第16話

「ここで貴方と出会ったのも神のお導きです。再び神のために戦えと、そう仰っている。

 私と貴方で前世いぜんのように、また神の愛を知らしめましょう。まずは穢らわしい魔族たちを神の庭である大地から排除しましょう。もちろん、手伝ってくれるでしょう? スピリドン」


 彫刻家が心血を注いで作り上げた至高の彫像のような、完璧な、蠱惑的とも言うべき、美しい笑みだった。前世いぜんとなにも変わらない、恐ろしい笑みだった。

 スピリドンがこの世で一番怖くて嫌いなものだった。


「さあ、スピリドン」


 すう、と小さく白く細い指の手のひらが差し出された。まるで、かつて、孤児院に迎えられた時のように。


 スピリドンは孤児だった。

 他の子どもたちと同じように教会の孤児院で育ち、教会にいた神父たちから教育を受けた。

 子どもたちに教育を施す神父は複数いたが、スピリドンを主に担当した神父の名はアルノリトといった。

 アルノリトは柔和は印象を与える人物だったが、神のため、人類のため、とお題目を掲げスピリドンを勇者として厳しく教育した。

 剣はもちろん、他の武器も一通り扱えるよう叩き込まれ、果ては暗器までも扱えるようになった。

 神のため、人のためを唱えるアルノリトの言うことを素直に信じたスピリドンは、行けと言われた場所に行ったし、殺せと言われれば何でも殺した。

 それがスピリドンの日々だった。

 神の教えに従わない悪魔を殺した。

 神に歯向かう魔族を殺した。

 魔族に従う人間を殺した。

 魔族を庇う人間を殺した。

 異教の徒を殺して、異教の文化を破壊して。

 神のためだから。神父にそう言われたから。

 泣いて怯える子どもも殺した。逃げ惑う魔族を人を殺した。

 何も考えずに。

 ――否。

 考えてはいた。

 本当に殺すしかないのか?

 本当に自分たちは正義で、魔族たちが悪なのか?

 気付いたことに気づかないふりをした。見たものを見ていないことにした。

 気付いてしまえば、見てしまえば、自分のやってきたことのおぞましさに圧し潰されてしまうから。

 スピリドンが罪悪感に捕まりそうになっていると、神父は目ざとくそれを見つけた。

 そうしてスピリドンの両の眼を覗き込み、熱心に熱心に、それはもう熱心に、神の素晴らしさを説き、切々と神の敵対者の恐ろしさを訴え、だから敵対者を滅ぼす道具ゆうしゃのスピリドンは素晴らしいのだと称賛した。

 スピリドンが「はい、わかりました」と返事をするまで延々と。

 それが異状であったのだと気づいたのは、随分あと――――死んだあと、転生し、前世を思い出し、記憶それが本当に過去にあったのかと歴史を調べてからだった。

 歴史を調べれば調べるほど、かつての自分スピリドンが仕出かしたことの重さを知った。

 唯々諾々と命令に従っていた自分はなんと愚かしい生き物ゆうしゃであったか。どれだけ悔いたとしても足りない。

 殺してきた命の重さに耐えきれず、自分だけのうのうと幸せな環境で生きていくのが許せなくて、死んで詫びようと思い詰めたこともあった。

 月明りに光るナイフに反射したリカルダの眼はどんよりと濁っていた。人間の急所はスピリドンがよく知っていた。小さな刃物でも苦しませずに一瞬で命を奪う方法も。

 ナイフをリカルダのか細い首に突き立てようとしたその瞬間、胸の傷跡が痛むほどの熱を放った。脳裏に爛々と光る赤い眼と、血を吐きながらも歓喜に歪んだ口元に、うるさいくらいの声が蘇った。

 まるで子ども同士が明日も遊ぼうね、と約束するかのような嬉しげな声と表情だった。

 それを思い出したスピリドンは死ぬ気が失せた。リカルダは泣いて、泣き疲れてその夜は眠った。翌日にはすっきりと目覚め、確かに《スピリドン》は多くの命を奪ったが、リカルダには関係のないことだ。そう切り替えられた。

 命を奪った人間が死んでも失われた命は戻らない。そもそも勇者は道具扱いだったのだ。勇者どうぐが人を殺したとしても、使用者が一番悪いに決まっている。もちろん勇者スピリドンだって悪かったが、諸悪の根源が一番悪い。

 八つ当たりだ。けれども、後悔を燃料に怒りを燃やせば死ぬ気はなくなった。傷跡は時々約束を忘れるな、と警告するように熱くなった。一方的に取り付けられた約束だったが、その度救われたような気になっていた。平穏無事に生き抜くと決めたので、殺し合いは勘弁だったが。いっそ忘れたまま、思い出さなければとうんざりするくらいには慣れた存在になった。

 だから、決めていた。

 もしももう一度神父に会うことがあれば、そのツラを殴り飛ばすと。


「死にさらせこの野郎!!!」


 にこにこと、さも自分は人畜無害です、と笑いながら前世と変わらない神父の顔をして手を差し出す神父をスピリドンは拳で思い切り殴り飛ばした。

 身体強化を最大までかけて振り抜いた右拳は見事神父の顔のど真ん中に吸い込まれるようにしてめり込んだ。骨の折れる音と感触がしんたか構わず振り抜く。

 その勢いで吹っ飛んだ神父が石壁に叩きつけられバウンドしたので、距離を詰めて胴体ボディに数発拳を入れ、また石壁にバウンドさせる。左右のフックを、左右のストレートを、左右のジョブを、時折混ぜ込むアッパーを、神父の顔へ、胴体へと沈めていく。飛び散る赤に苛ついて、舌打ちをした。

 スピリドンが殴る音と、石壁に神父が跳ね返る音がしばらく廊下にこだました。が、それも長い時間ではなかった。999Hitの仕上げに、1000Hit目の拳を振り抜こうとしたスピリドンの体は動きを止めた。


「ヨンナ、回復!」

「はい!」

「スピリドンよね?! なにしてるの、その子死にかけてるわよ!」


 体の自由を封じられたスピリドンの横をヨンナがすり抜け、ボロ雑巾になっている少年へ治癒術を施す。


「スピリドン?! どうしたのよ、あんなに目立つのは嫌だって言ってたじゃない!」

「あ……、あ……? ジゼッラ……? インニェル……?!」

「落ち着いて、スピリドン!」


 スピリドンの両手は返り血で真っ赤になっていた。

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