◇5◇ 彼と雪の話

然太郎ぜんたろう、良いの買ってきたよ」


 あれから3年。

 毎週木曜日の午後3時、私はちょっとした手土産を持って然太郎の店、『スミスミシン』を訪れるようになっていた。定休日なのに良いのかと聞いたら、「この日は僕がここで好きなことをする日だから良いよ」と返ってきた。


 ボタンをつけてもらったあの日、生まれ変わったワンピースに着替えると、然太郎はごく自然に「ワオ」と言った。そして、ハッとしたような顔をして口を押さえ、「いま、無意識に『ワオ』って言っちゃった」と呟いた。それが何かもうおかしくて、2人で笑った。


「僕、日本人だと思ってたけど、やっぱり欧米人の血が流れてるんだなぁ」


 なんてちょっとがっかりしたようにしみじみと言って。


「ご両親は普段からそういうことを言わないんですか?」と聞くと、「そうか、あの2人の影響か」と照れ臭そうに頭をかいていた。どうやら、彼はそういう欧米チックなのが凄く苦手らしいのだ。家を出たのはその辺も理由としてあるらしい。


 それで力が抜けたのか、彼は「マリーさん、敬語止めよう」といきなり提案してきた。そして、「僕、マリーさんと友達になりたい」などと言い出した。


 ちょっとこのイケメン、正気?!


 と思ったけど、イケメンの癖に何かあんまり緊張しないし、ここも居心地が良いしで、悪くないお誘いだ。なので私はそれを2つ返事で受けた。


 その日から私と然太郎は友達になった。

 敬語はお互いに撤廃したけれど、然太郎は私のことをさん付けで呼ぶのだけは止めなかった。年上だから、という理由らしい。くそっ。


「ありがとう、今日は何?」

世知辛せちがら甘味堂のよもぎ餅」

「やった。いまお茶淹れるね」


 然太郎は、見た目は100%欧米人なのに、和菓子が好きだ。いや、見た目だけで判断するのは良くない。それはわかってるんだけど、ジョンとかスティーブとかそんな顔をしている然太郎が美味しそうに大福を頬張っている姿とか、「最中の皮が上あごに引っ付いて取れない!」と悪戦苦闘しているのを見るのはいまだに慣れない。


「今日も寒いね」

「寒いけど……、まだ雪も積もってないしさ、私は全然平気」

「そっか、マリーさんは雪の多いところに住んでたんだっけ」

「うん。だから正直ちょっとこの景色は物足りなくもある」


 私のふるさとは秋田県の湯沢市である。そう、小野小町生誕の地ってやつだ。うん、私もあの時代だったらもしかしたら小町レベルだったのかも。来たれ、平安ブーム。


「小さい頃はやっぱり冬といえば雪遊び?」

「まぁね。田舎だし、それくらいしかすることなかったっていうか」

「雪合戦とか?」

「そう」

「雪だるま」

「作った作った」

「あと……かまくら?」

「よく崩落したなぁ」

「無事で良かったね」

「さすがに一人では作らないからね」


 大人からよく言われたのだ、かまくらは絶対にひとりで作るなと。もしもの時に助けを呼べないから、というのがその理由だった。


 もちもちと美味しそうによもぎ餅を食べていた然太郎が、お茶を一口啜ってから「良いなぁ」と呟いた。


「何が?」

「僕、そういうのやった記憶が全然ないんだ」

「何で? 盛岡も雪降るじゃん」

「雪は降るけど……そういう友達がいなかったっていうか」

「ありゃ」


 てっきりイケメンだから皆からちやほやされてるんだと思ってたけど、違うのね。まぁ、イケメン過ぎても苦労するのかな?


「じゃあさ、雪が積もったら、一緒に遊ぼうか」

「ほんと!?」

「ほんとほんと。雪合戦でも雪だるまでも。かまくらは……作れるかわからないけど」


 果たしてそこまでの雪が積もってくれるだろうか。私がこっちに来てから3年ほど、とにかく雪の少ない年が続いているのである。


「やった。約束だよ、マリーさん」


 だけど然太郎はとても嬉しそうだった。にこにこと笑いながら、恐ろしく長い小指をこちらに向けている。


「え、何?」

「何って、指切り」

「げぇ。いくつよ然太郎」

「26。マリーさんは?」

「……30。ううう」

「どうしたのさ」

「30になっちゃったなぁって」

「大丈夫。マリーさんは僕より全然若く見えるから」

「それ、然太郎が老けて見えるだけだからね」

「ううう」


 しょんぼりと肩を落としても、然太郎はデカい。何でそんなに肩に厚みがあるのよ、このメガネ君は。

 仕方なくその小指を絡ませて指切りげんまんを歌ってやると、嬉しそうにその手をぶんぶんと振ってきた。


 楽しみだなぁ、なんて窓の外を見ているけど、その視線の先に見えるのは銀世界とは程遠い。この調子だとこの約束が守られるのは一体いつのことになるんだろう。


「雪遊びはしなかったけどさ」


 すっかり温くなったお茶を飲み干し、保温ポットから急須へとお湯を注ぎながら、然太郎がぽつりと言う。


「僕は、誰の足跡もない道を歩くのが好きだったな」

「あぁ、わかるわかる」

「だよね! それがやりたいがために早起きしたりしたよね!?」

「いや、そこまではしなかったけど」

 

 ばっさり切り捨てると、然太郎は、またしても、しゅん、と丸くなった。だけどやっぱりデカい。


 そりゃ私も好きだったけどね、足跡をつけるのは。だけど、まぁちょっと嫌な思い出もあったりなかったりで。


 

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