）

　左脚から血が噴き出るたびに全身に悪寒が走る。

自分の生命力が身体から抜け落ちて行くのが分かる。

意識が薄れていく恐怖と焦りを感じ、それを必死に抑えて戦い続けた。

　折れるな。

骨が折れようとも、肉が剥がれ落ちようとも心だけは折れるな。

歯を喰いしばり、大きく剣を振ると弾かれた。

「……あ」

　力が入らない手から剣が離れ宙を舞いながら刃が二つに割れる。

そして私は呆然と折れた剣の方を見るとレクターが「終わりだ」と呟き、渾身の蹴りを私の腹に叩き込むのであった。

※※※

　レクターは勝負あったと確信した。

蹴り飛ばされたルナミアは柱に叩きつけられ床に崩れ落ちる。

　痛感した。

この従妹が凄まじいことに。

此方は神の力を得たというのにそれに食い下がってきた。

しかも本人も無意識だったのだろうが此方の太刀筋を完全に読み切りはじめ、何度も一瞬の隙を突いて反撃に転じようとしていた。

　恐ろし。

この従妹が恐ろしい。

人間の身でありながらここまでやるか。

そこまでできるのか。

それは貴様の血によるものか？

それとも貴様の鍛錬の賜物か？

ああ憎らしい。

ああ、嫉妬する。

やはり貴様は俺にとって天敵だ。

似たようで違う。

俺が地を這う虫ならば貴様は天に羽ばたく鳥であろう。

手を伸ばしても決して届かない我が絶望の権化。

「だが終わりだ」

　ゆっくりとルナミアに近づく。

そうこれで終わりだ。

お前さえいなければ俺はもう天を見上げる必要が無い。

この力をもって大地を征し、絶対的な統制による調和をもたらすのだ。

　全てを平らげ、高みに登り詰め宣言する。

俺は間違ってはいなかったのだと。

そうすれば胸の奥に空いた虚無感という穴が塞がるはずだ。

　倒れたルナミアの前に来ると彼女の頭をつま先で軽く小突く。

反応は無い。

恐らく意識を失ったのだ。

ならばそのまま眠っておくがいい。

せめてもの情けだ。

意識の無いうちに死なせてやろう。

　そう思い剣を構えた瞬間に気がついた。

　目だ。

ルナミアの金色の目が地に伏しながらも此方を睨んでいた。

「……貴様。どうしてそこまで……」

　彼女の目からは闘志は抜けていない。

こんな絶望的な状況でもこの従妹は心が折れず、此方に立ち向かおうとしているのだ。

　ルナミアはゆっくりと手を伸ばし、此方の足を掴む。

その手には全く力が入っていないが強い意志を感じ、思わず背筋に悪寒が走った。

「貴様は……！　何が貴様をそこまで！！」

　ルナミアは何も言わない。

ただ視線でこう語り掛けてきた。

”貴方になら分かる筈だ”と。

　そう分かる。

彼女は自分の大切なものを守るためならばどんな犠牲も払う人間だ。

そしてそれは俺も同じはずであった。

家族を、名誉を守るためだった。

だったはずだ━━。

だが結局手にしたのは虚ろな力の玉座であった。

「おのれ！！　俺を惑わすな！！」

　剣を持つ手に力を籠める。

そして思いっきりルナミアの頭に目掛けて振り下ろした瞬間、何かが飛び込み火花が散った。

「━━貴様」

　騎士だ。

金髪の若い騎士が此方の剣を己の剣で受け、ルナミアを庇うように立っていたのであった。