◆3◆ 楽しい接客
「毎度毎度、ウチの馬鹿嫁が申し訳ありません」
と真っ赤な顔をした田中さんのお姑さんがやって来たのは、15時を少し過ぎたくらいの時間だった。驚くべきことに今日は、そのお嫁さんである莉奈さんの首根っこを――もう本当に文字通り掴んで。
どうやら、市内のパチンコ店を一軒一軒回り、どうにか探し当て、引きずってきたのだとか。ものすごいバイタリティである。
「あんたも頭を下げなさい!」
そう言って、莉奈さんの頭を押さえつけたけど、彼女はそれに黙って従うようなタイプではないらしい。こないだ莉競ちゃんの入園セットを申し込みに来た時はおとなしそうな雰囲気だったのに、わからないものである。
で、莉奈さんとお姑さんは店の奥で向かい合い、睨み合ったまま、ぴくりとも動かなくなってしまった。ええと、すみません、ここ、僕のお店なんですけど。そう言いたいけれど、何かもう言えるような雰囲気ではない。ま、まぁ、まだあそこだったら……、うん。良くはないけど。
そうこうしているうちに、マリーさんが店に来てくれた。お昼にメッセージを送った段階ではまだもうちょっと平和だったというか、莉奈さんが選んだ青系のドット生地を「ちょーダサい」と莉競ちゃんが酷評した(誓って言うが、僕が「この生地だよ」と言ったわけじゃなくて、生地の棚を眺めていた莉競ちゃんが端から順に評していったのである)件について、ちょっと相談したかっただけだったのである。あわよくば、ちょっと会いたい、なんて邪な考えもあったんだけど、それがまさかこんな事態になるなんて。羊羹まで買ってきてくれて、本当に申し訳ない。
「おばちゃん、この飴おいしい。中に甘いゼリーみたいなの入ってる」
「あー、それね、あんこゼリーだよ。でもあんまり食べると虫歯になるかなぁ。まだあるけど、どうしよ」
「まだ食べたい」
「マジか。そんじゃ今度はこっちのかしわ餅味にする?」
「うん!」
いつの間にか莉競ちゃんとも仲良くなってるし、さすがだマリーさん。でも莉競ちゃん、マリーさんはまだ『お姉さん』だよ。
僕は一体どういう立場の人間としてここにいたら良いんだろう。せめて土日じゃなくて良かったと思うべきなんだろうか。
などと考えていると、お客さんが店の外にちらりと見え、僕はすかさず入り口へと向かって「いらっしゃいませ」とドアを開けた。普段はこんな出迎え方をしないので、その女性客は少し面食らったような顔をしている。
「え? これ、大丈夫なの?」
だいたい僕のお店に来る人というのは、常連さんとまではいかずとも、もう何回か来てくれている人が多い。店員は僕しかいないから、会話をしたことがある人がほとんどなので、こうやって普通に尋ねてくれるのだ。こういう時は逆に聞いてくれた方がありがたい。そしたらきちんと事情を伝えられるから。
「大丈夫です。ちょっと嫁姑のあれこれに場所を提供しているだけですから」
「嫁って……もしかしてスミスさんの?」
「断じて僕のではありません」
僕の相手はそちらの黒髪の素敵な女性でして――と紹介出来たら良いのに。うう、マリーさん、僕は自慢のあなたを紹介したいんだよ。
「あの、ちょっと、いや、かなり気を遣うかもしれませんけど、ゆっくりお買い物していってください」
「まぁ、気は遣う、わねぇ」
お客さんは苦笑して、端切れコーナーのワゴンに目をやる。本日月曜日は端切れコーナーの商品が全品30%オフなのだ。この端切れは、そういう業者さんから買い取ったものだったり、メーター切り売り商品の半端な部分だったりする。カットは10cm単位で承るけど、切り売り商品は最低でも1メートルはないと売れないのである。
「ねぇ、本当にこれも30%オフ?」
僕がここにいたら選びづらいだろうと回れ右をしたところでそんな声が聞こえてくる。見ると、くるりと巻かれた端切れを手に取って、それをこっちに軽く振っていた。結構厚めのデニム地だ。
「はい。こないだデニムバッグの注文が入ったんですけど、ちょうど布が終わるところだったので、思い切って端切れにしちゃいました。結構お得ですよ。何せ70cmですからね」
「70もあれば……うん、トートバッグいけるわね」
「ちょっとしたお出掛けサイズが作れますね」
「それがね、息子のお弁当なんだけど、もう全然市販のじゃ入らないのよ。いま紙袋で持たせてて。それもそろそろ破けそうなの」
「息子さん、食べ盛りですか」
「そうなの。朝練があるから、朝ご飯食べて学校行って、部活やっておにぎり2つ食べて、休み時間にまたおにぎり2つ食べて、昼は昼でお弁当食べて、で、部活終わってまた2つ食べて。それでさらに家で夕飯食べるんだから!」
「すごい……」
「だからこれで、うんと丈夫な特大ランチトート作るわ!」
食費も馬鹿高くてやんなっちゃう、なんて笑っていたけど、でも何だか嬉しそうである。子どもが元気で、自分が作ったご飯をもりもり食べてくれるのは、大変だけども嬉しいことなのだろう。僕はこういう笑顔を見るのが大好きだ。
きっと息子さんも嬉しいだろうな。お弁当だけじゃなくて、ランチトートまで作ってもらえるなんて。
「息子さん、幸せですね」
「えー? そうかなぁ。家じゃ口うるさい母ちゃんだし、手作りだって何て言うか」
「シンプルなやつにすれば、何も言いませんよ。ただどうしてもこういうアップリケを付けたいとおっしゃるんであれば、僕は何も言いませんけど」
と、可愛らしいさくらんぼのアップリケを指差す。すると、そのお客さんは、ぷっ、と吹き出した。
「ダメダメダメダメ。さすがに怒られるわ」
「ですよね。シンプルなやつだったら、市販か手作りかなんてわかりませんよ」
「そうね」
「個人的にお勧めなのは、こういうタグをですね、二つ折りして脇に挟んで縫うんです。するとより市販ぽくなります」
アイボリー地に赤い糸で『HAND-MADE』と刺繍されている小さなタグである。最近では自分の作ったものにこういうタグを着ける人が多い。オリジナルタグの製作はここではやっていないけど、知り合いの業者さんを紹介することなら出来る。
「あー、成る程ねぇ、ぽいぽい。それも買っていこうかしら。いつ気付くか見ものだわ」
出来によっては、たぶん言われるまで一生気付かないだろうと思いながらレジを打った。
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