第2章 木曜日(本日は定休日となっております)
◇1◇ 『恋人』の始まり
恋人、なんて肩書きになっても、然太郎は何も変わらない。あの日、然太郎が私のことを抱き締めながらなかなか詩人っぽいことを言ったあの日から、何かががらっと変わったりするのだろうかと思ったりしたけど、案外何も変わらなかった。
あの後私達は、また来週の木曜にと約束をして、電話番号を教え合い(それまでは無料メッセージアプリのIDしか知らなかったのだ)、お互い明日は仕事だからと解散となった。
けれども、いつもと少し違うのは、然太郎が駅まで送ってくれたことと、別れ際にぎゅっと手を握ってきたこと。それも、人目を憚るようにして、ほんの一瞬。男女が手を繋ぐなんてそこここで見られる光景だし、何なら抱き合ってるカップルだって――こんな東北の田舎でも――いるというのに。それがまぁ何とも然太郎らしい。
それにほら、こんなイケメンに手を握られてるなんて知られたら、私、刺されるかもしれないしね?
だから良いのよ、私達はこれで。
帰宅してお風呂を沸かし、湯船に浸かる。ちょっと熱めの湯の中で考えるのは、あの然太郎と図らずも『恋人』なんていう関係になってしまったということだ。
えええちょっとよくよく考えてみたら、かなりとんでもないことなんじゃなかろうか。
まず、何度も言うが私はまぁモテない女なのだ。年齢=彼氏いない歴ってやつである。
然太郎は『自称・ろくな恋愛をしてこなかった』だが、あいつはちゃんと彼女もいたのだ。彼女がいたということは、つまり、さすがにあれやこれやは経験済みだろう。然太郎だって健全な男子なんだから。
「ヤバいヤバいヤバいヤバい……」
ぶくぶくと顔の半分を湯に沈める。
ヤバいって。だから私、30なのに未経験なんだって。キスすらしたことないんだって。あの然太郎フェイスが0距離に迫ってくるとか大丈夫なの? いや、然太郎フェイスじゃなくても絶対大丈夫じゃないから。
落ち着け。
落ち着くんだ
「出よう、さすがにのぼせる」
ふらふらと湯船から脱出し、冷たいシャワーをさっと浴びる。
でもまぁ、もしかしたら然太郎の方でも気の迷いとかそういうのかもしれない。自分にアプローチしてこなかった私が物珍しかったとかそんな理由かもしれないのだ。
「そうだそうだ、きっとそうだ」
だから、きっといずれ飽きるだろう。その時になって傷つかないように、あんまり舞い上がったりしないようにしないと。
そう考えるとちょっとは気が楽になった。
この時の私は、まさか然太郎が結構ガチめに私のことを好いているだなんて思いもしなかったのである。
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