第75節・願いの翼
レクターは自分とルナミアの間に入って来た若い騎士を見下ろすともう一度「貴様」と呟く。
「覚えているぞ。貴様はコーンゴルドにいた騎士だな?」
「覚えていただいて光栄だっ!」
騎士は此方の剣を思いっきり弾くと一歩後ろに下がる。
少し周囲を警戒するがこの男以外の気配は感じない。
まさか単身で乗り込んできたのか?
「大した忠誠心だな。素晴らしい、褒めてやる」
騎士は貴族に仕えるもの。
己の命よりも主人を守ることを義務とする。
そこに一切の迷いなど不要だ。
美しい。
実に美しい構図だ。
この美しい上下関係を世に行き渡らせてこそ安寧が訪れる。
「我らの闘争の邪魔をしたこと、万死に値するが貴様の忠誠に免じて許してやろう。この俺に歯向かうことを許可する。無様に抗ってみせよ」
「ああ! 抗ってやるさ!!」
騎士はそう言うと剣を大きく振りかぶり、此方に向かって踏み込んでくるのであった。
※※※
霞む視界の中、私は必死に己の身体を動かそうとしていた。
動け、動け私の身体。
だが力を入れるほど私の身体は泥沼に沈んだかのように重くなっていく。
情けない。
何が私は私の大切なものを守るだ。
無様に地に伏して、私は守りたいものに守られている。
このままでは私のせいで彼が死んでしまう。
私のせいでみんなが死んでしまう。
そんなのは嫌だ。
もっとだ。
もっと力を、一人でも戦える力を。
力が欲しい。
『それがお前が力を欲する理由か?』
男の声がした。
誰かが私の前に立っているような気がした。
黒い髪に金色の瞳。
彼は━━彼の名は━━。
『力が欲しいのか?』
私は頷く。
当然だ。
力が欲しいに決まっている。
『お前の欲しい力は一人で戦える力か? 他者の追随を許さない圧倒的な力か?』
私は頷きかけた首を止める。
本当にそうだろうか?
私はそんな力を欲していたのだろうか?
圧倒的な力。
孤独な力。
そんなものを望んではレクターと同じではないだろうか?
私は彼を否定した。
彼の苦しみを理解つつ、それでも彼の願いを、行動を否定する。
『そうだ。アレはお前だったかもしれない過去だ。お前がなるかもしれない未来だ。だがお前はまだ選べる。まだ己の未来を決められる』
私の未来。
私の望む未来。
それはなんだ?
それはリーシェが居て、エドガーが居て、他のみんなが居て笑い合って静かに、だが楽しく暮らす幸いな日々。
ああ、いつからだろうか?
私は全てを背負おうと考えていた。
自分の運命は自分のみの力で切り拓くものだと考えていた。
だが違う。
違うだろうルナミア・シェードラン。
あの日、あの夜、私は大切な義妹と共に誓ったじゃないか。
共に手を取り合い、未来を切り拓いていくと。
『もう一度訊くぞ。お前は力が欲しいか? 圧倒的な力が。全ての敵を破壊し、だが孤独へと堕ちる力が』
「……ない」
男は眉を僅かに動かし、私の前に片膝をついてしゃがむ。
「いらない。そんな力……いらない」
私が欲しいのは圧倒的な力でも、一人で戦える力でもない。
誰かと手を取り合い、共に運命を背負っていけるだけの僅かな力でもいい。
私は私一人で生きているのではない。
ルアミア・シェードランとは多くの人々によってなりたっている存在なのだ。
ならば━━━━。
「━━私は力が欲しい。誰かと共に生きていく力が……欲しい!!」
全てを吐き出すようにそう叫ぶと男は優し気に微笑み、頷いた。
『お前は言えた。俺の言えなかったことを。お前は選べた。俺が選べなかったことを。なら……』
男が手を差し出してくる。
私はその手を必死に掴み、もう一度叫ぶのであった。
「力が欲しい!!」
※※※
エドガーは敵との力の差を痛感していた。
敵の攻撃は凶悪などで力強く、そして速い。
敵の剣を己の剣で受けるたびに刃が欠けていく。
更に床や天井から槍が現れ襲ってくるためそれを避けなくてはいけない。
ルナミアが追い詰められた理由が分かる。
今のレクター・シェードランはベヘモスの肩に現れたあの白い男に匹敵するかもしれない。
高速で放たれる斬撃を寸前のところで避けつつ死角から現れる槍を避ける。
だが全てを避けきることは出来ないため少しずつ身体は切り裂かれ、追い込まれていた。
焦りから乱れる息を整え冷静に勝ち筋を探す。
敵は強い。
だが無敵ではない。
どんなに苦戦していようとも諦めなければ必ず勝機は訪れる。
足元から槍が現れたのと当時にレクター目掛けて踏み込んだ。
それに対して敵は二つの翼を大きく横に薙いで斬撃を放ってくる。
「!!」
咄嗟に身を屈め、床に顎が着きそうになるほど前傾姿勢になるとそのまま剣を全力で振る。
そして敵の腰に剣を叩き込むと敵は僅かに怯んだ。
(……詰めろ!!)
一瞬出来た隙を逃してはいけない。
敵の背後に回り込むと背中目掛けて突きを放つがレクターは「なめるな!!」と後ろ蹴りを放ってきたため慌てて左腕で蹴りを受ける。
凄まじい脚力から放たれる蹴りによってガントレットが歪み、そのまま身体は吹き飛ばされる。
床を何回転もしながら転がるとどうにか立ち上がり、己の左腕から流れる血を横目で見た。
(折れては……いないか)
運良く骨折はしなかったようだが左腕にかなりのダメージを負ってしまった。
これでは両手で剣を上手く持てないかもしれない。
「今の俺に対して良く戦う。見事だな、褒めてやってもいい」
「守りたいものがあるんでな……!! お前なんぞに負けるものか!!」
そうレクターに言うと彼は「ほう?」と興味深そうに此方を見た後に倒れているルナミアを見る。
「そんなに己の主が大事か。ならば━━守り切ってみるがいい!!」
レクターがルナミアの方に向けて片側の翼を大きく広げた瞬間全力で駆けていた。
そして後先考えずにルナミアを庇うように立つと眼前に鋼の翼が迫っていた。
「ぐっ……!!」
剣で翼を上に向かって受け流そうとするが流しきれず右肩を翼の刃で抉られる。
血が噴き出し、肉が飛び散る。
だがそれでも必死に腕に力を入れ、敵の攻撃を受けきると敵は翼を己の背中に畳んだ。
深手だ。
肩の傷がかなり不味い。
骨にまでは達しては居ないものの血を大量に流した。
剣を握る手に力が入らず、息が苦しい。
「……見事だな」
レクターは満身創痍な此方の姿を見ると感心したように呟き、突然剣を降ろした。
「その忠誠心見事だ。貴様、気に入ったぞ。どうだ? 俺の騎士とならないか? お前にならば俺の力を分け与えてやろう。俺に忠誠を誓い、共にこの世に安然を持たすのならばそこで倒れている従妹も助けてやってもいい」
「安寧……だと?」
「そうだ、安寧だ。絶対的な力を持つ存在が頂点に立ち、統制する世界。力無き者は力ある者に従い、力あるものは力なき者に安寧を与える。力と血による徹底的な階級社会。それこそが真に争いの無き安寧の世である」
レクター天に向かって手を伸ばす。
その姿はまるで届かぬものを渇望する悪魔のようであった。
「……お前の言いたいことは少し分かる」
「ほう?」
「俺も嘗てはそう思っていた。貴族は貴族らしく、騎士は騎士らしく振舞わなくてはいけない。血は貴いものだ。絶対的なものだと」
「だが」と続ける。
貴いものは血だけではない。
流れる血が全く異なっていても互いを思い合い、信じあう絆を知っている。
騎士の夢を諦めてでも己の大事なものを守ろうとしている誇りを知っている。
世界はそういったものに満ち溢れており、だからこそ成り立っているのだ。
「人の情が無い世界なんて俺は御免だ! お前の求めているのは安寧の世界じゃない! 氷のように冷たい恐ろしい世界だ!」
そうレクターに対して言い放つと後ろから肩に手を乗せられ、ルナミアが横に立った。
「同感だわ」
「ルナミア様!」
ルナミアの顔色は良く無いが彼女は強気の笑みを浮かべると一歩前に出る。
「レクター、貴方も本当は分かっているのでしょう? どんなに圧倒的な力で縛り付けても人の心までは縛れない。貴方のやり方では確かに一時的には平和な世になるかもしれない。でも縛られた人々は自由を求めて、それは更に大きな戦いに繋がる」
「ならば自由を求める気すら無くすほどの力を見せつければよい! 群れることしか能の無い愚民など我が力で踏み潰してくれる!!」
レクターの言葉にルナミアは首を静かに横に振った。
そして此方を横目で見つつ更にもう一歩前に出る。
「人は一人では生きていけない。だからこそ誰かと手を取り合い、共に生きていく。そしてそれは時に奇跡と呼ぶに相応しい力となるわ」
そしてルナミアはレクターに「感謝するわ」と言う。
「貴方のお陰で私はそのことに気がつけた。そして貴方も本当は気が付いているはず。だって貴方の本当の願いは━━」
「━━黙れッ!!」
レクターは激高し翼を大きく広げると嘗てないほど魔力を翼に収束させていく。
ルナミアを守ろうと前に出るが彼女ははそれを止め、「私を信じて」と前に立つ。
「貴様らの戯言にはウンザリだ……!! 肉片残さず吹き飛ばしてくれる!!」
そして限界まで魔力が収束すると凄まじい量の光の矢を放ってきたのであった。
※※※
レクターは魔力の矢を放ち終えると静かに息を吐いた。
辺りには攻撃による土煙が舞い上がっておりルナミア達がどうなったのかが見えない。
だが確信している。
奴らに此方の攻撃を避ける力は残されていなかった。
そして此方の攻撃を防ぐ手立ても無かった。
つまり奴らは死んだ。
肉片残らず消し飛んだだろう。
ようやくだ。
ようやくあの従妹を殺せた。
これでこの胸のざわつきも収まる、その筈であった。
「…………?」
煙の中、何かが光った。
鳥肌が立つ。
ありえない。
そんなことはあってはならない。
普通の人間がアレを防げるはずがない。
だが思い出した、思い知らされた。
そうだ、あの女は━━━━普通ではないのだ。
「馬鹿な……」
煙が晴れ、現れたのは巨大な光の翼だ。
翼はルナミアと若い騎士を覆い、ゆっくりと開いていく。
すると翼の中から先ほどと変わらないルナミアと騎士が現れ、ルナミアが黄金の瞳を輝かせながら一歩前に出てくる。
「それは……なんだ。貴様は、何をした……!!」
「━━これは譲り受けた願いよ。これは私たちの想いの力よ」
ありえない光景であった。
ベヘモスの力がある限りここで強力な魔術は使えない筈だ。
だがあの翼は魔力の塊であった。
ルナミアの内からあふれる莫大な魔力。
それはベヘモスの力でも奪えぬほどの圧倒的な力だ。
「そうか、これが、これが! アルヴィリアの力!?」
恐怖を感じ再び翼から魔力の矢を放つとルナミアは光の翼で此方の攻撃を全て受けた。
すると魔力の矢は彼女の翼に吸われるように消滅していき、翼から温かな力が漏れ出ると近くにいる若い騎士を包む。
「力が……沸いてくる!?」
騎士が驚くとルナミアは微笑んだ。
まさかあの翼、他者に力を分け与えることがでいるというのか!?
「だがそれが何だというのだ!! 満身創痍の貴様らに今更何ができる!!」
得体の知れない力を恐れ、焦りからルナミアに向かって突撃し剣を大きく振りかぶる。
するとルナミアはゆっくりと目を閉じると拳を構え、己の手の中に光の剣を生み出した。
それは彼女の翼と同じ魔力の塊で出来た剣だ。
極限まで収束させた光の刃。
その刃で此方の漆黒の刃を受け、つば競り合いになる。
「貴様!! そんな力を隠し持っていたのか!!」
「これは私だけの力じゃないわ!! 遥か昔から継がれてきた祈りの力!!」
ルナミアが腕に力を籠めると押し返され始める。
馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な!!
神より力を授かったこの俺よりもこの女が勝るというのか!!
想いの力などという不確かなものに負けるというのか!?
否、否! 否否否否否否否!!
断じて認めない!!
つば競り合いの状態で翼を大きく広げ、ルナミア目掛けて叩き込む。
すると彼女は横に跳躍し、此方の攻撃を避けた。
だが着地をする際にわずかに体勢を崩すのが見えた。
そうか、奴は限界が近いのだ。
あのような力を使って平気なわけがない。
体力も魔力も尽き欠けている中、全てを出し切ろうとしているのだ。
ならば持久戦に持ち込めばいい。
奴が力尽きるまで近寄らせず逃げに徹すればいいのだ。
ルナミアに対して全方位から槍を放つ。
それをルナミアは駆け抜けて避けるが逃さず追撃を行い続ける。
そして少しでも此方に踏み込んでくる動きを見せたら後ろに下がり、距離を取る。
(力尽きろ!! 力尽きろ!! 早く諦めて倒れてしまえ!!)
ルナミアは必死に走り続けるが徐々に弱っていくのが目に見えて分かった。
あと少しだ。
あともう少し時間を稼げば━━。
「━━そうはさせるか!!」
突然若い騎士が此方に向かって突撃を敢行してきた。
急いでそちらに目掛けて光の矢を放つが騎士は弾幕の中、傷だらけになりながらも突き抜けてくる。
「雑魚風情がッ!!」
迫って来る騎士を叩き斬ろうと剣を構えた瞬間、騎士が己の剣を真っ直ぐに此方に投げつけてきた。
それを剣で弾くとその隙に騎士が目前まで踏み込み拳を此方の顔面に叩き込んでくる。
痛みすら感じない程度の貧弱な攻撃だ。
だがそれで十分であった。
騎士が此方を殴り、転がる様に倒れるのと同時に英雄の末裔が飛び込んできていた。
「従兄上!! 覚悟ッ━━!!」
「嘗めるなぁッ━━!!」
己の魔力を全て解き放ち魔力の障壁を展開する。
ルナミアの光の刃と障壁が激突し、凄まじい衝撃が生じた。
激しい光は薄暗い部屋を照らし、光の刃と魔術障壁が砕け合う音が鳴り響く。
「抜けろおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ルナミアが吼える。
目を見開き、残った全ての力をこの一撃に注ぎ込む。
「オォ、オォォォォォォォォッ!!」
此方も叫んだ。
我が願いを、歩みを否定されてはならない。
勝つのだ。
勝って宿願を果たさねば何のために俺は父を━━!!
「勝つのは……俺だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
魔術障壁が光の刃を押し返し始める。
ルナミアが力尽き掛けていたこともある。
だが何よりもベヘモスの力が彼女の魔力を吸い取っていたのだ。
それ故に彼女は届かない。
あと僅かが届かないのだ。
「まだ……まだああああああああああ!!」
ルナミアが脚から激しく血を噴き出しながら力を入れなおす。
無駄だ!
もう貴様がどうあがこうとその刃は届かない!
勝つのは、勝つのはこの俺なのだ!!
そしてその瞬間、それが起きた。
ルナミアの刃に更に力が篭ったのだ。
否、力が篭ったのではない。
戻ったのだ。
ルナミアから突然魔力が奪われなくなり、彼女は残った全ての魔力を刃に回す。
「馬鹿な━━何が━━」
割れた。
障壁が砕け、ルナミアが突破してくる。
それに対して右手の剣を振るがそれよりも僅かに早くルナミアが此方の右腕を断った。
「━━━━」
斬り落とされた腕から剣が離れ、宙を舞う。
そしてそれを背後に抜けたルナミアが手を伸ばして掴んだ。
「おのれええええええええええええええええええ!!」
振り返り、背中の翼でルナミアを叩き潰そうとする。
それと同時にルナミアも振り返り、手にした剣を此方の心臓に向けて踏み込んできた。
「レクタァァァァァァァァァッ!!」
直後、重なり合うようにルナミアと激突し、アルヴィリアの剣が此方の胸を貫くのであった。
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