displacement activity

埜上襤褸

live someone's time 01

「……痛った、おかしいだろ、なんで、なんでさ……」


 誰もいない廊下の真ん中を歩く。


 身体はなんか冷え切ってて、硫酸だが硝酸だかとにかく理科室の鍵付きの部屋で眠ってそうな代物に焼かれた左手だけが熱い。


 ドクンドクンと脈打つたびに一回りずつ膨れ上がって、でも不思議とその大きさが私を上回ることはない。


 ああ、そうか、私の身体も合わせて大きくなってるのか。


 そりゃそうだ、左手だけが大きくなるんじゃバランスがよくない。さすがは私の身体、それくらいの融通は利くらしい。


 でもそれならどうして私の身体は校舎を突き破らないんだろう。


 まさか校舎も一緒に大きくなっているのか。足が止まる。


 世界はどうだ。夕日が差し込む窓の向こうにあるジオラマは、あくまでいつも通りにちっぽけだった。


 世界が私に正比例する。


 私が特別でいられる場所は、私以外も特別な場所だけ。


 私と、校舎と、世界が肥大化を止めないまま、帰宅時刻のチャイムが鳴る。

わずかでも外気にふれるたびに痺れたように引きつる左手。


 理不尽だと、卑怯だと、ズルいと、おかしいと、行き場のない泣き叫びたいような感情が自己擁護の理論すら組み立てさせてくれない。


 それでも表情は変わらない。慣れが私を変えたから。


 無感情、人の形をしているだけの何か。異なる次元の、超越的なもの。


 そういう自分に陶酔しなきゃ多分ヤバいくらい追い詰められてるからだし、そんな余力が残ってないくらい内も外も疲れているから。


 這いずり回る私を俯瞰するもう一人の私がいる。そんな妄想が、いつの間にか本当になっている。もう、どの私が本当なのか区別がつかない。


 疲れた。ついでに眠たい。

 

 きっとその二つには因果関係があるんだろうけど、それを理論立てて説明できないくらい疲れている。


 だから私はひとまず眠ろうと思った。


 逃避や整理といった企図はなく、もっと理性から遠いものに急かされて。


 寝て起きたら夢のような世界に旅立ってる。そんな三文小説のような妄想は却下だし、もし旅立てたならそれは夢だろうけど。


 さすが手の痛みは引いてるだろう。そろそろ痛みが現実的な段階へと降りてきたので、自分の未来にまあまあ妥当な期待を押し付ける。


 廊下のつきあたりには階段があって、選択肢は下か上。


 下駄箱か、屋上。


 でも家に帰ることを想像すると途端に心臓がどくどく無制限に早くなって、喉の径が小さくなって、なんか鉄みたいな味がする気がして、変な寒気にこれ以上身体が冷えるから。


 私はこの世界のすべてで一番好きな場所に行くことにする。


 なぜか鍵の開け放された、私だけが知っている。


 なにもないけど、なにも奪おうとしない場所。


 そこに向かって歩き出そうとして、立ち眩んで、肩を壁に擦り付けながら、上へ上へと戦略撤退していく。


 

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