第3節・商業都市の首領


 深夜。


 大きな壁に囲まれた区画にある集積所に一人の少女がいた。


 ミリ・ミ・ミジェ。

いくつも積み重ねられた木箱の影に隠れている彼女はフードを深く被ると辺りの様子を伺う。


 深夜ということもあり、周囲は静かだ。

巡回の兵士が何人かいるがどうにかなる数だろう。


「……ここまでは順調ね」


 今、自分がいるのはファスローの町北部にあるドン・マルコの私有地だ。

通称"工場"と呼ばれている場所であり、ドンの商品の多くはここで製造・集積・配送されているという。


 そんな場所に忍び込んでいるのには理由がある。

もともとこの町にはリーシェを探しに来たのだが、その途中である噂を聞いた。


 それはドンが去年から怪しげな男と連むようになり、人を瞬く間に治す秘薬などを売り出したという。

その怪しい男というのが黒いローブを皆纏い、蛇の面を被っているらしく、間違いなく"蛇"の一味だろう。


 ドンの後ろに"蛇"がいるならば放ってはおけない。

"工場"では非人道的な実験が行われているという情報を得たため、ドンと"蛇"の繋がりを調査すべく潜入したのだ。


 もう一度辺りを確認し、周囲に人がいないことを確認すると動き出す。

夜の闇に紛れるように物陰から物陰へと移動を行う。


(それにしても……手薄過ぎじゃないかしら?)


 いくら深夜とはいえ、ここはドンの事業における最重要施設。

もっと見張りがいると思っていたが……。


「さて……どこから当たるか……」


 "工場"は非常に広い。

手当たり次第では日が昇ってしまうだろう。


「見取り図みたいのが欲しいわね」


 少し危険だが守衛所を襲うか?

とにかく時間がない。

まずは動こう。

そう判断し、移動を再開するのであった。


※※※


 "工場"を移動すればするほど違和感が大きくなっていった。

やはりあまりにも見張りの数が少なすぎる。

罠に嵌められたかと警戒したが直ぐに見張りの数が少ない理由が分かった。


「……どういうこと?」


 物陰に隠れた際に先客が居たことに気が付いた。


 見張りの兵士だ。

気絶させられ、倒れている兵士が物陰に隠されていたのだ。

兵士を調べてみたが争った様子はない。

恐らく不意打ち、しかも一撃で気絶させられたのだろう。

これをやったのは相当な手練れだ。


 気絶させられた兵士は”工場”中央の建物に近づくほど増え、これをやった人物は恐らくそこに向かったのだろう。

もしかしたら自分が探しているものもそこにあるかもしれない。


 そう考え、中央の建物に向かう。

建物は巨大な倉庫を改造したもののようで大扉はしまっているが建物側面の通用口が開いていることに気が付いた。

慎重に中の様子を伺いながら入っていくとすぐに気絶させられた兵士たちが何人も倒れているのが目に入った。


「やっぱり、ここにいるわね」


 これをやった人物は恐らくこの中にいる。

いったい何が目的なのか、そしてこの建物は何なのか。

警戒しながら奥へと進むとすぐに広い部屋に出る。


「……これは?」


 部屋には沢山の金属のタンクがあり、それらはパイプのようなもので繋がれている。

この光景、ドワーフたちの工房に似ているような気がする。

これらは魔導炉に関係するものなのだろうか?


 ふと部屋にある金属の大きな箱のようなものが目に留まった。

それに近づきそっと開けてみると言葉を失う。

箱の中に大量に入っていたのはクリスタルだ。

それもこれは……。


「転成石!?」


 一年半前。

”蛇”がディヴァーンに渡していた人を魔獣に変える魔晶石。

それがなぜこんなところに?


(まさか……ここで作っているの!?)


 だとしたら大変だ。

転成石は非常に危険なものであるし、なによりもこれで”蛇”とドンが繋がっているのが確定した。

あとは一刻も早くこのことをロイたちに伝えなければ。


 そう思い踵を返そうとした瞬間、首元に冷たい感触を感じた。

鋭い刃が首に押し付けられ、ゆっくりと両手を上げる。


『誰かが入ってきたと思ったが、鼠か?』


 相手の声は仮面でもしているのかくぐもっている。


「……あら? そっちも鼠なんじゃないかしら?」


 そう言うと何故か声の主は一瞬動揺し、首元に押し付けられていた刃が離れる。

その隙を狙い後方に回し蹴りを放つとこちらから飛び退く姿があった。


 相手は黒いローブに身を包み、頭を全て衣装と同じ黒い布で覆った人間だった。

ローブを着ているため性別は分からないが首に刃を押し付けれられるまで気配を感じなかったことや此方の回し蹴りを容易く避けたことを考えると只者ではないだろう。


 ローブの人物は手にダガーを持っており、此方をじっと見つめると武器を降ろした。


『エルフか。こんなところで何をしている?』


「そっちこそ、何をしているのかしら?」


 そう返すとローブの人物は暫く沈黙した後、転成石が入った箱を指さした。


『私はドンの秘密を探っていた。奴には様々な秘密がある。そしてこれはその中でも特に危険な秘密だ』


 ローブの人物は此方に小袋を投げ渡し、それを受け取ると中を見てみる。


「……粉? 薬……かしら?」


『ああ。ドンが売り出した例の秘薬だ。どんな傷も、病も治る薬。そんなものが普通あると思うか?』


「……まさか」


 驚異的な再生力。

その言葉から思い出されるのはあの魔獣たちだ。

まさか、この薬の原料は……。


『想像通りだ。ドンは怪しげな連中からそのクリスタルを受け取り、薬にしている。今はまだ治療薬として使っているが、いずれはその薬を転用し人間を強化しようとしているようだ』


 なんてことだ……。

転成石は人を魔獣に変える力を持つ。

そんなものを人に飲ませていたら……。


『少量であればさほど問題にはならないそうだ。だが大量に摂取すれば人体に悪影響を及ぼし、そしていずれは……』


「人で無くなる」


 此方の言葉にローブの人物は頷いた。

この薬は既にかなりの量が町に出回っている。

このままではいずれ町の人間が魔獣になるかもしれない。

それは何としても阻止しなければ!


「ここを破壊しましょう!」


『そのつもりだ。だがあまり効果は無いだろうな……』


「どういうこと?」


『ドンは既に制圧した各自由都市にここと同じような場所をつくっている。ここを叩いたとしても生産量を暫く減らす程度だろう。根本的な解決をしたいのであれば……』


「ドンを叩くしかないと……?」


 此方の言葉にローブの人物は頷く。

大元を叩き潰さなければ意味がない。

しかしドンの周囲には多くの兵士がいるため彼に近づくのは困難だろう。


『ドンは私がどうにかする。お前は本来の目的を果たしてこの町から立ち去れ』


「本来の目的って……貴方、どこまで知っているの?」


 ローブの人物は答えない。

恐らくこいつは此方が何者なのかを知っている。

いったい何者なのか、そして信じていいのか?


 そう警戒していると建物の外が騒がしいことに気が付いた。

何人もの人間が慌ただしく動いている風を感じる。

恐らく侵入したのがバレたのだ。

これ以上この場所にいるのは危険だろう。


『私が騒ぎを起こそう。お前はその隙に脱出しろ』


 今は信じるしかない。

ローブの人物に頷くと駆け出し、建物から出るのであった。


※※※


 建物から出て物陰に隠れるとすぐに騒ぎが起きた。


 先ほどまでいた建物が内部から爆発し、炎上したのだ。


「やることが派手ねぇ……」


 火災が発生したことにより兵士たちが大慌てで駆け回っている。

これならば脱出は容易だろう。


「……それにしても転成石か」


 先ほど受け取った袋を握りしめる。

思っている以上に大事になるかもしれない。

あのローブの人物はこの町を去れと言ったがそうはいかない。

"蛇"との戦いはリーシェを探し出すのと同じくらい重要なのだから。


「とにかく、まずはロイたちと合流ね」


 そう呟くとタイミングを見計らい脱出地点に向かって走り出すのであった。


※※※


 朝。

ボリバルは頭を抱えながら通りを歩いていた。


 昨日から一睡もできていない。

結局あの酒場を立ち退かせることは出来ず1日が過ぎてしまった。

金に目が眩み、ドンには1日で出来ると大見栄を貼ってしまっていた。

今日、ドンに報告をしなければいけないのだが……。


「む、無理だ……。殺される……」


 ドンは契約を最重視する。

彼との約束を果たせないとなれば始末されるだろう。


「ど、どうする? 逃げるか……?」


 ドンの部下に見つかる前に逃げ出すか?

自由都市は危険だ。

逃げるならアルヴィリア王国しかないが……。


「クソ! これもあの女のせいだ!!」


 シアがしっかりと働けばこんな目に合わずに済んだというのに!


(俺はこんなところで死ねるか!!)


 自分には夢がある。

底辺に生まれた自分はのし上がり、いずれは巨大な富を築き上げて頂点に立つのだ。

今まで自分を見下していた奴らを見返し、逆にこき使ってやるのだ。


「おやおや、ボリバル君。こんな所で奇遇だなぁ」


 背後から声を掛けられ、顔が引きつる。


 ゆっくりと振り返るとそこには見覚えのあるガラの悪い二人の男がいた。

こいつらはドンの部下だ。


「こ、これはこれは。確かに奇遇ですなぁ」


 互いに笑いあうが男たちの目は全く笑っていない。


「で、では」と踵を返そうとすると「おい待て」と肩を掴まれた。


「ドンが呼んでいる。一緒に来てもらおうか?」


「そ、そのことなんですがね? これから仕事を終わらせようかと……」


「ほう? そうなのか? 俺たちは昨日お前が返り討ちにあって逃げ帰ったと聞いていたんだがなぁ?」


「確かに昨日は足を引っ張られたせいで失敗しましだか、今日こそは……!?」


 言い訳をしていると腹にナイフを突きつけられた。

全身から冷や汗が湧き出し、息が詰まる。

男たちの顔にはもう笑みは無く、無表情にこちらを囲んだ。


「ドンには逆らうなら殺せと言われてるんだ。ここで腹を裂かれたくなけりゃ大人しく言うことを聞きな」


 ナイフがさらに強く突き立てられたため慌てて頷くと男たちは満足したように笑みを浮かべ、離れた。


「それじゃあボリバル君。一緒にドンの館に行こうか?」


 その言葉は死刑宣告に等しいものであった。


※※※


 町の中心にある巨大なドン・マルコの館の執務室にボリバルは連行されていた。

彼は怯えた様子でソファーに座っており、その背後には先ほどの二人が控えている。


 そんな彼と相対するように座っているのがドン・マルコだ。

恰幅の良い体型に派手な服を身に纏い、両手全ての指には様々な宝石の指輪が嵌めれている。


ドン・マルコは葉巻を咥え、煙を吐き出すと口ひげを指でさする。


「さて、ボリバル。なぜ君がここに呼ばれたのかは分かっているかね?」


「……はい」


「私は常々思っているのだがね? 契約というのは何よりも大事だ。良い仕事には良い信頼関係を。注文した通りの商品を、注文した納期に間に合わせる。その分対価に見合う金を我々は払う。うむ、実に素晴らしい関係だ」


 ドンがそう口元に笑みを浮かべると葉巻を指で摘まんで持つ。

そして口から煙を吐き出し、ボリバルに吹き付ける。


「君は言っていたな? 自分ならあのぼろい酒場を一日で退かせられると。私はその言葉を信用して通常よりも遥かに高い金で君を雇ったのだよ? だというのにこれはいったいどういうことかね? あの店主は相も変わらず店を開き、私に逆らい続けている」


 ドンはため息を吐く。

そして葉巻を再び加えると身を乗り出し、目を細めた。


「いいかね? これは面子の問題でもあるのだよ。この町では私は絶対だ。神に等しい。だが、そんな私の町で、私に逆らい続けている奴がいる。これは大問題なのだよ。はっきりと言って私は悪人だ。私のことを恨んでいる人間はかなりいる。だがそんな中今日まで私が今の地位を守り、生き残っている理由は私に逆らうとどうなるかを愚か者どもに思い知らせているからだ」


 さっきから喉が渇いている。

緊張と恐怖のあまり言葉が出ない。

部屋の空気は最悪でいつ殺されてもおかしくない。

ただひたすらにドンの言葉に頷くしかない。


「さて、今私は契約を反故にされ、面子を潰されている。これは大きな損失だ。損失は補わなければいけない」


「……お、お待ちを! ど、どうか命だけは……!!」


 慌てて頭を下げるとドンは嗤う。


「安心したまえ、君を殺しはしないよ。言っただろう? 損失は補わなければいけない。君を殺したところで損にも特にもならない」


「で、では……?」


「君には新薬の被験者になってもらおう。被験者が不足していてねえ。被験者を攫うのも安くは無いのだよ」


 それは、死ぬよりも恐ろしいのでは無いだろうか?

ドンが開発している薬には悪い噂が大量にある。

そんなものの被験者になれば酷い目にあってしまう。


「ど、どうか! どうかご容赦を!! 損失は必ず補います!! ですから、どうか……!!」


 必死に頭を下げる続けるとドンはため息を吐いた。


「ほう? どうやって? 君にあの店を立ち退かせることはできないだろう。私も調べたがあの店にいる自由騎士とやらは大分厄介だ。とても君にかなう相手ではない」


 確かにそうだ。

あの赤毛の自由騎士は相当な手練れだ。

自分なんかじゃ絶対にかなわないのは昨日思い知った。

ならば……もっと、別の手を……。


「ドンは……、土地が欲しいのですよね?」


 そう訊ねるとドンは頷く。


「薬を作る場所を増やしたくてな。昨日”工場”に鼠が入られたせいでますます必要になった」


「で、でしたら……。もっと別の場所を、あの酒場よりも容易く奪える土地があります」


「ほう? どこかね?」


「……孤児院です。町にあるボロい孤児院。あそこは結構土地が広く、居るのも老婆に餓鬼どもだけ。まあ、あと傭兵の女が住み込んでいますが……」


 シアが世話になっている孤児院の土地は結構広い。

あの酒場と同じくらい、いやそれ以上だ。

損失を補うという意味では最適だろう。


 当然シアは激怒するだろうがこうなったのもあの女のせい。

自分の知ったことではない。


「孤児院か……。おい、お前、知っているのか?」


 ドンが此方の背後にいる男に訊ねると男は頷く。


「行ったことはありませんが噂は聞いています。町に昔からある孤児院だとか」


 その言葉にドンは暫く口ひげをさすり思案する。


「傭兵の女というのは? どれくらい腕が立つ?」


「えっと……シアという記憶喪失のゼダ人の女なんですがね? 確かにかなり腕が立ちます。でも、俺に任せてもらえればどうにでもなります!」


 シアと真っ向から戦えば勝ち目は無いがあの女は甘ちゃんだ。

絡め手を使えばどうにでもなるだろう。


「……失敗すれば次はないぞ? 分かっているかね?」


「分かっています!」


 強く頷くとドンは見定めるように此方を見つめ、それから口元に笑みを浮かべた。


「いいだろう。そこの二人を連れていけ。あともう一人、非常に強力な助っ人を用意してやる。どんな手を使ってでも土地を手に入れてみせろ」


 その指示に「分かりました!」と力強く頷くのであった。


※※※


 ボリバルと部下たちが部屋を出ていくとドンはソファーに深く腰掛け、葉巻を咥えなおした。


 ボリバルという男、見た目通りの小物だがああいった手合いは追い詰めるとたまに凄まじい行動を起こすことがある。

是非とも死に物狂いで自分の為に働いて欲しいものだが……。


『見させてもらったがこれならば新しい実験施設をすぐに用意できそうだな』


 そう言いながら闇から現れたのは黒いローブを羽織り、蛇の面を被った男だ。


「”隠者”か、何の用だ……?」


『薬の製造所が失われたこともあって少しこの町を離れようと思ってね。こう見えても私は忙しいのだ。西から東へ、いろいろとやることがあるのだよ』


 秘薬の原料である転成石はこの男からもたらされた。

転成石を渡す代わりに己の実験を手伝えと言ってきたのだ。


 ”隠者”は転成石を利用した様々な生体実験を行っており、その過程で様々な魔獣が生み出された。

そのほとんどは危険なため処分したが、一部は手懐けることができたため”工場”に保管している。


 こいつが何者なのかは分からないが今のところ利害が一致しているため手を組んでいる。

薬の開発が終了したら早々に手を切るつもりだが……。


『先程の話だがね。私も孤児院とやらに行ってみるつもりだ。すこし気になることがあってね』


「土地の下見かね? 好きにするといい」


 『ああ、そうさせて貰う』と"隠者"は言うと踵を返し、闇の中に消えて行く。


 "隠者"の姿が完全に消えると葉巻を灰皿で押し潰し、大きくため息を吐いた。


 相変わらず不気味な奴だ。

悪魔の類ではないかと思っている。

奴と手を組んでいるのは非常に危険だろう。

だが自分には危険な悪魔と手を組んででも果たさなければいけないことがあるのだ。


「全てはアマリアのためだ……」


 そう呟くと天井を見上げ、目を瞑るのであった。


※※※


 町外れの酒場"小鴉亭"の店内にロイはいた。


 机の上に置かれた小袋をじっと見つめ、思案する。

ドン・マルコの背後に"蛇"がいるとは思っていたがまさか転成石とは……。

ドンは転成石がどれだけ危険か分かっているのか?

もし薬を飲んだ人たちが次々と魔獣になったら大惨事だ。


「……むにゃ。もう……食べられ……な……」


 目の前で机に突っ伏して爆睡しているミリを見ると思わず脱力してしまう。

さっきまで今後のことについて朝食を食べながら打ち合わせしていたのだが、昨夜寝ずに動き回っていたため力尽きてしまったようだ。


 まずは昨日の功労者を休ませてあげようとヘンリーと話し、打ち合わせは一旦中断となった。


 ヘンリーは少し町で情報収集をしてくると出かけてしまった。

ミリを店内で一人で寝かしておく訳にはいかないため自分もここにいるのだが……。


(部屋に連れて行った方がいいのか? これ?)


 自分の部屋のベッドで寝るのが一番休めるだろう。

さてどうしようか?

自分の部屋に行けと起こすのは可哀想だ。

と、なると自分が彼女を運ぶしかないのだが……。


「ん……」


 寝返りを打った際に髪が頬を流れ落ち、それが艶かしく感じた。


「いや、何動揺しているんだ! 平常心!!」


 そうだ、平常心だ。

だいたい自分にはリーシェが……、いや、そう言うことじゃなくて!


 席を立ち、ミリの横に行くととりあえず彼女を担ぎ上げる。

えっと、何て言うんだっけ?

この体勢。

そうだ、お姫様抱っこというやつだ。

以前エドガーがアーちゃんに何故かお姫様抱っこされて振り回されていたのを思い出す。

二人とも、元気でやっているだろうか?


「それにしても……。これ、する側も恥ずかしいな……」


 何せ腕の中にミリがいるのだ。

静かに寝息を立てている彼女の顔を思わずじっと見つめてしまう。


「……やっぱり背負おう」


 この体勢は色々とマズい気がする。

ミリが目覚める前に背負おうとすると酒場の扉が勢いよく開かれた。


「大変ですぞ! ルナミア様……が……」


 酒場に飛び込んで来たヘンリーが此方を見ると目を丸くし、それから意味深に頷いた。


「ロイ坊ちゃんも隅に置けませんなぁ」


「いや、違うから!!」


 慌ててそう言うと腕の中のミリが動き始めた。

彼女は「ん……あれ、寝て……?」と目をゆっくりと開けると此方の顔をマジマジと見る。

それから頬が赤くなり……。


「へ、変態!?」


 顎を思いっきり殴られた。


※※※


「顎イテェ……」


 ミリに殴られた顎を水で濡らしたタオルで冷やしているとミリが「あ、謝らないわよ」とそっぽを向いた。

いや、まあこっちも悪かったとは思っているが……。


「確かに抱きかかえたのは悪かったけどさ。そんなに怒らなくてもいいだろう?」


「だって、昨日から汗掻きっぱなしだったし……。その……」


 ミリが頬を少し赤らめる。

ああ、なるほど。

ミリだって女の子だ。

そういうことは気にするのだろう。


「すまない。でも大丈夫だぞ。お前は臭くな……いって!? 脛を蹴るな!!」


 そんな此方の様子を見ていたヘンリーは大笑いすると「いやはや仲良きことはいいことです」と言う。

そしてそれから「こほん」と咳をすると真面目な表情になった。


「では本題に入りますがね。先ほどとんでもない情報が手に入りました」


 「とんでもない?」と首を傾げるとヘンリーは頷く。


「落ち着いて聞いてくださいね。数日前、ルナミア様がレクター様に対して挙兵しました」


「なっ!?」


 思わず立ち上がってしまう。

店にいた客たちが一斉に此方に注目したため慌てて椅子に座ると小声で「確かなのか?」と訊ねる。


「ええ、間違いありません。既に多くの情報が入ってきています」


「……なんてこった」


 現在のシェードラン領の情勢については以前から知っていた。


 オースエン大公の死後、シェードラン大公はオースエン傘下の諸侯と共にメフィル・ガルグル大公と戦っていた。

だがシェードラン大公は東ミスア戦役で負った傷に苦しめられ続け、ついに倒れてしまった。

最早自分ではシェードラン軍を率いることができないと判断した大公は息子のレクターに大公の座を譲り、白銀騎士団の団長ランスロー卿を彼の息子の補佐につけた。


 それからしばらく、レクター指揮のもとシェードラン軍は主にメフィル軍と争っていたがある日レクターが突如方針転換を行った。

彼はなんとメフィルと手を組むと言い始め、突然の方針転換に諸侯は混乱、そして反発した。


 レクターが自分に従わない貴族の領地を没収し始めたためバードン伯爵を始めとする反レクター派が蜂起。

シェードランは二つに分かれて争うことになった。


 そんな中もう一つのシェードランである辺境伯家はルナミアが早々に中立宣言を出したため戦には巻き込まれないかと思われていたが……。


「ルナミア様はずっと従兄とは戦わないって言っていたんでしょう? それがどうして急に……」


 ミリがそう訊ねるとヘンリーは周囲の様子を伺う。

そして身を乗り出してきたため、自分とミリもテーブルに身を乗り出す。


「実は━━━━」


 ヘンリーが語った情報は衝撃的なものであり、暫く言葉が出ないのであった。


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