第一章 発令、竜帝攻略作戦①
危機が
そして今この
すなわち──何が起こっているかよくわからないが絶対にこの
「お父様にお母様、わたしちょっと人ごみに
「あら、あなたの大好きな
「胸焼けがするので!」
「なんだと、お前が胸焼け? 悪い病気じゃあないのか?」
豚の丸焼きが食べられない
(落ち着け、落ち着け! これは夢か? それとも、あっちが夢か?)
テラスに出るところで一瞬足を止めて、もう一度硝子で自分の姿を見た。そっと指先で
(わたしが若返った? いや違う、お父様とお母様が生きていらっしゃる。わたしの
口を押さえようとして、その手を見る。すでにこの年で
そう、この
普通のご令嬢が武術を嗜むのかどうかは考えずにおくとして──それでも、そのことはジルに一筋の光明をもたらした。もし、本当に時が戻ったならば、まだ自分は軍神令嬢と呼ばれておらず、ジェラルドのために戦場を駆けてもいない。
ジェラルドの婚約者にも、なっていない。
「……やり直せる?」
いったいどうしてこうなったのかはわからない。けれど、そうつぶやいていた。ぎゅっと小さな手を握りしめる。
戦場では現状を
(とにかく過去に戻ったのだと想定して動こう。もしジェラルド様に
国境を守る信任厚い辺境
だとしたらいちばんの手段は、求婚されずにこのパーティーをやりすごすことだ。
(だったら、わたしはすでにやりすごしたのでは……?)
過去が過去のまま進むならば、先ほど、目が合った直後にジェラルドはジルのもとへまっすぐやってきて、求婚した。
だとしたら、テラスに出た時点で、すでに過去は記憶どおりではなくなっている。
「そこから
「ジル
「出た───────────────!!」
思わず
「出た?」
「い、い、いえ……なんでも、ございませんですわよ」
うろたえに加えて、無理に令嬢っぽくしようとした口調が余計におかしい。
だが、パーティーが始まったばかりだというのに、
求婚されたときにもらったのだ。ついでに思い出す。いつぞや求婚の理由を
(もう目があった時点で
冷や
品物を検分するようだ、と思ってしまう。なぜなら、彼がこの時点で実の妹を愛していると知っているからだ。
「失礼した。私はジェラルド。ジェラルド・デア・クレイトス……この国の王太子だ」
「そ、そうでございますですのね」
「あなたは、サーヴェル家のジル姫だな」
ジェラルドがいささか
「……あなたに大事な話がある」
星がまたたく夜空の下で、王子様が進み出てくる。シャンデリアがきらめくダンスフロアの真ん中での求婚も
そう、相手が
(ここで大声でばらしてやるとか!? あ、
「
「あっなんてこと、お父様とお母様が心配しているのに
大声でさえぎって、その場を早足で
(ここは逃げねば! これが夢という可能性もあるが、だからといってこのままでは……今度は知ってる分、余計最悪だ! 人生早期
だからといって、すでに目をつけられてしまったらしい今、どんな手が打てるだろう。ジルは人をかき分け、進みながら考える。
テラスから出てきたジェラルドの姿がちらと見えた。このまま
「ジル姫! どうして逃げる」
お前はもう捨てた男だからだよ、と言えたらどんなにいいだろう。だが、声をあげた第一王子の姿に注目が集まりつつある。聞こえないふりをして時間を
(第一王子の求婚を、
現実
「ジル姫!」
どうにか人の輪から
(そうだ、わたしから求婚すれば……巻きこんだ責任は取る! しあわせにする!)
ならば、子どもの
ジェラルドが息を
とにかくこの場を逃げ出してしまわなければ──その一心で、叫ぶ。
「わたし、この方に
「ジル!?」
その、子どもの戯れ言と流すにはやや
「わかった。では君を妻に」
それはジルが望んだような、大人が子どもの戯れ言を受け流す返答ではなかった。
低くて、
一度味わえばもう忘れられなくなるような。
(き、聞き、覚えが……ある)
戦場で、つい最近──いや六年後か、ややこしい。とにかくこの先の未来で、ラーヴェ
「お
「ジ……ジル・サーヴェル……」
「サーヴェル辺境伯の
こん、とグラスをテーブルに置く音がして、男性が立ちあがる気配がした。同時にふわりと
シャンデリアの光を
抱きあげたジルを
「どこぞの島国には飛んで火に入る夏の虫、という言葉があるそうだ。ご存じかな?」
ぶんぶんと首を横に振った。だから、
「そうか。だが
ジェラルドは何も言わない。これ以上なく険しい顔をして、
そういう意味で、ジルが直感的に選んだ相手は非常に正しかった。
正しいのだが、人生の
「このハディス・テオス・ラーヴェ、
そう言ってジルの前に
たった
白銀の
空からの
「ひとり残らず殺せ」
赤く燃える夜空からこちらを見おろして、敵国の皇帝が感情のない声で命じた。
「子どもも、女も、赤ん
その声は真冬の
「だが簡単には殺すな。母親の前で赤ん坊の目をえぐれ。夫の前で妻をなぶれ。兄弟で殺し合わせろ。生まれてきたことを
それは
悪逆非道の、
(──止める!)
剣を
戦争とはいえ
こんな敵ではなかった。
銀色の魔力が
なのに、この皇帝はいつからこんなふうになったのだろう。
ふと顔をあげた皇帝が、突っこんでくるジルへ向けて虫を振り払うような仕草で魔力の
その派手な
振り向かせてやった。そのことに勢いを得たジルは、あやうく死ぬところだったのも忘れて
「うちの負けだ、認める! だからそちらは早々に兵を引きあげろ!」
皇帝が
「負けているのに、なぜお前が命じる」
話ができるじゃないかと、その人並み外れた
「どうしても
「ご立派なことだ。だがどうせ、最後はどうして自分がと
「誰が泣かされるか、お前のような弱い男に」
「弱いだと? この俺が?
「では、お前はわたしより強い男か?」
「そうやって
金色の瞳が
「興が
「いいのか。──おい答えろ、わたしをとらえなくていいのか!?」
「お前のような色気のない女をとらえて何が楽しい」
ぽかんとしたジルを残して、
あとには
だが、ジルの心中がそれでおさまるはずがない。
「わ、わた、わたしに色気がないだと!?」
そして、おそらく今から六年後のことでもある。
(ああ、昨日でも六年後でもいい。やっぱり全部夢だ。夢に
目がさめたら生きているといいな、と思った。
できれば、
だって今
髪に
ふと風を感じて、
「……ここは王城……の、客間か?」
「ああ、よかった。目がさめたのか」
続きの奥の部屋から入ってきたのは、先ほど夢に出てきた相手だった。
ハディス・テオス・ラーヴェ──夢よりもまだ若い。だが見間違うことなどありえない、隣国ラーヴェ
思わず両手で
そんなジルの様子がわかっているのかいないのか、ハディスはつかつかと歩いてきて、目の前にしゃがんだ。
時計の秒針の音が
「もう一度求婚してほしい」
「……はい?」
「これが夢じゃないと確かめたい」
警戒も忘れて
(ろ、六年後とずいぶん印象が違うような……)
どうしたものか迷っていると、
「どうして返事をしない? ……ひょっとして、まだ具合が悪いのか?」
「え……あ……わ、わたしは、どうしてここに……き、記憶が
「気絶したんだ。……まだ無理はさせないほうがいいな、失礼」
「へっ!?」
突然、
「
「それとも、何か軽く食べられるものでも用意したほうがいいかな。ああ、起きているならこれを。足元が冷えるだろう」
寝台のすぐそばに置いてあった室内
この男は
「こ、皇帝陛下にそこまでしていただかなくても、自分でできます!」
「
満足げに下から微笑まれ、
他に類を見ないような美しい男の微笑とくれば、もはやそれは
(お、男は顔じゃないとはいえ、正直、好みの顔だ……どこにも
はっと我に返った。自分はこの男に
「あのっ……」
だが、乱暴に開かれた
「向こうも君の目覚めを待ち構えていたようだな」
「え……」
「ジル・サーヴェル! どういうことか話を聞かせてもらおうか」
「君は何を考えている。私の話も聞かずに
「ジェラルド王子。こんな小さな子をいきなり質問責めにするなんて、
横からハディスがわって入った。ジェラルドが冷ややかに応じる。
「失礼。ですが、ラーヴェ帝国には関係のない話です。大体、あなたの客間は別にあるはずですが、なぜこちらに?」
「
「あなたと彼女は婚約などしていない。国王も彼女の両親も認めないだろう。それに、彼女と婚約するのは私だ。そう内々に話が決まっていたのだからな」
びっくりして顔をあげた。そんな話、聞いた覚えはないのだが──ああでもと両親の顔を思い
(絶対に忘れてるな、お母様もお父様も……)
おっとりした両親は政治力にとにかく欠ける。だから、サーヴェル
しかし、婚約が内々に決まっていたなら、ジルがジェラルドを
「皇帝だからと知った顔で我が国の事情に踏みこまないでもらいたい。
「内政干渉? ただ、君がふられて
「そんなことよりも、もっと大事なことに目を向けるべきだろう。君はいずれ、この国の王になるのだから」
「忠告はありがたく受け取っておこう。
対するハディスは、あくまで不敵な
「わかってくれたなら結構。勝てない相手に
「言ってくれる。私を
ふっと目をさましたように、ハディスが金色の瞳を見開く。雰囲気が一変した。
「さがれ」
がしゃがしゃと
(ま、
圧倒的な
その場から飛びのきたい思いをこらえながら、ハディスの横顔を見た。
「後始末は君にまかせるよ」
ハディスに肩を
「
歯ぎしりするジェラルドに、ハディスは
「すまない、
高鳴りに似た
(やっぱりこの男、強い……!)
さぐるようなジルの視線を受けて、ハディスが破顔した。
「君は平気そうだ。やはり僕の目に
「あれをやりすごせなくては戦場では生き延びられ──」
今の自分は軍神
「しかし、ここではゆっくり話もできそうにないな。ジェラルド王子があれで
「あ、愛……いえ、本?」
「
顔がいい男が言うと思わず頷いてしまう。だが、はたと気づいた。
(……今のわたしは、十歳なんだよな?)
そしてこの男は今、
(政治的な理由もなく大人の男性が十歳の子どもと婚約するなんて、幼女
一気に頭から血の気が引くと同時に、視界が一変した。
「君の魔力が安定していないようだし、移動は船にしよう。念のため持ってきてよかった」
「は!? え!?」
急いで周囲を見回す。先ほどまで高かった
どこかに転移した。
「大丈夫だ、魔力で飛ばせば数時間でラーヴェ帝国の領土に入る」
ええええええとジルが
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