第23節・氷結の黒狼
ウェルナーはルナミアの命令通り兵を百人ほど集めた後、白銀騎士団の補佐をすべく彼らの傍に布陣した。
白銀の鎧を身に纏った一団を辺境伯軍の兵士は「すげえ……」と眺めている。
すると騎士団の方から白馬に乗ったランスローがやってきた。
彼はウェルナーの横に馬を停めると兜のバイザーを上げ、「よく来てくれた!」と言う。
「高名な白銀騎士団の足を引っ張らないようにしますよ」
「なにを言うか。野営地襲撃時の辺境伯軍の奮戦っぷり、聞いておるぞ!」
「それに」とランスローは小声になる。
「近年の白銀騎士団は質が下がっている。お前が我が右腕であったころが懐かしいよ」
ウェルナーは白銀騎士団を見渡す。
確かに見て呉れはいいが、なんというか覇気が無い。
自分が所属していたころはもっとこう、全員が鋭い矛のようであった気がする。
「白銀騎士団が高名になると騎士団に子息を入れたがる貴族が増えてな。昔より家柄だけで編入された騎士が増えた。ほれ、見てみろ。あの若いの。あれはジュスター伯爵の息子だ。はっきり言って才能が無いのに騎士団に入り、いざ実戦になるとああやって震えている。あれでは使い物にならん」
大きなため息を吐いたランスローにウェルナーは「白髪が増えますな」と苦笑するとランスローは頷く。
「……俺はこの戦争が終わったら引退するつもりだ。大公閣下にも既に話してある」
「"猛牛"ランスローも店仕舞いですか」
「ああ。余生は……猛牛らしく牧場でも開こうか? で、だ。ウェルナー、白銀騎士団に戻って来る気は無いか? 俺の後を継げるのはお前しかいないと思っている」
ランスローの誘いにウェルナーは沈黙した。
白銀騎士団の騎士団長にならないかと誘われるのは物凄く名誉なことだ。
嘗て、ランスローの右腕として戦っていた時はその座を夢に見ていた。
だが、今は……
沈黙した此方にランスローはフッと笑みを浮かべると「そうだな。お前にはあの方との約束がある」と言った。
「……申し訳ない」
「いや、謝るな。此方が無茶なお願いをしたのだ。なあに、引退するまでに後継者を探すさ」
大公の陣の方が騒がしくなってきた。
もう間も無く攻撃が始まるのだろう。
「白銀騎士団が東門を叩く。お前たちは我らの左翼に布陣し、援護をしてくれ」
「承知した。ランスロー卿、ご武運を」
そうウェルナーが言うとランスローも「そちらもな」と頷き、騎士団の方へと戻っていく。
その背中を見届けるとウェルナーは兵を率いて攻撃開始の号令を待つのであった。
※※※
ラウレンツ・シェードランは伝令から全軍準備完了の報告を受けると兜を被り、馬に跨った。
攻撃開始の合図はシェードラン家が担当になっているため、近くに角笛を持った兵士を待機させる。
「ディヴァーンの獣どもは我らが大地を民を汚した! 奴らによって、多くの者たちが苦しまされた! だが、それも今日までだ!! 今日、我々は奪われた砦を奪還する!! 今日、我々は反撃の狼煙を上げる!! 奴らに思い知らせてやれ! 身の程を弁えぬ蛮行は滅びへの近道だと! 奴らに女神の裁きを与えよ! そして、アルヴィリアに勝利を!!」
シェードラン大公が剣を引き抜くと兵士たちは高らかに「勝利を!」と叫ぶ。
「全軍、攻撃開始! あの砦を奴らの墓標にしてやれ!!」
「おおー!!」
※※※
シェードラン大公の号令とともにアルヴィリア軍のいたるところから角笛の音が鳴り響く。
それと同時にアルヴィリア軍の攻撃が始まった。
まずアルヴィリア軍は魔術師部隊による魔法攻撃や、魔導砲による攻撃を行った。
砦に向け火球や雷撃、氷の槍などが放たれ、それが城壁に着弾するたびに城壁上の敵兵が吹き飛ぶ。
対して敵も矢や魔術で反撃をしながら砦上方を囲むように魔術城壁を展開した。
城壁により魔術が弾かれるようになるとアルヴィリア軍は投石機による攻撃を開始し、放たれた岩は砦の城壁を少しずつ砕く。
そしてそれと同時にアルヴィリア軍は前進を始め、ペタン砦に張り付こうとするのであった。
※※※
ロイたちは城壁に向かって前進したが、すぐに胸壁から放たれる矢の雨によって止まらざるおえなくなった。
此方も弓矢で反撃をするが高低差があるため圧倒的に不利な状況に陥っていた。
ロイは頭上から降って来る矢を盾で受け止めると「くそ! 動けないな!」と眉を顰める。
盾には何本も矢が刺さっており、まるでハリネズミのようだ。
後ろで弓を構えているエドガーは「ぼやくな!」と言うと矢を放った。
矢は放物線を描き城壁の向こう側に落ちる。
「外れ」
次にエドガーが放った矢は城壁の真ん中辺りにぶつかり、弾かれたのが見えた。
「外れ」
「ええい! 胸壁にいる敵を簡単に撃てるわけがないだろうが!」
エドガーがそう怒ると矢が飛んできたので盾で受ける。
「ミリを連れて来るべきだったかな?」
「それは……今更遅い」
「だよな……」
右の方を見れば味方が城壁に取り付くのに成功していた。
彼等は長い梯子を立て掛け始めようとしており、ウェルナー卿が援護をする様に指示を出す。
辺境伯の軍が一斉に矢を放ち、胸壁の敵が身を隠した隙に梯子が立て掛けらた。
味方の兵士たちが続々と梯子を登り始めるが敵は胸壁から矢を放ったり、石を落としたりしながら反撃している。
遠くでも味方が梯子を次々と掛けていたがいくつかの梯子は反撃で倒れ、下にいた兵士たちを押し潰しているのが見える。
「あれを登るのは命がいくつあっても足りないな……」
そうロイが呟くとエドガーが頷く。
すると後方から「危ない!」と言う声が聞こえ、頭上を岩が通過した。
岩は城壁に激突し、梯子を登っていた味方ごと敵を吹き飛ばす。
砕けた岩の破片が飛び散るため城壁に張り付いていた兵士たちは阿鼻叫喚だ。
「おい! 投石を止めろ! 味方に当たる!!」
ウェルナー卿がそう指示を出し、伝令の兵士が馬を出す。
敵ではなく味方の誤射で死んだらたまったものではない。
「どうする? 門を攻めた方がマシに見えるが?」
東門の方では三角屋根をもつ破城搥が敵の猛攻を突破して門に張り付いたのが見える。
兵士たちが門を破ろうと槌を叩きつけ始めると城門の上から黒い液体が破城槌に振りかけられる
そして敵が火矢をそこに撃ちこむと東門前は瞬く間に火の海となった。
「……本当にあっちがマシに見えるか?」
エドガーの言葉に首を横に振る。
どっちも地獄だが焼け死には勘弁してもらいたい。
そう思っていると背後からクレスがやってきた。
「なんじゃ、まだ壁を越えられんのか?」
「無理に決まっているだろう。あの魔術障壁さえ無ければまだマシなんだが……おい、魔女、お前アレをどうにかできないのか?」
エドガーにそう言われるとクレスは「うーむ」と唸った。
「なかなか強固な障壁じゃ。あの四方の尖塔から強い魔力を感じるから、恐らく尖塔内に魔術障壁を展開している魔術師どもがいる。奴らがいる限り穴をあけてもすぐに塞がれてしまうであろう」
クレスは暫く思案する。
その感にも矢が降り注いでくるので彼女に迫る矢を盾で受ける。
「……断続的に魔力を送れたら? ふむ、いけるかもしれん」
彼女は何か思いついたらしく、後方にいたフェリを手招きする。
フェリは「なんですかー」と面倒くさそうに近づいてくるとクレスは「一つやってもらいたいことがある」と笑みを浮かべ彼女の耳元で何かを囁いた。
フェリの言葉にクレスは頷く。
するとフェリは眉を顰め、大きくため息を吐いた。
「これ、私がしんどい奴じゃないですかぁー」
「ええい、ごちゃごちゃ言うな。お主ならできるであろうが」
「まあ、できますけどねぇ。はぁ……仕方ありませんね」
そう言うと気だるげに頷きフェリは此方を見るのであった。
「それじゃあ、滅多に見れないもの、見せてあげるので目ん玉見開いて見ていてくださいね?」
※※※
アルヴィリア軍の兵士たちはどよめいていた。
それは敵の攻撃によるものではない。
味方の中から、辺境伯の部隊からとんでもないものが現れたのだ。
それは狼だ。
人よりも大きな巨大な体を持ち、黒い体毛を風に靡かせる黒狼。
狼が草原を歩くたびに草花が凍り、周囲の気温が下がる。
氷精王・フェンリル。
氷を司る伝説の大狼がいきなり顕現したのだ。
フェンリルの背中にはフェリが座っており、彼女は黒狼の背中をさすると「ようこそおいで下さいました。色々とご迷惑をおかけしますけど、お力をお貸しください」と話しかける。
それにフェンリルは鼻を鳴らし、唸る。
それだけで周囲の人間は背筋が凍り、あまりの圧力にひれ伏しそうになる。
「フェンリル様、今日はご機嫌みたいなので……行きましょうか」
フェリがそう言うとフェンリルが遠吠えを行なった。
戦場の喧騒すら打ち消す精霊王の遠吠えに敵味方共に戦いの手を止め、身構える。
そしてひと際フェンリルの周りの空気が冷えると、突如精霊王の前に氷の柱が生じた。
柱はペタン砦の城壁目掛けていくつも伸びて行き、城壁手前で魔術障壁に激突する。
「ふむ、硬い。ではもう一声」
フェリの言葉にフェンリルが全身の毛を逆立て唸ると魔術障壁激突した氷の柱が光り輝き、障壁に罅が入った。
バリバリと言う音を鳴らしながら罅は大きく広がって行き、そしてガラスのように砕け散る。
障壁を砕いた柱はその勢いで胸壁に激突し、そこにいた兵士たちを吹き飛ばしたのが見えた。
こうしてペタン砦の東門側に氷のスロープがいくつも完成したのであった。
※※※
スロープが完成するまでの一部始終を見ていたロイは笑うしかなかった。
先日のインドーラといい、精霊王……いや、それと契約している魔女の力はとんでもないものだ。
胸壁の方を見ると砕かれた障壁の修復が既に始まっており、穴が塞がり始めている。
「あれ、大丈夫なのか?」
そう訊ねるとフェリは頷く。
「柱が壊されないようここから魔力を送り続けますので。ただ、私の魔力が尽きたら問答無用で消えます。急いでください」
その言葉にエドガーと顔を見合わせて頷く。
ウェルナー卿も話を聞いていたのですぐに「あのスロープを伝って行くぞ!」と指示を出していた。
「お先じゃ!」
辺境伯軍の中からクレスが飛び出したのが見えた。
彼女が氷のスロープに飛び乗り、駆け上がって行くのを見るとアルヴィリア軍の兵士たちは「お、俺たちも行くぞ!」と後に続いて行く。
辺境伯軍も動き始めたのでロイとエドガーもスロープに向かって駆け出すのであった。
※※※
氷のスロープをクレスが駆け上がっていた。
彼女は余裕の笑みを浮かべながら青く輝く足元を見る。
(魔術コーティングされているおかげで登りやすいの!)
氷を踏む度に踏んだ箇所が光る。
よく見るとスロープの表面に薄い魔力の膜のようなものがあり、それのおかげで滑らずに済んでいるのだ。
振り返るとアルヴィリア軍の兵士たちが恐る恐るスロープに足を乗せ、滑らないことを確認すると「行けるぞー!!」と駆け出した。
その様子にヨシヨシと頷き、前を見ると矢が顔面に迫っていた。
「おっと!」
それを咄嗟に屈んで避けると胸壁で敵兵が態勢を立て直して反撃を開始しているのが見える。
次々と放たれる矢を避けながらスロープを登り続け、障壁の近くまで来る。
障壁とスロープが接触している箇所はスロープの氷が砕け、即座に修復されるという動作が繰り返されている。
修復するのにも魔力を当然使うため、フェリの貯蔵魔力はすごい速度で消費されているだろう。
(早く障壁を解除せんとな……)
そう考えながら障壁を抜ける。
一般的な魔術障壁は魔力のみを遮り、人などの物理的なものは遮れない。
つまり……。
「障壁を抜けてしまえばこっちのもんじゃ!」
障壁を潜り抜ける。
その際に体内の魔力が反応し、肌に僅かな痛みが走った。
敵兵は此方が障壁を抜けてきたことに慌て密集隊形で槍を構えるがそれは悪手だ。
何故ならば━━━━。
「纏めて吹き飛ばせるからな!!」
雷の槍を召喚して密集している敵に叩き込んだ。
それにより敵の軍団は吹き飛び、次々と胸壁から落下して行く。
そして先ほどまで敵がいた場所にスロープから飛び移るとクレスはガッツポーズをするのであった。
※※※
主塔から外の様子を見ていたカイロは絶句していた。
ペタン砦は堅牢な砦。
いかにアルヴィリア軍が大軍であろうと数日は持ち堪えられると思っていた。
だが敵は突然氷のスロープを作り出し、それを伝って胸壁に殺到しているではないか。
既に胸壁では敵を押し返そうとする味方の兵士とそれを突破しようとする敵兵により乱戦状態に陥っている。
『あーりゃりゃ。アレはフェンリルだわー。雷の方もいるみたいだしヤバイかもしれないわねぇ』
そう愉快そうに言うのは背後にいた"蛇"━━━━"大淫婦"だ。
「あれはなんなのだ!」
そう問い詰めると"大淫婦"はクスクスと笑う。
『あれは氷の精霊王・フェンリルの力。アルヴィリアには精霊王と契約している二人の魔女がいるわ』
「精霊王だと!? そんな馬鹿な……」
だがあの氷の魔術は異常だ。
あれを放っただけではなく維持までしているのだ。
とんでもない量の魔力を消費しているはず……。
とても人間業とは思えない。
胸壁に雷が落ちた。
それにより味方が大きく後退したのを見て舌打ちすると部屋に控えていた兵士たちに指示を出す。
「私自ら出る! 胸壁の兵たちにはなんとしてでも持ち堪えるように伝えろ!」
「は!」
兵士たちが部屋から出て行くと"大淫婦"を睨みつける。
「この場に残ったのだ。当然我らに助勢するのだろうな?」
『んー、どうしようかしら……って、そんなに睨まないでよ。ちゃんと手伝ってあげるわ』
そう言うがこの女のことは信用しない方がいいだろう。
とにかく死力を尽くしてアルヴィリア軍を押し返す。
「アルヴィリアめ。ただではこの砦を奪い返させんぞ……」
そう呟くとカイロは前線へと向かうのであった。
※※※
ランスローは氷のスロープを伝って砦に突入して行く味方を見て「ぶったまげた」と苦笑した。
大公閣下から魔女のことは聞いていたし、先日"東の魔女"が雷の精霊王を呼んだことも知っている。
だが実際に魔女の力を、精霊王の姿を目の当たりににすると驚かざるおえない。
戦場に立って三十年。
最後と定めた戦争であんなものが見れるとは。
これは縁起が良いと考えるべきか……。
ふと城門の方を見ると敵の攻撃が弱まっていることに気がついた。
恐らく胸壁に突入している味方に気を取られているのだ。
「好機か! 破城搥をもう一つ出せ! 一気に東門を破壊せよ!!」
その指示により予備の破城搥が動き始めた。
予備の破城搥は先に炎上した破城搥を押し除け、東門に張り付いた。
そして門を攻撃し始めるとそれに気がついた敵兵が応戦してくる。
すぐに弓兵隊に指示を出し、門の上の敵を牽制すると敵の反撃が弱まっていく。
(よし! もう一押しだ!!)
士気を上げるべく号令を出そうとした瞬間、誰かが叫んだ。
「こ、後方に敵! 敵の増援だ!!」
「なんだと!?」
慌てて振り返るとアルヴィリア軍の後方、丘の上に旗を掲げた一団が現れた。
旗には真紅に大蛇の紋様。
あの旗印は……。
「例のゼダ人部隊か!!」
※※※
「おいおい、いったいなにさね! あれは!」
丘の上から砦の様子を見たヴァネッサはそう驚きの声を上げた。
砦の城壁にはいくつもの氷のスロープが掛かっており、アルヴィリア軍がそれを使って砦に突入しようとしている。
恐らく大規模な魔術だろう。
アルヴィリア軍はかなりの数の魔術師を連れて来ているのか?
「どうすんだい? あれじゃそう長くは保たないよ?」
「ふん、好都合だ。奴らが砦に殺到しているおかげで背後がガラ空きだ」
そうザイードが言うとヴァネッサは「確かに」と笑みを浮かべた。
「じゃあ……やるかい?」
ヴァネッサの言葉に無言で頷く。
自分たちの目的は砦を助けに行ったら間に合わず、仕方なく敵軍に損害を与えて撤退することだ。
敵将の首を二つほど持ち帰れば文句を言われまい。
「レダ! 貴様は後方から全体を俯瞰しろ! 危険と判断したらすぐに合図を送れ!! オルガ! 貴様は俺と共に来い! ヴァネッサは━━━━」
「アタシはシェードランの首を狙わせて貰うよ」
「……好きにしろ」
この女に指示をしても言うことを聞くはずがない。
アルヴィリア軍の背後を取ったとはいえ、シェードラン大公のもとへ辿り着くには幾つかの陣を突破しなければいけない。
普通に考えれば自殺行為だが、この女なら平然と大公の首を持って帰って来るであろうという信用があった。
(さて、シェードラン。俺の手柄になってもらうぞ?)
馬の手綱を引き、嘶かせると拳を天に振りかざした。
「行くぞ、ヴェルガの英雄たちよ!! アルヴィリア軍の背中に強烈な一撃を叩き込んでやれ!!」
「応!!」
ザイードが突撃を開始すると彼の軍勢も後に続く。
彼らはまるで放たれた矢の如くアルヴィリア軍に切り込み、瞬く間に戦場に混乱を呼び込むのであった。
※※※
敵の奇襲は効果覿面で、アルヴィリア軍は大混乱に陥っていた。
敵の勢いは凄まじく既にいくつかの陣が突破されたという。
辺境伯軍も一時はパニックに陥っていたがルナミアがすぐに兵士たちに指示を出しどうにか軍が崩壊することは避けられた。
「ルナミア様!! 敵は真っすぐにシェードラン大公の陣を目指している模様!!」
状況を確認しに出した騎士が戻り、そうルナミアに報告すると彼女は眉を顰めた。
この状況は非常に不味い。
敵の勢いは尋常では無く、このままでは大公の陣まで敵は突破してくるだろう。
もし総大将であるシェードラン大公に何かがあったら総崩れになってしまう。
(なんとしてでも守り切るしかないわね……!)
前線に出ているウェルナー卿たちを呼び戻すことはできない。
ならば今ここにいる兵力で敵の猛攻を凌ぎ切らなければ……。
「全軍! これよりラウレンツ叔父様の救援に向かう!! 諸侯の混乱が収まるまで全力で応戦しなさい!!」
そう指示を出すとガンツ兵士長が「同士討ちに気をつけろ!! 間違っても味方を殺したり、殺されたりするなよ!!」と続けて言う。
確かにこの混乱っぷりでは同士討ちが発生しかねない。
細心の注意を払わなくてはいけないであろう。
「サ、サルマード卿が討たれたぞぉ!!」
どこかで誰かがそう叫び、軍に動揺が更に広がる。
サルマード卿と言えばラウレンツ叔父様のすぐ背後に布陣していた貴族だ。
ということは敵はもうすぐそこまで迫っている。
そのことに冷や汗を掻き、すぐに馬を駆けさせ始めるのであった。
※※※
戦場を切り拓くものがあった。
それは嵐だ。
鋼鉄と血の嵐。
嵐の中心には馬に乗りながら敵陣を突破しているヴァネッサがおり、彼女の両手には二本の巨大なメイスが握られていた。
普通なら両手で振るうメイスを片手で振るい、その度にアルヴィリアの兵士が砕かれ、血しぶきが上がる。
その尋常ならざる光景に誰もが目を引かれ、怯えた。
戦鬼だ。
誰かがそう呟いた。
戦場に鋼鉄による死と、圧倒的な存在感により絶望を振り撒く戦鬼がそこに存在していた。
戦鬼の姿を見た兵士たちは戦意を喪失し、ある者は逃げ惑い、ある者はその場で腰を抜かす。
そして運悪く彼女の進路に立ってしまった者は……。「退いた、退いたぁ!」
メイスが振られ、兵士の胴に直撃する。
その凄まじい破壊力に鎧は容易く砕かれ、兵士の上半身は粉々になった。
近くにいた別の兵士に人だった肉片が降りかかり、それがまた兵士を怯えさせる。
もはやアレを止めることは不可能。
ただ己に襲い掛かってこないことを祈り、逃げるしかない。
誰もがそう思っているとヴァネッサの前に立ちはだかった存在がいた。
「我が名はベードウィン男爵が配下、ブルクハルト! これ以上の蛮行はこの私が許さん!!」
ブルクハルトと名乗った大柄の騎士が馬上で槍を構えるとヴァネッサは「へえ?」と口元に笑みを浮かべた。
そしてブルクハルトが突撃してくるのに合わせてヴァネッサの馬を駆けさせる。
ブルクハルトは槍の穂先をヴァネッサの胸に向け、突撃の勢いで突き刺そうとするがヴァネッサはそれを体を逸らして避ける。
更に彼女は体を逸らしながらブルクハルトの馬に蹴りを入れたため、ブルクハルトはすれ違い様に大きく体勢を崩してしまった。
「ぬぅ!」
ブルクハルトはどうにか馬にしがみ付き、落馬を逃れると旋回を始める。
ヴァネッサも既に旋回しており、両者は暫く互いの背後を取ろうと円を描くような軌道をとった。
そしてブルクハルトが急転換するのに合わせてヴァネッサも旋回を止めたため、二人は並走することになる。
「女、それもゼダ人風情が調子に乗るな!」
「悪いがそれは無理だねぇ! アタシは戦場だとノリにノッちまうのさ!!」
ブルクハルトが舌打ち、高速の連続突きを放つ。
対してヴァネッサは最小限の動きでそれを躱し続け、何度目かの突きの時に槍を脇で挟んだ。
「し、しまった!?」
ブルクハルトが慌てて槍を引っ張るがびくともしない。
ヴァネッサは冷徹な笑みを浮かべると体を捻り、槍を必死に掴んでいた彼を落馬させた。
地面に仰向けに倒れたブルクハルトは凄まじい衝撃に息が止まり、目の前が真っ暗になる。
そしと視界が戻ってきた瞬間、見えたのは頭上で振り上げられる馬の前足であった。
「ま、ま……てッ……ガッ!!」
前足が振り下ろされ頭に叩き込まれる。
蹄が兜を潰し、頭蓋を砕き、ブルクハルトの頭がスイカの如く割れた。
そんなブルクハルトの様子をヴァネッサは馬上からつまらなさそうに見下ろし鼻を鳴らすと再び突撃を再開するのであった。
※※※
ヴァネッサは少々退屈であった。
シェードラン軍と言えばキオウ家と並びアルヴィリア内でも強兵揃いだと聞いていた。
だが実際はどうだ?
奇襲を喰らっとはいえ、いくらなんでも脆過ぎる。
本当は自分一人で敵陣突破をしシェードラン大公の首を獲る予定だったのだが敵兵があまりに逃げるせいで自分の通ったあとに大きな道が出来てしまった。
ザイードたちはその道を使い進撃し、敵を次々と壊走させている。
前方を見れば何人かの騎士が此方を止めようと向かって来た。
それを全て一撃で葬ると前方にシェードラン大公の旗が見えてくる。
「見つけたよ! 敵本陣!!」
邪魔な兵士たちを次々と吹き飛ばしていくと馬に乗り、周りの騎士たちに守られている男をみつけた。
間違いない。
あれがラウレンツ・シェードランだ。
ヴァネッサは舌舐めずりをするとシェードラン目掛けて突撃を開始する。
大公の護衛たちが慌てて「閣下をお守りしろ!!」と叫んでいるがもう遅い。
歩兵は馬で跳ね飛ばし、騎兵はメイスで砕き殺す。
そしてシェードラン大公の顔がはっきりと見えるところまで迫ると右手のメイスを振り上げた。
「シェードラン! その首、貰ったよ!!」
「そう易々とくれてはやらん!」
シェードラン大公が剣を構えて、互いに激突し合おうとした瞬間、両者の間に水柱が立った。
「魔術! 誰だい! アタシの邪魔をする奴は!!」
馬を止め、そう怒鳴ると「私よ!」と誰かが叫んでた。
少女だ。
白馬に跨り、黒い髪を風に靡かせた少女が居た。
彼女はシェードラン大公の前に移動すると此方と対峙し、剣を引き抜く。
そして剣の先端を此方に向けるとこう言うのであった。
「この筋肉お化け! これ以上好き勝手にはさせないわ!!」
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