◆5◆ 助け合い、だったら

「……良いじゃないですか。ほら、こうやって常時誰かお客さんもいるんだし」


 その声は、音量を控えめに設定しているBGMよりも当然のように大きかった。


「え?」


 と別の誰かの声もする。それは彼女の向かいに立っているお姑さんだったかもしれないし、もしかしたら買い物中の常連客、山崎さんのものかもしれない。少なくとも僕の声ではない。


じゃないですか、こういうのって。ねぇ」


 誰も否定しなかったから、この沈黙を肯定だと捉えたのだろうか、それまで貝のように黙っていた莉奈さんは、なぜか僕らの方を見たままそう言った。ちょっと待って。それ、僕らに言ってます? もしかして、最後の「ねぇ」って僕らに同意を求めてたりします? 


「まだそんなことを、あなたという人は……」


 お姑さんは額を押さえて深い深いため息をついている。このまま倒れてしまうような気がして、一度は断られた椅子を再び勧めてみる。さすがにもう疲れたのだろう、今回はあっさりと「申し訳ありません」と言ってそれに腰かけた。

 敵(?)が座ったのを『降参のサイン』だとでも思ったのか、莉奈さんはより一層饒舌だ。


「だいたい、子どもってものは地域で育てるものなんですよ。そうすれば私だって働きに出なくたって良いし、莉競りぜるだって保育園なんかに通わなくたって済むんですから!」


 確かに、子どもは地域の宝だし、地域皆で気にかけて大切に育てるというのは賛成だ。だけれども、莉奈さんが言っているのは何か違うと思う。だけど、僕が口を挟んで良いものか――、


「そんな、あなただけに都合の良いなんておかしいじゃん」


 言い返したのは、まさかのマリーさんだった。


「な、あなたに関係ないじゃないですか」

「いや、地域で、って言ったのあなただからね? 私だって『地域の人』だもん。関係大有りだわ」

「ま、マリーさん」

「一旦然太郎は黙ってて。どっちの側につくんでも良いけど、まずは一対一で話したいから」


 わかった、と返すと、マリーさんはずんずんと店の真ん中を歩いて莉奈さんとの距離を詰めていく。端切れコーナーにいた常連の山崎さんは「えっ、何何?」と興味ありげな顔でそれを見守っている。


「おかしいじゃん。地域で育てる、までは良いよ。でもさ、だったらなおさらあなたは働かないとおかしいじゃん。自分の子どもを人に見てもらってる間、あなたは何してんのよ。働かざるを得ないけど預けるところがないから、地域の人を頼るんでしょうが。違うの?」


 マリーさんと莉奈さん、向かい合うとマリーさんの方が断然小さい。彼女の方が踵の低い靴を履いているせいもあるだろう。けれども、マリーさんは一歩も引かない。何だ何だ。マリーさんってばこんなに強い女性だったのか。


「旦那さんはいるの? いないの?」

「い、います」

「そんじゃあ、働かないと暮らしていけないの?」

「別にそういうわけでは……」

「じゃあ無理に働かないでりぃちゃんと一緒にいたら良いじゃない。こんな店にひとりぼっちで置いとかないで」

「だ、だって私だってひとりの時間とか……」

「ひとりの時間? あなた毎日毎日どんだけ『ひとりの時間』が必要なのよ」

「だって、私まだ24だし……」

「この期に及んで、まだそんなこと言ってんの? りぃちゃん見なよ。あんなに可愛い子だよ? すーぐ大きくなるんだよ? まだ24なんでしょ? あと3年我慢しなよ。学校に行くようになったらさ、ひとりの時間なんかいくらでも出来るよ。それでもまだ27じゃん」

「そうかも……しれませんけど」


 しゅん、と莉奈さんが萎れた。

 お姑さんは目をまん丸くしてマリーさんを見つめている。たぶん「あの嫁を負かした!」とか思っているに違いない。


「ごめんなさいね、こんな偉そうなこと言ってるけど、私、子どもなんていないんだ。もう30なんだけどね。親戚の子を相手するくらいはするけど。でもさ、りぃちゃんすごくしっかりしてると思うよ。自分のことちゃんと出来るしさ。さっき3年なんて言ったけど、もしかしたら、もっと早くにママの手を離れるかもよ? その時になって寂しくなっても遅いんだよ」


 ちょっと、あの子威勢良いわねぇ、知り合い? と山崎さんが耳打ちしてくる。実は僕の恋人で――と言いそうになるのを堪えて、ええ、まぁ、と濁す。


「それにさ、『助け合い』って言うなら、あなたも返さないといけないんだよ? 何を返してくれんの?」

「――え?」

「とりあえず、この店に対しては、何を返すつもりなの? だいぶ助けてもらったんでしょ?」

「ええと、いや、その――それはいつか、というか」


 莉奈さんはもうすっかりマリーさんに押されてしまってしどろもどろになっている。ああ、マリーさん、もうその辺で。


「いつか、なんて実現した試しないんだよ。ウチの母さんが良く言ってた。私もね、『いつかご一緒に仕事出来たら良いですね』なんて一切信用してないから。だから、あなたの『いつか』も正直当てになんないと思う」

「え、ええと、だからそれは――」


 と、莉奈さんが下瞼を拭った。涙が出て来たのだろう。マリーさん、それは正論かもしれないけど、ちょっと言いすぎなんじゃ……。


 そう思っていた時だった。


「おばちゃん、ママのこと、そんなにいじめないで」


 テーブルの隅で大人達のやりとりをじっと見つめていた莉競ちゃんが、マリーさんのコートをついついと引っ張ったのである。するとマリーさんは腰を落とし彼女と視線を合わせ「」と言って、にんまりと笑った。


「おばちゃん、りぃちゃんがこうやってママを助けに来てくれるのずっと待ってたんだから」


 マリーさんのその言葉に、莉競ちゃんは驚いたように目を丸くする。


「だって、おとなの話にはいっちゃいけないって、いっつも」

「うんうん、ちゃんとわかってるじゃんか。ほんと良い子だねぇ、君は」

「え……」


 そう呟いたのは莉奈さんだ。


「ね? すごくしっかりした子じゃん。普段、大人の話に割り込んじゃいけないよって教えてるんでしょ? だけど、それを破ってでも大好きなママのこと私から守ろうとしたんだよ。りぃちゃんをこんなに良い子に育てたのはあなたなんじゃないの?」


 さっきとは打って変わって優しい声でそう言うと、莉奈さんはその場にしゃがみ込んで泣き出してしまった。そこへ莉競ちゃんが駆け寄る。そして莉競ちゃんをぎゅうを抱き締めると、今度は2人でわぁわぁと泣いた。


「マリーさん、わざとあんなこと言ったの?」

「まぁ、本音は本音だけどね。でも、わざとちょっと偉そうに言ってみた。あはは、ちょっとらしくないことしちゃった」


 なんて、いつもの調子でマリーさんは言ったけど、その顔は真っ赤だった。

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