マギア✦クセフェヴゴ

相上 おか

第1話 アイリスの天下り


「おぉ……見違えたなアイリスよ」


 ――そこには一人の少女が全身鏡の前へと立ち、身だしなみを整えていた。

 人離れした鈴蘭のような淡く白い透き通った肌。

 そして栗よりも濃い視線を吸い込む檜皮色ひはだいろの三つ編みハーフアップボブ。

 男は神殿の片隅で少女の美貌さに目を奪われていた。


「当然でごうざいましょ? なんたってワタシは【希望と純白の女神】なんですもの! して、本日はどのようなご用件でこの格好を?」

「ふむ……そういえばまだそなたへは用件を伝えておらんかったなぁ」


 顎下に指を添え、男は猫背になって少女が纏う衣服へ目をこらす。

 生地の薄い夏服用に縫われた薄オレンジ色のブレザー。

 そこに襟元と袖口へ施される繊細な青いライン。

 胸元には衣服の印と思われる黄昏を意識した紋章。

 少女が着用する【ソレ】は、現世の世界へ存在する学校の制服であった。


「……まさかただ単にワタシへ制服という物を着用させ、鑑賞へ浸るためだけに呼んだ、というわけではございませんよね?」

「ハッハッハッ、勿論だとも。余はそんな趣味を持ち合わせておらん……さて、それでは早速本題へと入る事にしよう」

「はい、よろしくお願い致しますわ」


 「実はな」と、口元をしかめ古代ギリシャ風の貴人服へ身を包む男は言う。

 それは近年、異世界「ウトピア」を揺るがす大事件の根本的な原因――。


「今し方、現世から転生してくる連中がひと昔前から目立ってきてな」

「あら? それはワタシたちにとって良い事じゃあないんですの? 風の噂によれば、彼らは超人的な力を有しこちらへやってきては怪物を狩り、治安をよくしていると聞きますわ」

「なら、良かったんだがな」

「……どういう事ですの?」


 「確かに治安は良くなった」、と男は続ける。

 曰く現地ウトピアではその能力者たちが途端に仲間内での殺し合いを始めた。

 原因も動機も、理由も分からないままにウトピアは戦火に巻き込まれる。

 第一夜で雇った国の国王が惨殺され、第二夜には国ごと吹き飛んだ。

 第三夜で炎は燃え広がり、第四夜では海も、空も焼けた。


「そんな酷い事……ワタシ、ワタシは初耳ですわ」

「だがなアイリス、我らは地上から届く悲鳴を受け根本的な原因を探った……すると彼ら……あいや、この場合は彼女らかな? 彼女らの元いた地域の特定に成功した」

「……して、その場所とは?」


 少女の問いに、男は険しい表情で答える。

 その場所とは――、


「つまるところ日本の【荒号市こうごうし】と呼ばれる場所である事が判明したのだ」


 「おぉ!」と、思わず前振りにつられ声を出す少女。

 しかし問題はここからであった。


「判明したまでは良かったんだがな……」


 男はそこまで話しきると途端に頭を抱えだした。


「なぁアイリスよ」

「……はい?」

「コロナリアという女神の事は覚えておるか?」

「勿論ですとも、ワタシの信頼する大切な後輩女神でしてよ! ……ただ最近はぱったり、とその姿を見せなくなりましたが」

「実わな……」

 ――彼女は、お主を先んじて一人「荒号市」へと降り立ったんだ。

「――っ、!?」


 少女は男の言葉に思わず瞳を見開く。

 自身の後輩が既にかの地へと赴いている、衝撃的な事実に。


「しかしある日を境に彼女は事後報告を一切行わなくなった。身に危険が及んだのか、それとも切られざるを得なくなる理由があったのか」


 理由ははっきり、としていない。

 しかし彼女との連絡手段が途絶えたという事実は確かにあるのだ。

 後輩の行方不明――、

 アイリスはここにきて自体の深刻さを深海よりも深く噛みしめる。


「それだけ、あの地は地名の通りに荒れ狂っていると予想しうる。そこで戦闘面においても美貌面においても優秀なそなたが選ばれたのだ」

「……後輩捜しの旅と、少年少女の転生理由について――、ですか?」

「その通りだ。話が早くて助かるよ」

「いえ、それほどでも……ですか後者については態々調査せずともはっきりとしましょうに」

「……ほう、では聞こうか。そなたの過信するその理由について」


 アイリスは口元を緩め笑いを堪えながら言う。


「転生理由なんてどうせ、その方の信号無視で巻き込まれたいわゆる【転生トラック】という物が原因でございましょう?」


 少女の回答に男は高らかと笑い出した。

 一方で得意げに答えたアイリスは口元をしかめ反論へ転ずる。


「どういう事ですの?」

「いやはや、ただただ驚いたなぁと思ってな。お主の回答は半分正解、半分不正解といった感じになるのだよ」

「……半分不正解、ですか」


 妙な言い回しにアイリスは違和感を覚えた。

 異世界の天界網を通じ得た、近年の転生傾向。

 アイリスがあの時確認した際は確かに、その多くが【転生トラック】による物だった。

 だが男の表情を見るに、それはどうも違うらしい。

 もしかするとこれは自分の後輩が態々下界した理由にも繋がるかも知れない。


「では『アイリス・レウコユム』よ。そなたに現世へ向かう特令を命ず」

「……はっ、何なりと」

 深く頭を下げるアイリスに、男はどこか満足げな笑みで特例を言い放つ。

「特令! そなたには【近年多発する少年少女が転生するその根本的な原因を模索せよ!】……最も、今回の場合は【少女】の場合だがな」


 命令を受け取ったアイリスの口元は確かに緩んだ。

 本命の理由なんてたかが知れている。

 それよりも、アイリスの関心事項は他にあった。


「はっ! 謹んで特令を承ります……殿下

「よろしい……それではアイリスよ、支度を済ませ次第直ぐに現世へと降りその任務を全うせよ!」

「はいっ! アイリス・レウコユム、ただ今より現世【荒号市】への調査を開始致します! ……どうか吉報をお待ちでいてください」


 そう呟いた途端、彼女の全身は白く眩い光へ包まれる。

 視界が真っ白になった瞬間、彼女の瞳へ一途の暖かい光が差し込む。

 光はまるで手さえ伸ばせば簡単に掴めそうな、形を持たぬ一途のハシゴのよう。


「よし、現地へ到着っと!」


✦―✦―✦―✦―✦


 ――アスファルトの上へ着地したコップを置くような音。

 そしてビルの路地裏へ吹きすさぶ優しい五月の風。

 地面の感触を確かに噛みしめながら、少女「アリウス・レウコユム」は意気揚々に大通りへと向かって歩き出す。


「――どうせ、転生する理由なんてトラックへ跳ねられてアビャー! って感じなんでしょ? だったらこの【希望と純白の女神】であるこのワタシが寸前のところで助ければ無事にイベントは回避出来るはずよ!」


 それと同時に原因も判明して、報告さえすれば直ぐに元の世界へ帰れる。

 しかし帰る前にはもう一つ後輩という、大事な仲間も連れ戻さねばならない。

 だがそれでも分厚い教典を片手に持つ彼女の敵ではない。

 ありとあらゆる魔法が詰まったこの教典さえあれば、どんな困難も蹴破れる。


「もぅ、頼りにしてるわよ! この教典、とっても高かったんだから!」


 光は確かに彼女を眩く、照らしていた。

 しかしそれは彼女を危険へと晒す危うい道印でもある。


「――ちょっと、アンタ。ちょいと止まりな……アンタ何者だ?」

「……はい?」


 ふと、振り返ると……そこには道を塞ぐように陣取る数人の少女がいた。

 背丈的におそらくは少女、というカテゴリーであっているはずだろう。

 光も届かぬ闇を背にして先ず腕を組んでいる少女がアイリスへ問いただす。


「今、どうやってここへやってきた?」

「ホント突然だったよね?」

「……もしかしてあなたもアタシらと同じ【魔法少女】、だったりするの?」

「魔法……少女?」


 聞き慣れぬ単語に思わず耳を疑うアイリス。

 しかし時は待ってはくれない。


「とぼけんじゃあねぇよ。その制服、彼誰時かわたれどき女子のだろ? みりゃあ分かる。んな事よりもだ……オマエ、この町で魔法少女をやっていくんなら先ず出すもんがあんだろうがよ」


 少女らの発言にアリウスはただただ戸惑う事しか出来ないでいた。

 魔法少女とは?

 彼誰時女子?

 そもそも自分が出す物とは一体、何の事なのだろうか。

 自問自答に明け暮れる中、痺れを切らした一人の少女が手持ちの武器を鳴らす。


「良いから早くやっちゃおうよぉ! 変身していない今のうちにさ!」

「ちょい待てよ。変身していない間はやっちゃあダメだって、ちょいと前にこってりと怒られただろ」

「ちぇー」


 少女らのやりとりは、とても年頃の女の子の発言とは思えない内容だった。

 身構えながらもアイリスは問う。


「ごめんなさい。生憎、今出せる物なんて一銭もなくてよ」

「……あるじゃあねぇか」

「……はい? 今、なんと?」

「あるじゃあねぇかよ! 出せる物がよぉ!」

「悪いねぇ……アタシらが求めてんのは、アンタの持つその身体の事さ!」

「……っ!?」


 ――刃は確かに鞘から音を立て、抜かれた。

 一人の少女が長刀を振り回しながらアイリス目掛け、駆け抜ける。

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