◇3◇ スミスミシン2階にて

 まったくらしくないことをしたと思う。

 まさか自分から然太郎に抱き着くなんて。


 だってあの然太郎が。

 誰もが振り返るようなイケメンがだよ、私みたいな地味女に嫌われた嫌われてないであんなに一喜一憂しちゃうなんて。嫌いじゃないって言っただけで、まさかしゃがみ込んじゃうなんて思わないじゃない。


 だから、そう、ちょっと元気出して、みたいな感じというか。何ていうかさ、ほら、外国人が良くやる感じっていうのかな。ハグ、そう、ハグみたいな感じ。私全然日本人だけど。もう生粋の。やんなるくらい日本人だけど。


 私に早く会いたかったなんて言ってコートも着ずに店を飛び出してきたんだって思ったら、何だかその寒そうな身体を温めたくなったのだ。それだけだ。




 それから、私達はとりあえずスミスミシンへと向かった。どこかに食べに行くにしても、然太郎がその恰好ではさすがに凍えてしまう。


「ふはぁ、暖かい。不用心だなぁ、然太郎。エアコンもつけっぱなしで出るなんて」

「いまはその方が有難いよ。さすがに寒かった」

「コートも着ないからだよ、まったく」

「いやぁ、お恥ずかしい」


 エアコンも電気もすべてつけっぱなしだったスミスミシンは、そこかしこに然太郎のぬくもりが残っているような、そんな雰囲気だ。中央テーブルには埃よけのカバーがかけられていて、木曜に遊びに来る時と同じ風景である。けれどいつもと違うのは、カーテンの隙間から見えるのが、夜の闇ということだろう。私はいつも日中に来て、日が落ちる前に帰るから。


 レジカウンターの隣にある作業台には作りかけのバッグが置いてある。大きなドット模様の生地のやつだ。よく見るとそのドットは無数の小花の集合体で、何とも可愛らしい。また注文でも入ったのかな。レッスンバッグだろうか。


「へぇっくしょ!」

「うわぁ!」


 大きなくしゃみに驚く。

 仕事着から着替えた然太郎が、ううう、と言ってティッシュを数枚引き抜き、ずびびと鼻をかんだ。


「風邪引いたんじゃない?」

「まさか。ううん、でも……」

「よし、お出掛けは中止」

「えぇっ!? そんな!」

「冷蔵庫に何か入ってる?」

「え? ええと、野菜とか……ウィンナーとかそういうのだったら」

「オッケー。後は? 乾麺とか缶詰とか、そういうのは?」

「実家から送られてきたコーン缶とか干し椎茸とか……、あと確かうどんとかそうめんとかそういうのはあったと……。ええ? 作ってくれるの?!」

「大したもんは出来ないけどね。キッチン貸して。2階?」

「う、うん。待って、僕も行く」


 然太郎はこのスミスミシンの2階に住んでいる。簡単なキッチンとバストイレがついた1DKで、私のアパートよりちょっと広いかな、という程度だ。


「そういやさ、普段然太郎って何食べてんの? 自炊?」

「うん、まぁまぁ自炊。といっても大したものは作れないけどね。だいたいめんつゆと焼肉のたれでどうにかする感じ」

「なぁんだ。私とあんまり変わらないじゃん。だから、期待しないでよ。私、何かこう、おしゃれなやつは作れないから」


 と言いながら、「失礼」と冷蔵庫を開ける。うんうん、キャベツに、ほうれん草、おお、エノキもある。それと……はいはい、ウィンナーね。おお、バターもあるじゃん。そんで、ああ、乾麺乾麺っと、うどんと……あら、スパゲティ! しかも早ゆでタイプじゃん、でかした然太郎!

 ぃよし、せっかくだから野菜たっぷりの和風スパゲティにでもしようかしらね。っていってもあれよ? 味付けなんてめんつゆだからね? 


「感激だなぁ」


 ベッドに腰かけた然太郎がぽつりと言う。


「何が」


 ざくざくとキャベツを刻みながら応える。おっと忘れてた、干しシイタケを2枚、水に漬けて、と。


「マリーさんにご飯作ってもらえるなんて。何かすごく彼氏っぽい、いま」

「彼氏なんじゃないの」

「そうだけど。そうなんだけど。何かすごくそう思ったんだ。ねぇ、そっち行っても良い?」

「邪魔しないでよ」

「はぁい」


 熱したフライパンにサラダ油を垂らして斜め切りにしておいたウィンナーを炒める。そこへキャベツを投入、ざっと菜箸でかき混ぜたら、しばし放置。と、その間に今度はエノキを半分、これを3等分くらいで良いかな。それもはい、フライパンへ。


「すごいね、何か手際が良い。僕とは大違いだなぁ」

「そう? 一人暮らしが長いからね、もうとにかく手早く作れることが重要なのよ。あと、キッチン狭くて何品も作れないから、一皿でも出来るだけ野菜を摂れるようにとか」


 さて、お次は計量カップでお水をなみなみ2杯と椎茸の戻し汁。椎茸は薄切り。強火にして、めんつゆを適当にだばぁ。沸騰したら、半分に折った乾麺2人前をイン!


「別湯でしないんだ」

「うん。なるべく洗い物少なくしたいからね。はい、蓋をして時々かき混ぜつつ、4分待つ~」

「ああ、良い匂い……」


 で、4分経ったら、お皿に盛って、仕上げにバターをひとかけら。くぅぅぅ、夜にバター! 禁断の味よ!!


 ずっと私の後ろでうろうろしていた然太郎は、私の肩越しに出来上がった和風スパゲティを覗き込んで「すごく良い匂い。お腹空いたぁ……」と気の抜けた声を発している。


「そんな声出して、お昼何食べたのよ」

「食べてないんだ、色々あってさぁ」

「うっそ、マジで?! うわぁ、そんじゃもっとがっつり系にすりゃあ良かったかな」

「良いんだ良いんだ。とっても美味しそうだよ」

「早く食べよう、ほら、運んで運んで。フォークどこ? あとお茶お茶」

「フォークはここ。お茶もいま出すね」


 ローテーブルの上に2人分のスパゲティと、コップを並べ、麦茶を注ぐ。いただきます、と手を合わせて、スパゲティの山にフォークを刺した。



 

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