118 足利義昭、室町幕府第十五代将軍になる


 池田城の戦後処理のため、ぼくは芥川城の大手門を出た。大手門に控えている軍勢の前に、忍びの権蔵の姿があった。彼を手招きする。

 

 権蔵は僕の前に走りより、膝を落とした。そしてぼそぼそと呟く。何を言っている。聞こえないではないか。

 ぼくは体を屈める。権蔵はぼくの耳元で囁く。

「義栄さまが、九月三十日、病死されました」

「そうか、死んだか……」

 ぼくは権蔵の労をねぎらって、肩を軽く叩いた。

 義昭の喜ぶ顔が目に浮かぶ。



 池田城下は焼け野原だった。

 柴田勝家の軍勢が城下を焼き払ったのだ。


 ぼくが陣屋に入って行くと、勝家以下の諸将が片膝をついて出迎えた。

「勝家、手を焼いたようだな」

 ぼくは渋い顔で言った。

「はっ、敵も天晴、見事な闘いでございました。これ以上、双方、兵を失うのは忍びぎがたきものがありましたゆえ」

「うん……」

 ぼくは頷いた。


 床几に腰を落とす。

 前田利家がぼくの後ろに立った。小者が茶を合議台に置く。

 茶を啜っていると、ぼくと同じ年ごろの武将が子供を引き連れて入ってきた。

「殿、池田勝正にございます」

 勝家が言った。

「ウム……」


 ぼく、織田信人は転生前から、この人物を知っていた。

 池田勝正は、金ヶ崎の退き口において、木下藤吉郎、明智光秀と共に殿軍しんがりぐんを務めた人物なのだ。聞きなれない人物が殿しんがりを務めた理由が分からず、ぼくにとって謎だったのだ。


「われは人質を差し出し、織田信長さまの軍門に下ります。これよりは、織田軍の先兵となって仕える所存にございます。なにとぞ、お願いたてまつります」

「ウム……」


 ぼくは立ちあがった。

「勝正、天晴な戦ぶりであったそうな。そなたの所領は安堵といたす。これよりは、われらと共に、天下を目指そうではないか」

「ははっ」

 池田勝正は額を地べたに擦りつけた。


 兵庫の藤原長房が支配する越水城、滝田城への攻撃を続行するよう勝家らに命じ、ぼくは十月三日芥川城に戻った。直ちに、義昭に戦勝報告する。

 義昭は満足気に頷いた。

 畿内に入ってから、わが軍は破竹の勢いであった。連戦連勝、向かうところ敵なしであった。残された大きな課題は、義昭の将軍宣下だけである。


「聞くところによりますと、十四代将軍足利義栄さまは病死されたとのことでございます」

「それは、まことか?」

「はっ」

「いつのことであるか?」

「九月三十日にございます」

「わたしは、いつ京に戻れるのだ」

「間もなくでございます。これより、将軍宣下まで、いろいろとやらねばならぬことがございます。失敗は許されませぬ。ことは、慎重に運ばねばなりませぬ」

「信長どの~。まちどおしいのお~」

「ははっ」

 大丈夫か、この人……。最初に会ったときには、命さえあればいいと言っていたのに。今は何を考えているのか。


「義昭さま、松永久秀の件で、お願いがございます」

「久秀? なんじゃ?」

「第十三代将軍、足利義輝さまの件でございますが、われが調べたるところ、三好と共に殺害に加わったのは、息子の久通の仕業にございます。久秀は大和におったのでございます。それと、三好との戦いで大仏殿が焼けましたのは久秀の放火ではなく、延焼が原因だったのでございます。間違いありませぬ」

「うん」

「われらが、上洛できたのも、久秀が京で三好一族を引きつけてたからにほかなりませぬ」

「うむ」

「今は、義昭さまの度量を見せつけるところでございます」

「どうするのだ」

「われは、久秀に大和の国を与え、京の備えをするつもりでございます。そのため、大和の国の切り取りをせねばなりませぬ。細川藤孝殿、和田惟政をお借りいたしたく存じます。我軍からは佐久間信盛を当たらせます」

「分かった。両名には伝えておこう」



 その日の午後、松永久秀と今井宋久が挨拶に来た。

 ぼくはまず今井宋久に、帰蝶と木下藤吉郎と共に大広間で会った。宋久は天下の三壺の一つ「松嶋茶釜」と「紹鴎茄子茶入」をぼくに献上した。宋久は堺会合衆の一人である。甲冑製造で需要の高かった鹿皮などの皮製品の販売で財をなし、納屋業(倉庫兼金融業)、薬種(硫黄)、火薬、鉄砲などを販売し富豪への道を駆けあがった。


「既に知っていると思うが、われは矢銭として石本本願寺に五千貫、大和法隆寺に二千貫、堺には二万貫(二億円~三億円)を要求しておる。即座に本願寺と法隆寺はわれの要求に応じた。ところが、堺はこれを断り、堀をめぐらせ、われに一戦を構えるつもりである」

 ぼくは穏やかな口調で語りかける。宋久は優しい笑顔を浮かべている。


 ぼくは横に控えている藤吉郎を指さした。

「この者は木下藤吉郎と申す我軍屈指の武将である。難攻不落といわれた箕作城を一晩で落とした強者である。この者が言うには、堺会合衆を叩き潰すが上策と申しておる。宋久殿、この者の考え、どう思われる?」

「よき考えとは思いますが、商いを行う者から見れば上策とは思えませぬ。それでは、一銭も入らぬ上、戦に銭がかかります」

「うむ、それでは、如何いたす?」

「わたしが、会合衆との仲介役を担いましょう」

「出来るのか?」

「堺も、焼け野原になってしまっては、元も子もありませぬゆえ。おそらく、応じるでありましょう」

「そうか」ぼくは笑顔を浮かべた。

「成功すれば、そなたに摂津の地に、知行地を与えようではないか」

「ははっ」


 宋久が去った後、ぼくは残りの仲間、前田利家、太田牛一、蜂須賀小六を集めた。久秀との話を聞かせるためである。


 松永久秀が現れ、ぼくに名器「九十九髪茄子つくもかみなす」を献上した。

 九十九髪茄子は現在国宝、当時の価格で一千貫である。

「足利義昭さまは、そなたの武勲に応えて大和の国を与えると申されておる。知ってのとおり、大和は切り取らねばならぬ。存分に働くがよかろう。義昭さまは、細川藤孝殿、和田惟正殿を加勢させるとの事である。われも、佐久間信盛を加勢させる。二万の軍勢である」

「有難き幸せ」

「それに、久秀殿、われの嫡男信忠と、そなたの姫の縁組であるが、ここにおる太田牛一が取り仕切る。よしなに頼むぞ」

「ははっ」


 十月十日、松永久秀軍は義昭とぼくの加勢を得て、二万を超える大軍で大和の国に進軍した。

 ぼくは洛中洛外に兵を配置、厳重な警護体制を敷いた。



 そして十月二十三日、義昭は内裏に参上、帝より室町幕府十五代征夷大将軍の宣下を受けた。



 

 *第二幕「美濃攻略戦から上洛まで」が終了しました。次回からは第三幕「畿内平定戦から石山本願寺戦まで」が始まります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る